1980年、ルノーは平凡な"ショッピングカー"を狂暴な野獣に変貌させた。ルノー5ターボは、ホモロゲーション・スペシャルの概念を根底から覆す衝撃作だった。
【画像】オーナー曰く「フーリガン・カー」。誰もが童心に戻れる車、ルノー5ターボ(写真14点)
ホモロゲーション・スペシャルには程度がある。多くはレースカーやラリーカーをそのまま公道仕様に仕立てたものだが、なかにはまるでラリーカーがロードカーを作るための口実として製作されたかのように思えるほど快適な車も存在する。そして、ルノー5ターボは後者に属する、と言って差し支えないだろう。
どことなく近未来感を漂わせるスポーティなルックスのシート、ベースであるルノー5とは異なる丸目ダイヤルの計器類、映画「未知への逃亡者 ローガンズ・ラン」から飛び出してきたかのようなステアリングホイールを眺めれば、コルシカのラリーステージとは遠く離れた存在のようにすら感じる。
ベース車にちょっと触れてみると、初代ルノー5は1972年から1985年まで生産された。通常、ルノーではフルモデルチェンジで車名を変えていたのに、あまりの人気に2代目もルノー5の名称で1990年まで販売された。ファンキーな5人乗りコンパクトハッチで北米では「ル・カー(Le Carの英語読み:日本語なら”ザ・カー”となろう)」、日本では「5(ダジャレを交えてゴー)」と親しまれたものだ。誰もが口にしたのはルノー5の「運転の楽しさ」だった。
フランス車らしい唯我独尊な雰囲気が漂ってはいたが、シティカーとして極めて高い完成度を誇っていた。もちろん、クアトレル(ルノー4)からトゥインゴに至るルノーの輝かしい系譜にシームレスに溶け込んでいた。搭載エンジンはわずか782ccから始まり、1721ccのスーパーサンクに至るまでバリエーションも豊富だった。軽量なモノコックと先駆的なポリウレタン・バンパーも手伝って車重は730kgから850kgに収まっていた。
ルノー5のいわゆる「ホット」モデルはアルピーヌ、ゴルディーニ、コパとターボモデルは商標権者の都合上、地域ごとに名称が異なった。参考までに当時、イギリスではクライスラーがアルピーヌの商標権を有していたので、ルノーは「ゴルディーニ」の名称を用いた。そして、ルノーでは当時、F1に供給していたターボエンジンのイメージをさらに有効活用すべく、グループ4(後のグループB)への参戦を画策した。
「プロジェ822」と社内で謳われたこの計画は、ジャン・テラモルシによって立案され、ジェラール・ラルースに引き継がれた。ベルトーネの重鎮、デシャンとガンディーニが参画しボディとインテリアを担当し、このコンセプトをコーチビルダーであるユーリエが現実のものにした。ラルースは1978年にはプロトタイプを走らせていたと一部では語られているが、公道でもラリーでも使えるルノー5ターボが登場するのはさらに2年後のことだった。とはいえ、デビュー前から今風に言うと”バズ”っていた。そもそも人気のコンパクトカーをベースに、リアシートを潰して1.4リッター直4ターボエンジンを搭載し、前輪駆動から後輪駆動に変身させるなんてバズらないわけがなかった。サスペンションには前後ともにダブルウィッシュボーンを採用し、ハンドリング性能を極限まで高めた。
変わったのはボディパネルやエンジンの配置だけではなかった。アルミ素材以外、軽量なスチールとプラスチックが用いられたほか、窓の厚みまで削られた。アルピーヌA310の369型トランスミッションを流用し、エンジンの圧縮比は7:1に下げられていた。1981年、ルノー5ターボでグループ4に参戦したジャン・ラニョッティは、ジャンマルク・アンドレと共にモンテカルロで華々しいデビュー戦を飾った。
しかし、5ターボも5ターボ2も進化スピードが速かったグループ4でもグループBでも取り残され…、最大の勝利は「ショールーム」でのことだった。グループ4の世界ラリー選手権に参戦するためのホモロゲーションは400台であったが、5ターボは実に1,800台が生産されるほど需要が旺盛だった。5ターボ2が登場した1983年、もはやホモロゲーション・スペシャルではなく、市販車の延長線上の車へと変わってしまった。というのも、インテリアはゴルディーニのものを流用し、ベルトーネが手掛けた”奇抜”さがなくなってしまった。合金パネルの大部分はスチールに変更され、車両重量は約70㎏増加したのだ。
当該車両のオーナー、リチャード・ヘッド氏が5ターボ2を見かけて、5ターボを購入したのは、上記の理由からだ。
「グッドウッドの駐車場でたまたま5ターボ2を見かけて、そのファンキーなルックスに一目惚れしました。5ターボ2について調べてみると、5ターボのほうがもっとファンキーであることに気づき、購入するならローンチカラーの赤と自ら選択肢を狭めてしまいました」と振り返った。
そんなヘッド氏は、ドイツの中古車サイトにて、イタリアにある1980年式で改造されていない5ターボを発見。なんでもブレシアにある、ルノー・ディーラーがショールームに飾っておいた一台だったそうで、ディーラー権をルノーから別ブランドに鞍替えするとのことで売却を決めたとのこと。窓に面したボディは若干色あせていたというのが、ちょっと面白い。
イギリスに到着した当該5ターボは早速エンジン、de Carbon製ショックアブソーバーはオーバーホール。Devil製エキゾーストは、当時の純正オプションだったものを装着していたが、いわゆる”フルオリジナル”。ヘッド氏はこの車を”フーリガン・カー”と自ら呼んでいる。
「この車は楽しむためだけに運転します。実際よりもずっと速く走っているように感じられて、フーリガンになった気分を味わえるんです」と笑った。誰もが童心に戻れる車、とでも表現しておこう。
ボディの合金パネルはとても薄く、屋根に蚊がとまるだけで凹みそうで、鍵を差し込むだけでドアが撓む、…ように感じるほど。ノーマルの5でこのような現象を感じるなら、それは鋼板の腐食が原因だろうが、5ターボでは軽量化に対する高潔なまでの取り組みの証である。段差を乗り越えたり、風が吹いたりするたびに、ドアミラーが動いてドアの塗装にひびが入ってしまいそうなほど軽い。真面目な話、対策としてはドアの内側に補強プレートを取り付けることだ。
リアシートがあった場所には、ウッドパネルにカーペットが施されたエンジンカバーが目に入る。独創的かつ驚くほど遮音性が高い。世界最大のスピーカーに見えるものは、実はツールボックスである。エンジンルーム(?)最大の特徴は、ラリーカーらしく冷却ファンではなく、排熱ファンが設置されていることだろう。
運転席からの景色はサイケデリックな色彩の乱舞だ。L字型スポーツを持つステアリングホイールほど常識を覆すものはないが、ちょっと運転してみるとタコメーターが見やすい、という実用性に感心させられる。天井には飛行機の操縦席を連想させる、パナソニック製の”コクピット”ステレオがレトロ・フューチャーにとどめを刺す。
エンジンをスタートさせると、すぐ後ろのエンジンそのものよりも排気音のほうが大きいようだ。シフトチェンジの精度は車の気分に左右されるような感覚だ。トランスミッションがエンジン後方に位置するためにやむを得ないのかもしれない。即座にキビキビ変速することもあれば、どのギアに入っているのか分からないような曖昧な変速をするときもある。
まるで生き物のようで車との”対話”が欠かせない。
ターボの本領を発揮させるためには高回転を維持する必要があり、一般的な走行感覚よりも1速低いギアを選択することが不可欠。レスポンスは極端で、スイートスポットから少しでも外れるとパワーは崖から落ちたかのように落ち込む。前後重量配分はリア60%ゆえに操舵は軽いかと思いきや、そうでもない。スタートダッシュが速いかと思いきや、スイートスポットが高回転域ゆえに中間加速で威力を発揮するのが5ターボ。
この車が約束するのは永遠の若さである。どんな人間をもフーリガン気分に浸らせてくれるのだ。ただ、油断は禁物。狭い道を運転しているときは「リアはフロントよりもワイド、リアはフロントよりもワイド」と念仏のように唱えると安全だ。
ルノー5ターボは、量産車をベースにした狂気のホモロゲーション・スペシャルとして、今なお多くのファンを魅了し続けている。そのラディカルなコンセプトと斬新なデザインは、自動車デザインの歴史に燦然と輝く金字塔となった。
1980年 ルノー5ターボ
エンジン:リアミッドシップ 1397cc OHV 直列4気筒
ボッシュKジェトロニック・フューエル・インジェクション
ギャレット製T3ターボチャージャー
最高出力:160bhp@6000rpm 最大トルク155lb ft@3250rpm
トランスミッション:5速, 後輪駆動
ステアリング:ラック&ピニオン
サスペンション:前後ダブルウィッシュボーン、トーションバー、
テレスコピック・ダンパー、アンチロールバー
ブレーキ:ベンチレーテッド・ディスク
車両重量:941㎏
最高速度:128mph 0-60mph加速6.9秒
編集翻訳:古賀貴司(自動車王国) Transcreation: Takashi KOGA (carkingdom)
Words: James Elliott Photography: Andrew Green