砲丸投げの元世界記録保持者にして、円盤投げ、やり投げの日本記録保持者。投てきの女王・齋藤由希子は、パラリンピックから得意の砲丸投げが種目から外れていたこともあり、パラリンピックの出場機会を逃してきた。しかし、パリでは砲丸投げ(F46上肢障がい)が復活する。「専門競技」で真価を発揮すべく、着々と大舞台への準備を進める齋藤に、これまでの足跡とパリへかける思いを聞いた。
悔しすぎたリオ落選幼いころからスポーツが得意だったという齋藤が砲丸投げに出会ったのは、中学校のとき。以後、大学に至るまで学校の陸上競技部に所属し、健常の全国大会で活躍することを目標に練習に励んでいたという。大学1年で初めてジャパンパラ陸上競技大会に出場した齋藤は、いきなり円盤、やり、砲丸の投てき3種目で日本記録を樹立。仁川2014アジアパラ競技大会で、砲丸と円盤で金、やり投げで銅メダルを獲得した。
齋藤由希子(以下、齋藤) パラ陸上が面白くなってきたのは、アジアパラで金メダルを獲ったあたりからです。そのころも、目標はあくまでインカレに出場することだったのですが、大学でトレーニングを積んで記録を伸ばしていけば、パラ陸上の記録も更新し続けられるなと思って。パラリンピックを目指したいとか、パラ陸上で活躍したいというよりは、部活の試合の延長線上にあるものという位置づけで、楽しみながら参戦していたという感じです。
笑顔がトレードマークの齋藤。パリパラリンピックでの活躍が期待される有力選手だ大学を卒業した2016年、競技を仕事とするアスリート社員として企業に就職した齋藤は、その年に開催されるリオパラリンピック出場を目指すが、日本代表には選出されなかった。
齋藤 当時、当社の障がい者アスリート社員の中で、パラ陸上選手は私と鈴木徹選手、上與那原寛和選手の3人だったのですが、私だけ出られなかったんですよ。ショックでした。悔しすぎて、テレビ中継なんて見られませんでしたし、リオ大会後の1、2ヵ月ぐらいは、競技場に行きたくなくなるほどの挫折感を味わいました。
でもリオに出場できなかったことで、社会人としてお給料をもらいながら競技をやるからには、パラリンピックに出て結果を出したいとの思いを、改めて強くしました。高校2年のときに東日本大震災で自宅を津波に流された身としては、被災地の代表として復興五輪をうたう次の東京大会に出場して結果を出したい、との思いもありました。リオ大会に続き東京大会も、私のクラスは砲丸投げはなく、やり投げのみでの開催が決まっていたので、砲丸投げはいったん横に置いておいて、やり投げ一本に集中することにしたのですが……。
しかし、東京大会も出場がかなわなかった。
齋藤 ひじの剥離骨折や足底筋膜炎といったケガに苦しんでいたことも事実です。でも、それ以上にモチベーションが保てませんでした。もともと私が得意としていたのは、砲丸投げと円盤投げ。やり投げは知識も経験も浅く、苦手意識がありました。それでも世界で戦える身体とパワーはあるから、やり投げが好きになれたら記録も伸びるだろうと思っていたんです。ところが、がんばろうと思っていた矢先にケガをして、やり投げをすると痛くなるというイメージができてしまって。正直、やり投げしかできないなら引退したいとまで思い詰めていました。そこへコロナ禍で1年延期が決定。もうこれ以上がんばろうとは思えなかったです。
ケガの影響もあり、東京大会の派遣記録に届かなかった専門競技でパラ出場へ東京パラリンピック代表を逃した後、かねて希望していた妊娠が判明する。齋藤はもともと東京大会が終わったら妊娠出産をしたいと考えており、不妊治療専門の病院に行こうとしていたタイミングだった。この妊娠出産期間中、齋藤の闘志を再び奮い立たせる知らせが舞い込む。パリ大会での砲丸投げ復活が決定したのだ。
齋藤 チャンスが来たと思いました。当時はまだ私が世界記録を持っていた競技でしたし、やっぱりパラリンピックに出たいという思いが強かったですから。世界記録保持者という称号は、ほかの選手に記録を塗り替えられたら失ってしまいますが、パラリンピアンであるという事実は、何があっても変わりません。それは私にとっては、学生時代、インターハイやインカレに出たいと思っていた気持ちと同一線上にあるもので、とても価値のあるものなんです。
同じ投てき選手であり、オリンピックのやり投げでメダルが期待されている北口榛花選手は、「みんなをハッピーにする笑顔が素敵なので見習いたいと思って。SNSをチェックしています」妊娠出産で心身ともにリフレッシュし、前向きなエネルギーを取り戻した齋藤。出産後、国際大会復帰戦となった2023年7月のパリ世界パラ陸上競技選手権では、11m42を記録して3位となり、パリ大会の日本の出場枠を獲得した。
齋藤 妊娠前より体重が15kgも減り、筋力も大幅に落ちて8mほどしか投げられなかった練習再開直後のことを考えれば、上出来です。実はパラ陸上の砲丸投げで負けたのはこの大会が初めてだったのですが、これがパラリンピックの本番ではなくてよかったと思っています。本番でドカンと記録を更新するというのは難しい競技なので、1年間の猶予を与えられたと考えて地道にトレーニングを積み、自己ベストが出せる状態に仕上げていきたいと思っています。実際、冬の間に体づくりを進められたので、この時期としての仕上がりは悪くないです。
子育てをしながら競技を続けるのは簡単ではないはずだが、上手に時間をやりくりしている。
齋藤 トレーニングは、週に4、5日、午前9時から12時半ごろまで行っています。子どもは保育園に通っているのですが、子どもの体調がなんとなく怪しいなと思ったら、欠席を想定し、トレーニングの強度をちょっと上げて追い込み、いよいよ子どもが保育園をお休みするとなったら、自分も練習を休めてラッキーぐらいに思って、一緒にお昼寝しちゃいます。少々練習ができなくても、子どもが保育園に復活したらまたがんばればいいかって、ポジティブに考えられていますね。パリ直前になったら、同じように考えられるかはわからないですけど(笑)
母でもある齋藤。2023年の世界選手権では福島で暮らす家族に銅メダルを持ち帰った手中に収めているパリの代表に決まれば、自身初のパラリンピックとなる。
齋藤 2023年の世界選手権の前に、それまで私が持っていた記録(12m47)が抜かれ、世界選手権で世界記録が13m32に更新されたのですが、新たな世界記録保持者は23歳と若いんです。私もあと10歳若かったら、パリまでに記録がぐんと伸びる可能性もあるのでしょうが、さすがにそうもいきません。もちろん、世界記録奪還は視野に入っていますし、可能性はゼロではないと思ってます。ただ、絶対に世界記録を取り返してやるぞというよりは、私の専門である砲丸投げで、自分が納得する記録、いい成績で終われるようにとの思いの方が強い。自分自身の集大成として、パラリンピックの舞台に立てたら、と思っているんです。そして、出るからには、もの(メダル)も持って帰るつもりです。
子育てとの両立で多忙な毎日を送りながら、「地味だけど好き」という砲丸投げに取り組めているからこそだろう。齋藤は終始、ポジティブなオーラを発していた。パラリンピックの前哨戦である神戸2024世界パラ陸上競技選手権大会では、どんなパフォーマンスを見せるか。表彰台の中央でほほ笑む齋藤の姿を見られる瞬間を、期待せずにはいられない。
text by TEAM A
photo by Hiroaki Yoda