ソニーのモバイルモーションキャプチャー「mocopi」(モコピ)は、身体の6カ所にコインサイズの小さなセンサーを装着して、全身の動きをモーションデータとして解析・記録できるウェアラブルデバイスです。
2023年1月の発売以来、mocopiはVTuberをはじめとする動画クリエイターに広く使われてきました。今回、人気アニメ『俺だけレベルアップな件』のアニメーション制作を担うクリエイティブスタジオのA-1 PicturesがCG制作の工程にmocopiを採用した理由と、具体的な活用事例を取材しました。
インタビューに応えていただいたのは、A-1 PicturesのCGプロデューサーである工藤菜央氏と、ソニーでmocopiの企画・事業開発を担当する南翔太氏です。
アニメ『俺だけレベルアップな件』格闘シーンで使われたmocopi
A-1 Picturesでは、ソニーがmocopiを試作している段階からモニターとして、現場で製品を試用していました。商品化されたmocopiをCGアニメーションの制作に使った最初の作品が『俺だけレベルアップな件』になりました。
mocopiが使われた場面はシーズン1の「第11話」と「第12話」。主人公の水篠旬(みずしのしゅん)がダンジョンの中で、大勢の鎧を着た兵士と格闘するシーンです。
「最初は兵士1体と主人公が闘います。その後に次々と出現する兵士も含めて、格闘シーン全体の兵士の動きのCGアニメーション制作にmocopiを活用しました」(工藤氏)
A-1 PicturesでCGアニメーションを制作する際の、通常の工程を工藤氏に聞きました。
最初にアニメ演出スタッフがアニメーションの“設計図”のような役割を果たす「絵コンテ」をつくります。
続いてアニメーターと呼ばれる担当者が「作画レイアウト」を手書きで作り、これに合わせて配置したCGキャラクターにアニメーションの動きを付けていくという流れになります。作画レイアウトを省いて、絵コンテからアニメーション制作へ直接入ることもあるそうです。
mocopiを使わない通常の場合、絵コンテや作画レイアウトを元にAutodeskの「3ds Max」というソフトウェアを使ってスタッフが手でアニメーションを作り込みます。クリエイターたちの間では「アニメーションを手付けする」と言われたりもします。
本作ではCGキャラクターを制作して、動きを付けていく段階でmocopiを使いました。
「兵士がどのように動くのか絵コンテの段階で決められています。その動きを私たち制作現場のスタッフがmocopiを装着しながら、よりリアルなモーションデータを取り込んでいます」(工藤氏)
3Dで制作したCGキャラクターに、mocopiで撮影したモーションデータを流し込みます。mocopiは指先の動きなどが記録できないので、まっすぐな状態で作画されたCGキャラクターの指先などに細かな動きを付け、細部を調整します。ほかにも、たとえばモーションデータに従って兵士が動き出すと、着ている鎧が身体に食い込んだような画になることがあります。このような部分をあとから手直しします。
さらにキャラクターの動きをアニメーションらしく見せるため、「タメ・ツメ」と呼ばれる動きの緩急を付けます。このような工程を経て、完成したアニメーションをレンダリングして納品するまでが一連の流れとなります。
mocopiを使えば、アニメ制作の時間・コストが抑えられる
『俺だけレベルアップな件』のこの場面が、なぜmocopiによるモーションキャプチャー制作に適していたのでしょうか。工藤氏は「CGキャラクターが大量に出てきて、似たような動きをするシーンだから」なのだと、その理由を次のように説明しています。
「mocopiの使用の有無以前に、CGによるアニメーション制作そのものが、大量に動くキャラクターをひとつの場面に描くことに向いています。大量のキャラクターを手で書いてアニメーションを付ける負担はとても大きいものです。従来はまず10人ほど単位でキャラクターを手で書いて動きを付けていました」(工藤氏)
大量の兵士が登場するシーンも、先にmocopiを使ってモーションデータを取り込んだ後に3パターンのアニメーションを作りました。それぞれ適当な数を割り振って配置したり、同じ動きをするキャラクターも動き始めるタイミングをずらすことで、それぞれが独自に動いているように見える自然な格闘シーンを描いています。
工藤氏によると、CGアニメーションの制作手法は大きく3つに分けられるといいます。
ひとつは「⼿付け」と呼ばれる⼿法で、PCソフトを使いすべて⼿作業でキャラクターにアニメーションを加えます。ふたつめは商⽤として販売されている「アニメーションデータ」を⼟台にする⼿法です。
そして3つめがスタジオでモーションキャプチャーのデータを撮影する手法です。
「この場合は撮影スタジオやアクター(役者)のスケジュールを手配したり、多くの前準備を伴います。また一度撮影したモーションキャプチャーのデータは納品に2週間ほどかかることが多く、かつ撮り直しが効かないため、撮影前の準備も入念に行う必要があります。時間やコストだけでなく、制作スタッフにも大きな労力の負荷がかかります」(工藤氏)
mocopiは自社のスタッフが装着して簡単に使えるので、大がかりな準備がいりません。また絵コンテや作画レイアウトに沿って動きに見当を付けて、何度もやり直しながらキャプチャーを進められます。
CGアニメーションを制作する担当者に、CGディレクターが「こういう動きを付けてほしい」と伝えるときにも、CGディレクターがmocopiを使って動いてみせたモーションデータを、実際のキャラクターに流し込みながら整えられます。結果、イメージを共有しながら完成度の高いアニメーションが制作できるといいます。
「mocopiは私たちがオフィスのデスクに置いて常備できるほどコンパクトです。本格的なモーションキャプチャーを撮るためには、全身にスーツを着る必要があります。ところが、mocopiは普段着のまま、6つの小さなセンサーを装着するだけなので、負担が少なく、また着けたままオフィスの作業スペースで撮影したり、オフィスの外に出て撮影することもできます。私も以前、mocopiのセンサーを1個だけ外し忘れて、そのまま会議に出席していたことがあります(笑)」(工藤氏)
mocopiはスマホ/タブレット向けのモバイルアプリとペアリングして、精度の高いモーションキャプチャーが撮れます。工藤氏は「持ち運びできることの利点」も実感していると語ります。たとえばCGディレクターが自宅で撮影したモーションキャプチャーのデータを、スタジオのスタッフに送信してリモートワークスタイルで制作を進めることもあるそうです。
アニメーション制作と相性がいいmocopi
ソニーではmocopiを発表した当初、主にVTuberを中心とする動画クリエイターによるユースケースを紹介していました。当時から、やがてアニメーション制作の現場にもmocopiが採用されることを、ソニーの開発チームは予測していたのでしょうか。南氏に聞きました。
「アニメーション制作にmocopiが役に立つ確信を持っていました。ただ、アニメーション制作の新しいワークフローを提案する使い方になるため、時間をかけて紹介する必要があると考えていました。A-1 Picturesのスタッフに試用してもらい、現場の声をていねいにヒアリングしてきました。商品発売後に、SNSなどの反響も通じてmocopiユーザーの声を調査してみたところ、私たちが想定していた以上にアニメーション制作の現場で多く使われていることがわかりました。とても良い手応えを得ています」(南氏)
A-1 Picturesの工藤氏は、モーションキャプチャー撮影の“新しい選択肢”としてのmocopiに、期待を寄せていました。
だとすれば、一方ではmocopiのような商品がモーションキャプチャーのスタジオや、アクターとして働くクリエイターの仕事をうばうことにならないのでしょうか。ソニーの南氏はその可能性を否定しています。
「mocopiはとてもコンパクトで手軽に使える慣性式のモーションキャプチャーセンサーですが、やはり光学式のキャプチャー技術に比べると精度は劣ります。光学式の機材や技術を使う仕事は今後も必要とされ、より高いレベルに進化すると考えています」(南氏)
2足歩行キャラを超えて「アニメの動き」がよりリアルに
mocopiのようにクリエイターが簡単に使えるデバイスが普及すれば、アニメーションスタジオの資産になるモーションキャプチャーデータの「ライブラリーが増える」ことも期待できると工藤氏は語っています。
「mocopiによってモーションキャプチャーが手軽に撮れるようになれば、いま圧倒的に不足しているさまざまなデータのライブラリーに厚みが増すことが期待できます。たとえば小学生ぐらいの年齢の子どもや、年配の方など幅広い人物のリアルな動きが再現できるようになります(編注:mocopiがモーションを正しく認識できる身長は140~190cm)。スポーツ選手の動作、あるいは今まで頭の中で想像するほかなかった、さまざまなタイプの人間の動きのデータを充実させられると思います」(工藤氏)
『俺だけレベルアップな件』に登場する兵士も含む「2足歩行のキャラクター」以外にも、たとえば犬や猫など動物のモーションキャプチャーのデータも撮れるのでしょうか。
南氏によると、現在はmocopiの初期設定段階に必要なキャリブレーションの動きを、犬や猫にデバイスを装着して行う必要があるので「すぐには難しい」と答えていますが、今後mocopiを使ってより多様なモーションキャプチャーデータが撮れるようにある展開が始まったと語っています。
「SNSやインターネットを見ていると、mocopiの面白い使い方をしている方々がいます。ソニーでは新しく『mocopi sensor data reader』というSDKを公開しました。これを活用するとmocopiのセンサー1個1個の動きをデータとして取得できるようになります。“人間以外のモーションキャプチャー”に活路が広がるかもしれません。mocopiを使ってさまざまな遊び方を考えてくれるユーザーの皆さま、デベロッパの皆さまと一緒に、ソニーの開発チームもmocopiのデバイスの可能性を広げたいと考えています」
工藤氏は、A-1 Picturesのアニメーション制作のチーム一同が「プロトタイプの段階から使い込んできたおかげで、一段とmocopiを使い慣れてきた手応えがある」と語りながら、今後のアニメーション制作にもより積極的にmocopiを使いたいと語っていました。mocopiという強力なツールを得て、世界から注目される日本のアニメーションがいっそうレベルアップすることを期待しましょう。