作曲家のマリア・シュナイダー(Maria Schneider)は現代ジャズにおける伝説的な存在だ。21世紀に入ってから進化が止まらないビッグバンド/ラージ・アンサンブルの最高峰として知られ、ダーシー・ジェームス・アーギューや韓国のジヘ・リー、日本の挾間美帆や池本茂貴、秩父英里といった次世代の登場を促した。そんなマリアの才能に、晩年のデヴィッド・ボウイが魅了されたのは周知のとおり。彼がマリアと共に作り上げた楽曲「Sue (Or In A Season Of Crime)」は、遺作『★』を生み出すきっかけにもなった。
マリアの音楽においては、ジャズとクラシックの手法がその境界を感じさせないほど見事に融合されている。実際に彼女はクラシック音楽にも取り組んでおり、グラミー賞でも両ジャンルの部門で受賞している。
そんなマリアが、彼女を敬愛する挾間美帆プロデュースの「NEO-SYMPHONIC JAZZ at 芸劇」に満を持して初登場。7月27日(土)に東京芸術劇場コンサートホールで開催される同公演では、マリアの指揮で彼女のジャズ曲をラージ・アンサンブル、クラシック曲をチェンバー・オーケストラが演奏するほか、挾間の編曲によるマリアの人気曲「Hang Gliding」も披露される。マリアの名作『Winter Morning Walks』(2013年)からの曲も日本で初演奏される予定で、貴重な一夜になるのは間違いない。
今回、来日を前にインタビューが実現した。ジャズやブラジル音楽、ポップスなどの影響源や、来日時に披露されるクラシック路線の楽曲の話、ボウイとの出会いを経て辿り着いたダークな世界観についてなど、キャリアを網羅するためにじっくり話を聞いた。ここからマリアの音楽を今一度掘り下げてみてほしい。
音楽観を変えた数々の出会い
―若い頃、どんなジャズ作曲家を研究してきたのか聞かせてください。
マリア:ジャズ作曲家ということであれば、サド・ジョーンズとデューク・エリントンは絶対。私が学んだクラシックの世界では楽曲のフォーム(形式)がとても広範的だけど、ジャズの世界の曲の多くはテーマとバリエーションで演奏される。つまり曲があり、その”同じ曲”で誰もが即興演奏をする。ボブ・ブルックマイヤーのアプローチはそれを大きく打ち破る、クラシック音楽的な形式だった。私は「わお、何をやってもいいんだ。ソロイストたちは”違う曲”で演奏できるんだ」と思った。
そしてギル・エヴァンスは「トランペット、トロンボーン、サックス」という”3種の神器”みたいな、典型的ビッグバンドの編曲ではないところが好きだった。まるでオーケストラを作編曲するみたいで、フレンチホルンとかダブルリードといったユニークな楽器を加え、それ以上に、各楽器を個々のものとし、セクションとしてではなくアプローチした。ギルなら『The Individualism of Gil Evans』。マイルスとの仕事と同様、作曲における洗練度という意味で、次のレベルと言える素晴らしさがある。マイルス・デイヴィスとのコラボなら『Porgy and Bess』を選ぶかな。
―ボブ・ブルックマイヤーについてクラシック音楽的だとおっしゃいましたが、もう少し、彼の特異性について教えてください。
マリア:ごく小さなアイディアを使って曲を作り上げていく展開のしかたが、とても洗練されている。それは彼の演奏にも当てはまる。作曲家としてのアプローチと演奏家としてのアプローチが一緒ってこと。例えば、たった3音で始まったソロの間、ずっとその3音を繰り返すことで別のものにしてみせる。作曲も同じ。そういうのをやらせたら彼は超一流。あとはリズムに対するセンス。彼の音楽のパワーの多くはリズム、そして一つのアイディアを発展させていく一貫性から来るんだと思う。今言ったことはどれもクラシック音楽の世界ではとても重要なことだから。
ボブ・ブルックマイヤーの作品なら『Make Me Smile』。これはメル・ルイス・オーケストラとやったアルバム。「My Funny Valentine」を完全に再構築する編曲が本当に素晴らしい。これは私がジャズ・コンポーザーになりたいと思ったきっかけのアルバムでもある。ジャズの作曲の世界でも、クラシック音楽と同じくらい洗練されたことができるのだと思わされたから。
私がライナーノーツも書かせてもらったブルックマイヤーの最後のアルバム『Standards』も選びたい。スタンダードという私たちが知っている曲のコンテクトの中で聴くと、"どこから”が、そして”どれ”がブルックマイヤーの編曲なのかが聴いてわかる。それはギルに関しても一緒。ギルの場合も、ほとんどが編曲だったから。知っている曲のコンテクトの中だと、彼らのアレンジの新鮮さが際立ち、よくわかる。どこをとってもボブならでは。
―あなたの音楽からはブラジル音楽からの影響も聴こえてきますが、そういった音楽に魅了されたきっかけは?
マリア:ブラジルに行ったことかな。
―現地での経験ですか?
マリア:でも、実はその前から好きだった。私の父は南米でも仕事をしていたので、両親の新婚旅行は南米で、リオのカーニヴァルで皆がサンバを踊りながら街に繰り出す様子をムービーで撮っていた。それを見て、子供心にとても惹かれてた。それから何十年……90年代にバンドで招待を受け、ブラジルを訪れたことが人生を変える体験になった。関係者に現地の音楽を聴きに連れて行ってもらったり、スーツケースがパンパンになるくらいCDを買って帰ったり。そこから取り憑かれたみたいに夢中になってブラジル音楽を聴いた。
―そうだったんですね。
マリア:長く聴いていれば、当然その影響は自分の音楽にも入ってくる。それまで私は、シリアスなジャズはシリアスに聞こえないとダメなのだと思っていた。パワフルで、ダークで、強くて、筋肉質なものじゃないといけないんだ!と。ところが、ブラジルに行ったら突然すべてが美しくて、魅力的で、笑わせてくれて、泣かせてくれて、それでいてハーモニーもリズムも洗練されている。その時、音楽は……というかジャズは、楽しいものにもなれるんだと気づいた。魅力的で美しくて洗練されたジャズになれると。帰国後、私の音楽が変わり始めたのは、私自身が”美しい曲を書くことを自分に許した”から。そのくらい、ブラジル音楽との出会いは私を変える出来事だった。
Photo by Whit Lane
―ブラジル音楽で特に惹かれたアーティストや作品は?
マリア:まずエグベルト・ジスモンチ。作曲面で彼の音楽はリスペクトしている。あとは当然ながらアントニオ・カルロス・ジョビン。彼はハーモニーも何もかもが美しい。
―ジスモンチのどんなところに惹かれたんですか?
マリア:熱いところかな。あの目……! エグベルトのどこが好きって、何よりもミュージシャンとして、プレイヤーとしての高い演奏技術。10弦ギターからピアノまでなんでも弾ける。そして人を惹きつけてやまないメロディとリズムとフォーム。ご存知だと思うけど、彼はヨーロッパでナディア・ブーランジェ(アーロン・コープランドやアストル・ピアソラ、クインシー・ジョーンズらを指導したフランス人作曲家)にクラシック音楽を学んだから、彼が書く曲のフォームは動き回る。「Frevo」「Loro」……彼のどこが好きかと言ったら、その複雑さ。もう驚異的。奇跡と言っていい。
―ブラジル音楽があなたの人生をそんなに大きく変えたとは知りませんでした。
マリア:あと、リオには地域ごとに独自の音楽があって。カーニバルの間はサンバスクールが競い合っている。私はその中のポルテーラ(Portela)が大好きでアルバムも買った。ただ人が歌っているだけ、パンデーロを叩いて、喜びに満ち溢れてて、そこでは音楽が「生きることそのもの」だと思ったのも大きかったかな。
―では、次はクラシック音楽です。どんな作曲家を研究したんですか?
マリア:子供の頃からアーロン・コープランドが好きで、作曲家になりたいと思ったのも彼の音楽がきっかけ。彼の初期の音楽はとてもアメリカ的だった。私が住んでいたのは、だだっ広くて平らな風景が続くアメリカ中西部。彼の音楽は私の目に映る風景を、どこかで感じさせるものだった。私が自分自身のストーリーを音楽の中に込めるコンポーザーになったのも、その影響なのかもしれない。
高校生の時に初めて書いた曲は、友達のための曲で、その友達に対する私の思いを込めて曲にした。聴いていたクラシックの作曲家ということであれば、ラヴェル、ショパン、ストラヴィンスキー……ハチャトゥリアンのピアノ協奏曲も好きだったし、ラヴェルのピアノ協奏曲ト長調の第2楽章はため息が出るくらい。エグベルト・ジスモンチにもラヴェルに似た曲があって、確かインスピレーションになったのはラヴェルだったはず。
それと、私が子供の頃に聞いてきた60年代のポップミュージックは本当に良質だった。ジミー・ウェッブやローラ・ニーロの曲を取り上げたフィフス・ディメンション。そのアレンジはビル・ホルマンやボブ・ブルックマイヤーのような人たちが手がけていたから。レコーディングはミッドタウン・マンハッタンのスタジオ。オフィスでアレンジャーたちが待ち構えてて、曲が入ってくると、それをアレンジし、レコーディングを行なうというわけ。
―ジミー・ウェッブもお好きなんですね。
マリア:「Wichita Lineman」が大好き! ”If these old walls could speak, they would have a tale to tell…”(「If These Walls Could Speak」を歌う)。当時のポップミュージックも私に影響を与えている。「Up Up And Away」(ジミー・ウェッブが作曲)は何回、転調すると思う? 10くらい違うキーへ変わる。(歌いながら、次々と転調する様を説明)私は曲を聴きながら、家中踊り回っていた。セクションが変わるたび、まるで空を飛んでいるみたいだった。しかもストリング、ブラス……とフルオーケストラが使われている。
―ジャズとクラシックの融合といえばジョージ・ガーシュインはいかがですか?
マリア:子供の頃はガーシュインが大好きで「Rhapsody in Blue」をバカみたいに聴いていた。「Prelude」「American in Paris」「Porgy and Bess」……どれも大好き。ラヴェルからはガーシュインが、ガーシュインからはラヴェルが聴こえてくるのが面白い。アメリカン・ソングブックとフランス音楽が混じり合い、初期のジャズの影響も少しあって、すべてがそこにある。子供の頃、フィフス・ディメンションを聴いて踊りまくってたのと同じように、ジョージ・ガーシュインにも夢中だった時期があるから。
ビッグバンドとオーケストラ、それぞれの挑戦
―今、話してくれたようにあなたの音楽にはクラシック音楽からの影響がかなり含まれています。一方であなたのバンドは、基本的にはジャズのビッグバンドを改変したオリジナルの編成です。でも、あなたの音楽を聴いていると、ホーンで作っている音なのにまるでストリングスがいるかのような響きが聴こえることもあります。あなたは自身のバンドもしくはビッグバンドの編成の中に、どのようなやり方でクラシック音楽からの影響を取り入れてきたのでしょうか。
マリア:ビッグバンドのための音楽を書き始めたのは大学時代。NYに移ったあと、メル・ルイスのビッグバンドに1〜2曲書き、その後もビッグバンドの委嘱の依頼を受けるようになった。すると、ヨーロッパではバンドといえばビッグバンドで、各大学にビッグバンドがあることがわかった。だから、私もグループを作る段階で「このスタイルを続けよう」と決めた。そうすることで自分の音楽を演奏してもらえるわけだから。つまりは実用的な理由から。
その後もビッグバンド音楽を掘り下げ、曲を書き続けたけれども、同時にオーケストラルな音を出したいといつも思っていた。自分のバンドを「ビッグバンド」という形にしたのは、それで生計を立てられるから。これも実用面から。つまりキャリアを通じて、ずっとビッグバンドを少し広げて、オーケストラみたいな音を出す方法を探してたんだと思う。「作曲家には制約がある方がクリエイティブに考えられる」と言ったのはストラヴィンスキーだったけれど、私も制約があったから、他とは違うオーケストレーションを探せたのだと思う。
―いい話。
マリア:例えば(管楽器の)ミュートを利用するのもそう。私は個々の楽器の音を考えた。それぞれの人が持つそれぞれの音。様々な木管楽器をダブルで重ねた。アコーディオンも加えた。ギターもね。さらに一つの楽器を様々に組み合わせ、2つ3つとダブリング(同じ楽器の同じフレーズを重ねること。微妙なズレで独特の質感が生まれる)することでどんどん可能性は広がってくる。計算上だけでも無限の並び替えが可能になる。
―たしかに、それはあなたの音楽における大きな特徴ですね。
マリア:ジャズの歴史のほとんどで、4本のトランペットが、トロンボーンが、サックスが同時に演奏する、もしくはブラスと何本かのサックスと組み合わせるといったパターンしかなかった。それとは対照的に、私はそういったセクションをバラバラにして、個人単位にしてる。「この人とこの人をミックスして、そこにアコーディオンを足せばこんな色になる。今度は対比でこの人を置いてみよう」というふうに。だからビッグバンドではあるけれど、ただのビッグバンドみたいには聞こえないわけ。
Photo by Briene Lermitte
―その一方で、『Winter Morning Walks』ではオーケストラのために(クラシック音楽的な)新曲を書いたわけですよね。それはあなたにとってどんな経験だったのでしょうか?
マリア:テッド・クーザーの詩に出会い、恋に落ちたことが大きかった。従来の”詩のために書かれた音楽”の中にでは、言葉が音楽的でないというか、私には「歌詞じゃない」と思えるものが多かった。それで最初に、まずは音楽を乗せるのにふさわしい詩を探した。そしてあの詩を見つけた。テッド・クーザーはがんの治療中、毎朝早い時間に冬の散歩をし、詩を書いた。生きることを肯定する、美しく、魅力的な詩が100篇近くある。その中から私が心動かされ、言葉の音、詩の長さ、そして表現されている内容という観点から、音楽が書けそうなものを選んだわけ。偶然なんだけど、最初に依頼を受けてまず書いた曲は、今回日本で演奏する「Carlos Drummond de Andrade Stories」だったの。
―音楽的な詩だけを選んだと。
マリア:そう。私は数少ないコラボレーションを除くと、ほぼ生涯ずっとインストゥルメンタル曲を書いてきた。だから言葉がある曲を書くとなった時、「どうしよう。曲を書くだけでも大変なのに、それに言葉を合わせなきゃならないなんて!」と、とても怖かった。でも実際やってみたら真逆で、すごく楽しかった。というのも言葉がリズムを与えてくれるから。言葉のリズムについていけば……それをしたがらないコンポーザーが多いけど、言葉にリズムを……なんだったらメロディまで決めさせちゃえばいい。例えば”Up and down”という言葉をリズムに乗せるには、既成のリズムに合わせようとするのではなく、その言葉本来のリズムに乗せるしかないわけでしょ? ”Walking by flashlight”だって同じ。その言葉に自然のリズムを決めてもらった。どれも大好きな詩ばかりだったので、その詩に対する”愛”を表現する曲を書きたかった。最初は大変だったけど、最終的にやればやるほど楽しくて仕方がないプロジェクトだった。
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―オーケストラという楽器は、あなたの音楽に何をもたらしてくれたと思いますか?
マリア:どうかなぁ。今まで以上にspace(空間、余白)のある曲を書くようになれたのかも。というのも、オーケストラ用に書いた曲のうちの3曲を、後からバンドのために再編したんだけど、そうしたら突然、よりシンプルな曲になった。オーケストラ・パートに限らず、曲を書くこと自体がよりシンプルになったというか。「私はコンポーザー、自分は何をクリエイトしたいんだろう?」ではなく、その詩が持つ感情に寄り添う曲を書くようになれた。つまり自分を取り除き、曲のために曲を書くようになった。エゴに縛られない曲作りということ。
―『Winter Morning Walks』にはドラマーがいませんよね。ブラジル音楽好きのあなたはリズムに特徴がある音楽を作ってきましたが、そんなあなたにとって、ドラムセットがないというのは大きなことではないかと思ったのですが。
マリア:『Winter Morning Walks』の曲はほぼフリータイム。中にはテンポの決まった曲もあるけれど、多くがルバート、つまり”自由な速さ”になってる。あなたの質問が的を得てるのは、東京のコンサートで演奏予定の「Drummond」で用いられているのはブラジルの詩だから。あの曲で私はブラジル音楽を通して、リズムのある曲を書きたかった。ブラジル音楽のテンポはカウンターポイント、カウンターラインによって決まることが多い。ショーロがいい例。動くメロディラインがリズムを生むので、ドラマーがいなくても、パンデイロだけでも、パンデイロさえなくても曲にはリズムがある。あの曲で私はオーケストラを使い、オーケストラのための作曲方法を利用し、まるでドラマーがいるかのようなテンポの曲を書こうとした。でもクラシックの音楽家はたっぷり時間をとることで自己表現する傾向があるので、そんな彼らにテンポ通り、いかにもドラマーがいるかのように演奏させるのは大変で難しかったけどね。
『Data Lords』と名曲「Hang Gliding」の制作秘話
―2020年発表の最新作『Data Lords』についても伺いたいです。あのアルバムにはあなたのファンの誰もが驚いたと思います。あのアルバムを作ったきっかけは?
マリア:いくつかあったけど、一つは私たちの暮らしや子供達に、ビッグデータが及ぼす影響にめちゃくちゃ頭に来てたこと。それが最大の懸念だった。今の政治、子供の自殺率、鬱、引きこもり……すべてが信じられない状況にある。私にとって音楽とはもともと、私の人生を語るストーリーのようなものなので、その時に関心があることが現れる傾向にあって。ちょうどその頃、デヴィッド・ボウイからコラボレートを持ちかけられた。彼は、私の他の作品も好きだけど、特に初期のダークな作品が好きだった。そんな彼とのコラボレーションを通じて、彼の目を介し「ダークって楽しい!」と私も思うようになった。ダークさには皮肉がある。そして、それは必ずしも陰鬱なダークさではなくて「わあ、なんてダークなんだ、参ったなぁ!」みたいな感じでもある(笑)。
―からっとした前向きなダークさ(笑)。
マリア:そういう意味で、彼にインスパイアされた。そこにビッグデータへの懸念が合わさって、私の中から曲が生まれてきた。その頃、私は「AIが地球を滅ぼし、後には何も残らないんだ!」と思ったから。その一方で(同作収録の)「Sanzenin」は京都に行ったことがインスピレーションだし……ちなみに今回も公演後、京都へ行くから! 他にもバードウォッチング、アート、自然への思いも曲となって表れていた。
―2枚組のそれぞれが「The Digital World」「The Natural World」というコンセプトで作られたそうですね。だから自然についての曲も収録されていると。
マリア:ある時、それらをギグで演奏したら、ある人から「これらを録音してアルバムにしなきゃ」と言われた。でも片方は挑戦的で、片方はソフト。こんな両極端な曲を録音するなんて無理だと思った。でもその晩、ベッドに入りながら「これってすごいことだ」と気づいたの。曲を書いたら、また次の曲を書く。それだけだったけど、私が人生で何にもがいたのか気づいた。Eメールやメッセージに注意を削がれ、ネットが勝手に売りつけてくるものから逃れ、自然や沈黙や美しさと繋がりたいと願う……これが私の抱えてる問題なんだと音楽が示してくれた。私は今、人生の陰と陽の間でもがいているんだ、ってね。
その時点で、「The Digital World」「The Natural World」の2枚組にすると決めた。よく「次はどんな作品になりますか?」と聞かれるけど、私には「わからない」としか言えない。実際、ブラジルから戻ってきて書いたのが「Hang Gliding」(2000年作『Allégresse』収録の人気曲)だったわけで。
―そうだったんですね!
マリア:あれを書いた時も”飛ぶこと”と”ブラジルでハンググライダーをしたこと”を曲にしていることはわかっていた。でも数曲書き終えるまで、どれほどブラジルが音楽の美しさと喜びに目を向けさせてくれたか、気づいてなかった。自分の頭の中で何が起きてるか、音楽を書いたあとにその音楽から教えられる。高いお金を払って精神科医に診てもらわなくてもいい。子供が描いた「ママとパパが怒ってお互いを見ている」絵から「なるほどそういうことか」と子どもの心を読み解くみたいに……私にとって音楽は、私の精神状態を教えてくれるものだから。
「Hang Gliding」のパフォーマンス映像
―『Data Lords』では危惧、不安、怒り、もしくは警告みたいなものが頭に浮かんだ時に、それをどんなサウンドで表現しようと思ったんですか?
マリア:特にどんなサウンドとは考えず、ただサウンドを、自分が惹かれるサウンドを探しただけ。それは抱えていたフラストレーションや怒りが洗い流されていくような経験だった。音楽は錬金術みたいだとも思う。暗がりや悲しみといった自分の中にある、自分がもがいているものを、美しい何かに変えることができる。この曲ができたから、もう私は笑える。だから「邪悪になるな(「Dont Be Evil」)」って言ってるの。あれはGoogleを笑い物にしてるんだけどね(「Dont Be Evil」はGoogle社のモットー)。曲を書くことで悪いもの(evil)がなくなっていい気持ちになるって感じ。
―『Data Lords』では多くの曲でエフェクターやシンセサイザーに頼らず、そのダークな世界観を表現していますよね。そこがすごくあなたらしいと思います。どんな作曲技法や演奏技法を使ったんですか?
マリア:技法というよりは音符の物理かな。ダークな音楽には半音が含まれているもので、特に一番低い音に半音が含まれている。音階には全音と半音があるけれど、その半音がルート(根音)に近づくほどに、音階的には暗くて密度の濃いものになるから。
その逆で「Hang Gliding」は低域が全音で、高域が半音という明るいサウンドに溢れている。引き上げられるような美しいサウンドってこと。そんなふうに自分の精神や耳に聞こえるものを追うだけ。後から分析すれば「なぜダークに聞こえるか明らか、半音がぎっしりだから」って思うけど。絵画と一緒で、明るい色を使って高揚感を出すか、深いダークブルーに黒を混ぜてよりダークな色にするか、ということ。作曲もそれと同じ。リズムへのアプローチ、音符がいかに他の音符とフィットするか、ハーモニー、一つのコードから次へどう動くか、軽くするか、圧縮するか、そういった一つ一つの選択による。結局、物理や幾何学と一緒で、音楽の法則からは逃れられない。作曲とはそういうものだと思う。
―僕が初めてライブで「Hang Gliding」を聴いたとき、あなたが「この曲はここで人が助走をして、それをこういう楽器が表現していて、その後にハンググライダーが飛び立つんだけど、そこではこの楽器がこんな演奏をしていて……」とMCで解説していたのも印象的でした。この曲には物語があって、場面ごとに情景があって、それに合わせて曲が書かれて、ソロが配置されています。完成された映画みたいな曲なんですよね。
マリア:たしかに、どこか映画みたいなのかも。
―どんなことを考えながら、どんなプロセスで作曲したら、あんな曲ができるのでしょう。
マリア:私があんなふうに”何かのことについて”曲を書こうと決めて作ることは滅多にない。あの時も、楽器で音を出しているうちに、突然ハンググライディングのことを考えている自分がいた。それで「あ、ハングライディングについての曲なのか」と気づいて、「いいじゃん、そうしよう!」って思った。それが決まったら、どんな形式にするかを決める。私はよく自分でも言うんだけど、子供の頃から説明的でプログラマティックな音楽を書くのが好きだった。自分の人生の体験を取り入れ、人に何かを感じさせるようなストーリーを語る、というか。だから人から「あれを聴いてハングライディングに行きたくなった」と言われると、すごく嬉しい。「Data Lords」もそうだった。ただ音を出していたら「あれ? これってビッグデータって感じの音だ」って感じたの。まずはタイトルが浮かんで、そこから「これをどう発展させていこうか?」って。その次に「それによって私たちが作り出した人類の破滅(がテーマ)だ」って思った。
Photo by Briene Lermitte
AIが代替できないジャズの民主主義
―『Data Lords』のリリースから5年が経ち、AIへの懸念はよりリアリティのあるものになりました。多くの楽曲を学習させたAIに作らせた曲も出てきています。そんな環境下に、あなたは人間の作曲家として、どんな音楽を生み出していきたいと考えていますか?
マリア:うーん、ジャズにとって大切な即興演奏に関してなら言えることがひとつある。座ってソロを取ることが即興演奏ではないってこと。他人のやることを聴き、いい意味で影響を受けながら共にプレイし、コネクトすること。他の人がやったことが、自分の考えやアプローチを変えることもある。だから計画を一旦手放し、無計画な中から何かを起こさせる。要するに民主主義。それは(他人の音を)聴くこと。今日の政治家たちは「自分が正しい、お前は最低だ、アホだ、ヒトラーだ、ナチだ」とやり合ってるだけで、誰も相手の話を聞かないでしょ?
―おっしゃるとおりですね。
マリア:私は最近「American Crow」という曲を書いた。ミュージシャンはバンドの演奏を待って、それに応えた演奏をしなければいけない。最後には誰もが互いに話し合っている。”その時の自分たちのいる場所”ということ。リスクを恐れず、互いの演奏を聴くことこそ、ジャズのユニークさでしょ? そして、人間がやることはまさにそれだと思う。その時々に人間がやるべきこと。AIがそれを人間と同じレベルでやれるとは思えない。だってそこにはユーモアがあり、予期しないものがある。誰かがつまづき、間違った音を出したら、そのミスを支えるように他の誰かも違う音を出すことで、それが正しくなる……というようにね。つまりは他人に自分を投影し、想像をする。これってものすごく人間的な資質。私のバンドにいるスコット・ロビンソン(Sax)は唯一無二のミュージシャン。そのスコット・ロビンソンを作れるなら作ってみなさいよ、AI!って私は言いたい。
―ははは(笑)。
マリア:東京でのライヴ中、彼が小切手でソロを取った話、聞いたことある? 彼がどの楽器でソロを取るのかはリーダーの私にもわからない。だから、私は目を閉じて、彼を待ってた。でも、何も聞こえない。ちょうどその寸前、私は彼にギャラを払ったばかりだった。そしたら突然、スコットが胸ポケットから小切手を出して、それを口に当ててソロを取っていたの!(笑)
―すごい(笑)。
マリア:AIにそれは絶対できないはず! AIはすでに知っていることのなかから、平均の中の平均の平均の、退屈極まりない訳のわからない塊を出してくる。でも、人間はユニークだから。なのに、どんどんユニークでないものになりつつある。誰もが自分の携帯だけをのぞいて、そこで読んだことに影響されている。そこで読めることは、昨日たくさんの人が「いいね!」したこと。人間もどんどん自分の頭で考えずに、与えられたものを受け取るだけの退屈な塊になりつつある。でも、アートは表現することがすべて。音楽、特にジャズは、その瞬間、そのコネクション、そして聴くこと、良い意味で影響されること、それがすべてだから。
NEO-SYMPHONIC JAZZ at 芸劇 マリア・シュナイダー plays マリア・シュナイダー
2024年7月27日 (土) 東京芸術劇場 コンサートホール
開場/開演:16:00/17:00
■曲目
作曲:マリア・シュナイダー
Carlos Drummond de Andrade Stories *日本初演
Hang Gliding(挾間美帆 編曲)
Dance You Monster to My Soft Song
Sky Blue ほか
■出演
マリア・シュナイダー(指揮・作曲)/森谷真理(ソプラノ)
特別編成チェンバー・オーケストラ:斎藤和志、石田彩子(フルート)/最上峰行、大植圭太郎(オーボエ)/中ヒデヒト(クラリネット)/石川 晃、竹下未来菜(ファゴット)/谷 あかね、豊田実加(ホルン)/東野匡訓、奥村 晶(トランペット)/佐藤浩一(ピアノ)/マレー飛鳥、矢野晴子、石井智大、梶谷裕子、岩井真美、黒木 薫、吉田 篤、沖増菜摘、地行美穂、西原史織、銘苅麻野、杉山由紀(ヴァイオリン)/吉田篤貴、志賀恵子、角谷奈緒子、藤原歌花(ヴィオラ)/多井智紀、島津由美、ロビン・デュプイ、稲本有彩(チェロ)/吉野弘志、一本茂樹(コントラバス)
池本茂貴isles(ラージ・アンサンブル):土井徳浩、デイビッド・ネグレテ、西口明宏、陸 悠、宮木謙介(サックス)/ジョー・モッター、広瀬未来、鈴木雄太郎、佐瀬悠輔(トランペット)/池本茂貴、高井天音、和田充弘、笹栗良太(トロンボーン)/海堀弘太(ピアノ)/小川晋平(ベース)/苗代尚寛(ギター)/小田桐和寛(ドラムス)/岡本健太(パーカッション)
※挾間美帆は出演いたしません
公演詳細:https://www.geigeki.jp/performance/concert292/
コメント到着
7/27(土) NEO-SYMPHONIC JAZZ at 芸劇
マリア・シュナイダー plays マリア・シュナイダーhttps://t.co/Y9R68TqIly
挾間美帆さんとマリア・シュナイダーさんからのメッセージを公開!
皆さまのお越しをお待ちしています#NeoSymphonicJAZZ@HazamaMihoJapan @schneidermaria pic.twitter.com/ygOkz51lGj — NEO-SYMPHONIC JAZZ at 芸劇 【2024.7.27(土) 東京芸術劇場】 (@SymphonicNeo) June 8, 2024