「ヴァンテージ」の名にふさわしい車とは? アストンマーティンヴァンテージの歴史を紐解く

アストンマーティンにおいて伝統の名称である「ヴァンテージ」。果たしてどのような変遷を辿ってきたのか、歴史を紐解いていく。

【画像】歴代アストンマーティン「ヴァンテージ」を深掘りする(写真9点)

誰が「ヴァンテージ」という名前を考えたのかを知っている人はそう多くない。

1950年の終わり頃、アストンマーティンは同社の直列6気筒エンジンよりもさらに強力なバージョンの準備を進めていた。マーケティング部門は”レーシー”な名称を与えることで、その可能性を大いに高めることができると考えた。そこで、いくつかの候補がリストアップされ、その中から選ばれたのが「ヴァンテージ」だ。辞書によると、「ヴァンテージ」とは「優位性や優越性をもたらす状態や位置」を意味する。従来よりさらに強力なこのエンジンにぴったりの名前だといえるだろう。そして、その後約20年間、ヴァンテージはまさにその名が意味する通りの存在となったのである。

ヴァンテージエンジンのオプションを持つ最初のモデルはDB2で、この車には興味深いストーリーが隠されている。DB2が1950年4月に発表されたとき、搭載された2.6リッター直列6気筒「LB6」エンジンの圧縮比は6.5:1と高いとは言えず、出力はわずか105馬力だった。これは戦時中に流通していた低オクタン価のガソリンに対応するためだった。高オクタン価の燃料が再び登場し、裕福な愛好者たちがレースやラリーに参加するようになると、もっと力強いエンジンが求められるようになった。

大きなキャブレターと8.16:1の圧縮比を備えた「ヴァンテージ」LB6は、よりスポーティな125馬力を発揮し、0-60mphのタイムを12.4秒から10.7秒に短縮。最高速度は110mphから117mphに引き上げた。伝説の始まりだった。

しかし、ヴァンテージの系譜は一貫していたわけではない。DB4の場合、1961年にシリーズ4が登場するまでヴァンテージバージョンは提供されなかった。この時も、トリプルではなくツインSUキャブレターを備えたタデック・マレック設計の新型3.7リッターオールアロイ直列6気筒エンジンが、最大出力を240馬力から266馬力に引き上げた。DB4ヴァンテージには視覚的な違いもあり、DB4 GTのフェアードインヘッドライトが採用され、後継のDB5とはほぼ見分けがつかなくなった。

ボンドカーのヴァンテージバージョンは、当然のことながら、長い間アストンの中でも最も人気の高いモデルのひとつとなっている。排気量は4.0リッターに拡大され、ヴァンテージバージョンにはSUの代わりにトリプルウェーバーが搭載され、最大出力は314馬力、最高速度は150mphとされた。驚くべきことに、新車時にはわずか65台しかこの仕様で製造されなかったが、その後多くがこの仕様に改造されたという。オリジナルのヴァンテージは非常に貴重で、専門家によれば通常のDB5と比較して、20%のプレミアムがつくこともあるそうだ。

また、DB5は「ヴァンテージ」バッジをフロントウィングの通気口のバーに初めて装着したアストンであり、その後これはDB6ヴァンテージにも引き継がれた。こちらもトリプルウェーバーを備えた4.0リッターの直列6気筒エンジンで、通常の282馬力に対して325馬力を誇った。現代のマーケティングの感覚からすれば驚くべきことだが、実はヴァンテージエンジンは無料のオプションだった。

ちなみに、1967年に登場し、DB6と数年間同時に生産された鋭いラインのクアッドヘッドランプを持つDBSも同様に、標準およびヴァンテージの両方でエンジンが共有された。

そして、1972年になるとヴァンテージの歴史において少し奇妙とも言えるものに行き着く。デビッド・ブラウンの退任後、新経営陣は旗艦モデルであるDBS V8をツインではなくクアッドヘッドランプに変更し、アストンマーティン V8と改名した。これは合理的な戦略だった。しかし、1973年になると低出力の6気筒DBSも同様の改装を受け、アストンマーティンヴァンテージとして再発表された。20年以上にわたる伝統に反して、最もパワーの低い車にヴァンテージの名が適用されることになったのだ。さらに、V8がモダンなアロイホイールを持つ一方で、ヴァンテージは時代遅れのワイヤースポークであった。これは生産台数も少なく短命なモデルで、アストンにとって不幸な時代の象徴だった。

1976年、V8クーペの徹底的なアップグレードバージョンとしてヴァンテージの名前が再び復活。ダウンドラフトウェーバーのクアッド、より大きなバルブ、新しいカム、再設計されたインテークとエキゾーストマニホールドにより、最高出力は370馬力に上昇し、0-60mphのタイムは5.4秒、最高速度は170mphに達した。今回はシャーシも対応するようにアップグレードされ、専用のコニテレスコピックダンパーを全周に装備。リアの古風なレバーアームは廃止され、低くて硬いスプリング、太いフロントアンチロールバー、ワイドなトレッド、太いタイヤが装備された。

外観では、グリルとボンネットスクープがドラッグを減らすために閉じられ、また、前後にスポイラーも取り付けることで、高速域での安定性を確保した。その効果は大きく、ヴァンテージは頭一つ抜きん出たモデルとなった。それだけでなく、アストンマーティンはポルシェ911ターボやフェラーリのベルリネッタボクサーに対抗できる英国初のスーパーカーとなったのだ。

1986年に登場した「Xパック」バージョンは、約410馬力を誇り、最高速度186mphとこれまでで最速のアストンとなった。そしてこの高性能仕様はヴァンテージザガートにも適用された。

変化の兆しが見えたのは80年代の終わりのヴィラージュの登場だ。既存のアストンレンジ全体が、ヴァンテージも含めて一掃された。(ちなみに、もう一つのヴァンテージの遺産として、新しいアストンモデルにはヴォランテやヴァンキッシュ、ヴァルキリーといったVの付く名前が採用されている。)しかし、ヴィラージは期待ほどの成功を収めることができず、前世代のモデルが持っていた魅力や魔法を再現することはできなかった。

しかし、その状況は次のヴァンテージが登場するまでの一時的なものだった。

1993年に登場したヴァンテージは、ボディワークが強化され、ツインスーパーチャージャー付きV8エンジンが搭載された。ヴィラージュの330馬力に対して550馬力を発揮し、もはや戦艦とも言えるようなモデルだった。そしてワークスサービスによって600馬力/600lb ftにアップグレードされたV600は、アストンファンにとって新たなスターの誕生であり、その最高速度は200mphに達するとも言われた。最終モデルであり、限定モデルであるル・マンバージョンのヴァンテージV600は、ニューポートパーネル製V8エンジン搭載を搭載していた。なんというフィナーレだろうか。

一方、ブロクスハムにある以前TWR(Tom Walkinshaw Racing)が所有していた施設では、1994年から6気筒DB7の生産が本格的に始まっていた。その成功はアストンの収支を大きく変えたが、より速いモデルの需要があることも明らかだった。1999年、DB7ヴァンテージが登場。新型の420馬力の5.9リッターV12エンジンを搭載し、数々の内部改良が施され、そして最高速度は157mphから185mphに引き上げられた。このモデルもまた成功を収め、その人気は6気筒モデルを凌駕し、2003年までの販売期間中に最終的には6気筒車を上回る販売台数を記録した。

「ヴァンテージ」はアストンマーティンのモデルレンジの中で究極のバージョンとして長きにわたって栄光の歴史を持つため、伝統主義者たちは2005年にデビューしたエントリーレベルの車が「ヴァンテージ」と名付けられたことに戸惑い、少し苛立ちさえも覚えた。しかし、このVHヴァンテージの美しい外観とスポーティなキャラクターは、最終的にすべての懸念を覆すことになった。13年間にわたる生産期間で、これまでの全ての販売記録を破ったという事実には、誰もぐうの音も出ないだろう。

このVHヴァンテージの成功は次のモデルにとっては非常に高いハードルとなった。2018年に発表された全く新しいヴァンテージは、AMG製のツインターボ4.0リッターV8を搭載し、非常に速くて高性能だったが、その奇抜なスタイリングと個性的なコックピットにより意見は分かれた。

しかし現在のアップデートバージョンは、それらの問題を解決しつつ、パワーとパフォーマンスを新しいレベルに引き上げるものとなっている。そしてそれこそがまさにヴァンテージであるといえよう。

Words: Peter Tomalin