これまでは人海戦術的に行うことが多かった野球のデータ分析にプログラミングを活用し、東大野球部の記録的な連敗ストップに貢献。卒業後は、福岡ソフトバンクホークスのデータアナリストとして、チーム編成などの中・長期的な戦略のアドバイスや選手の育成などの業務に従事してきた齋藤周さん。プロ野球界に「データに基づいた意思決定」という新たな考え方を定着させるべく、業界の最前線で日々奮闘を重ねている。
ここではそんな齋藤さんのデータアナリストとしてのキャリアを振り返りながら、データアナリストという仕事の醍醐味やデータ分析が野球の進化にもたらす影響、さらにはデータ分析を私たちの仕事や生活に有効活用させる方法まで、詳しく話を伺った。
連敗記録を止める手がかりになればと始めたデータ分析東京大学野球部の学生スタッフ兼アナリストとしてチームを支えていた当時の齋藤さん。試合前の練習ではノックなども担当していたついに連敗を止めた。2021年の法政大学との春季リーグ戦2回戦で、2017年秋から3つの引き分けを挟んで続いていた連敗記録を64で止め、実に7季ぶりの白星をあげた東大野球部。これに学生コーチ兼データアナリストの立場から貢献したのが、現在は福岡ソフトバンクホークスでデータ分析を担当する齋藤周さんだ。
小学5年生から野球を始め、高校時代には2年生の夏に内野手として東東京大会ベスト16に進出。東大野球部にも選手として入部し、2年生の新人戦では主将も務めるなど、プレーヤーとしても期待されていた。しかし、その後負った右肩の怪我の影響により、2年生の秋から学生コーチに転身することとなる。
転機が訪れたのは、2019年秋に東京六大学野球に「トラックマン」という弾道測定器が採用されたときのことだ。これにより、これまでは測ることのできなかった投球の回転数や変化量、打球の速度や角度といったさまざまなデータが取得できるようになり、膨大なデータをチームの強化につなげることが可能になった。
当時、チームは連敗記録を更新中、自身もこのままでは1つも勝ち星をあげることなく卒業することになりかねないという危機に追い込まれていた齋藤さんは、藁にもすがる思いでこのデータの活用に目をつけ、データ分析を試みるようになる。
「野球の技術面では、どうしても他の大学に分があります。まともにぶつかりにいっても勝てないことは目に見えていました。では、どうしたら勝てるようになるのか? 必死にその方法を模索した結果、まだどこの大学も手をつけていないデータ分析という新しい分野でいち早く勝ち筋を見出せれば、その突破口を見つけられるかもしれないと考えました」(齋藤さん)
野球のためなら苦戦していたプログラミングにも夢中になれた選手たちにわかりやすくデータを伝えるため、日々、パソコンと向き合いながら格闘していたというとはいえ、齋藤さんにもともとデータ分析の知識があったわけではない。大学の授業でたまたまプログラミングの講義を受けたことで、「今後はますますITが世界を変える時代になるから、社会に出てからも役に立つスキルを身につけておこう」くらいの軽い気持ちでプログラミングに挑戦してみたものの、実際にやってみると、想像以上に難しく、茨の道だったという。
「エラーが多発し、解決方法がわからない問題にもたくさん直面しました。プログラミングはまさに、これまでに自分が経験したことのない未知の世界。何度も諦めそうになりかけていたんです」(齋藤さん)
ところが、プログラミングを学ぶ動機が「野球部の勝利のため」と定まると、学習方法や取り組む姿勢がガラリと変わり、気づけばデータ分析にのめり込むように。アプリの開発会社でインターンとして働きながら、最終的にはデータ分析を自動で行うアプリを自力で開発するまでになっていた。
「やはり、野球という自分にとって関心の高いテーマだと、プログラミングの学習スピードが劇的に向上し、エラー対応といった困難な問題にも粘り強く対応できるようになりました。また、学習方法もそれまでは書籍やWEBサイトで網羅的に学ぼうとしていましたが、作りたいものを作るために必要な知識を手を動かしながら習得するという実践的なスタイルに変えることで、効率的に経験を積めるようになったんです」(齋藤さん)
試行錯誤を重ねることで見えてきた、データ分析が役立つ3つの場面データ分析を活用し、定量化していくことで、目標の解像度を上げることができるこうして最初は手探り状態から始めたデータ分析だったが、一心不乱に手を動かし続けていると、自身の著書『野球データでやさしく学べるPython入門』(日本実業出版社)でも説明しているように、データ分析が役立つ3つの場面が見えてきたと齋藤さんは語る。
「まず1つ目は、目標の定め方です。例えば、リーグ戦で優勝するという目標を立てたとします。でも、これだけでは達成のために何をすればいいのか、具体的な目標が見えません。そこで過去の優勝チームの得失点データを調べることで、『平均得点●点以上、平均失点●点以下なら優勝できる』という具体的な目標が見え、さらに得点とヒットの関係性を調べることで『それを実現するには、1試合あたり●本のヒットが必要』という細かい目標も見えてきます」(齋藤さん)
このように抽象度の高い目標を細分化し、より具体的な目標にまで落とし込むことで、チームや個人が取り組むべき課題も見えやすくなっていったそうだ。
「2つ目は、進行状況の可視化です。目標の達成にはやはり時間がかかるので、今どれくらいの達成状況にあるのかを常に把握できるようにすることが大切です。例えば、目標に掲げた総ヒット数がリーグ戦前の練習試合でどの程度達成できているかがわかるようグラフ化し、寮の食堂に貼り出すことで、部員たちの目に留まりやすくなる工夫をしていました」(齋藤さん)
目標を形骸化させないようにする進捗率の可視化にも、データ分析が一役買ってくれたというわけだ。
「そして最後は、こうして具体化した目標の達成度を定量的に評価し、課題を洗い出す振り返りです。目標が達成できたときもそうでないときも、詳細に振り返ることが大切で、それにより次の目標設定に生かせる良かった点と悪かった点が浮かび上がってきます」(齋藤さん)
例えば、「ヒット数の目標は達成できなかったが、盗塁でカバーできたことで、得点数の目標は達成した」や「これだけ盗塁が多いと相手チームから警戒されやすくなるので、次はヒットを増やすように力を注ごう」といった細かい振り返りが、次の目標設定の精度を高めることにつながると齋藤さんは語る。
この3つのサイクルを回すことが、東大野球部のDX化のカギとなった「データ分析の主な利用方法がこの3つに集約されることがわかってからは、①目標設定、②進行状況の可視化、③振り返りのサイクルを回すことで、効率的にチームの課題を改善し、チームの強化につなげることができました。データを活用することで、チームが目指すべき目標が明確になり、選手たちの努力が成果につながりやすくなったのです」(齋藤さん)
また、こうしたデータ分析のサイクルは野球だけでなく、ビジネスや私たちの生活における課題解決にも生かすことができるのではないかと齋藤さんは語る。特に漠然とした目標や課題に対して問いを立てて明確化していくプロセスは、さまざまな場面で効果を発揮してくれる活用頻度の高い考え方といえるだろう。
ホークスで学んだ、プロ野球ならではのデータ分析の活用方法チーム編成に関わる仕事では、所属選手のパフォーマンスを広く分析しながら、チームの強化のためにどういった選手を獲得するべきかなどを球団に提案しているそして、こうした東大野球部での実績に加え、データ分析の結果などを積極的にSNSやブログで発信していたことが福岡ソフトバンクホークスの担当者の目に留まり、齋藤さんは球団から「データアナリストとして働かないか」と誘いを受けることになる。1年目は「GM付データ分析担当」として、試合における作戦や選手起用の最適化をサポートする戦術の仕事や自軍の選手を強化する育成の仕事に、2年目以降の現在は「スカウティングサポート」として、チームに選手を集める編成の仕事を中心に携わっている。
特に育成面では、大学時代には触れることのなかったさまざまな科学的アプローチによる指導法があることを知り、例えば、速い球を投げられるようにするには、どこの筋肉や関節をどう使えばいいかというところまで落とし込んでトレーニングをする姿に、「さすがプロの世界だ」と深い感銘を受けたそうだ。
「プロ野球の試合数は年間143試合と多く、10試合のリーグ戦で一戦必勝でのぞむ東京六大学野球とは戦い方が異なります。選手の育成についても、同じ選手が同じチームに10年、15年と在籍することも普通なので、長く広い視野でデータ分析を活用していく視点を養うことができました」(齋藤さん)
「データ分析」によって野球はどう変わっていくのか?齋藤さんが大切にしているのは、チームの一員であるという意識。データを分析するアナリストという立場が選手から遠い存在にならないよう、練習中の球拾いなども率先して行っているこのように仕事として確立されてからはまだ日の浅いデータアナリストという業界の最前線で日々奮闘を重ねている齋藤さんだが、データ分析の魅力や醍醐味について尋ねると、こんな答えが返ってきた。
「やはり、一番はデータ分析により、一人ひとりが何をすべきかよりわかりやすくなることで、個々の努力がきちんと報われやすくなることだと思っています。野球でいえば、誰に指導してもらえたとか、切磋琢磨できるチームメイトに恵まれたとか、そういった環境的な運ではなく、自分の頑張り次第で結果を出せるようになる。そうした仕組みを設計の面からアシストできるのがデータアナリストという仕事の醍醐味です」(齋藤さん)
一方で、データ分析により野球の未来はどう変わっていくかについては、「選手の能力やチームへの貢献度などがはっきり数値化されていくと、『選手にとっての正解とは何か?』がわかるようになり、後天的に身につけられることに差がなくなってしまう。そのため、競技性の部分では、究極はポテンシャル勝負の世界になるかもしれません」との答えが。しかし、こう続ける。
「でも、いくらデータ分析を活用するとはいっても、結局は野球は人間がやって、人間が観るスポーツです。足の速さを生かしたプレーが好きとか、体格的には小柄な選手を応援したくなるなど、好きな選手や感動するプレーは人によってまちまちなので、そういう人間的な側面は数値化されないし、データ分析もされないし、野球の面白さとして残っていくと思っています」(齋藤さん)
データ分析が野球の競技性の進化をアシストしながらも、人間の感情に関わるところで野球らしい面白さが残っていくというのが、齋藤さんの描く未来の野球の姿なのだ。
そして、最後に「僕は環境なり、才能なり、何かしら不利な立場にいる人が頑張って、逆転するみたいなストーリーが根本的に好きなので、野球はもちろん、私たちの暮らす社会においても努力が報われる世界になるよう、少しでもいい影響を与えていきたい」と今後の抱負を語ってくれた齋藤さん。
元々ビッグデータが存在しない私たちの社会にデータ分析の視点を持ち込むことで見えてくる、人間の得意不得意や社会の課題意識。そこから「ならば、こういうふうにやってみよう」と生まれる改善の発想が、野球に留まらず、未来の社会や人々の豊かさにもつながっていくと感じさせてくれる素敵なインタビューとなった。
text by Jun Takayanagi(Parasapo Lab)
写真提供:福岡ソフトバンクホークス