木材を無駄にしたくない! 林業と水産業をつなぐウナギ養殖

牧さんが西粟倉村に住むことになったのは、2006年に総務省の地域再生マネージャーを担当していたときである。当時は「平成の大合併」のさなかであったが、西粟倉村は周辺の市町村が合併していく中で単独で存続する道を選んだ。財政の柱としたのは、村の面積のほとんどを占める森林。同村は2008年に「百年の森林(もり)構想」を打ち出した。百年の森林構想とは、約50年前に植えられた森林の管理を諦めず、産業や仕事を生み出しつつ次の50年も守り続け、育てていこうという取り組みである。「森を大事なテーマに置いている西粟倉村に可能性を感じた」という牧さんはその実現に向け、現場に携わることになった。

牧大介さん

2009年には、株式会社西粟倉・森の学校(現・株式会社エーゼログループ)を立ち上げ、森林資源から製品を作り、木製品の製造販売、地場産品の企画・販売・マーケティングなどを行ってきた。

「森の学校が2014年にやっと黒字転換し、一段落したので、次に取り組んだのがウナギの陸上養殖です」(牧さん)

ウナギを育てるためには温かい水が必要である。しかし西粟倉村はスキー場が作られるほどの豪雪地帯。なぜそんな西粟倉村でウナギの養殖だったのだろうか。

「森林資源の活用によって、木材加工で発生した端材やおがくずも増えます。村の温泉の熱量補給に使用していましたが、製品が売れれば売れるほど温泉だけでは使いきれなくなります。さまざまなサイズの端材は重く、運搬するには大変な労力がいるためこれまで廃棄せざるを得ませんでした。しかし、端材を燃料に利用すれば、豪雪地帯でも光熱費がかさみません。燃料が大量に手に入る状況ならビジネスにできるんじゃないかと」(牧さん)

しかし、燃料の確保ができるのであれば、新規参入の困難なウナギの養殖でなくともマンゴー栽培でも活用できたのではと聞くと、牧さんの顔がほころんだ。

「ウナギ、ドジョウがいて、その中で子どもたちが楽しく遊べる風景を取り戻したい。失った生態系を取り戻したいという思いがずっと前からありました。それに、ウナギが好きなんです」

こうした思いの背景には、かつて牧さんが四万十川で出会った元漁師のおじいさんの言葉がある。「四万十川河口付近では戦前、多くの生き物がいて、今とは比べ物にならないほど豊かだった。自分は年なので、もうその風景を再び見ることはないだろう。でもあんたはまだ若いから、その風景を取り戻して見ることができるかもしれない」。そう言われた牧さんは、その後森の学校を設立して森林資源を活用しつつ守る活動を始めた。森は川や海にもつながっている。

「ウナギが減少している状況をなんとかしたいという気持ちもありました。ウナギは人と自然をつなぐコンテンツです。森から始めた事業によって川や海を豊かにし、ウナギやドジョウのいる川を取り戻したい。残すべきものを残していきたいんです」(牧さん)

養殖場は廃校になった小学校の体育館を再利用し、そこに直径5メートル、高さ1メートルの約20平方メートルある円形プールが5基設置されている。ウナギの養殖では水を約30度に温めてキープする必要があるが、水を温めている主な燃料は木材加工で発生した端材である。養殖場の水には源流部の澄んだ地下水を使用し、また水槽で使用した後も、ろ過装置できれいにしてから水槽に戻すという循環式養殖だ。

廃校になった小学校の体育館を再利用した養殖場

木材加工で発生した端材が燃料

ウナギのかば焼きの内製化、戦力は新入社員!

「森のうなぎ」は、自社でかば焼きにして販売しており、今でこそ「天然物に劣らぬ味」と言われているが、最初からうまく製品化できたわけではない。

「やれるところから参入しようと、海外産のビカーラ種で試験的に養殖をしました。最初は、焼く技術を持った人材がいなかったので、かば焼き加工専門の業者に委託していましたが、納得のいく仕上がりにはなりませんでした」(牧さん)

ビカーラ種は、ニホンウナギに比べて皮が分厚く、太くて短い。本来は煮込み料理に向いているそうだ。納得のいくかば焼きにするためには、自社での内製化しかないと考えた牧さんは、入社したばかりの野木雄太(のぎ・ゆうた)さんに声をかけた。野木さんは実家が材木店で、製材もできる。もちろんウナギのために入社したわけではないが、興味の範囲が広くて地道な性格だった。

「千葉県銚子市のうなぎ問屋『忠平(ちゅうへい)』が運営しているかば焼き学校に修行に行ってもらえないかと頼んだところ、分かりましたと言ってくれました。串打ち3年、さばき8年、焼き一生と言われていますが、4カ月で職人並みの技術を身につけ、戦力となって戻ってきてくれました」(牧さん)

2016年にスタートしたウナギ養殖は、翌年、野木さんの並々ならぬ努力と修行のおかげでかば焼きの内製化に成功。ビカーラ種を育てながら養殖のいろはを学び、2018年には念願のニホンウナギ養殖許可を譲り受け、現在はニホンウナギのみの養殖になった。

ウナギのかば焼きを作る野木雄太さん

ゆっくり、大きく育てた「森のうなぎ」

この養殖場では「ウナギを大事にしたい、出荷までに成長できないウナギもエサを食べて健康であれば育つ」という思いから、他の養殖場では成長が遅くて間引きされたウナギを購入して育てている。ゆっくり時間をかけて育て、ウナギの成長に合わせてエサを工夫することで通常では間引かれるウナギを育てることができるようになったのだ。成長が遅いとコストが増えるため、ウナギの養殖としては効率の良い方法ではないが、諦めずに育てきる方法を日々模索した結果である。

「おなかの発達が不十分で成長が遅れているんです。そこで、エサを子ども用のエサに変えたところ、成長の遅いウナギが成長し始めました」(牧さん)

こうして誕生した「森のうなぎ」は、年間2000尾をかば焼きにして出荷し、インターネットを通じて販売されている。

そして、2024年6月6日、長い間牧さんが温めてきたウナギへの思いを込めた新たなプロジェクトがスタートを切った。

うなぎ食べ継ぐプロジェクト

みんなで野生のニホンウナギを増やす! ウナギを⾷べて継ぐプロジェクト

ウナギが大好きな牧さんは、ウナギの保全活動にも力を入れている。
ニホンウナギは現在「絶滅危惧1B類」として国際自然保護連合(IUCN)のレッドリストに掲載されている。そのため希少価値が高まり価格が上がる。すると利益を得ようとウナギの稚魚であるシラスウナギをたくさん捕獲しようとする。
このような、ニホンウナギが減少していく悪循環を食い止めたい。ウナギを食べないのではなく、ウナギを食べながら守る方法はないか、ウナギを食べ物として、日本文化として将来につなげていく方法はないかという思いからスタートしたのが「うなぎ⾷べ継ぐプロジェクト(略称:うなつぐプロジェクト)」である。

このプロジェクトでは、野生のニホンウナギを増やす研究の資金のため、「うなつぐ会員」と呼ばれるサポートメンバーから集めた会費で基金を創設。また、加盟店のウナギ料理屋で対象商品を食べた代金の一部は、シラスウナギの放流や生息環境整備に使用され、野生ウナギの増殖に貢献できる。さらにウェブサイトを見たりコンテンツをシェアしたりしてもらうことで、ニホンウナギの現状を知ってもらい保護につなげる取り組みも。サイトを訪れた人数100人ごとに人の頭くらいの大きさの石を1個、水路などに入れていく。石がウナギのすみかになるのだそうだ。ウナギの研究者、生産者だけでなく、みんなで野生のニホンウナギを増やしていく試みである。

エーゼログループは、2024年4月には田んぼの一部にシラスウナギ400個体を放流し、モニタリング調査で成長を確認している。人の手を強くかけすぎず、うまく生き残らせることができれば、ウナギ本来の力が生かされるという。

「ドジョウやメダカも増えました。ようやく自分がやりたいことに真っすぐ向かいつつあります」と牧さんは言う。

石がウナギのすみかになる

牧さんは、ウナギ養殖を始めて業界のことを知ることでウナギを増やす手がかりをつかもうとした。実際、ウナギの事業に関わる中で仲間が増え、今回立ち上がったうなつぐプロジェクトにつながっているのだろう。

ウナギが増えていけば、ウナギのエサのかすやふんなどの残渣(ざんさ)は田んぼで肥料になり、その田んぼでシラスウナギが育つ。ドジョウが増えれば、田んぼの泥をかき回し稲の根に酸素を送り込んだりして稲作りを手伝ってくれる。そんな豊かな自然と人の暮らしの循環を、今回の取材を通して見ることができた。

取材中、牧さんに「せっかくですから、石を水路に入れてください」と誘われた。一緒に田んぼのあぜ道をすたすた歩いていくと、牧さんが人の頭ほどある石を渡してくれた。うんしょと石を水路に押し入れると、ボシャンと大きな音をたてた。この石をすみかとするウナギが、この水路から川へ、そして海へと命をつないでいく日を心待ちにしている。