ポーティスヘッド(Portishead)のシンガー、ベス・ギボンズ(Beth Gibbons)が大注目のソロアルバム『Lives Outgrown』を携え、今夏のフジロックで初来日を果たす。90年代の憂鬱を体現し、後世のシーンに絶大な影響を与えたバンドの先進性、ギボンズが最新作でたどり着いた唯一無二の境地を、ライターの天井潤之介に総括してもらった。
ヒップホップとの相互関係
ポーティスヘッドが最後(現時点で最新)のアルバム『Third』をリリースしたのが2008年。以来、2010年代に入っていくつか散発的に行われたライブ、あるいは昨年のライブ盤『Roseland NYC Live』の25周年リイシューを除けば、ポーティスヘッドが表立った活動から遠ざかって10年以上がたつ。しかし、にもかかわらず、ポーティスヘッドというグループに寄せられる関心や期待――その隠然たる存在感のようなものは、この間もまったく揺らぐことがなかったように思う。
そうしたなか2年前――ウクライナ支援のチャリティー・コンサートでポーティスヘッドが7年ぶりにライブを行ったその年、ケンドリック・ラマーのニュー・アルバム『Mr. Morale & the Big Steppers』にベス・ギボンズがフィーチャリングで参加することが伝えられて話題を集めたことが記憶に新しい。そして熱心なリスナーであれば、ポーティスヘッドが実質的な活動休止状態にあったこの間、とりわけアメリカのヒップホップ/ラップ・ミュージックのシーンにおいてかれらが支持や評価を集めてきたことはご存知だろう。ヴィンス・ステイプルズやスクールボーイ・Q、トラヴィス・スコット、チャイルディッシュ・ガンビーノ、スーサイドボーイズ、あるいはウィークエンドといったアーティストたちが自身の楽曲でたびたびポーティスヘッドをサンプリングし、そのサウンドやビートの大きなインスピレーションにしてきたことは知られている。また、イェことカニエ・ウェストもポーティスヘッドの信奉者であることを公言するひとりである(『Late Orchestration』は前出の『Roseland NYC Live』に倣って制作されたらしい)。90年代当時からティンバランドやミッシー・エリオット、オール・ダーティー・バスタード、RZA、アリーヤの楽曲でサンプリング・ソースとして使われていたポーティスヘッドの楽曲だが、いわゆるロックやポップのフィールドではなく、ましてや「トリップホップ」のフォロワー的なバンドでもなく、ラッパーやビート/トラック・メイカーにとってポーティスヘッドがリファレンスの対象だったという事実は、しかし、かれらの成り立ちを考えるときわめて象徴的に思える。
ジェフ・バーロウとベス・ギボンズ、90年代前半に撮影(Photo by Martyn Goodacre/Getty Images)
というのも、あらためて記すとポーティスヘッドとはそもそも、地元ブリストルのヒップホップのコミュニティが起点のひとつとなったグループだったからだ。80年代後半、ポーティスヘッドの創設者であるジェフ・バーロウはマッシヴ・アタックの母体となるDJ/サウンド・チーム、ワイルド・バンチの溜まり場だったコーチ・ハウス・スタジオで雑用係として働き始めたのをきっかけにブリストルの音楽シーンに関わるようになり、テープ・オペレーターやスタジオ・バンドを務める傍ら、マッシヴ・アタックのデビュー・アルバム『Blue Lines』(1991年)の制作に携わることになったのは知られた逸話だ。それが縁でネナ・チェリーのアルバム『Homebrew』(1992年)にもプロデューサーとして呼ばれたバーロウだったが、『Blue Lines』には同じくワイルド・バンチに出入りしていたトリッキーもデビュー前にラップを提供していて、後に「トリップホップ」の名の下にグループ化される3組が人脈的にも深い繋がりがあった事実は重要だ。そして、バーロウがコーチ・ハウス・スタジオでの仕事の空き時間を使って作り始めた曲が元になったのが、ポーティスヘッドのデビュー・アルバム『Dummy』(1994年)だった。
『Dummy』はヒップホップのレコードではない。ポーティスヘッドに「ラップ」はない。しかし、そのサウンドがサンプリングやスクラッチ、ループ・メイキングといった「ヒップホップ」の制作技法に多くを負っていたことは、マッシヴ・アタックやトリッキーはもちろん、当時「トリップホップ」と呼ばれた音楽において多くに見られる傾向だった。その背景には、70/80年代のパンク・ムーヴメントとカリブの移民文化が交差したブリストル特有のレゲエ/ダブやサウンドシステムのシーン(状況)があり、そんな”ブリストル・サウンド”の先駆だったワイルド・バンチが始めたブレイクビーツとオールド・ジャズのミックス、ソウルやリズム・アンド・ブルースとエレクトロニックの実験の延長に「トリップホップ」のマルチカルチュラルなスタイル、ひいてはポーティスヘッドもあったことは間違いない。
とりわけ「サンプリング」は、DJプレミアやエリック・B&ラキムに”師事”したヒップホップのドラム・プログラミングと共に、初期のポーティスヘッドのサウンドにおいて構成上の重要なアプローチだったと言える。「Glory Box」や「Strangers」で聴けるアイザック・ヘイズやウェザー・リポートのサンプル、あるいはエリック・バードンやスモーキー・ブルックスを引用したソウルやリズム・アンド・ブルースの音色は、ポーティスヘッドのサウンドを一貫して流れるメロウでビンテージなムードを演出する符牒の役割を果たし、それらはジャズ・ギタリストだったエイドリアン・アトリーのインストゥルメンタルと組み合わされ、さらにベス・ギボンズのボーカルが吹き込まれることで、マジー・スターやコクトー・ツインズのようなドリーム・ポップやオーブやシーフィールのようなアンビエントとも侵食し合うあの幽玄で艶かしく、オーガニックでありながらエレクトロニックな音楽は形作られていた。
「Glory Box」におけるアイザック・ヘイズのサンプリング解説動画
ポーティスヘッドがサンプリングした楽曲をまとめたプレイリスト
加えて、そうしたトーン&マナーに窺える”クラシック”な音楽の嗜好は、映画『スパイ大作戦』の楽曲をサンプリングした「Sour Times」然り、ジョン・バリー(『007/ジェームズ・ボンド』シリーズの曲で知られる作曲家)を神だと信じ、エンニモ・モリコーネやバーナード・ハーマンによるスコアのコレクターを自負するバーロウの、50年代のホラー映画や60年代のスパイ映画に寄せる偏愛と相通じるものだった。ちなみに、ポーティスヘッドの最初の作品が、かれらが自ら音楽制作と監督まで務めたモノクロの短編映画『To Kill A Dead Man』だったのは象徴的だ。
それだけではない。バーロウとアトリーは、サポート・ドラマーのクライブ・ディーマー(レディオヘッド『A Moon Shaped Pool』にも参加)らサポートのミュージシャンと共にスタジオでジャムを録音し、レコードにプレスして、それをスタジオの床に並べてその上を歩いたりスケートボード替わりにしたりして傷をつけた(スクラッチ・ミックス)ものをサンプルとして使う、といったトリッキーなことまでしていた。「Numb」のブーミーなサブベースの隣で鳴るハモンド・オルガンや、「Roads」の胸を締め付けるようなローズ・ピアノやストリングスも、彼らが自分たちで一から作ったサンプルだった。そうしてヒップホップのプロデューサーがブレイクビーツをカットするように自分たちのサウンドを扱い、はたまた壊れたアンプを通すことでSoundCloudラップを先取りするような”濁った”耳触りさえ聞かせるポーティスヘッドのプロダクションは、いわゆる「バンド」とは言いがたく、エレクトロニック・プロジェクトとも言いがたいかれら独特のあり方を物語るようで興味深い。
自分たちを「再発明」し続ける姿勢
対して、セルフタイトルの2作目『Portishead』(1997年)は、全体的なテイストとしては『Dummy』を引き継ぎながらも、その内部ではいくつかの変化が見てとれる。いわゆるサンプリングが使われたのは「Only You」の一曲のみで、かたや”オリジナル”のサンプルに関してはオーケストラの楽節をレコーディングするなど制作の手を広げ、サウンド全体に占める生演奏の比重を大きく増した。
「バンドとして持っていたボキャブラリーやサウンドが、突然自分たちの周りで聴かれるようになったことで、自分たちのサウンドに疑いを持つようになった。自分たちを再発明しなければならないと感じたんだ」。当時のインタビューでそう語っていたのはアトリーだが、たとえば「Cowboys」や「All Mine」で聴けるアトリーのメタリックで歪んだギター・ソロやリフは印象的で、「Elysium」の取り乱したようなスクラッチ、スタイリッシュだが不吉な「Over」然り、よりハードに研ぎ澄まされたアレンジを通じて全体的にダークで不穏な――同年リリースされたゴッドスピード・ユー!・ブラック・エンペラーのデビュー作『F♯ A♯ ∞』 や、同郷ブリストルのサード・アイ・ファウンデーションにも通じる感覚が強く押し出されているのがサウンドからは伝わる。また、それまでのレコーディング・プロジェクト的な性格を帯びていたところから(オアシスの『Definitely Maybe』やPJハーヴェイの『To Bring You My Love』を抑えてマーキュリー賞も獲得した『Dummy』の成功に伴い、ステージに引っ張り出されることで)ライブの場数を踏み、文字通りの「バンド」としての錬度が高められたことを物語るように演奏はダイナミックで力強い。そうした成果は、この翌年に『Roseland NYC Live』としてリリースされる――ニューヨーク・フィル・ハーモニックのメンバーを雇い、オーケストラ・アレンジで演奏された”名演”の実現へと繋がるものだったと言えるだろう。
そして――である。その『Portishead』から11年後の3作目『Third』で突然の復活を遂げたポーティスヘッドだったが、しかし、そこにあったのは ”トリップホップ”時代から大きく変貌を遂げたかれらの姿だった。ヒップホップのドラムや華麗なエディットはクラウトロックのリズムとアナログ・シンセサイザーに置き換わり、”あの”ムーディで美しく陰鬱なダウンテンポ・アンビエンスをまとっていたポーティスヘッドはそこにほとんど見る影もない。古い電子オルガンのドラム・モジュールによって作られたインダストリアル・トラックの「Machine Gun」、フリークアウトしたシルヴァー・アップルズのような「We Carry On」、突き刺すようなエレクトロニックとミックスされた「Small」をはじめアルバム全体を覆うトーンはあまりに荒涼としていて、ハードディスク・レコーディングを導入してプログレッシブに音を重ねたサウンドはサイケデリック・ロックと化したといっていいほど重厚な風体を見せている。
「使い慣れた楽器を手放し、トレードマークのサウンドを壊して別のものに移行することで、新しい何かに生まれ変わらなければならない」。『Third』の制作にあたって自分たちに設けたルールとして、リリース当時のインタビューでそのように語っていたアトリー。その上で、『Third』のサウンドについてリファレンスとしてアトリーとバーロウが挙げていたのが、いわゆるドゥーム・メタルやヘヴィ・ドローンと呼ばれるジャンルのアーティストだった。乱暴に言って、初期ブラック・サバスやブルー・チアー、あるいはラ・モンテ・ヤングを源流とするヘヴィネスとミニマリズムを極限まで推し進めた演奏スタイルを音楽的特徴とし、いわゆるハード・ロックやヘヴィ・メタルからアンビエントにまで跨るノイズ・ロックのオルタナティブ――なかでもサンO)))やオムのライブを初めて観たときのことをバーロウは「パブリック・エネミーを初めて聴いたときと同じ衝撃を受けた」とまで話すなど、当時のかれらがその手の音楽にいかに深く入れ込んでいたかを窺わせる。実際にホークウインドを意識したという「Threads」のメタリックなシンセ・ドローン、「Hunter」の地表を突き破るようなスラッジ・ギターにもその反響は聴くことができ、持続低音やディストーションによって「ヘヴィネス」への傾倒が表現されている。なお、ポーティスヘッドは『Third』のリリース前年に開催されたオール・トゥモローズ・パーティーズのキュレーターを務めており、そこにはふたりが同じくインスピレーションに挙げていたマッドリブやソニック・ユースと共に、サンO)))やオムをはじめブラック・マウンテン、ボリス、オーレン・アンバーチ(サンO)))のグレッグ・アンダーソンとブリアル・チェンバー・トリオとしても活動)、そしてディラン・カールソン率いるアースといった当時の「ドゥーム/ドローン」を代表するアーティストが数多くラインナップされていたのも印象的だった。
『Portishead』と『Third』の間、バーロウは自主レーベルの〈Invada〉を設立し、同レーベルの所属バンドを前述のオール・トゥモローズ・パーティーズに送り込むなど、「ドゥーム/ドローン」への接近を通じて当時のアメリカのアンダーグラウンド・シーンと連携した動きを積極的に見せていた(同レーベルのUSリリースは、メルヴィンズやアイシスを擁するマイク・パットン主宰の〈Ipecac〉)。また、前後してバーロウが立ち上げたニュー・プロジェクトのビーク(BEAK>)が、サウンド面で『Third』とクラウトロックや「ドゥーム/ドローン」への関心をシェアするものだったことを指摘しておきたい(デビュー作のエンジニアリングは『Third』も手がけたスチュアート・マシューズ)。そして、ゴールドフラップやスパークルホースの作品で客演を務めるなどしたアトリーの一方、同じくこの”移行”の期間に新たな活動に踏み出したのが彼女、ベス・ギボンズだった。
ソロワークで追求する「アコースティックの実験」
ギボンズは『Portishead』の5年後の2002年にソロ・アーティストとして初めてのレコード『Out of Season』を発表した。ラスティン・マンこと元トーク・トークのポール・ウェッブとの共同名義で制作され、アトリーや元トーク・トークのリー・ハリス、ペンギン・カフェ・オーケストラのギャヴィン・ライトらが参加したほか、ギボンズ自らプロデュースも手がけた作品だった。
『Out of Season』は、しかし当時、ポーティスヘッドのリスナーの間でも少なからぬ賛否を呼んだ作品だった。なぜならそれは、音楽のスタイルやアプローチ、それらが醸し出すフィーリングなどさまざまな点で『Dummy』や『Portishead』とはかけ離れたものだったからだ。ヒップホップのビートやビンテージ・サンプルの代わりにホーン・セクションやストリングスのオーケストラを含むビック・バンドを従えた”スタンダード”然としたサウンドは、彼女が崇めるビリー・ホリデイやニーナ・シモン、あるいはサンディ・デニーのレコードへの憧憬を窺わせながらも、突き放した言い方をすればていよくウェルメイドなジャズやフォークなレコードといった印象が先立ち、ポーティスヘッドの記憶がまだ鮮烈に残るなかにあってそれはどこか緊張感を欠いて感じられたものだったように思う。また、ゴスペル・コーラスを引き連れて歌うギボンズのボーカルも、取り返しのつかない悲劇を思わせた「Road」や、感情の深淵と絶頂を行き来する「Over」、威嚇するように舞い上がる 「All Mine」に魅せられた耳には物足りなさを拭えなかった、というのも大きい。
ただ、それからしばらくして――ポーティスヘッドの『Third』をへて『Out of Season』をあらためて聴き返したとき、それは大きく印象を変えて聞こえたことを思い出す。過去の作品と比べてギボンズが曲作りに積極的に関わったという『Third』には、『Out of Season』で彼女が築いたものの居場所があり、翻って『Out of Season』は、いわば『Third』でポーティスヘッドが変化を遂げるうえでの”触媒”であるようにも感じられた。「Magic Doors」のサックスとドローンが突き裂くロッカバラード、「Hunter」の不協和音に宙吊りされたアシッド・フォーク、そして「Deep Water」のウクレレを爪弾くララバイ――容赦のない音が飛び交う『Third』にあってしかし、ギボンズが立ち尽くすように歌うそれらの場面は、そこだけ時間の流れが留め置かれたような『Out of Season』の悠然とした印象をオーバーラップさせるものだった。あるいは、『Out of Season』のラストに置かれた「Rustin Man」の抽象的なサウンドスケープは、バーロウとアトリーが「ドゥーム/ドローン」を持ち込んだように、ベスにとっての『Third』への導線となる、”新しい何か”の予兆のようにも聞こえる。
かくして『Out of Season』から時が流れること22年、ポーティスヘッドの『Third』を挟んでリリースされたベス・ギボンズの新しいアルバムが『Lives Outgrown』になる。ソロ名義ではこれが”デビュー・アルバム”となる作品で、ギボンズとの共同プロデューサーとしてジェームズ・フォード、さらに『Out of Season』にも参加した元トーク・トークのリー・ハリスが迎えられている。なお、5年前にポーランド国立放送交響楽団と共演したライブ・アルバム『Henryk Górecki: Symphony No. 3 (Symphony of Sorrowful Songs)』がリリースされたが(制作は2014年)、ギボンズによる純然たるオリジナル作品としては『Lives Outgrown』が2作目となる。
プレスリリースには、ギボンズと一部共同で作曲も手がけたハリスのふたりが曲想を固める過程で、いわく「ウッディなサウンド」を求めて作業を進めていった様子について触れられている。今回ギボンズは「これ以上スネア(ドラム)は使いたくなかった」そうで、ブレイク・ビーツに代わる新たなドラム・サウンドを求めていたところ、スタジオ内で偶然蹴ったダンボールの音にヒントを得て「変わった音がするものを探していった(ハリス)」結果、最終的にパエリア皿、金属板、ミキシング・デスクの一部、牛革の水筒(スネア)、カーテンの詰まった箱(キックドラム)で組まれたドラム・キットが出来上がったのだという。演奏の際には高音を抑えるためティンパニーのバチが使われたそうだが、こうしたエピソードが物語るように、『Lives Outgrown』ではチェロやヴィオラを始めとしたストリングスやブラス類に加えて、ハンマー・ダルシマー、ヴィブラフォン、ペダル・スティール、ミュージカル・ソー、フルートやクラリネットなどの木管、中国琵琶といった多彩なアコースティック楽器が使われているのが特徴だ。そして、そうした楽器のセレクトにも表れた”ウッディ”なテクスチャーの探求は、荘厳なアヴァン・フォークの「Tell Me Who You Are Today」で幕を開ける今作のサウンドの基調になっているといっていい。
ギボンズ、ハリス、フォードの3人を軸に、数名のサポート・プレイヤーが曲によって流動的に入れ替わる『Lives Outgrown』の演奏は、ビッグバンドを擁した『Out of Season』と比べるそのスケール自体はミニマムといっていい。ただ、マルチ奏者としてひとりで膨大なタスクをこなすフォードの功績も大きいのだろう、入れ子状になったように緻密に構成された楽器のレイヤーはリッチで奥行きがあり、ディティールに富んでいる。「Burden of Life」の前衛的なハーモニーと複雑な室内楽のアレンジ、「Lost Changes」のメロドラマを誘う壮大なオーケストレーションは、フローレンス・アンド・ザ・マシーン然り、あるいは『Tranquility Base Hotel & Casino』や『The Car』でアークティック・モンキーズをモダンなバロック/チェンバー・ポップにトランスフォームさせたフォードの仕事も思い起こさせるかもしれない。そして、ハンマー・ダルシマーと子供たちの合唱があたたかな気配を添える「Floating on a Moment」、牧歌的な静けさに満ちた「Whispering Love」が窺わせるブリティッシュ・フォーク/トラッドへの深い傾倒は、『Out of Season』でも 「Mysteries」や「Sand River」に聴くことができた、両作品をつなぐ大きな水脈と言えるだろう。
「フォーク/トラッド・ミュージック」といえば近年、英国ではその価値や伝統を新たに捉え直そうとする実験的な動きが若い世代のアーティストの間で広がりを見せている。ソーリーのキャンベル・バウムが立ち上げたブロードサイド・ハックス、アパラチアン・ミュージックにルーツを持つキャロライン、口承の伝統を讃えるショヴェル・ダンス・コレクティヴ、アートや演劇的要素を盛り込んだマイ・ライフ・イズ・ビッグなどはその代表的なグループだが、ブリストルでもたとえば女性シンガー・ソングライターのケイティ・J・ピアソンがウェット・レッグやブロードサイド・ハックスらとコラボレーションした映画『ウィッカーマン』のサウンドトラックのカバー集『The Wicker Man EP』(2023年)が話題を呼び、また現在ブリストルを拠点に活動しているスクイッドのようなバンドも、最新アルバム『O Monolith』(2023年)で木管楽器やクワイアを取り入れた背景として60年代や70年代のブリティッュ・フォーク・ミュージック――フェアポート・コンベンションやペンタングル、ニック・ドレイク、シャーリー・コリンズに触発されたことを公言していたのも記憶に新しい。余談だが、スクイッドのメンバーがアルバム制作のインスピレーションになった作品に、アトリーとゴールドフラップのウィル・グレゴリーが制作し、60年代のブリティッシュ・フォーク・リバイヴァルを牽引したアン・ブリッグスを迎えた映画『Arcadia』のサウンドトラック(2018年)を挙げていたことを思い出す。
ブロードサイド・ハックス編纂のコンピレーション『Songs Without Authors Vol. 1』
今回の『Lives Outgrown』を制作するにあたって、ギボンズの視界にそうした外の世界の動きが入っていたとは考えにくい。しかし、まるでエムドゥ・モクターをジョン・スパッド・マーフィー(ランカム)がプロデュースしたような「Rewind」の禍々しいフォーク・メタル――それは2014年にギボンズがブリストルのドゥーム/ストーナー・メタル・トリオ、GONGAと共演したブラック・サバスのカバーを思わせる場面もある――は、それこそポーティスヘッドが『Dummy』と『Portishead』から『Third』へと”移行”したように、『Third』のシンセサイザーやメカニカルなドラム・ビートをアコースティック楽器に置き換えた”新しい何か”のようにも聞こえる。マーチング・ドラムと野蛮なブラスが骨に響く「Reaching Out」は、ロックンロール誕生以前の時代に回帰した『Let England Shake』や『The Hope Six Demolition Project』の頃のPJハーヴェイの楽曲も思わせる燃えたぎるようなオペラで、かたや「Oceans」の蛇行するゴシック・フォークは、ノーマン・ウエストバーグとソー・ハリスが揃った近年のスワンズのように美しくも陰鬱だ。そして、ジプシー・ジャズも想起させる「Beyond The Sun」の賑々しくも猥雑な音色やリズムは、ギボンズたちのアコースティックの実験が北アフリカやバルカン半島へとワールド・ミュージック的な広がりを見せた成果を聴かせてくれるようだ。
希望のないトンネルを抜けた先で
「希望のない人生がどんなものかということに気づいたの」。ギボンズは今作のプレスリリースで語っている。そして、それは「今まで感じたことのない悲しみだった」――そう言葉を続ける彼女の「悲しみ」は、さまざまなモチーフを通じて変奏されている今作のテーマである。
ギボンズは今回のリリースに寄せて自身のSNSにアップした直筆の手紙のなかで、この10年の間に家族や友人など親しい人を亡くしたことを明かしている(「そして以前の自分との別れの時でもあった」と)。夢の終わりを嘆いた「For Sale」、最愛の人の”魂”を弔う「Burden Of Life」、「私のもとへ来て……出来る時でいいから」と死者に語りかける/呼びかける/懇願する「Whispering Love」には、深い喪失感が彼女に落とした暗い影が滲む。あるいは、「ただ思い知らされるだけ……私達には……今この時この場所しかないと」(「Floating on a Moment」)という諦観。「私の望みは一つ、あなたに求められたい/昔のように」と疎遠になったパートナーにつぶやく「Lost Changes」は、「誰も私を愛してくれないから。それは本当よ/でも、あなたのようには」と「Sour Times」で歌った30年前の自分への返答としてはあまりに苦い――「It Could Be Sweet」(「愛がいつも輝いているとは限らない」)や「It's a Fire」(「私たちは何度でも過ちを認める必要がある」)を思い出すファンもいるかもしれないが。
そして、自身の身体の変化――母性、老い、あるいは彼女いわく「人を突然に、徹底的に辱める」ような「大零落」という更年期の不安と向き合った「Oceans」。「若いときは、終わりなんてわからないし、どう転ぶかなんてわからない。私たちはただこう思う:これを乗り越えられる。状況はきっと良くなる。でもいくつかの結末はとても受け入れがたいものもある」。そう吐露するギボンズの言葉にも窺える、ある種の実存的恐怖が通奏低音のように貫く『Lives Outgrown』は、そのどこか黙示録めいた”重さ”においてデヴィッド・ボウイの『★』を思わせるところがある。
「曲を書く理由の半分は……自分が誤解されていると感じていたり、人生全般に不満を感じていたりするから。そして、それがうまくいって、みんなとコミュニケーションが取れたと思ったら、全然コミュニケーションが取れてないことに気づく。全てを商品にしてしまったから、始めたときよりもさらに孤独になるの」
そう語った『Dummy』のプロモーションを最後に、この30年間、ギボンズは一切のインタビューを受けていない。よって今回の『Lives Outgrown』についても、いわゆるプレスの場で彼女が何かを語るということはないと思われる。「誰もあなたの内側を見ることはできないって気づいた? この眺めはあなただけのものって気づいた?」(「Strangers」)と歌っていたギボンズは、しかし、この10年間の出来事を潜り抜けて、「私は長いトンネルから抜け出した。今はただ、勇気が必要だと思うの」と今作のプレスリリースに今の気持ちをしたためている。
Photo by Netti Habel
そして、ポーティスヘッドもいまだ実現していない、日本での初めてのライブ・パフォーマンスとなるフジロックのステージが2カ月後に迫っている(なお/ちなみに、直前キャンセルとなった1998年のポーティスヘッドの幻の来日公演について、アトリーは後に雑誌REMIXのインタビューでこう話している:「1998年の終わりに東京でライブをするはずだったんだけど、あのときは、ベスが本当に疲労困憊していて、体力の限界だった。どうしてもライブができないほどにね。成田までは行ったのに……本当に残念だったよ」)。なお、今月末に始まるヨーロッパ・ツアーでは、フォードのほか、今作でサックスを吹いたハワード・ジェイコブス、ジャズ・ベース・プレイヤーのトム・ハーバート、元パルプのジャーヴィス・コッカー率いるバンド、ジャーヴ・イズでヴァイオリンを弾くエマ・スミス、元ベン&ジェイソンの片割れで、『Out of Season』や前出の『Henryk Górecki: Symphony No. 3』にも参加したジェイソン・ヘイズリーらを迎えた7人編成の「バンド」でライブを行うことがアナウンスされている。
同じくこの夏フジに出演し、かたや「ラップ・ミュージックはトラウマを癒す」と語ったキム・ゴードンとギボンズが並び立つ光景は、きっと素晴らしいものとなるに違いない。
ベス・ギボンズ
『Lives Outgrown』
発売中
LP日本語帯付き仕様デラックス・エディション、国内盤Tシャツ付セットも発売
詳細:https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=13902
FUJI ROCK FESTIVAL'24
2024年7月26日(金)27日(土)28日(日)
新潟県 湯沢町 苗場スキー場
※ベス・ギボンズは7月27日(土)出演
フジロック公式サイト:https://www.fujirockfestival.com/