群馬県立太田高校は県内屈指の進学校でありながら、ラグビー部が全国大会(花園)に出場、陸上部も高校総体で優勝者を出すなど、運動部の活動にも力を入れている。そんな文武両道を実践する同校の硬式野球部が、地元の少年野球チームを対象にちょっと変わった野球教室を開催しているという。地域貢献、さらには生徒たちの成長にも繋がるという試みについて取材した。
野球と勉強の二刀流野球教室地元の子どもたちに野球を教える野球部員高校の運動部が地元の子どもたち向けにサッカー教室や野球教室などを開催する地域貢献の話はよくきく。しかし群馬県立太田高校が2023年から始めた野球教室はちょっとユニークだ。
対象となるのは地元の少年野球チームに所属する小学生で、教室は二部制で行われる。一部では一般的な野球教室と同じく野球を指導。そして高校の教室に移動して行われる二部は勉強の時間だ。小学生たちは持参した宿題や問題集、あるいは高校側が用意したプリントを、野球部の部員に教わりながら解いていく。なぜこんなことを始めたのだろうか?
きっかけは春のセンバツ21世紀枠の落選「実はセンバツで21世紀枠に選ばれなかったことがきっかけです」
と群馬県立太田高校の硬式野球部顧問・村岡祐介先生は話す。
「センバツ」とは、春と夏に実施される日本の高校野球大会のうち、春に行われる選抜高等学校野球大会のこと。そして「21世紀枠」とは、秋季大会の結果による一般選考とは異なり、積雪による練習不足や自然災害などの困難な状況を克服、あるいは地域貢献、文武両道などが評価されたチームを対象とした、特別な出場枠。2001年の第73回大会から導入され、全部で32ある出場枠のうち3枠(2024年からは2枠)を占める。同校は2022年、春のセンバツ高校野球で21世紀枠の候補校9校のうち、関東・東京地区の代表に選ばれたが、惜しくも甲子園に行くことはできなかった。
「どうしてうちの高校は、21世紀枠に選ばれなかったのだろうと思った時に、やはり何かが足りなかったのだろうと考えました。これをきっかけに何か変革を起こしたい。その時に至った答えのひとつが『地域貢献』と『未来世代の野球人口の確保』でした。これまでも地域との繋がりはありましたが、さらに強めるには何ができるだろうと考えました。おかげさまで太田高校は地域で信頼の厚い学校です。そんな本校が子どもたちのために、野球と勉強を教えることに大きな意味があるだろうということから、昨年から二部制の野球教室をはじめました」(村岡先生、以下同)
野球教室で高校生たちが得たもの今年の1月に開催された野球教室には、顧問の阿蔵勝利先生との繋がりで、地元の少年野球チーム「宝泉リトルフェニックス」の子どもたちが参加。まずは高校生が野球の技術指導をし、その後は教室に移動して勉強を教えた。
「小学生たちも最初は緊張していたようですが、まずは一緒に体を動かすことから始めますし、野球の練習と言いつつ、高校生たちが『うまいね』とか『野球って楽しいよね』と、子どもたちの気分を盛り上げてから第二部の勉強会に移るので、いい雰囲気で進めることができて好評をいただいているようです」
「21世紀枠落選」というきっかけで始まった野球教室だったが、野球部の部員にとっては、それ以上に得るものがあったと村岡先生は感じているそうだ。
「自主性や主体性ということが最近よく言われていますが、うちの監督はやりなさいと言われたことを自分でやるのが自主性だとしたら、自分でやるべきことが何なのかを見つけて自分から動くのが主体性、つまり自主性の先に主体性があると定義づけ、『THE 主体性野球』というのを謳っています。ですから野球教室での指導方法も、教師や監督から『こう教えなさい』ということは一切言っていません。部員は野球の指導をしている時点で、この子にはどんな特徴があるのか、どういうアプローチをしたらいいのかを見極めて、勉強の時間では、誰がどの子を教えるのがいいかなども含めて、すべて彼らが主体的に行っています。その上で、その子がどこでつまずいて、何がわからないのかを丁寧に聞いてあげて、『こういう風にやってみるとどうなる?』などと一緒に考えながら進めているようです」
こうした普段とは違う環境に身を置きゼロから考えることが、高校生たちにもいい刺激となって、野球のさまざまな局面で瞬間的に考える能力を身につけることに繋がっているのではないかと村岡先生は分析する。
文武両道を実現させる時間の使い方野球教室の後半、勉強会ではまるで兄弟のような微笑ましい姿が見られるという実は同硬式野球部の岡田友希監督は、『練習のムダをなくす高校野球』(ベースボール・マガジン社)という書籍で、「時間をうまく使う」方法の例として紹介されている6人の「高校野球名将」の中の1人だ。進学校でもある太田高校では、文武両道がモットーのため、部活動の時間も限られている。そこで岡田監督が言うのが「圧縮」という言葉だそうだ。
「限られた時間の中で成果を出さなければいけないので、指導者が教えるだけでなく生徒がお互いに指摘し合い、教え合うということに重きを置いています。たとえば、私からすると、もうこれで十分じゃないかと思うようなことも、岡田監督は妥協なく求め続けるので、生徒同士はそれについて、とことん考えて指摘し合うといったことをしています。練習が終わるとすぐに集まってミーティングをして、なるべく多くの人が意見を言い合い次の練習に生かしていく。それを繰り返し、最後に1日を振り返ってのミーティングをして、次の日に繋げていきます。ミーティングをして、話し合って1つの動きに圧縮していくんです」
この圧縮をより密度の濃いものにするため、太田高校硬式野球部にはユニークな習慣があるそうだ。
絆と思考を深めるつながりノート野球部員のつながりを深めている「つながりノート」「つながりノートというノートを活用しています。5、6人でグループを作り、そのグループ内で1冊のノートを毎日順番に回していきます。そこには、自分の振り返りだけでなく、試合だったら極端な話、1球ずつを振り返り、あるいは練習についても『●●さんはどうだった』など、全体についてしっかり妥協なく書いていきます。1年生のうちは上手く書けなくても、2年生3年生になると、書くべきことがわかってきて、内容が深まっていきます。それを下級生が見て、自分のものにし、自分が上級生になった時に同じように書けるようになる。そういうグループの繋がりと、世代を超えた繋がりと、さらにチームとしての横の繋がり、そういったものを生み出すノートを活用しています」
同じものをさまざまな視点から見て、それを全員で共有することで情報が圧縮されて精度が高くなる。そうした訓練を日常的に行っているので、小学生と対峙したときも、どう教えるのが小学生にとって最善なのかを主体的に考えられるようになっているのではないだろうか。
だから、野球教室後の感想も「野球を小学生に教えることで基礎的な部分をもう一度見直すことができた」「勉強を教えることで思考が整理できた」と、単なる地域貢献としてではなく、そこから生徒一人ひとりが何かをきちんと吸収している。
かつては、運動が得意な子どもは勉強が苦手でも仕方ないといった声がしばしば聞かれた。反対に進学校の野球部は甲子園には行けないだろうといった諦めのような雰囲気が最初からあるケースも見られる。しかし、村岡先生は「そうした考えに一石を投じたい」と言い、同時に「甲子園に行く」という目標は、単なるお題目ではなく本気で目指していると語る。
「野球か勉強かではなくてどっちも大事ですし、そもそも大事なのは2つだけじゃない。もっと大きな視点で物事を見られるようになってもらいたいという思いがあります。ただ、そう思いつつも、『だから同時進行でいろんなことをやればいいよ』と言いすぎても、1つのことに熱中する力が弱くなってしまうこともあるので、岡田監督は『野球をやっているときは、野球に全てをかけなさい』という思いで指導しています。ですから、野球部の場合は夏の大会が終わった後に、それまで野球にかけてきた情熱を、今度は勉強に向けるというシフトチェンジができているようです。野球部の子たちは引退するまではあまり勉強が追いついていないのですが、その後の伸びは奇跡を起こすというくらい凄いんです」
村岡先生は、「価値観を広げて多様性を認めるといった大きな視点を持てるようにするには、やっぱりこうした野球教室のような活動が重要だと思います」と話してくれた。同校の野球教室は、小学生が文武両道の高校生たちとの触れあいで、自分たちのロールモデルを見つける機会になると同時に、高校生にとっても、視野や経験を広げる重要な場になっているようだ。
text by Kaori Hamanaka(Parasapo Lab)
画像提供:群馬県立太田高等学校
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