JR根府川駅を中心に関東大震災の記憶を伝える碑があります。
100余年前に起きた震災の慰霊碑
1923年(大正12年)9月1日11時58分。2024年(令和6年)から101年前のこの日この時、関東大震災は起こりました。こちらの慰霊碑はその記憶を伝えるものです。
また、慰霊碑の名に入っている「復舊」は「復旧」の旧字体です。その名の通り、震災時に根府川駅付近で起こった大規模土砂災害によって亡くなった人々の魂を弔う(震災後の復興を報告する形で)ために建立されました。
列車を海へ叩き落し、周辺の村落を壊滅させた「山津波」
上記画像は根府川駅設置の周辺地図ですが、この通り山がちな地形の多い日本は、震災時には津波だけでなく土石流も各地で脅威となります。この当時は大規模な土石流の事を「山津波」と呼ぶ事もありましたが、この昔の言葉の方が、先の東日本大震災を経験した私たちにとっては、より被害をイメージしやすいかもしれません。
白糸川河口上流より発生した土石流はそれより下に位置していた集落を飲み込み、そして川よりも北にある根府川駅西側の斜面にも巨大な地滑りを誘発させました。
これにより相模湾の海沿いを走っていた小田原熱海線(現在の東海道線)も、根府川駅へ停車しようとしていた最中、激しく押し寄せる土砂に駅舎や線路ごと、文字通り「削り取られて」相模湾へ叩き落とされてしまったのです。
建立者はスルガ銀行の創設者
慰霊碑が建立されたのは1932年(昭和7年)。根方銀行(後のスルガ銀行)創設者である岡野喜太郎氏によるもので、民間人が建立した慰霊碑という事になります。この岡野氏も妻と娘(三女)を震災で失っており、その事が慰霊碑の建立に繋がったといわれています(慰霊碑自体は彼の家族だけでなく犠牲者全員を鎮魂するものです)。
車かバイクがないと訪れづらい
この慰霊碑は根府川駅を近くとする国道740号線沿いに位置していますが、その根府川駅から歩いて訪れるには歩道がなく危険です。また慰霊碑がある場所も、それなりに自動車の流れがあり、そのうえ駐車場はありません。車両を駐めるにも路肩に乗り上げるしかありません。
訪れる場合は、あまり大柄な車両よりも軽自動車やバイクといった小柄なものの方が楽で安全でしょう。
根府川駅にも殉難碑がある
根府川駅にも「関東大震災殉難碑」という碑が建立されています。こちらは慰霊碑建立からだいぶ時間が経った後の1973年(昭和48年)に、根府川駅職員一同の名目で建立されました。こちらは根府川駅構内に存在するため、歩いて訪れる事が可能です。
施設紹介
【府県道 小田原熱海線 震災復舊記念碑】住所:〒250-0024 神奈川県小田原市根府川営業時間:24時間
アクセス
国道1号線の根府川交差点で国道740号線側へ入った後(上りなら左折、下りなら右折)、直進。ただし慰霊碑が対向車線側のため、さらに進んだ後の根府川駅で転回して道沿いに駐車する事をおすすめします。
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