ピンク・フロイドの創始者、シド・バレットの謎に包まれた人生を紐解くドキュメンタリー映画『シド・バレット 独りぼっちの狂気』が5月17日から全国順次公開。米ローリングストーン誌が1971年に行なったインタビューを今こそ振り返る。(序文:荒野政寿)
ピンク・フロイドの半ば神格化された最初のフロントマン、シド・バレットのドキュメンタリーは過去にも制作されている。2001年にBBCで放送された『ピンク・フロイド&シド・バレット・ストーリー』はその後DVD化され、大量のボーナス映像を加えた”コンプリート版”も発売されたので、ご覧になった方も多いだろう。ピンク・フロイドの面々や、デビュー前のメンバーだったボブ・クローズらが出演、長い間これが映像で見るシド伝の筆頭と見なされていた。
今回日本で公開される『シド・バレット 独りぼっちの狂気(原題:Have You Got It Yet? The Story Of Syd Barrett And Pink Floyd)』は、海外では2023年に公開された長編ドキュメンタリー。ピンク・フロイドのアートワークを手がけたデザイン・チーム、ヒプノシスのメンバーだったストーム・トーガソンが制作していたが、2013年にストームが他界。その後、映像作家のロディ・ボガワが作業を引き継いで、長い年月を経て完成させた。ボグワナはストームをテーマにしたドキュメンタリー、『Taken by Storm: The Art Of Storm Thorgerson And Hipgnosis』(2011年)も監督しており、後継者として適任だった。
『ピンク・フロイド&シド・バレット・ストーリー』にも出演したブラーのグレアム・コクソンばかりでなく、ピート・タウンゼント(ザ・フー)、アンドリュー・ヴァンウィンガーデン(MGMT)などコメント出演者の顔ぶれも豪華。セドリック・ビクスラー・ザヴァラ(アット・ザ・ドライヴイン〜マーズ・ヴォルタ)も登場するが、これはストームがマーズ・ヴォルタのアルバムでアートワークを担当した繋がりから声がかかったのだろう。シドを敬愛するデヴィッド・ボウイとも取材の交渉をしていたそうだし、体調が良かったら「I Know Where Syd Barrett Live」を歌ったテレヴィジョン・パーソナリティーズのダン・トレイシーもここにいたかもしれない。
驚いたのは、ピンク・フロイドの歴代メンバーや関係者ばかりでなく、シドの幼馴染みや友人、元恋人たち、そして実の妹まで証言者として登場すること。ストームだからこそ手繰り寄せられた人脈だし、ここまでシドの身内にリーチできた取材力と熱意にも恐れ入る。もちろん、これまでもさんざん語られてきた”伝説の人物”なので聞き覚えのあるエピソードもあるが、本作ではもう一歩奥へと踏み込んで「実際のところシドはどんな人物だったのか?」を炙り出そうとする。
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”異形の天才”としてばかり語られるシドだが、最初はもちろん模倣から音楽を始めた。学生時代のバンドでは、先日他界したデュアン・エディの曲をカバーしていたそう。ジーン・ヴィンセントのようなロックンローラーにも興味を持つ一方、リズム&ブルースも好み、ジャック・ケルアックの小説からも刺激を受ける。アメリカから入ってくるカルチャーに憧れて、どっぷり漬かった世代だ。そんなシドが、ほんの数年後にツアーで訪れた憧れの国で、大きな異変を示すことになるのは皮肉としか言いようがない。
ビートルズやローリング・ストーンズからも刺激を受けていたことが語られるが、影響源のひとつとして見逃せないのが、アメリカ西海岸の人種混成バンド、ラヴの存在だ。彼らの「My Little Red Book」(1966年)は映画『何かいいことないか子猫チャン』のサウンドトラックでマンフレッド・マンが演奏したバート・バカラック&ハル・デヴィッド作の曲。ラヴのアーサー・リーはこれのリズムを強調、和音も簡略化して不穏なアレンジに改変した。シドはラヴのヴァージョンを愛聴、そこからヒントを得て初期の代表曲「Interstellar Overdrive(星空のドライブ)」を生み出す。圧倒的なオリジナリティを持つがゆえルーツに言及される機会が少ない初期ピンク・フロイドも、同時代の英国のバンドと同じく、アメリカの先鋭的なバンドをチェックして刺激を受けていたのだ。
ステージで演奏を放棄するなど奇行が目立つようになり、バンドから離れてソロ活動に転じていくシド。ソロ作のレコーディングがどれほど難しかったかを、現場にいたデヴィッド・ギルモアやジェリー・シャーリーが証言する場面を見ると、これは脱退もやむなしと思うが。パーソナリティーの変化は必ずしもドラッグのみが原因ではなかったのでは、と感じさせる証言もある。口数が少なく本心をつかみにくいシドが実際のところ、何を感じ、何を考えていたのか……多くの証言からそれをつかみ取ろうと試みる本作は、フロイドのメンバーを含む友人たち一同による、罪滅ぼしのような側面もありそうだ。
続くインタビューは、2枚のソロ作を発表した後の1971年、奇跡的に成功した対面取材。25歳の若者とは信じられないほど疲弊感が濃厚に漂う内容だが、まだ音楽への興味はわずかに感じさせる。ここで新しいバンドを組みたいと話していたシドは、元トゥモロウ〜プリティ・シングス〜ピンク・フェアリーズのトゥインクらとスターズを結成するも、ごく短期間の活動のみで終了。音楽活動から距離を置くようになり、長い沈黙の時代に入っていく。
シド・バレット秘蔵インタビュー
「シド・バレットは死亡した」、「シド・バレットは服役中」、「シド・バレットは植物状態にある」……こんな噂話を真に受ける人もいるだろう。しかし実際に彼は、生まれ故郷の英ケンブリッジに暮らし、かつてのように周囲を振り回している。
1966年から67年にかけてバレットは、ピンク・フロイドでリードギターを弾いていた。彼自身がバンドの名付け親であり、バンドのたった2曲のヒットシングルを含む、ほとんどの楽曲を書いたのはバレットだった。独特なエレクトリックギターのスタイルとステージでのノームのような存在感は、UFOクラブやラウンドハウスなど初期のロンドン・アンダーグラウンド・シーンにおいて、カルト的な人気を誇った。当時のピンク・フロイドは、真夜中過ぎまでステージで演奏するようなハウスバンドだった。
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ロンドンから列車で1時間ほどの場所にあるケンブリッジに暮らすバレットは、最近ほとんど人と会っていない。彼の家を尋ねる時は、シド・バレットのごくプライベートな世界へと足を踏み入れる覚悟が必要だ。「いろいろ面倒だから、存在を消しているんだ」と彼は言う。彼はどこかピリピリして落ち着かない様子だった。頬がこけて顔は青白く、目には不安げな表情が浮かぶ。彼の儚い美しさは、どこか昔の詩人を思わせる。かつてのウェーブヘアーは短く刈り込まれているものの、整えてもいない。ベルベットのパンツに真新しい緑色のスネークスキンのブーツは、かつてのスタイルへの愛着の現れだろう。「僕は時代を逆行しているのさ。時間の無駄とも言えるけどね」と彼は笑う。そして彼はよく歩く。「1日13kmだ」と彼は言う。「でも、どうやって証明したらいいかわからない」。
「まともな受け答えができなくてゴメン。僕なんかに興味のある人間がいるなんて、どうしても信じられなくてね。でも僕はちゃんとしているよ。ちゃんとしなきゃと思っている」と彼は言う。こちらの質問にストレートに答えてくれる時もあるが、ほとんどの場合は、詩人ジェイムズ・ジョイスが得意とした「意識の流れ」的な言葉の断片が返ってくる。(バレットは、ジェイムズ・ジョイスの詩「金色の髪(Golden Hair)」をモチーフにした楽曲も書いている)。 「僕からギターを取り上げたら、ただのクズだ」と彼は言う。
「この2年間で唯一受けた仕事は、インタビューだった。インタビューは得意だ」と語るバレットはこの間、ピンク・フロイドのメンバーもプロデュースに加わり、3枚目のアルバムを制作している。彼曰く、2枚目に作ったアルバム『The Madcap Laughs』は「まるで地下室の壁一面を覆う大きな絵画のような作品」で、とても気に入っているという(編注:『The Madcap Laughs』はバレットのソロ1作目。ソロ2作目『Barrett』は本国イギリスで1970年にリリースされたが、アメリカでは1974年の編集盤が初出)。ピンク・フロイド結成前のバレットは、美術学校に通っていた。彼は今でも絵を描く。大きな斑点をジャングルのようにあしらった作品や、シンプルな直線だけで構成した作品もある。白いキャンバスに白い半円を描いた作品が、彼のお気に入りだ。
バレットは、絵画とレコードとギターとアンプに囲まれた地下室で、多くの時間を過ごす。地下の空間が、彼にとって落ち着ける場所なのだという。彼自身の作品に登場する人物そのままのライフスタイルだ。バレットは、自分が好きなミュージシャンとしてジミ・ヘンドリックスの名前を挙げた。「ツアーの移動中、バスの後部座席に僕とリンジー(当時のガールフレンド)が座っていると、前方に座ったジミがカメラを構えて僕たちを撮影するなんてこともあった。でもワイワイとおしゃべりする感じではなかった。このインタビューみたいに、礼儀正しい感じだったよ。実際の彼は、とても感じの良い人間だった。でも自意識過剰な面もあったな。楽屋にテレビを持ち込むと、鍵をかけて誰も中に入れないような人だった」。
「あのバラが見えるかい?」
シド自身も、鍵をかけた部屋に閉じこもり、数日間誰とも顔を会わせないことがあった。ピンク・フロイドでの最後の数カ月間は、ステージに立っても一晩で2音しか弾かないことすらあったという。「ヘンドリックスはギタリストとして完璧で、僕の理想だった。メロディやフレーズが大きく展開しながらも正確に弾く。でも僕の場合は、障害になる人が多すぎた。ギターだけでなく、いろいろな物事を前へ進められなかった。僕はゴールへ向かってダッシュしたかったんだ。バンドで数カ月間プレイしたが、僕が目指すレベルに到達できなかった」。
「僕が行き詰まっているように見えるかもしれない。仕事の面でひどくフラストレーションが溜まっているからね。確かに今年は何もしていない。僕は口を動かしながら一生懸命に言い逃れしていたのかもしれない。でも仕事をしないことで、理論的に考える時間ができるという利点もある」。
バレットは、新しいバンドの結成も検討している。「でもこれといったメンバーがいないんだ。それが問題だ。どこで見つけたらいいんだろう。きっとどこかにフィットする人間がいるはずだ、と信じている。自分の思い通りに弾きたければ、理想的なメンバーを見つけなければいけない」。
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地下室を出たバレットは階段を上がり、落ち着いた雰囲気の小部屋へと案内してくれた。壁には、家族と一緒に写ったたくさんの写真が飾られている。幼い頃の彼は可愛らしかった。ケーキとビスケットを添えて紅茶が運ばれてきた。世の中の先駆者によくあるように、バレットもまた、周囲から過小評価されているように思える。「僕だってリッチになりたい。自分自身のためだけでなく、周りのみんなと楽しくやれるだけ稼ぎたい」。
「君が帰る前に、僕の全作品集を見せてあげよう。興味をそそられると思うよ。今日は来てくれてありがとう」と言うと彼は、レコーディングした全作品の歌詞を整然とタイプして1冊にまとめたフォルダを取り出した。ほとんどは、それ自体がひとつの作品として完結している。シンプルで叙情的な中にも、皮肉めいたタッチを感じさせる作品もある。そして時にはシュールな空想の世界を織り交ぜながら、従来の批評に抗う姿勢が伺える。バレットの一番のお気に入りは「Wolfpack」だという。緊迫感と圧迫感のある作品は、以下の言葉で締めくくられる。
電気が走ったような目の表情
我々の運命は 遠い彼方で
鋭く 強くなる
短い旅のあと 新しい春がやってくる
骨の髄まで 苦痛にうめく
マグネシウム、格言、そしてすすり泣き
バレットは、他人の作った曲には興味がない。だから彼は、他人の作品をレコーディングしたことがない。彼はギターを取り出すと、『The Madcap Laughs』の収録曲「Love You」を新たなバージョンで弾き出した。「昨日思い付いたんだ。こっちの方がずっといいよね。それでこれは新しい12弦ギターなんだけど、やっと馴染んできた。昨日磨いたんだ」というギターは、ヤマハ製だった。彼はギターを弾く手を止めて、レギュラーチューニングに戻しながら頭を横に振った。「ステージでいつも使っていたミラー付きの銀色のギターが、一番しっくり来ていた。黒いギターと交換したけれど、そっちを弾くことはなかった」。
25歳になったバレットは、年齢を重ねることに不安を感じている。「僕もかつてはこんなに内向的ではなかった。若いうちに精一杯楽しむべきだと思う。でも僕自身は、少しも楽しめていないらしい」と彼は言う。突然バレットが「あのバラが見えるかい? とてもカラフルだ」と窓の方を指差した。彼はもうアシッドを断っているが、薬の話には触れたくないようだった。「特に話すことはない」とバレットは言う。彼は庭へ出ると、古ぼけた木のベンチに腰掛けた。「一度何かにのめり込むと……」と彼はとても困惑した表情を浮かべて、言葉を切った。「僕のことを話すのは簡単じゃない。僕の頭の中を理解するのは無理だと思う。それに僕は、君が想像しているような人間ではないからね」。
※本稿は、ローリングストーン誌1971年12月23日号に掲載されたもの。
From Rolling Stone US.
『シド・バレット 独りぼっちの狂気』
5月17日(金)より渋谷シネクイント・ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次上映中
(C) 2023 A CAT CALLED ROVER.ALL RIGHTS RESERVED.
公式ホームページ:https://www.culture-ville.jp/sydbarrett
シド・バレット
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