今回の配達先は、ウズベキスタン。ここでカフェを経営する盛井佳菜さん(41)へ、神奈川県で暮らす父・俊彦さん(70)、母・芳子さん(70)が届けたおもいとは―。

“青の都”の中心で、夫や親戚とカフェを切り盛り

ウズベキスタン第二の都市・サマルカンドは、中央アジア随一の観光地。数々のイスラム建築が並ぶ都市全体が世界遺産に認定され、その美しさから“青の都”とも呼ばれている。

佳菜さんと夫・オビドさん(41)は2年前、観光エリアの中心にカフェをオープン。店は窓から遺跡を望む絶好の立地にある。旅行者にも人気のメニューは、ピラフの原型といわれる「プロフ」をはじめとした現地の伝統料理。オビドさんの妹のユルドゥズさん(33)が厨房で腕を振るっている。ウズベキスタンではこういったファミリービジネスが主流だそうで、ホール係の男性も親族のひとりだ。

また店舗の片隅には、オビドさんがガイドを務める旅行会社のオフィスもあり、佳菜さんも手が空いた時にはツアーの手配などを手伝っている。そんなオビドさんはツアーに出ると1週間は戻ってこないといい、不在の間は佳菜さん1人で親戚たちとカフェを切り盛りする。

青年海外協力隊として、たまたま派遣先に決まったウズベキスタンへ

幼い頃から海外に興味を持っていた佳菜さんは、大学の国際学科を卒業後、旅行会社に就職。働くうちに「一度は海外で国際協力をしたい」との思いが芽生えていった。そこで青年海外協力隊として仕事の経験が活かせる国を希望。たまたま派遣先となったのがウズベキスタンだった。現地で観光業に従事する中、ガイドをしていたオビドさんと出会い、2001年に結婚。出産と子育てのため夫婦揃って日本に拠点を移した。その後、両国の旅行会社の間に立つ仕事をしていたが、次第にSNSの影響でウズベキスタンが広く知られるようになると顧客が急増。仕事を続けるには移住した方がいいと判断し、2020年、幼い3人の娘も連れて再びウズベキスタンへ。そして観光客に食文化を通してこの国の魅力を感じてもらおうとカフェをオープンしたのだった。

人口の9割以上がイスラム教徒のウズベキスタンでは、日本とは風習が大きく違うこともしばしば。お祝い事のたびに月に数回開かれるという大規模な集まりもそのひとつで、ある週末にも、突然オビドさんのはとこの娘から招待が。急なお誘いもお国柄だという。今回は3人目の子どもが生まれたお披露目会で、一家は車で2時間かけて会場の家へ向かう。招かれた親戚は200人にものぼり、もはや誰がどの関係なのかもわからないほど。そしてお披露目されるはずの赤ちゃんと出会うことはなく、その姿を見ないままこの日はお開きになった。

またあるとき佳菜さんが訪れたのは、布の市場。「スザニ」というウズベキスタンの伝統的な刺繍生地を注文するという。ほとんどが一点もののこの生地から作ったバッグなどの雑貨をカフェやオンラインで販売しているそうで、購入した生地を持って向かったのは、オビドさんのいとこ姉妹が待つ縫製の工房。親戚に依頼するのは、仕事によって収入が安定し、生活も豊かになればとの思いもあるという。

そんな娘の日常に、「カフェも素敵な場所で、改めて頑張ってるなって思います」と、母・芳子さんは目を細める。また、たくさんの親戚とやりとりする様子には、「よくやってますよね」と父・俊彦さん。実は、佳菜さんの結婚式のときには親戚が700人も集まったそうで、自身もとにかく挨拶が大変だったと振り返る。

ウズベキスタンに嫁ぎ多くの親戚と奮闘する娘へ、両親からの届け物は―

宗教が異なる異国へ嫁ぎ、多くの親戚を雇っていくつもの商売を切り盛りする娘へ、両親からの届け物は、佳菜さんが幼稚園の時に紙粘土で作った「おにぎり」。このおにぎりの力強い佇まいが娘らしいと思い、ずっと大切にしていたという母の手紙には、「ご縁があってはじめて知ったウズベキスタンという国。その素晴らしさを多くの日本の人に知ってもらいたいと思ったことを忘れずに大切にして、オビちゃんと一緒に頑張ってください」とエールが綴られていた。

読みながら、涙がこぼれる佳菜さん。そして「小さい頃から両親はなんでも応援してくれて、支えになっている存在。このおにぎりを見て、お母さんとお父さんを思い出しながらまた頑張ろうかなと思います」と、ウズベキスタンでのさらなる奮闘を誓うのだった。