6月からスタートした全国ツアーも全カ所ソールドアウト。1stアルバム『PARADE』リリース以降、さらなる高い評価と注目を集めているMAZZEL。各メンバーのソロインタビュー連載第3弾には、グループ最年少であるHAYATOに登場してもらった。
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「Maze=迷路」、「Zeal=情熱」、「Mazel=幸福」の意味を持つ「MAZZEL」に加入するまで、それぞれどんな人生の迷路を辿り、いかなる情熱を燃やしてきたのかを探る本連載。HAYATOはこれまでもたびたび、オーディション『MISSIONx2』に応募した当時は「大変だった」「悩んでいた」とこぼしていた。それらの言葉の奥には、一体何があったのか――誰かが生きた人生とは、他者が想像し得るものを超えるということを、どんなときも私たちは忘れてはならない。
小学生の頃から子役としてドラマに出演、ミュージカル舞台で主役を務めるなど、活躍を見せていたHAYATOがなぜMAZZELのオーディションに応募したのか。そして、今MAZZELが、彼にとってどのような居場所となっているのか。一枚ずつ心を開きながら語り明かしてくれた。
―HAYATOさんは小さい頃からエンターテインメントがお好きだったんですか?
そうですね。歌、ダンス、ショーとかが好きな家庭で育ったので自然とそうなりました。主にディズニーがずっとテレビで流れていたので、その影響をすごく受けていると思います。
―ディズニーのどういったところに、今に至るまでずっと惹かれ続けているのだと思いますか。
何年経っても楽しさが消えないですよね。子どものときに感じた楽しさと、今感じる楽しさも違いますし。ただ単に子ども向けの歌ではなく、しっかりと意味があって、楽曲としてのクオリティも高いところに惹かれるのだと思います。曲だと、「A Whole New World」が本当に好きで。『アラジン』は、不朽の名作と言っていいほど素敵な作品ですよね。アラン・メンケンさんが作る曲は、1曲の中にディズニー魂が詰まっていて本当に好きです。
―作品としては『アラジン』が一番好きですか?
……難しいですね(笑)。最近だと『ズートピア』が好きです。3Dになってからアニメーションのクオリティがすごいですし、『ズートピア』はキャラデザインも素敵で、何回見ても楽しめる作品だなと思います。
―『ズートピア』はまさに、子どもが楽しめる要素もありながら、実は社会的メッセージが深くて、いろんな楽しみ方ができる作品ですよね。
そうなんですよ。主人公が「外見主義をしない」と決めているのに立場が変わった瞬間に外見主義になってしまうところとか、子どもにはわからないかもしれないけど大人にはすごくわかるところがあったり……深いなと思います。
―一番好きな作品はなかなか選べないかもしれないですけど、「自分の人格形成に影響を与えた作品は?」と聞かれると、パッと思い浮かぶものはありますか?
いっぱいありすぎて(笑)。子どもの頃から『ミッキーマウス クラブハウス』を見て育って、それが「こういうときはこうしたらいい」といったことが子どもにもわかりやすいストーリーだったので、そこから「考える」ということが構築されたと思います。「楽しく考えることが大事」といったことを教えてもらった気がします。
―何かあったときに乗り越えるためのポジティビティは、ミッキーから教えてもらったといっても過言ではない?
おっしゃる通りです。ポジティブなのはディズニーのおかげかもしれないです。
―最近もディズニーの音楽をよく聴いているそうですけど、再生中はどんな気持ちになれますか?
心が落ち着くし、ハッピーな気持ちになれます。たとえばパレードの曲を聴いていると、自分もその一員になって踊ってるような、その中に入って楽しんでる感覚があります。その年代のパレードの曲を聴いていると「何歳のときに家族で行ったな」とか、いろんな思い出が蘇ってくるところも好きです。
子役を始めたきっかけ
―小さい頃からエンターテインメントに触れていた中で、子役を始めたきっかけは?
もともと幼稚園の年長から小2まで、趣味としてミュージカルのスクールに通っていて。それは、お姉ちゃんが通っていたので「ちょっと体験してみる?」というところから行き始めました。本格的にやろうと思ったきっかけは、同い歳の鈴木福くんがテレビに出ているのを見て純粋に演技がしたいと思ったことで、小3から事務所に入ってました。
―子役時代は、何が楽しかった、もしくは、何が大変でしたか?
「仕事」というより「自分のやりたいことを今やってる」という感じで、すごく楽しんでました。もともと歌が好きだったんですけど、歌とは別で殺陣のレッスンも始めて、それが演技やお仕事につながることもあって。やったことのないことにトライすると新しい自分を見つけ出すことができるし、色々挑戦することで幅が増えるということは、そのときに思いました。
―HAYATOさんのやったことないことにも前向きに取り組む姿勢は、その時代の経験から培ってきたものだったんですね。
そうですね。「とりあえず挑戦してみる」ということをずっとやってきたおかげで、幅が広がったのかなと思います。
―ドラマに出演したり、ミュージカルで主演を務めたり、「活躍」といっていい状況だったと思うんです。そんな中で、なぜアーティストになりたいと思うようになったのでしょう。
このまま俳優の道に進むだろうなと自分でも思っていて。俳優になることを決意して、もともといた子役の事務所から移籍もして、演技レッスンを重ねていたんです。アーティストになりたいという夢も少しはあったんですけど、主には「俳優になる」ということでした。でもコロナが始まって、色々あってその事務所をやめることになったときに、俳優はやめようって思いました。
―MAZZELのオーディション『MISSIONx2』を受けるときに「色々悩んでいた」ということをこれまでも話されていると思うんですけど……そんなことがあったんですね。
そうなんです……これはどこにも言ってないですね。事務所に入っていたからこそお仕事をいただけていたので、やめてからはもう自分でやるしかなくなって。そこで一回「どうしよう」ってなりました。それが中3の終わりとかです。
―そこで「俳優はもういいや」と潔く腹を括ることができたんですか?
はい。そこで自分の中で「もうないかな」ってなりました。中学生のときにK-POPで活躍している方を見てアーティストになりたいという夢も同時に持っていたので、一方の道が切れたならこっちをやるしかないと思って、アーティストの道を歩み始めました。
―中3のHAYATOさんにとって、それはめちゃくちゃデカい決断ですよね。
大きかったですね。そのままダラダラ俳優の道を続けていたらここにいないかもしれないと思うと、一番大事な選択をしたかもしれないです。
―ミュージカルで歌うことと、ダンス&ボーカルグループとして歌って踊ること、共通点もあるけど違うものだと思うんです。ミュージカルで活躍しながら、アーティストに夢見る気持ちが出てきたのはどういった背景からだといえますか。
僕の中ではすごく似ているなと思う部分もあって。ミュージカルは「役になりきって歌を表現する」ということだと思うんですけど、アーティストも「憑依」している方がたくさんいらっしゃって、そこにすごく惹かれました。ステージ上で自分ではない自分をおろしてきて歌うことは、僕が今までやってきたことに通ずる部分もありましたし、それが単純にかっこいいなと思ったので。それでアーティストになりたいと思いました。
―HAYATOさんの「ステージ上で自分ではない自分になりたい」という願望は、どこから湧いてくるものだと思いますか。素の自分が好きじゃなくて違う誰かになりたいといった想いなのか、それとも――。
素の自分も好きではあるんですけど、自分がそのままステージに出てしまうと雰囲気が壊れるなと思って。性格上、ポワポワしてるというイメージがあると思うので、それがステージ上で見えたときに、メンバーに影響を及ぼさないかなとか、自分のせいで世界観が崩れたらどうなっちゃうんだろうとか、そんなことを思うんですよね。素の自分がいらないパフォーマンスでは入りきって、たとえば「Vivid」「Holiday」のような自分をさらけ出す楽曲では自分100%でやったりしてます。使い分けてますね。
―「ポワポワ」とは……?(笑) ご自身の性格をどのように自覚しているのでしょう。
ずっと笑ってたり、ニヤニヤしたり。「カッチリ」ではないというイメージがあるかなと、自分では分析してます(笑)。
―でも、それもHAYATOさんのよさだし。
そうです、好きです(笑)。
お姉ちゃんの存在
―ガールズダンスをやり始めたのはいつ頃ですか?
小学生の頃から趣味でやっていて。それもお姉ちゃんがやっていたので真似から始めました。高校生になってから、それが自分の強みでもあるなと思ったので、伸ばして仕上げるためにレッスンを受けるようになりました。
―中3で俳優をやめてダンスと歌を頑張ろうと決断し、ガールズダンスに向いていったと。
そうです。高1くらいまではずっと好きでやっていたんですけど、そのせいでどうしてもガールズダンス以外の振りを踊れなくなることが多くなってしまって。トレーナーやコーチの方に「やめたほうがいい」って言われて、1年間くらい封印していた時期がありました。(ガールズダンスのレッスンを)受けたくても、それを受けにいったらアーティストになれないと思ったので、とりあえず今は長所を伸ばすより短所を伸ばさなきゃと思って一度封印してました。
―BMSGは個性を殺すより生かしていこうというビジョンがある会社だと思うんですけど、それでいうと『MISSIONx2』を受けてBMSGに入ったことで救われた部分もありました?
ありますね。『MISSIONx2』のときはまだガールズの癖が抜けてなくて、とりあえず普通のダンスを伸ばそうと思いながらやっていたんですけど、その中で社長(SKY-HI)から「自分のよさは消さなくていい」というふうにたくさん言っていただいて。それは自分の色と言っても過言ではないので、少しずつエッセンスとして出せるように練習しました。
―そうやって言ってもらえたのは、HAYATOさんにとって人生を変えるくらいの「安心」というか何というか――。
そうですね。(ガールズダンスのレッスンを)受けにいっちゃダメだとずっと思っていたので。社長から「それが隠し味になったらいいよね」と言っていただいて、別にどちらかを100/0にするんじゃなくて、割合を考えてやれたら自分としての個性が出るんだなと思えるようになりました。
―MAZZELとしてパフォーマンスする中でも、曲やパートによってそのバランスを考えているということですよね。
はい、自分で試行錯誤しながらやってます。
―ガールズに興味を持った理由は他にもありますか? お姉さんからの影響がとにかく大きい?
そうですね。歌、ダンス、演技をやり始めたのは全部お姉ちゃんですね。
―今、お姉さんはHAYATOさんの活躍を見て何て言ってますか?
ずっと間近で見てくれていたし、オーディションを受けることも手伝ってくれたので、今は本当に嬉しく思ってくれていて、たくさん褒めてくれます。弟が誇らしいと言ってくれるので僕も嬉しいです。
―『MISSIONx2』を受けたのは高2の頃ですよね。当時はどういったことを考えている時期で、なぜこのオーディションを受けたのでしょう。
すごく焦ってはいました。高校2年生って、世間から見たら若いかもしれないですけど、アーティストになることを考えると決して若くはない年齢だと思っていて。プラス、そのときは大学に行かなきゃいけないってなってたし、同じレッスンを受けてる子たちがどんどんいいところまで行ってるのを見ていたので、本当に焦っていた時期でした。
―大学に行ったほうがいいと周りから言われたり、自分でも行ったほうがいいのかなと悩んでいた、ということですか?
そのまま大学に行く予定だったので、行くことを覚悟しながら、大学に行くまでにできることをやろうっていう感じでした。高校と大学が繋がってる学校だったので、そこまで受験勉強をしていたわけではなかったんですけど、テストはあったので。
―大学に進学できる高校に通っていると、「大学に行く」という選択肢が目の前にある状態ですよね。きっと同級生もそのまま大学に進む子が多かっただろうし。
そうなんです。「大学に行くのが当たり前」みたいな感じがすごくあって、周りはほぼ全員大学に行きました。『MISSIONx2』がテストと丸かぶりだったので、自分がアーティストになるのか、大学に行くのかっていう、本当に狭間でした。
―オーディションを受けるとき、一言で「悩んでいた」と言っても、本当にいろんな種類の悩みがあったんですね。
本当に、色々ありましたね。中学2年生のときも、普通の人は悩まないようなことがあって。「なんで自分が悩まなきゃいけないのか」って思うこともありました。中2、3は、自分の夢を目指すことに集中したいけど、それができるような時期ではなかったというのもあって、大変でしたね。
―ミッキーから培った「楽しく考えることが大事」というマインドも、そういった出来事の支えになっていた……とまでいうと綺麗にまとめすぎですか?
その時期もエンタメに救われてましたね。ディズニーとK-POPに支えられながら過ごしてました。ディズニーの映画もお姉ちゃんと一緒に見ていましたし、中2、3の頃はK-POPも大好きだったのでライブにもたくさん行きました。
―エンターテイメントから人生の考え方や幸せをもらってきたからこそ、自分が作るエンターテイメントを通してMUZE(MAZZELのファンの名称)や見てくれる人たちに幸せを届けたいという想いが、偽りなく大きくあるんですね。
本当にそうです。ファンがステージをどう見ているかとか、自分が体験してきたからこそわかることがたくさんあるし、自分が還元できることがあると思っているので。「幸せを与える」というか……「幸せを分け合いたい」と思ってます。
―中2、3の出来事も、事務所をやめたことも、大学への進路についても、ガールズダンスを封印していたことも……「悩んでいた」の奥にはいろんなことがあったんですね。
歌もすごく悩んでいましたね。小学生の頃から歌うことが大好きだし得意で、ミュージカルでも自信を持ってやっていたんですけど、中1、2で変声期を迎えて声が出なくなっちゃったときは本当に絶望したというか。これまで強みにしていた歌が出せなくなったらどうすればいいのだろう、って。歌えていた自分を知っているからこそ、歌えなくなることが精神的につらくて。それでボイトレにもたくさん通いました。変声期って、風邪みたいにすぐ治るみたいなものではなくずっとかかるものなので、それと向き合っていかなきゃいけないことがすごくつらかったですね。
―本当にいろんなことを抱えながら『MISSIONx2』に応募されていたんですね。
人生がここに賭かっていたし、最後のチャンスだと思っていたので、本当に、命を懸けてました。
BMSGのオーディションに応募した理由
―そもそもK-POPに憧れていた中で、BMSGのオーディションに応募しようと思ったのはどういった理由からでしたか?
もともと韓国でデビューすることしか考えてなかったんですけど、心を動かされたのはBMSGのクオリティの高さと「才能を殺さない」という理念ですね。BE:FIRSTを見て、歌とダンスのクオリティもすごいですし、「こんなにすごいグループが日本で作れるんだ」とも思って。「ここを受けなきゃいけないじゃん」「韓国よりも絶対にこっちだな」と思って、オーディションを受けました。
―「才能を殺さない」というところも、小さい頃から芸能界でいろんな経験をしてきたからこそ特に惹かれるものがあったと言えますか?
惹かれましたね。自分が色々やってきたものとか、封印していたものが、少しでも自分の才能としていきればいいなと思ってました。幼い頃から芸能界に入っていたからこそわかることもたくさんあって。一言でいえば、「簡単なことじゃない」といいますか。やりたいからやれる職業でもないですし、なれたからといってすぐに成功するわけじゃないこともわかっていたので。そのマインドは自分の強みだと思います。
―頑張ったからといって、才能があるからといって、必ずしも報われる世界じゃない。そういう側面をすでに感じ取られていたと。
それはもうわかっていたので。変に期待せず、本当に自分が頑張らなきゃやっていけない世界であることを自負しているからこそ、今も頑張ってます。それは昔から繋がっているものかなと思います。
―HAYATOさんは、たびたび日高さんから成長のスピードを褒められていることが印象的で。吸収力の高さや経験豊富なのに驕らない姿勢のバックボーンを、今日見せてもらえた気がしました。
毎回「まだまだだな」って思ってます。一回も満足したことはなくて。すごく素敵な作品ができたとしても「できることがまだたくさんある」と思いながら毎回練習に励んでいます。成長スピードが早いという自覚もなくて。メンバー一人ひとりを見て吸収することを心がけていますね。自分のスタイルだけでやるのではなく、みんなのいいところを盗んで自分を作っていってる感じです。
―これはみんなに質問させてもらっているんですけど、MAZZELとしてステージでパフォーマンスする中で自分はどういう役割を担いたいと思ってますか。
憑依してパフォーマンスをすることも、見ている人が楽曲に入り込むひとつの材料になるんじゃないかなと思うんです。自分の声は特徴的なので、一回聴いて「なんだこの声は」と思ってもらえたらすごく嬉しいですし、自分の声で曲の雰囲気を少しでも変えられたらなと思ってます。
―これまでMAZZELとして完成させた楽曲の中で、自分が一番覚醒したなと思うものを1曲挙げてもらうとすれば? もちろん、1曲ごとに歌もダンスも進化していると思うんですけど。
ダンスは、「Waterfall」です。YUMEKIさんに直接教えていただいて、自分の魅せ方がすごく上手な方なので、そういった部分をたくさん吸収できた機会でした。歌は、「ICE feat. REIKO」。僕の声の特徴をすごくいかせた曲でもあると思いますし、すごくやってみたかったジャンルだったので。しかもKAIRYUにたくさん教えてもらってレコーディングに挑んだので、成長できた楽曲じゃないかなと思います。
―HAYATOさんの声質が表現できるものとは、言葉にするとどういうものだと思いますか。
うーん……「キラキラ」? 重い楽曲でも自分の声があることによって一瞬明るくなるというか、「別世界に来た?」と思えるような声なんじゃないかなと思います。
―どんなことがあっても「キラキラ」を見つけ出して生きていく、そのHAYATOさんの生き様自体が声になっているんですね。
嬉しいです(笑)。
―声って、その人の人生や人間性が出るものだったりするから。
そう言いますよね。
「素の自分も愛してくれるし、作った自分でいなくていい」
―オフステージでは、8人の中でHAYATOさんはどういうキャラですか?
末っ子です。最初の頃は「しっかりしなきゃ」という気持ちで、変に自分を作っていたところもあって。人に甘えることがあまり上手ではなかったんですけど、他の7人は本当にいい人たちで頼れるお兄ちゃんたちですし、自分の素を出さないとみんなも出してくれないし距離が縮まらないなと思ってから、ずっと甘えてます。
―オーディション中に「オンマ(=お母さん)」と呼ばれる場面もあったけど、それは「しっかりしなきゃ」という精神が働いていたからこその振る舞いだったんですね。
ずっと自分がしっかりしなきゃと思いながら生活してましたし、自分の弱いところを人に見せてこなかったからこそ、あのような場面が生まれたのだと思います。
―そこからだんだん、メンバーに対して自分の弱いところを見せつつ、甘えられるようになってきた?
そうなんです、だから今は全然「オンマ」じゃないです(笑)。
―MAZZELはHAYATOさんにとって夢を叶えられる場であると同時に、一人の人間として安心して生活を送れる居場所に辿り着くことができた、という感覚ですか?
そうですね、すごく安心できますね。みんな素の自分も愛してくれるし、作った自分でいなくていいし、そのおかげでパフォーマンスでも素を出せる部分があるので本当に感謝しています。メンバーといられること自体がすごく幸せだなって感じますし、ステージじゃなくてもメンバーが横にいることがすごく恵まれてるなと思います。こうやって友達みたいで家族みたいな7人と出会えたことは、僕にとって一生の宝物です。プライベートでも遊んでくれるメンバーがいてくれて、自分もMUZEになったみたいに幸せになるというか(笑)、みんなに幸せを分けてもらってる感じがします。MAZZELに入ってから性格も変わったし、明るくなったし――MBTI診断でも「明るくなった」で出たし(笑)――本当にかけがえのない存在です。
―エンターテインメントやMAZZELから受け取っている幸せを、MUZEと分け合っていきたいというHAYATOさん想いには、どれだけ深い背景があるのか、今日たくさん語ってくれてありがとうございます。他に、この機会に言っておきたいことはありますか?
MUZEには毎日感謝しています。僕たちもMUZEに音楽を届ける楽しさがあるし、ライブではMUZEが音楽を楽しんでくれていることを感じるので、この関係性がすごく好きで、これからもMUZEとたくさん音楽で遊びたいなと思ってます。あとここで言いたいのは……お母さんとお姉ちゃんに、僕の夢を応援してくれたこととか、お母さんの選択よりも僕の選択を優先してくれたこと、大学を選ばずにアーティストになったことを喜んでくれたことに、感謝を伝えたいなと思います。お母さんもすごく不安だったと思うけど、「HAYATOがやりたいようにやればいいよ」って言ってくれて、僕のやりたいことを優先してくれたおかげで今も頑張れているので……本当に感謝しています。
―この先MAZZELとして描きたい夢を、HAYATOさんはどのように想像していますか?
誰1人抜けることなく音楽を続けていくことが一番です。あとは、いろんな会場でライブをやってみたいですし、いろんな楽曲にも挑戦したいです。その中で「MAZZELと言えばこれだよね」という楽曲が生まれたらいいなと思ってます。
―HAYATOさんが個人としてやりたいことや叶えたい夢はありますか?
演技はまたいつか挑戦したいです。やっぱり楽しかったですね。自分が嫌いだったわけではないんですけど、別の自分になれるところがすごく好きでした。「見たい」と言ってくれるファンの方も多いので、いつかやってみたいなと思います。
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「Counterattack」
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