錦鯉が生まれた山古志地域

長岡市山古志地域は新潟県のほぼ中央に位置し、周囲を山に囲まれた山間地にあります。冬季の積雪量が3メートルにもなる豪雪地帯ですが、古くから人々の営みがあり、その地名が古文書にも残っているほど。先人たちによって山の斜面が切り開かれてできた棚田では、今も地域の農家の人々が稲作をしています。

その棚田では古くからコメだけでなく、鯉(こい)も育てられています。棚田の水に使われるのは、雪解け水が浸透した地下水。人々は協力して横井戸を掘り、その地下水が湧き出るようにしたのです。しかし雪解けしてすぐの水は冷たすぎて稲作には適しません。そこで棚田の最上段に「棚池」と呼ばれるため池を作って水をため、太陽熱で温めてから稲作に使用しています。

山古志の棚池

その棚池で育てられているのが鯉。ここでは古くから、タンパク源の確保のため食用の鯉を育て、秋にコメを収穫すると同時に、鯉もとって食していたのです。そして江戸時代後期、飼育していた鯉の中に赤い模様のものが発見されます。その鯉に改良に改良を重ね生まれたのが、現在の美しい錦鯉です。こうして山古志では盛んに錦鯉が養殖されるようになり、錦鯉発祥の「聖地」として世界に知られるようになりました。

長岡市山古志支所前池で育てられている錦鯉

稲作と養鯉を行い、この地域の昔ながらの様子を知る小川六一(おがわ・ろくいち)さんは、「美しい鯉が生まれると、みんな自慢をしたくなって、錦鯉の品評会をするようになって。50年前は集落ごとに品評会があって、村の人たちの楽しみになっていました」と当時を振り返ります。

小川さん。2019年には長岡うまい米コンテストで最優秀賞を受賞している

そんな山古志を新潟県中越地震が襲ったのは2004年10月のこと。家屋やインフラだけでなく、大切にしてきた棚田や養鯉を行っていた棚池も大きく損傷しました。さらに地震により村につながる全ての道路が寸断され村が孤立状態となったため、住民たちは全村避難することに。
全村避難から3年2カ月後の2007年12月に帰村が実現したものの、戻ったのは地震前の約7割の1400人ほど。中山間地にある他の自治体同様に高齢化・過疎化は避けられず、現在の住民は740人ほどにまで減少し、古くから続けられてきた伝統的な農作業の保全も難しくなっています。

「私たちのような後期高齢者が夏に作業するのも、高いところに上るのも危ないですから、伝統の『はざかけ米』を作るのは今年はやめました。田んぼの面積も半分にしてしまった。農家は一番多かった頃の10分の1くらいになってしまったね」と、小川さんはさみしそうに言います。

はざかけの様子(画像提供:山古志住民会議)

そんな現状を変えるため、小川さんは山古志で就農する人を増やそうと就農体験を受け入れていますが、なかなか定着に結びつかないそう。棚田での作業の大変さや冬の豪雪は、他の地域の人にとっては思った以上に移住のハードルになるようです。

一方で、山古志では伝統文化を守り、それによって観光客などを呼び込む動きもあります。
1000年も前から続くと言われる「牛の角突き」は闘牛の一種で、国の重要無形民俗文化財にも指定されています。牛の角突きのイベントは定期的に行われ、地域外からも多くのファンを集めています。

牛の角突きの様子。闘牛ではあるが、牛が傷つかないように人が入って引き分けにするのが特徴(画像提供:山古志観光協会)

そして山古志を代表するもう一つの伝統が、錦鯉です。錦鯉の池揚げ体験など、観光客が錦鯉に触れられるようなコンテンツもあります。
現在は毎年10月に長岡市錦鯉品評会が山古志で開催され、大きさや品種に分けて審査が行われています。品評会にはヨーロッパやアメリカ、アジアなど世界各地からバイヤーや愛好家が訪れ、錦鯉はクールジャパンのアイテムの一つとして注目を集めています。また、2019年に東京で開催された全日本総合錦鯉品評会では2億円以上の高値が付いたことから大きな話題になりました。

長岡市錦鯉品評会の様子(画像提供:山古志観光協会)

養鯉業者の努力でブームになった錦鯉、しかし厳しい現実も

いま、世界中の注目を集め、高値で取引されるようになった錦鯉。その恩恵はこの地域をも潤しています。小川さんは「飼育技術を磨き、丹精込めて育て、現在のニーズに沿った錦鯉を生産している専門の業者のおかげ」と話します。「そもそも、それほど高値がつく錦鯉はほとんど生まれません。高値になるのは、体形や品質の良いものを国外の愛好家が気に入り、評価した錦鯉だけです。多くの農家さんは錦鯉でお金を稼いでいるというより、錦鯉が可愛いから育てています。錦鯉はケンカをしないし、餌の時間になるとわかるようだし、育てれば育てるほど愛着がわきます」

このように、錦鯉を育てる農家のほとんどは収益のためではなく、あくまでも趣味の一つとして養鯉を行っています。また、錦鯉ブームは養鯉業社が自らPRを行い、苦労を重ねた結果、ようやく訪れたものだといいます。ところが、最近は養鯉業者の経営状況を圧迫するさまざまな要因が出てきていると小川さんは話します。
「昔の錦鯉のエサはカイコのさなぎでしたが、現在はカイコよりも栄養価の高い配合飼料が使われています。配合飼料は錦鯉を大きくするのに有効ですが、価格が高騰しています。さらに、最近では海外でも錦鯉が生産されるようになり、海外バイヤーの見る目も洗練され厳しく買いたたかれるようになりました。輸送する飛行機のチャーター代の高騰も影響し、養鯉業者の経営も厳しくなってきています」

こうした外部の影響も深刻ですが、一方で山古志の自然環境の変化も養鯉に影響を及ぼしているそう。
「近年雪が少なくなっていることで、養鯉用の水も田んぼに利用できる水も減少して、養鯉に支障をきたしています。さらに、雪の減少と山の放置によりイノシシやカモシカ、サル、クマも下りてくるようになり獣害も増えました」(小川さん)

新しい取り組みによる、山古志の活性化

そのような状況を打開し、山古志の伝統である養鯉を残すため、学生に養鯉の魅力や仕事への理解を深めてもらおうと、長岡市が養鯉業者でのインターンシップを開催しています。これには山古志地域の活性化や人口減少対策という目的もあるよう。長岡市農林水産部農水産政策課(インターンシップ担当)は「このような取り組みによって、若い人に興味を持ってもらえるのではないかと期待しています」と話します。参加した学生からは、養鯉業についてもっと知りたいとの声も上がっているようです。

また、養鯉業者でのインターンシップ受け入れ以外にも、地域団体の山古志住民会議が山古志の地域活性化のために「デジタル村民」を呼び込む取り組みをしています。

これは、錦鯉をシンボルにしたNFTアート(※)を電子住民票として発行し、発行を受けた「デジタル村民」が山古志を実際に訪れ住民と触れ合ったり、山古志地域の課題や魅力について話し合ったりする取り組みで、すでに1000人以上のデジタル村民がインターネット上で交流しています。このような取り組みの影響もあって、山古志地域には毎年3万人以上の観光客が訪れるそう。

このように、山古志の美しい棚田・棚池の景観を残すために、多くの人たちが関心を持ち、関わっているのです。

※ データの偽造や代替が不可能な“一点もの”として所有権が保証されたデジタルアートのこと。

電子住民票になるNFTアートの一例。錦鯉をモチーフにした「Nishikigoi NFT」の一作品「Colored Carp」(アーティスト:Okazz)(画像提供:山古志住民会議)

環境保全のために必要な養鯉

山古志の棚田

稲作と養鯉は、環境保全の役割も果たしています。古くから地滑りが多いこの土地では、山の荒廃は災害につながるとして危険視されてきました。その山の斜面に棚田や棚池を作り稲作・養鯉をすることは、山を整え地滑りを防ぐことにつながります。こうした伝統的な農法を守るために、長岡市は隣の小千谷(おぢや)市や養鯉団体などと一緒になってこの取り組みを日本農業遺産へ申請し、2017年に「雪の恵みを活かした稲作・養鯉システム」として認定されました。

クールジャパンで注目される錦鯉は、その美しさや高価さだけが取りざたされがちです。しかし、錦鯉を育てるさまざまな農業の取り組みや伝統を存続させることが、山古志という地域、そして美しい棚田・棚池の景観を守ることにつながるのです。