「駅メロの元祖」は大分・豊後竹田駅だった!? 荒城の月、鉄腕アトム、青葉城恋唄…作家・藤澤志穂子が明かす駅メロ豆知識
放送作家・脚本家の小山薫堂とフリーアナウンサーの宇賀なつみがパーソナリティをつとめるTOKYO FMのラジオ番組「日本郵便 SUNDAY’S POST」(毎週日曜15:00~15:50)。7月21日(日)の放送は、作家の藤澤志穂子(ふじさわ・しほこ)さんをゲストに迎えて、お届けしました。

(左から)パーソナリティの小山薫堂、藤澤志穂子さん、宇賀なつみ

◆知られざる“駅メロ”の歴史

元新聞記者の藤澤さんが、“駅メロ”にフィーチャーした著書「駅メロものがたり 人とメロディーの中心に鉄道があった」(交通新聞社)を書こうと思ったきっかけは、自身が秋田市局に赴任したおよそ7年前のこと。東北新幹線に乗った際、途中駅の福島駅で停車していたときに、ふと流れてきた「栄冠は君に輝く」の駅メロを耳にしたことでした。

「あれって甲子園の歌ですよね。〝なんで福島なのかな?“と思いまして、調べてみたら古関裕而(こせき・ゆうじ)さんという方が作曲をしておられて、福島のご出身であると。青年会議所の方が古関裕而さんの歌で町おこしをしようと思いたち、駅メロにする運動をして、ついでに奥様との恋物語を朝ドラにしようという運動もされていたんです。震災復興もあってそれは実現して、今では古関裕而の町として有名になったんです」と振り返ります。

それがきっかけとなり、他の町にもその町ならではの駅メロがあるのではないかと調べていった結果、1冊の本になりました。

藤澤さんによると、日本で最初となる駅メロの元祖は、大分県の豊後竹田駅。ここは、滝廉太郎さんが少年時代を過ごした町だったこともあり、「『荒城の月』を、1951年の戦後間もないときに市民の方がレコードを持ち込んで、駅でかけまくったのが最初と聞いております」と解説。

というのも、「滝廉太郎さんが町の誇りであるということと、隠れキリシタンの町だったので、世界に目が向いていたという先見的な町で、“観光で身を立てましょう”と決議をしたという記録まで残っているそうです。今も滝廉太郎さんで盛り上げようと毎年合唱コンクールも開いています」と補足します。

豊後竹田駅から始まった駅メロでしたが、そこから次々と他の駅に広がっていったのかというとそうでもなく、「区切りになったのは、国鉄民営化の頃ですかね」と藤澤さん。

「ベルから心地よい音に変わっていった駅メロの歴史が、山手線くらいから始まったんだと思います。ご当地化してきたのが、2003年頃にJR高田馬場駅で『鉄腕アトム』を使い始めて。手塚プロダクションが高田馬場にあるということと、アトムがちょうどその年に生まれた設定になっていたみたいで、その2つがあって、地元の商店街の方が働きかけて実現して、そこからご当地メロディーが一気に広がったと言われています」とその成り立ちについて言及します。

藤澤さんからは、駅メロにまつわるさらなるエピソードも。一番印象的だった駅メロとして仙台駅の「青葉城恋唄」を挙げます。「1978年のヒット曲で小学生の頃に大好きだったんですけど、さとう宗幸さんの作った歌で、当時はまだ全然無名のミュージシャンでした。ラジオ番組のディスクジョッキーをやっておられた際に(リスナーから)投稿された詩に曲をつけたもので、それがすごい人気になってデビューすることになったそうで。それを当時の仙台駅の国鉄の駅長さんが、郷土の若者を応援しようと駅でかけまくったことがヒットのきっかけになっているんです。駅長さんが本社に掛け合って駅でかけまくったんです。当時、特急ひばりという上野に行く電車があったので、そこが出るときに(青葉城恋唄を)かけたりしていたそうです」と話します。

当時、まず仙台で火がつき、「それが全国に広がって大ヒットになって、『NHK紅白歌合戦』にまで出るようになったんです。紅白歌合戦で、駅長さんが審査員で呼ばれたそうなんですけど、駅は空けられないということで、会場に行かない代わりに駅で(青葉城恋唄を)夜通しかけまくったという逸話もありました。それが駅メロになっていった感じです」と明かします。

なお、この日の放送では、話題に挙がった「荒城の月」や「青葉城恋唄」の駅メロをはじめ、藤澤さんの解説のもと、いろいろな駅メロが番組で流れました。

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<番組概要>

番組名:日本郵便 SUNDAY’S POST

放送日時:毎週日曜 15:00~15:50

パーソナリティ:小山薫堂、宇賀なつみ

番組Webサイト:https://www.tfm.co.jp/post/