2022年のグラミー賞最優秀グローバル・ミュージック・パフォーマンス賞を受賞した、作曲家/シンガーのアルージ・アフタブ(Arooj Aftab)。インドに隣接するパキスタンで生まれた彼女は、バークリー音大への進学を機にアメリカへ移住し、現在はNYを拠点に活動している。
もともとはジャズやクラシック、エクスペリメンタルなどの音楽をインディー的な感性でリリースしているNY拠点のレーベル、New Amsterdamsに在籍し、2018年の2作目『Siren Islands』を経て、2021年にリリースした『Vulture Prince』で上述の賞を獲得。そこから名門ヴァ―ヴと契約し、ヴィジェイ・アイヤー、シャザード・イズマイリーとのコラボ・アルバム『Love In Exile』(2023年)を経て、自身の名義での最新アルバム『Night Reign』を先日リリースした。
彼女の音楽はパキスタンに由来する旋律やリズムが織り込まれているのが特徴のひとつだ。カッワーリと呼ばれるイスラム文化圏で歌われる宗教歌の影響を受けており、多くの曲はパキスタンの言語であるウルドゥー語で歌われる。それでは、彼女の音楽がパキスタン音楽がベースにあるのかと言われたら、それはそれで答えづらいところがある。エレクトロニックなサウンドもあれば、ジャズに由来する即興演奏もあるし、ミニマルミュージック的な要素もある。ポップスやR&B、ロックからの影響さえ感じさせる。彼女の音楽は既存の枠組みでは定義しづらいハイブリッドなもので、パキスタン由来の要素すらもフラットに取り入れられているように感じられるのが面白い。彼女の独特な音楽をグラミーは「グローバル・ミュージック」という枠で評価をしたわけだが、はっきりいってそれがしっくりこないような音楽なのだ。
『Night Reign』はこれまで以上に地域やジャンルでは括ることができないものになっている。エルヴィス・コステロからコーシャス・クレイ、新鋭ピアニストのジェイムス・フランシーズ、奇才ギタリストのカーキ・キング、詩人のムーア・マザーとゲストも多彩だ。そんなアルバムを作り上げた彼女に、僕はシンプルに「音楽」の話を聞こうと思った。アルージ・アフタブという音楽家はどんなことを考えて音楽を作っているのか。彼女がもつオリジナリティの一端がわかった気がする。
美しさと余白、そして選択
―バークリー音大でプロダクションとオーディオ・エンジニアリングについて学んだそうですが、それぞれどんなことを学び、身に着けたのか聞かせてください。
アフタブ:レコーディング・スタジオの中でやるべきあらゆることに関して。マイクロフォン・テクニック、ピアノのマイキング、レコーディング、ミキシング、マスタリング、SSLボードを使いながらね。実際にスピーカーを作ったり、楽器を作ったりもした。つまりはオーディオ・エンジニアになるのに必要なこと、音楽に関するあらゆる科学と物理を学んだ。
―今のあなたの音楽に繋がっていると感じる授業はありましたか?
アフタブ:ええ、その時のクラスはどれも私にとっては重要だった。そもそも私はサウンドやサウンドのクオリティに興味があったから。たとえば特定のものを違うマイキングで録音すると、オーディオの性質がどう変わるか、といったことに関心があった。その差はとても大事。私の今の作品にもそれは表れていると思う。
私のようなチャレンジングな楽器の組み合わせをする人って、そういないんじゃないかな。普通、ナイロン弦のクラシックギターとハープ奏者は、どちらも似ているのでぶつかり合うものだとされるでしょ。でも私の作品にはクラシックギターとハープが必ず入っている。それをうまく組み合わせられるのは、私に音のソニック能力への深い理解があり、(ぶつかり合うような音が含まれていても)着地させることができるから。私はアレンジを通して、常識に挑戦したい。そんなふうに考えられるのは、私に(エンジニア的な)知識があるからだと思う。
Photo by Kate Sterlin
―あなたの音楽には、テクスチャーやソニックの部分のデザインへの強いこだわりを感じます。僕が最初に聴いた『Siren Island』はその側面がメインで作られていたエクスペリメンタルな音楽性でした。プロダクションやミックスなどに関して、特に研究した人はいますか?
アフタブ:すごくいい質問。でも、その答えはわからない。いいプロダクションかどうかは私にはわからない。でも、悪いプロダクションはすぐわかる。
―どういうことでしょうか(笑)。
アフタブ:つまり(悪いプロダクションは)オーバープロデュースされてるってこと。今の時代の音楽は大抵、オーバープロデュース気味でスペースが残されてないものが多いと思う。私に言わせれば「なんなのよ、一体?」って感じ。あれもこれもありすぎて、混み合いすぎ。それで美しい何かが作れると思うのかもしれないけど、そんなの全然ダメ。何も生まれない。そういうケースをよく目にする。
―なるほど。
アフタブ:だから『Siren Island』は私なりの探求だった。「なぜノイズ・ミュージックってこんなにノイジーなんだろう? なぜノイズの中に美しさがないんだろう? 私が探求してもいい? それともそうあるべきもの?」って感じ。私なりの「何がどうなってるんだろう? みんなどうしちゃった!?」的探求アルバム。プロデューサーの名前はあまり知らないけど、音楽が混み合いすぎてることはわかるから、そういった(ノイジーな音の)中に美しさを施せないか、自分なりに試してみたかった。私の作品の中心にあるのは、常に「美しさ」と「余白」、そして「選択」よ。
ウルドゥー語による秘めやかな歌声の背景
―次は歌について。あなたのボーカルはすごく個性的なものですが、これまでどんな人を研究してきましたか?
アフタブ:ビリー・ホリデイのスタイルはすごく研究した。一番影響を受けた人物のひとり。あとはアビー・リンカーン。マックス・ローチとのアルバムの影響は大きかった。最近の人だと、セシル・マクロリン・サルヴァンを聴いてる。彼女はすごくクール。マイルスやビル・エヴァンスのソロやメロディラインを声で真似たりもした。南アジアのスピリチュアル・ティーチャーでいうとベーガム・アクタル(Begum Akhtar)。私の声からは、こういった人たちの影響が聞いて取れるはず。
―シンガーとして目指している歌唱、声はありますか?
アフタブ:ブルーノートを多用した、クリーンな歌い方が好き。いわゆるアクロバットな歌い方は好きじゃない。私は良い選択をしたい。そうしていると願いたい。見せびらかすのは嫌いなので、シンプルに歌っているだけ。
―声に関しても録音やミックス、エフェクト、ハーモニーなど、かなりこだわりがあると思うのですが、それに関してはどうですか?
アフタブ:レコーディング中はスクラッチ・ボーカル(あとで差し替える前提で録るデモ・ボーカル)を歌うだけ。というのも、私はプロデュースもしながら、他の人たちの演奏も把握し、ある意味ではエンジニアでもある。頭は同時に7カ所くらいにいるイメージ。それで歌も歌うんだから……レコーディング中は自分が歌ってることなんて気にしてられない。それで(多くの楽器に関して)たくさんのテイクを重ねる。ボーカルも同じ。そのうち「ああ、死の使いがやってきた」というくらいになって……。本当ならもっとボーカルに関して意図を持ってやるべきなのかも。今は割といい加減。最終的に、すべてが終わってみると「オーケー、これでいいんじゃない?」って毎回言ってる。私ってそういうタイプ。他はともかく、ボーカルだけはなんとかなる、うまくいくって思っている。だからあまり気にしていなかったりする。
―参考にした歌手とかプロデューサーはいますか?
アフタブ:今回の新作に関しては、イモージェン・ヒープのことを少し考えてた。あと、ジェイムス・ブレイク、カニエやケンドリック・ラマーなんかが取り入れたエフェクトを使ったクールなボーカルのことも。私もこのアルバムではクールにしたかった。特に「Bolo Na」と「Raat Ki Rani」ではボーカルで色々なことをしてるのがわかると思う。あとはクロスビー・スティルス&ナッシュみたいなアメリカン・フォークも。ダブルで重ねたボーカル、90年代風のボーカルの影響もアルバム全編で感じられると思う。これまでは自分の声にハーモニーをつけることもなかった。ダブルで重ねることもなかった。オートチューンも使ってない。パンもリヴァーブも。でも今回はそれを全部やってる。それはすべて90年代ポップスから来てる。
―あなたは多くの曲をウルドゥー語で歌いますよね。自分が生み出すメロディはウルドゥー語特有の発声や音韻、リズム感などと、どのような関わりがあると思いますか?
アフタブ:ウルドゥー語は耳に優しい言語。ポルトガル語と似ていて、歌に適してる。歌の邪魔にならない。それにウルドゥー語はメタファーを多用し、直接的ではないという部分がとても好き。ジャスミンの花を「夜の女王」と呼んだり、遠回りに、少ない言葉で多くのことを語る。それは私の曲の特徴かもしれない。歌詞は言葉数が少ないし、長い物語が語られるわけではない。ソングライティングじゃないのよ。テイラー・スウィフトやカントリー・ミュージックのように、言葉を使って、最初から最後まで何かを語るものではない。ただ言葉を通じて、今何が起きているかを仄めかすだけ。また特定の言葉やフレーズが繰り返され、繰り返される度に意味が深まる。そこもとても気に入っている。言葉が散乱しているのは嫌い。スペースが好き。その意味で、少ない言葉で幅広い感情を伝えられるウルドゥー語は私の音楽にとって都合が良かった。
―「Na Gul」「Saaqi」「Zameen」など、詩人の詩に音楽を付けて歌う曲が3曲収録されています。あなたの音楽における作曲と言葉の関係について聞かせてください。
アフタブ:すでに書かれている詩がすべて詩的だとは限らない。必ずしも歌える歌にはならない。古い詩の場合は儀礼的だったりもする。日本語でもそういうのはある?
―ありますね。
アフタブ:そうでしょ。最初、私にはこれらの詩は訳のわからない言葉でしかなくて、「何これ?」という感じだった。それを少し変えたり、もしくはワンフレーズだけを抜き出した。全部を使わなきゃならないとは思わなかった。それって従来のやり方ではなかったみたい。でも、私には古いものに関して、ルールはなかった。よりシンプルに、歌いやすいものにするためなら、変えてもいいと思った。みんな、そういうことってするものでしょ。それに彼ら(詩人たち)は昔の人たち。もう生きてないから文句を言われることもないしね(笑)。
私が求めるのは「中間のどこか」
―次は作曲面について。これまでどんな人の楽曲を研究してきましたか?
アフタブ:誰とは言えないくらいたくさん。ナイル・ロジャースからマイケル・ジャクソンまで。ジェフ・バックリィ、アヴリル・ラヴィーン、ヌスラット・ファテ・アリ・ハーン(パキスタン出身、カッワーリーの巨匠)……とにかく音楽はいっぱい聴いた。誰だって聴いた。ミニマリストのコンポーザーたちも。私はミニマリズムが好きだから。かつてはレジェンダリーな素晴らしいミニマル系のミュージシャンがたくさんいたのに、ある時期からいなくなったのは、すごく不思議。
―ミニマルミュージックだと、どんな人を聴いてきたんですか?
アフタブ:モートン・フェルドマンはよく聴いた。もっと調べるべきなんだけど、今、ポスト・ミニマルの音楽をやってるのって誰なの? 一体どうなってるの? ミニマリストのジャンルはどうなっちゃってる? 私には何も起きてない気がする。ミニマリスト・コンポーザーの現状がどうなっているのか、私は出ていって探るべきね。ジュリアス・イーストマンは近年、再評価されているし、彼はすごいと思う。ジョン・ケージは27歳くらいの頃はクールだった。あと、友人でありコラボレーターのギャンのお父さん、テリー・ライリーも当然ながら。テリーがヒンドゥーの伝統的クラシック音楽からの影響を受けていることを考えると、私たちは一つの円を描いてるんだなって感じる。
―あなたの音楽は「歌」「演奏」「サウンド」が有機的に組み合わさっていて、どのように音楽を生み出しているのかずっと不思議に思っていました。曲を作るプロセスを聞かせてもらえますか?
アフタブ:どう組み合わさるのか、私にもはっきりとはわからない。出産したら、産みの苦しみを忘れてしまうような感じ。突然、音楽はそこに出来上がっているから、どう作ったのかわからない、というか覚えていない。
でも、プロセスということであれば、なるべくナチュラルでいようと心がけているってことは言える。必ずしも「始まり」がなくてもいい。どこかで始まらなきゃいけないということはない。それに定まったプロセスはなくていい。「終わり」から始まってもいいし、「真ん中」から始まるのでもいい。
―うーん、もう少し教えてもらえますか?
アフタブ:たとえば(先述の)「Raat Ki Rani」は頭に浮かんできたフックだった。ヴァースが書けなかったから、残りのストーリーは書かず、ただフックだけの曲ってこと。あとは音楽的なインタールードが真ん中にあるだけ。私はフォームにはこだわらない。むしろフォームは手放すようにしている。そして「もしフックしかないなら、それでいい」と思うタイプ。だって元々、みんなが聴きたいのはフックでしょ? ヴァースはフックを聞くための前置き。「だったらヴァースなんて捨てちゃえ」と思った。だからこの曲にはヴァースがない。そんなふうに現実に合わせ、そうなったらもうそのままにしておくのが私のやり方。それができるのは、素晴らしいコラボレーターたちのおかげだと思う。本当に彼らのことを愛してる。私の頼みを聞いてくれる彼らが演奏してくれるなんて、正気の沙汰じゃないって思ってるから。
―曲を作ることとコラボレーターを選ぶことにはどんな関係があると思いますか?
アフタブ:もちろん関係はある。当然ながら、インストゥルメンテーション(楽器法:各楽器の音域や奏法、音色などについての知識のこと)は考えるから。でも、それを考えて「この人に頼もう」と連絡を取るまでには4年は必要。その人を知るのには、そのくらいの年月がいるから。例えば、その人がダイナミックな性格の持ち主なのかどうかとか、彼らの頭の中にあるワイルドカードが必要。ただ「何を弾いたらいいか言ってくれ」というタイプは私の音楽には要らない。単なるギター奏者ではなく、他には置き換えることのできない人でなければ意味がない。
―あなたの音楽にとって最適な人だけが起用されていると。
だから、ツアーに出る時は難しくなる。私の音楽にはサブがいない。私には「私に必要な人」が必要。それなのに周りは「別のベーシストを探せばいい」で片付けようとする。でも私にしたら「無理、別のベーシストを探すとかそういう事じゃない!」って感じ(笑)。彼らとの関係はお互いに築き上げるものであり、一緒に学び、教え合うものだから。音楽のコミュニケーションというのは具体的なもの。ピアノの前で「次は5、ここはフラット2」と指示を出すのではなく、「私の言っていることを、あなたたちの違う目で違う形で理解して! 私たちのプロセスは譜面に描かれるもの以上にパーソナルだから」ってこと。
Photo by Shreya Dev Dube
―『Vulture Prince』でも世界中の様々なミュージシャンが参加していましたが、『Night Reign』ではさらに増えました。ヴィジェイ・アイヤー、ジェイミー・ハダッド、ペトロス・クランパニス、リンダ・オー、小川慶太など様々な人たちがいますが、共通する特徴としては「優れた即興演奏家」じゃないかと思いました。あなたの音楽を聴いていても、どこまでが作曲された部分で、どこまでが即興なのかわからないんですよね。おそらくあなたの音楽において、即興もしくは自由に演奏できるスペースは重要なものなのかなと思ったんですが、どうですか?
アフタブ:もちろん。私には「ハープ奏者じゃない限り、ハープのパートは絶対に書けない」という考えに基づく互いの理解がそこにはあるんだと思う。あらかじめ作曲されている部分も当然ある。8割くらいの割合で、私の音楽のほとんどがあらかじめ書かれている。でも、ソロはすべて即興。パーカッションは書かれている。それ以外は、ミュージシャンが自由にやれるスペースが用意されている。そのスペースだけは絶対に「常にある」。
―あなたの音楽にとって即興できるスペースは不可欠だと。
アフタブ:というか、素晴らしいミュージシャンたちと一緒にやるのならそうあるべきだと思うから。私はシンガーとしてリードしているけれど、それ以上に私は「ミュージシャン」としてそこにいるの。それくらい、「音楽」が大きな部分だということ。アレンジもとても重要だし、ミキシング、ソニック・クオリティもとても重要。歌は一部であって、すべてじゃない。私が送り出すのはトータルな音楽。だから、私の作品では音楽におけるインストゥルメンタリスト(演奏者)が大きくフィーチャーされるべきだと思う。
―編曲についても聞きたいんですが、あなたは様々な構造の曲を書きますよね。モーダルで対位法的な曲もあれば、コーダルな歌ものもあります。でも、どんな曲でも編曲によってあなたらしい曲になっていると感じました。例えば「Whiskey」の核になっている部分はギター弾き語りで作ったようにシンプルですが、楽器のセレクトや全体の構成、アレンジによりとんでもなく個性的になっている。同じようなことはジャズスタンダードの「Autumn Leaves」にも言えます。あなたの編曲のマジックの秘密が知りたいんですよね。
アフタブ:自分ではわからない(笑)。なんなんだろう……。
―じゃ、自分のアレンジの特徴はなんだと思いますか? 他の人たちの差異だったり。
アフタブ:わからない。もう少し自分一人で過ごさず、他のミュージシャン仲間とハングアウトすべきかもしれない。グラミーを獲ってからというもの、あまり仲間と会ったりしなくなったから(苦笑)。グラミー以降、私はとても孤独なの。
それはともかく、フリースピリットというか、自由に物事を捉える精神はいいことだし、大切なこと。コラボレートするという精神が、他とは違うと思う。私はコラボレーターたちのことを深く知っているし、彼らも私を知ってくれている。そうなるための時間を作る。それと、フォームの中に自由度があるということが重要だと思っている。とてもフリーに思えて、実はストラクチャーがある。それはポスト・クラシカル、ポスト・ミニマリズムからの影響と言っていいかも。本物のアートってこと。もはや音楽とは言えなくなる、とてもシリアスなもの。それを達成するには、それを理解できるシリアスな人たちが必要。どうやってそれをやっているのか、自分でもわからないけど、そうなっている。
―なるほど。
アフタブ:アレンジに関していうと、リアレンジをよくやる。でも、やってみたところ、あまりよくない……例えば、スティールパンを入れたら「F**k! こんな音をイメージしてたんじゃないのに!」と思い、そこで先に進んでしまってもいいけれど、止まって改良を続けることもできる。正しいものに辿り着くには時間がかかるから。「Whiskey」は時間がかかった曲。拍子がとても変わってるので、誰もどこが1の拍なのかわからず、みんなして違うところで1の拍を演奏するもんだから、ずっと不安定なまま曲が進む。で、リンダが「どこを1にするか決めないと!」と言うので、「じゃ、あなたの1はどこ?」って話をして、「私はここ」と言ったら、メイヴ・ギルクリストは「私はこっち」とバラバラだった。その結果、「じゃ、もうそれぞれがそうだと思う位置を1にしてやろう!」と決めた。当然、ものすごく不安定だった。
―リズムの位置をみんなが自由に解釈して演奏していると。
アフタブ:そのあたりで、TimaLikesMusicにJUNOで90年代風のヘンテコなメロディラインをこんなふうに(口ずさむ)弾いてもらったけれど、まだぐちゃぐちゃなまま。でも、ぐちゃぐちゃなのにどことなくいい感じだった。ま、あれは(「Whiskey」という曲名どおり)酔っ払いの千鳥足ソングなので、それで良かったのかも(笑)。私たち、全員そんな感じで、すごくセンシティブ。めちゃくちゃ不真面目でいて、めちゃくちゃシリアスなミュージシャンの集まり。みんなちゃんと演奏できるのにジョークを言い合ってる感じ。
―あと、あなたの音楽はドラムセットを使っていないこと、パーカッションがリズムだけではなく、メロディ楽器のような演奏をしているのも特徴かなと。リズムやパーカッションと作曲、編曲の関係についてはどう考えていますか?
アフタブ:その点では恵まれていた。私の先生はジェイミー・ハダッドだったから。小川慶太からメイヴ・ギルクリストまで、現在この世に存在する素晴らしいミュージシャンたち全員、ジェイミーのおかげで今があると言っていい。彼の音楽セオリーはとても内面的で、新しく、メロディアス。決して「ワールド系パーカッション」ではない。ハイブリッド・キットはまさに彼が生み出したもの。慶太、マルセロ・ウォロスキなど、スナーキー・パピー周りの人たちもみんな彼の生徒。でも、私は彼らにではなく、元のソースであるジェイミーの元へ行って「私の曲に、リズミックなことをプレイするのが許されるのはあなただけだ」と伝えた(ジェイミーは『Night Reign』に参加)。だってドラマーっていうのは……というか、ドラムセットが入った瞬間、妙な「インディロック問題」が起きちゃうから。リズムを見せるのか、ゴミになるのか、その一線はほんとうに微妙。
―わかる気がします。
アフタブ:私はボビー・マクファーリンの親友でバリトンシンガーだったジョーイ・ブレイク(Joey Blake)にボーカルを学んだ。彼はリズムを内面でどう捉えるかを教えてくれた。だから私にとって、リズムとの関係はとても重要。なぜならリズムはドラムセットかタブラか、その間の何かでしかなくて、どちらに偏ってもつまらないものになる(笑)。私にとってリズムは、エレガントなものでなければならない。常にエレガントで、秘めやかなものであってほしい。これもミニマリスト的なクオリティだと思う。秘めやかで、美しくあるべきで、あからさまなものであってはならない。常に私が求めるのは、そんなふうに「中間のどこか」で演奏できる人。ジェイミーはそれがとてもうまい。慶太もうまい。彼はちゃんと聴いてくれる。ドラマーの多くは主張のある女性の言葉なんて聞かないから。わかる? だから、私には彼ら二人がいるってことはすごく重要なことだと思ってる。
ジェイミー・ハダッドと小川慶太のジャムセッション
アルージ・アフタブ
『Night Reign』
発売中