ホセ・ジェイムズはとにかくいろんなことをやってきたアーティストだ。ジャズが出発点だが、彼の中にはソウルもR&Bもあるし、ヒップホップもある。ロックやディスコに接近したときもあったし、LAのビートミュージックやデトロイトのテクノともコラボしてきた。さらに、彼はアメリカでの活動ばかりに固執してこなかった。デビューを飾ったUKとの関係は深いし、ヨーロッパのみならず日本のアーティストとのコラボも少なくない。
それに、ホセは新しい動きへのアンテナも張っているが、先人へのリスペクトを常に表明してきた人でもある。彼は常に好奇心が赴くままに様々なことに目を向けながら、誠実かつ謙虚に先人たちが作り上げてきた音楽やルーツに向き合ってきた。
ホセの最新作『1978』はその名の通り、自身の生まれ年をテーマにしたアルバムだ。過去や現在への様々な視点が含まれているに違いないだろうから、僕(柳樂光隆)はここに含まれているあらゆる文脈を、先ごろ日本を訪れていた彼に聞いてみようと思った。
ホセは近年、アメリカのポピュラー音楽における定番フォーマットであるクリスマス・アルバムに取り組み、自身の一大影響源であるエリカ・バドゥをジャズの視点からトリビュートするなど、(アフリカン・アメリカンの)音楽の歴史について様々な切り口から再検証してきた。最新作にはキューバのペドリート・マルチネス、ブラジルのシェニア・フランサ、コンゴにルーツを持つベルギー人のバロジなどが参加しているが、それもまた近年の関心の延長線上にあるような気がする。
ホセはどんなやり方で1978年という時代を読み解いていったのか。彼の言葉をガイドラインにして、アルバムを改めて聴いてみてほしい。
クインシー・ジョーンズ、リオン・ウェアからの学び
ーまずは、アルバムタイトルの意味から聞かせてください。
ホセ:僕は1978年に生まれた。今作では自分のストーリーを伝えたくなったんだ。いうなれば自叙伝だね。1978年といえば、プリンスの1stアルバム(『For You』)、マイケル・ジャクソンの『Off the Wall』、マーヴィン・ゲイの『Here, My Dear』が発表された年であり、そういった音楽が子供の頃の僕に深い影響を与えてきた。その時代の熱量をここで表現したいと思ったんだ。
ー当時は、音楽の歴史における転換点ですよね。
ホセ:そう、豊かな時代だった。ディスコの人気がピークを迎えて、ヒップホップに移り変わろうとしていた時代。50〜60年代から生き残ったジャズミュージシャンは、みんな生き残る手立てを探していた。ロック、ポップ、ディスコアルバムでセッションやアレンジをしたり、クインシー・ジョーンズのようにプロデュースをしたり。その同時期に、イギリスやニューヨークからトーキング・ヘッズを筆頭としたニューウェイヴがやってきた。そしてレゲエ。1978年には、ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズの『Kaya』がリリースもされた。60年代に有名になったシンガーソングライターが、さらに名を上げた時代でもあった。エルトン・ジョン、ビリー・ジョエル、ロバータ・フラック。60年代の成熟期であるとともに、崩壊しはじめる時期でもあった。パンクやレゲエ、ニューウェイヴの流れとあいまって爆発を起こしたような。そんなクールな時代だった。
ー僕は1979年の1月生まれなので、あなたと同学年なんですよ。同世代ではロバート・グラスパー、ノラ・ジョーンズ、黒田卓也がいます。同じような音楽体験をしている私たち世代に何か特徴はあると思いますか?
ホセ:X世代は、なんと言えばいいかなぁ……「どうでもいい〜」みたいな感じ?
ー(笑)
ホセ:僕らの世代は有名になることを毛嫌いしていた。それよりも大事なのは、アーティストであること。それにボブ・ディラン、ジョニ・ミッチェル、マイルス・デイヴィスといった、過去のアーティストへのリスペクトを忘れなかった。彼らは「人間らしい」ことを扱っていたんだ。君も同意してくれると思うけど、僕らの時代、有名になることは「終わり」を意味するかのように見えた。ニルヴァーナも有名になったことであんな結果になった。彼らには(有名になることは)必要ないことだったんだ。今の時代、みんな人気者になりたいように映るけど、それは僕らの時代との大きな違いだと思う。その意味で、ベックやカート・コバーンがその時代のヒーローなんだよね。
例えば、ノラ・ジョーンズはすごく有名だけど、彼女はいつだって新人のような態度で新しいことに挑戦している。デンジャー・マウスと一緒に作品を作ったりね。僕らの世代は決して満足しない精神を共有していると思う。
ーノラやグラスパー、そしてあなたの世代は、ジャズの新しい扉を開けてきたと思います。今言ってくれたようにみんなチャレンジングですし、その中でもあなたが最もチャレンジし続けているような気がします。
ホセ:ハハハ。それっていいことか悪いことか、どっちだろうな(笑)。
ー今回のアルバムに関して、1978年はいろんな音楽が出てきたタイミングだと話してましたが、あなたが今までやってきてこなかったことを挙げるとすれば?
ホセ:そうだな……ストリングスかな。今作ではターリ(NY出身のシンガーソングライター、ホセのパートナー)がすべてのストリングスをアレンジしてくれて、ベン・ウィリアムス(Ba)が広がりのあるサウンドを生んでくれた。プロダクションは、僕がやるのとは随分違ったものになった。
このサウンドは、ここ5年くらい構想してきたものだ。半分はバンドサウンドだから、思い描いたとおりの形にするのは難しかった。『Off the Wall』みたいなシチュエーションだと思ったよ。あの作品におけるクインシー・ジョーンズにとって最も重要な選択は、誰をエンジニアにするか、どのバンド、どの曲を選ぶかということだった。そこにマイケルが入って、すばらしいアルバムが誕生した。ナイル・ロジャースのシックや『Off the Wall』を聴いてわかるように、70年代のアルバムでは演奏者が重視されていて、ミュージシャンに多くが委ねられていた。だから、僕はファンクを上手に演奏できる、レアなジャズミュージシャンを見つけようと思ったんだ。彼らを見つけだしたとき、僕はこのコンセプトが実現できると思った。レトロすぎたり、ジャズっぽすぎるんじゃなく、リオン・ウェアとJ・ディラがプロデュースしてくれたかのようなサウンドが作りたかったんだ。これってクレート・ディガーの夢だよね。
ーたしかに。
ホセ:それと今回は、Dreamland Recording Studiosで制作したんだ。直近の2作でも使っていたから、スタジオをもう一つの楽器のように使いこなすことができた。クインシーも、スタジオの使い方には長けていた。僕はサウンドだけじゃなく、エモーショナルなインパクトをどうプロデュースするかに注力したいと思っている。喜び、踊り、高揚、ドラマ、人生を感じてほしい。そういったことを意識してはいるけど、そこまではまだアルバムとして形にしたことはない。
ーアルバム1曲目の「Let's Get It」は、マーヴィン・ゲイ「I Want You」のオマージュのような曲ですね。
ホセ:『I Want You』(1976年)は僕の大好きなアルバムだ。僕が(『I Want You』の共同制作者の)リオン・ウェアに会ったのは12年前。ちょうど『No Beginning No End』の頃かな。一日かけて一緒に曲を作ったんだけど、いろいろあって、当時はアルバムには収録しなかった。そのとき、リオンは制作過程でコンガを演奏し始めたんだ(リズムを口ずさむ)。グルーヴがすでにできあがっていて、すごくいいと思った。
ここでの70年代のアフロ・ラテン調はまさにリオンのサウンドなんだ。そのサウンドってみんな、一応知っているけど、じつはとても奥が深い。アフリカ、カリビアン、南アメリカ、中央アメリカとフィラデルフィア、ニューヨーク、シカゴにつながりがあって、この豊かなサウンドはスピリチュアルな要素を含んでいる。僕はその歴史を知ったから、コンガを入れるならキューバのマスター、ペドリート・マルチネスが必要だと思った。
ーペドリートの参加にはそういう背景があったんですね。
ホセ:リオンは、「マーヴィンの世代はブラックチャーチで育ったけど、ジャズを歌っていた」と言っていた。彼らはスタンダードをよく知っている。ゴスペルとジャズ……当時はその2つ以外に歌うものがなかった。まだR&Bが広まっていなかった時代だ。それから彼らがモダンR&B、ブラックチャーチとジャズが合わさったR&Bを生み出した。僕はその複雑なハーモニーに魅了されてきた。『Off the Wall』で、クインシーがビッグバンドとマイケルを合わせたように。あるいは、アル・グリーンがメンフィスのジャズミュージシャンたちと演奏したように。ソウルフルでありつつ、洗練されている。だからといってくどくない。すべての言語がそこに含まれているのに、ニュートラルさを保っている。
そこには神の無償の愛、アガペーのアイディアもある。ロマンティックとスピリチュアル、マーヴィンとリオンはいつもこの2つのレベルで作詞をしていた。大きな問いを抱くことで神になりえると。ラブソングだと思っていた曲が、じつはスピリチュアルソングだったりすることもある。彼らはその2つを区別していなかったんだ。そこは大事なポイントだと思うよ。だって、愛はスピリチュアルなものだから。たとえ、それがロマンティックであろうと、親子や家族の愛であろうと、カルチャーへの愛であろうと。愛はすべてを含んでいる。だから『I Want You』が好きで、リオンとマーヴィンの考えが好きなんだ。それは近年のR&Bで特に失われてきているものだと思う。
ーマーヴィンとリオンが作った「I Want You」って、歌詞はほぼ”I Want You”としか言っていなくて、ずっとコンガが鳴っていて、構造的にもすごく変わった曲ですよね。マジカルな魅力があるというか。
ホセ:謎に包まれているところに僕は惹かれるんだ。つまり、ムードだね。リオンやマーヴィン、エリカ・バドゥ、そういったアーティストにしか出せないムードがある。僕にとっては、曲のストラクチャーよりもムードの方が大事なんだ。それは名前のない何かを呼び起こすから。例えば(以前ホセがトリビュート作を発表したビル・ウィザーズの)「Lean On Me」の最初の3コードを聴いただけで感じとれるものがあるようにね。
『I Want You』は、すべてが起こりうるような空間に僕らを連れていく。ロマンティックでスピリチュアルで、気持ちが掻き立てられる。「どこに向かうんだ?」「何が起こるんだ?」って予感が好きなんだ。それで、実際に想像を超えてくる。ジャズのソロがあって、シンセのアバンギャルドがあってね。「Come Live with Me Angel」の半分は、変わったシンセでマーヴィンが演奏しているマッドなライブビートで構成されている。それにトリップしたようなボーカル。彼らはきっとLP(というフォーマットでの制作)を楽しんでいたんだろうなと思う。
マーヴィンはそれ以前は(ブラックミュージックの中では)ほぼジャズだけがやっていたコンセプトアルバムのありかたを完全に発見したんだ。それをR&Bにも適用させて『What's Going On』(1971年)が生まれた。そのとき、マーヴィンは自由を手にしたんだけど、リオンは彼についていく準備が既にできていたんだ。マーヴィンが扉を開けたんだ。それから他のアーティストたちはモダンR&Bのコンセプトアルバムを作っていった。
パーティーと政治、ディアスポラの文脈
ー『1979』には、他にもパーカッションが入っている曲が何曲かあります。これは『I Want You』からのインスピレーションだけじゃなくて、あなたの父がパナマ出身のミュージシャンであることとも関係があるんじゃないですか?
ホセ:実を言うと、父はコンガ、テナーサックス、ティンバレス(主にラテン音楽で使用される打楽器)をやってたんだ。彼の影響は確実にあって、それはこのアルバムで表現したかった「blackness」、つまりディアスポラの文脈とも関係している。
ーやっぱり。
ホセ:カリビアン、アフリカン、ブラックアメリカン、ラテンアメリカン、ブラジリアン……みんな「ブラックか、そうではないのか?」という問いがある。けれども、ミュージシャンにとっては同じで、あるのはフォームの違いだと思う。キューバを表現するには、ペドリート・マルチネスのリズムが必要で、そこにはアフリカとアメリカとの関連性が含まれている。バロジはアントワープとコンゴに、シェニア・フランサはブラジルのバイーア州にルーツを持っている。そういった広がりをアルバムに含みたかったんだ。
アメリカ人のアーティストは、そういった点で傲慢なんだよね。アメリカが中心で、音楽の歴史はすべてアメリカにあると思っている。でも、70年代には世界中でいろんなことが起こっていた。アフリカではファンク、日本ではディスコ、ブラジルにも70年代の素晴らしいレコードがたくさん残っている。DJはそのことをよく知っているけど、そういったことを学校では学んだりしない。僕がジャズでできることといえば、そういう視点を教えること。歴史をアルバムに取り入れて、興味を持ってもらって、リスナーたち自身で解釈してもらう。それが一番の教育だと思う。「このサウンドはなんだ?……コンガか! 誰が演奏しているんだろう?……ペドリート。彼は何者だ?」。そういうふうに興味を持つ人は、自分自身で点をつないでいく。学校で与えられたことを学ぶよりよほどおもしろいと思うし、僕はそうやって学んできたんだ。
ーバロジやシェニア・フランサの名前が挙がりましたが、彼らが参加している『1978』の後半には、前半のソウルやディスコとは異なるサウンドが入っていました。その部分の「1978年らしさ」はどのように表現されているのでしょうか?
ホセ:このアルバムは、「パーティー」と「政治」という2つのパートでできている。前半がパーティーで、後半は政治。70年代の精神を要約すると、Studio 54(70年代半ば〜80年代にNYにあった伝説的なディスコ。セレブの社交場でもあった)に代表されるパーティーの時代で、人々は日々を謳歌していた。
その一方で、政治的にアクティブな時代でもあった。女性の解放運動や選挙(ウォーターゲート事件でのニクソンの辞職から大統領が二度変わり、1980年にレーガンが就任。10年で大統領が3度変わった)、ベトナム戦争の終戦……その文脈では、70年代のイメージはよくないことも多い。アフロ、ベルボトム、ディスコ……薄っぺらい時代だってイメージ。でも、80年代はもっと薄っぺらくて、ニヒリズムだって印象もある。でも、70年代のグラミー賞を観ると、すごくチャーミングなんだ。ポール・サイモンや他のアーティストたちがお互いの曲を歌ったり、当時流行った曲を合唱したりしている。今とはまったく違うエネルギーだと思う。
このアルバムでは、70年代の政治的な側面とグローバルな見方を反映している。僕は、ただ時代を振り返るんじゃなく、その頃の精神や、何が起こっていたかに注目したかった。今作では、ラテン・グラミー賞を受賞したシェニア・フランサと一緒に、トラディショナルでスピリチュアルな曲を制作をしたんだ。それはすごくいい経験だった。彼女は、僕と同じく過去と未来を生きているアーティストだから。バロジは、今では世界的な映画監督として知られているけど、彼のルーツはラップとストーリーテリングにある。
僕は自分のレーベル、Rainbow Blondeを通じて世界中のブラックの声を届けたいと思っている。例えば黒田卓也など、一緒に制作をしているインターナショナルなアーティストのことを(海外の)オーディエンスはあまり知らない。でも、ジャズの掘り下げ方はクレートディギングに限らないんだ。多数のレイヤーがあって、深掘りできる余地がいくらでもある、奥深いものだってことをもっと知ってもらいたい。
ーシェニア・フランサの名前が出ましたが、70年代半ば〜後半といえば、ジョージ・デュークがブラジル人とコラボし始めたり、アジムスがアメリカで人気を獲得したり、アース・ウィンド・アンド・ファイアー(以下、EW&F)がブラジルの曲をカバーしたりもしてましたよね。そういったコンテクストも今作には入っていますか?
ホセ:まさに、そのとおり。
ーあなたはロンドンとのコネクションが強いので、ブラジル音楽を以前からやっていてもおかしくないのに、意外とやってなかったですよね。だから『1978』はすごく新鮮でした。好きなブラジル系の音楽はどういったものですか?
ホセ:嫌いなブラジリアンミュージックに出会ったことがないかもしれない。ミルトン・ナシメントやアントニオ・カルロス・ジョビンといったクラシックなアーティストは言うまでもないし、僕はセウ・ジョルジと一緒にフランク・シナトラのトリビュートをやった。彼は素晴らしかったな。これからはシェニアを通じて、新世代のブラジリアンミュージックともつながれたらと思っている。ブラジルは今まさに変革の真っ只中で、世界中のファッションや音楽業界が再注目している。さまざまな影響の入り混じった豊かなカルチャーがあるし、なんといっても大きい国だ。
歴史を知ることは、自分と関わるもう一つの方法
ーあと、今回はエレクトリックギターが入っている曲が何曲かありますね。
ホセ:僕のバンドのギタリスト、マーカス・マチャドはすごくいいよね。アイズレー・ブラザーズのようなセクシーでクールな演奏をするんだ。彼のサウンドはジミ・ヘンドリックス、プリンス、カルロス・サンタナのようにも聴こえる。今挙げたアーティストもまた、『1978』のリファレンスだね。バロジが参加した「Dark Side of The Sun」は、ジャジーでヒップホップなサウンドから始まって、バロジのヴァースで、スタジアムを思い起こすような熱狂的なエネルギーに変化する。僕がバロジに表現してほしかったのはそれだった。
ーあなたはソウルやR&B、ファンクのサウンドにエレクトリックギターを入れることに以前から積極的に取り組んできたアーティストでもありますが。アフリカンアメリカンの音楽とエレクトリックギターの関係についてはどういうふうに考えていますか?
ホセ:エレクトリックギターの歴史って、1940年代のチャーリー・クリスチャンに繋がるんだ。エレクトリックギターを遡るとジャズがあるということは忘れられがちだけどね。あと、僕はサンタナの影響も大きく受けてるし、EW&Fのようなビッググループにもエレクトリックギターは1〜2本入っていることもインスピレーションになった。ボブ・マーリーにおけるギターもそう。エレクトリックギター、フェンダー・ローズ、エレクトリックベースは似たようなフリーケンシーを持っているから、それらがうまくフィットしてくれて、70年代を思い起こすようなサウンドを作ることができたと思う。
「アフリカンアメリカンの音楽とエレクトリックギターの関係」を掘り下げたプレイリスト(選曲:柳樂光隆)
ーたしかに。
ホセ:そうだ、一つ言い忘れてた。ルーベン・ブラデスが1978年に発表したアルバム(ウイリー・コローンとの共作『Siembra』、サルサ史上最も売れたとも言われる作品、)もまた、僕にとって大きなリファレンスだった。ルーベン・ブラデスとエクトル・ラボーはなんでもやっていたんだ。どこにでも訪れてさ……すごい野心だよ。彼らの音楽にはラテンパーカッションがたくさん入っていて、僕はあるとき1カ月くらい、ロサンゼルスをドライブするときに彼らのアルバムに浸っていた時期があった。僕はただ楽しむんじゃなく、その作品一つ一つをしっかり感じたいんだ。なにせ、ルーベン・ブラデスはパナマミュージックのキングだからね。
ー『1978』は自分の歴史を辿り直すことで、音楽の歴史や社会の歴史を辿り直したアルバムとも言えそうだなと、今日の話を聞きながら思いました。
ホセ:そうだね。
ー「1978年の名盤⚪️選」みたいな企画をローリングストーンを含むメディアがよく発表していますが、そういうランキングで選ばれる作品って、最近はやや改善傾向にあるとはいえ、アメリカとイギリスを中心とした英語圏の定番がほとんどだったりしますよね。でも、『1978』はもっとグローバルで幅広くて、今だからこその視点を備えている。世の中にはもっといろんな音楽があって、いろんな文脈で捉え直すことができると言わんばかりに。
ホセ:そう、『サタデー・ナイト・フィーバー』のサウンドトラックだけじゃなかった。あれも素晴らしいんだけどさ(笑)。
ーそこで聞きたいのは、歴史を学び直すことがどうして大切だと思いますか?
ホセ:ワオ、壮大な質問だね(笑)。僕は記録しておくことが好きなんだ。今この時代は、特定のことだけがプロモートされて、そのときの社会的、文化的、金銭的価値の軸にのっとった「価値のあるもの」が残されている。本当に価値があるかどうかは別として。だから、僕は過去を振り返って、何がどうして起こったのかを知ることは大事だと思う。
例えば、『What's Going On』がグラミー賞を受賞しなかったというショックな事実。最近の若い人たちは、当時だったら誰もが知っているR&Bレジェンドのルー・ロウルズを知らないということ。時間の経過とともに『What's Going On』がベストアルバムとして評価されてきたこと……アーティストとして、一人の人間として、過去を振り返って、それが何を意味するか考えるのは重要なことだと思うんだ。僕自身や友人のアルバムでも、思うような称賛を得られなかったことがある。でも、過去の事例を見てみると、マーヴィン・ゲイも、1973年にはグラミー賞を受賞できず、1983年の「Sexual Healing」でようやく受賞した。まあ、これは一例であって、彼はそういうところで評価されずとも素晴らしいキャリアを築いたわけだけど。そういうストーリーって大事だと思うんだ。アルバムの価値を違う意味で文脈づけてくれる。そして、こういった情報には少し努力しないとアクセスできない。
ーたしかに。
ホセ:今はみんな「なぜマーヴィン・ゲイはすごいのか?」ってパッとググる程度で、結果で表示されるのは他人の意見ばかり。僕は、きちんと自分で勉強することが大事だと思っている。図書館に行って、本を読んだりね。すぐれたジャズ歴史家のアシュリー・カーンは、僕に70年代のローリングストーン誌を譲ってくれた。それがアルバムにも影響を与えたんだ。その時代のチャート、当時話題のトピックとか……70年代の記事を読んでいると、(今では考えられないような)誤解があることに気づく。批評家が「このアルバムはゴミ同然」って書いていたり……当時は(ビーチ・ボーイズの)『Pet Sounds』ってすごく嫌われてたみたいなんだよね! それでも、他人の意見に振り回されずに、世界に提示することは大事だと思う。歴史はその大切さを教えてくれる。
あと、歴史を知ることは、自分と関わるもう一つの方法とも言えるかもね。プリンスがローリング・ストーンズのオープニング・アクトを務めて、壮絶なブーイングを受けたことがある。僕からすればありえないけどさ(笑)。でも、彼はパフォーマンスをやめなかった。そんな経験に出会したら、大半のアーティストが「きっと自分なんて大したことないんだ」って思ってしまうだろうに。僕はそんな彼のストーリーをずっと心に留めているんだ。15年のキャリアを築けてきたことを光栄に思っているし、この先、もう15年は続けたい。そのためにはスタミナを維持して、将来をどう見据えるか考える必要がある。
そう! 歴史を勉強することは視野を広げてくれる。それがタフな質問に対する僕からのショートバージョンの回答だよ(笑)。
ホセ・ジェイムズ
『1978』
発売中