地平線の果てまで突進するモンスター|スターリング・モスが駆ったマセラティ【後編】

この記事は「唯一無二のマセラティ|スターリング・モスが駆った450Sコスティン・ザガート」の続きです。

【画像】マセラティ450Sコスティン・ザガートをサーキットで試す!(写真8点)

ロードカーに生まれ変わる

モデナに戻った”ル・モンストル”は、エンジンなどを取り外されて工場の片隅に打ち捨てられ、意外な救世主が現れるまで1年ほど放置されたという。ミネソタ出身のバイロン・ステイヴァーが息子のジョンを連れて、モデナ周辺の工場の”グランドツアー”を行ったのが 1958年のことである。鋳造業を経営していたステイヴァーは親子そろってスポーツカーの大ファンであり、何か特別な車を探していた。二人はヴィアーレ・チーロ・メノッティ工場でまさにそういう車を発見したのである。ジュリオ・アルフィエーリ自身がVIPツアーの案内役を務めており、そこで悲運のル・マン・ベルリネッタが見捨てられているのを目にとめた。コッツァによれば、「ステイヴァーにとってはひとめぼれのようなもので、ベルリネッタは慎重にその価値を算出された」

オルシ・ファミリーにとってはこのような予期せぬ収入は常に大歓迎で、改良も含めて取引は成立した。バイロン・ステイヴァーは恰幅のいい大男だったため、マセラティはファントゥッツィにボディを25cm延長した上に、左ハンドルにコンバートする作業を依頼した。それに加えて湾曲したウィンドシールドとドアの後ろのクォーターウィンドーを設置、コクピットのベンチレーションのためのインテークとエグゾーストカバーも取り付けられた。さらに強化型のハーフシャフトとハブに交換し、いっぽうでエンジンの圧縮比は8.5:1に落とされ、最新のビッグバルブヘッドが装着された。最後により小さな115.燃料タンクを装備した。

室内にはバケットシートを2脚据え付け、スピードメーターに加えてグローブボックスまでも備えた立派なダッシュボードが装備された。伸びた全長のおかげでヘッドルームとレッグルームに余裕が生まれただけでなく、ドアも長くなった。ボディカラーはブラックで、ヘッドライトのケーシングは白、こうしてベルリネッタは地上で最も速いロードカーに生まれ変わったのである。

グエリーノ・ベルトッキが、モデナ在住だったライターのハンス・タナーを助手席に乗せてテストドライブを行った。気が遠くなるような加速と250km/h超の速度を経験したタナーは、「他のすべての車は、まるでミッレミリアのように、我々を眺めるために停まっているかのようだった」と書き残している。彼はマセラティがこの車の量産を始めると信じており、根も葉もない噂は長く消えなかったものの、もちろんこれは1台限りのスペシャルである。ステイヴァーは求められた通りに1万200USドルを支払い、新たにシャシー/エンジンナンバー4512を与えられたクーペは、冬のはじめに到着するように米国に向けて船積みされた。

マンハッタンのガレージで木枠から解放されたマセラティに乗って、ステイヴァーはミネソタの自宅を目指したが、早速、室内の凍えるような寒さに悩んだという。珍しいクーペはそのスタイルと轟音で注目を集めたが、それ以外はまたしても期待通りにはいかなかった。 その年の12月、アルフィエーリはステイヴァーから衝撃的な手紙を受け取った。それには丁寧な文章で、外観や内装には大変満足しているが、期待していた性能については失望したと書かれていた。「その面ではあなたも失望するのではないか。到着した車の機械的コンディションはひどく、ケーブル類は外れ、タイミングも狂っているようで満足に走れない…」他にも細かな不具合が並べられており、それらをマセラティに何とかしてもらいたいと綴られていた。

驚いたアルフィエーリは詳細なテクニカルデータとともに、米国の信頼できるマセラティのメカニックの連絡先を書き送った。その後1959年1月に彼らは電話で話し合い、ニュージーランドからの帰途にベルトッキが米国に立ち寄って、ダラスで車をチェックすることになった。後に本社に報告された書類によれば、プラグコードが正しく取り付けられておらず、キャブレターも当地の気候には合わないセッティングだったことを発見したという。

しかしながらステイヴァーはもはや車を売却することを決めており、有名ディーラーのハリー・ウッドノースに連絡を取っていた。1960年2月、コスティン・ザガート・クーペはオハイオ州のハリー・ハインルに譲渡され、彼は大掛かりなレストア作業に取り掛かった。だがエンジンの問題はなかなか解決せず(2度もリビルドしたという)、結局1964年にニューヨークのチャールズ・キルゴアに売却。その後ニュージャージーのボブ・モーガン、ペンシルバニアのウォルター・ワイマーとクーペの所有者は転々とした。ワイマーは1970年にフロリダのディーラーであるピート・シャーマンにこの車を委託したが、『ロード&トラック』誌にカラー広告を載せたにもかかわらず、3年もそのままだったという。

1973年、テネシーのコレクターでヴィンテージカー・レーサーでもあったジム・ロジャースが購入、彼はノースカロライナのホルマン・ムーディーに依頼して徹底的にエンジンをリビルドした上にボディを赤に塗り直した。レストアが完成して間もなく、1976年のワトキンス・グレンでのUSグランプリで、スターリング・モスは元々自分のアイディアから生まれたル・マン・クーペと再会したという。彼は、大急ぎで仕立てられた19年前のル・マンの時と比べられないほど見事な出来栄えだと喜び、失敗に終わった当時の試みを残念がったという。

その後もこのクーペは転々と居場所を変えた。ドイツの”アシャッフェンブルグ・ミュージアム”の設立者である実業家のペーター・カウスが、キース・デューリーの仲介でロジャーズから購入したのは1978年。その前にデューリーはレストアラーのスティーブ・グリズウォルドに依頼して走行可能な状態に修理していた。カウスはこのマセラティでミッレミリアに出場したが、トラブルのためにリタイアしたという。

カウスは2002年にテキサスのコレクターであるアルフレード・ブレナーに売却、ブレナーはフランコ・メイナーズの監督の下、イタリアでフルレストアを敢行、その際にペイントはオリジナルのブラックに戻され、エンジンも再度リビルドされた。その後2005年にブレナーはニュージャージーのディーラーのフランク・トリアージに売却、その2年後、現在のオーナーの手に渡った。

”ル・モンストル”・マセラティ

エイペックス・モータークラブ・サーキットでアリゾナの陽光の下で眺める450Sコスティン・ザガートは、まるで獲物に飛びかかる猛禽類のようだ。ボディの曲線は生き物のようで、長い鼻先とカバー付きヘッドライト、そしてトリデンテを戴く大きなグリルは1950~60年代の正統派そのものだ。これ以上ないほどに堂々としており、多くの雑誌のカバーに取り上げられたのも納得である。その特別な存在感は、2015年のヴィラデステでお披露目された「ザガート・マセラティ・モストロ」にも借用されている。

バイロン・ステイヴァーによって延長されたボディのおかげで乗り降りは容易であり、シートも窮屈ではない。ベージュのトリムとカーペットはとても良い雰囲気で、美しくドリル孔が開けられたスロットルペダルも、クロームのゲートから高く生えたシフトレバーも見事である。まったく申し分ない。潜水艦のハッチのような大きなヒンジを持つドアを閉めて、いよいよスタートだ。

轟音とともにピットレーンを出ると、まるで広大な海原を行く戦艦の舵を握っているかのようだ。大きなステアリングホイールのおかげで操舵力はそれほど重くないし、ギアレバーは素早く気持ちよく動く。エンジン音は低回転でも恐ろしいほどで、さらにドライブトレーンからの振動がいい加減に扱ってはならないと警告する。このベルリネッタがモンスターと呼ばれたのには理由があるのだ。

バックスレートに入ったのを合図にもう少し回転を上げると砂漠の地平線めがけて、檻から解き放たれたように唸りを上げて突進する。トランスミッションのノイズはさらにやかましく、これはもう比類ないとしか言いようがない。巨大なドラムブレーキはタイトな山道ではいざ知らず、サーキットでは十分な性能を持つ。シフトフィールも素晴らしい。ただし、コーナーに向けてターンインすると、なるほどタイトなコーナーでは十分な余裕と注意を持って操作しなければいけないことが分かる。これは地平線の果てまで突進するモンスターなのである。

60年以上も前のミネソタの大平原で、この魅力的だが獰猛なレーサーが嵐のように走ったことを想像すると、これもまたマセラティの伝説のひとつだろう。工場の片隅に放置されていたマシンを蘇らせた男の勇気も同様である。ザガートとコスティンは与えられた時間の中で最善を尽くしたはずだし、両者は伝説のクーペを生み出したことでもっと評価されるべきでもある。機械的な信頼性の問題は彼らの落ち度ではない。もしスターリング・モスのアイディアが正しく伝えられて、ル・マンでのハイスピードマシンとして結実していたなら、このクーペは自動車史に輝く傑作となっていたはずである。

1957年マセラティ450Sコスティン・ザガート・クーペ

エンジン:4497㏄、V8、DOHC、ウェバー・キャブレター×4基

最高出力:350bhp/ 6500 rpm

トランスミッション:5段 MTノンシンクロ、後輪駆動、ZFリミテッドスリップディファレンシャル

ステアリング:ウォーム&セクター

サスペンション(前):不当長 Aアーム、コイルスプリング、テレスコピックダンパー、スタビライザー

サスペンション(後):ド・ディオン式、横置きリーフスプリング、テレスコピックダンパー

ブレーキ:フィン付きアルミニウム製ドラム 車重:1176 kg 最高速:160mph(≒257 km/h)

編集翻訳:高平高輝 Transcreation:Koki TAKAHIRA

Words:Marc Sonnery Photography:Nick Lish