インディロックが瀕死の状態にあった2010年代イギリスにおいて、ファット・ホワイト・ファミリーが幾多の若者たちを触発し、サウスロンドンのバンドシーンの発火点となったのは今や誰もが認める事実だろう。シェイムやゴート・ガールやブラック・ミディはもちろんのこと、ラスト・ディナー・パーティでさえ、彼らがいなければ存在しなかったかもしれない。現在の英国インディの活況を用意したすべての始まり、それがファット・ホワイト・ファミリーである。
2010年代前半に登場したファット・ホワイト・ファミリーとは、様式化され、産業に飲み込まれたゼロ年代英国インディに対する反動だった。少なくとも、彼らの生々しくヒリついた演奏とカオティックなライブパフォーマンスはそのように人々から受け取られた。今やサウスロンドンのバンドシーンも成熟し、ある程度の様式化(スポークンワードとポストパンクを掛け合わせた音楽性など)が進んでいるが、ファット・ホワイト・ファミリーは現在もなお音楽性の硬直化から逃れ続けている。約5年ぶり、通算4作目となるニューアルバム『Forgiveness Is Yours』はフリージャズやシンセポップやボサノバやポストパンクなどが詰め込まれた、決して型にはまることのない、旺盛な実験精神に溢れた作品だ。バンド初期からの中心メンバーの一人、ソウル・アダムチェウスキーの脱退はほとんど影響がないと言っていいだろう。むしろこの新作は刺激的なサウンドと耳に残るメロディのバランスという点で、過去最高の充実度を見せている。
今回の取材に応えてくれたのは、バンドのフロントマンであるリアス・サウディ。以下の発言に目を通してもらえばわかる通り、彼はロックの「文化的な生命力=広く世間に影響を及ぼすような力」を愛している。だからこそ、かつてロックが「文化的な生命力」を持っていた時代のアイコンであるジョン・レノンに取り憑かれ、ロックの堕落した現状の象徴だと彼が考えているハリー・スタイルズやサウスロンドンのエピゴーネンたち、あるいは構造的にロックバンドを窮地に追いやっているストリーミングサービスに毒づかずにはいられないのだ。その語り口は知的かつ辛辣で痛快。以下の対話は、ファット・ホワイト・ファミリーというバンドの精神性やリアスの思想・哲学を理解する上で最良のテキストであると同時に、市井の知性による優れた現代社会批評としても楽しめる内容になっているだろう。
表現の根底にある「トラウマ」
―前作『Surfs Up!』(2019年)のリリース後、コロナのパンデミックが起きました。やはり生粋のライブバンドであるファット・ホワイト・ファミリーにとって、影響は大きかったですか?
リアス:パンデミックは、俺たちにとって一種の分かれ道だったと思う。ミュージシャンにとっては、いろんな意味で終末的な災難だった。酷い時期だったな。音楽業界のエコシステムの一部を形成する草の根的な小バコは、何処も吹っ飛んでしまったんだから。すでに死にかけてたところに、(パンデミックが)トドメを刺して、完全に死んでしまったんだ。
―ええ、多くのべニューが閉鎖したり、支援を呼びかけたりしていましたね。
リアス:ただ俺の場合、音楽は仕事の一部だから、コロナ渦では読書や執筆業を優先していたんだ。むしろ、人生で最も幸せな時期だった気がするよ。多くの人達にとって(パンデミックは)とんだ災難だったと思うけど、俺は何かしなきゃいけないっていうプレッシャーも特になく、リハビリに行くような気持ちで過ごしていた。ところが、パンデミックが終焉する頃になると、一部のバンドメンバーとはケミストリー的にも精神的にも合わなくなっていて。
―そして初期からの中心メンバーの一人、ソウル・アダムチェウスキーが脱退することになったと。あなたの言うとおり、最近は執筆業も精力的に行っていますよね。2022年には、『Ten Thousand Apologies: Fat White Family and the Miracle of Failure』という回顧録を出しています。
リアス:あれは浄化のようなものだったね。いつまでも(バンドで音楽を作るという)1つのやり方に固執する必要はないっていう。(バンドの歴史や自分の人生を)言語を使って遊ぶ大きなゲームに変換することで、ある程度「言語」から自由になれると思ったし、自分の居場所をもう少し明確に理解できるようになった。そして、惨めな場所から脱出することができたんだ。というのも、俺は大抵の場合は、苦々しく、不幸で、不安定で、極めてネガティヴで、自己否定的で、創造性において完全に閉所恐怖症のような人間関係に縛られていたから。あの本を書く過程で、俺は極めて不幸な人間だった自分を立て直したと同時に、ある不幸からは解放されたんだ。
―その閉所恐怖症的な人間関係というのは、ファット・ホワイト・ファミリーのメンバーとの関係のことを指しているのでしょうか?
リアス:何よりもバンドメンバー間の関係、それから私生活のあらゆる場面での人間関係を指している。音楽をやっていると、毎晩ステージに立つ1時間だけが人生のすべてで、それ以外の時間は、脳も、精神も、肉体もすべて無意味なんだ。その1時間だけは役に立つけど、その1時間が自分の人生における他のすべての時間を飲み込んでしまう。つまり、ブラックホールのようなもので、その空間では信じられないようなことが起こるんだよ。
―実際、ファット・ホワイト・ファミリーのライブは本当に強烈だと定評があります。
リアス:でも、読書や執筆業はそれとは正反対の知識を必要とするね。他人のアイデアに完全に巻き込まれなければならないから、基本的に、「共感」というある種の基盤なしにはできない。一方、アーティストとしての「ステージモード」では、とにかく絶対的な利己主義のようなものを生み出す。読んだり書いたりする時、エゴイズムはもちろん一部あるだろうけど、常に他人の考えやアイデアに浸ることなしには進められない。そしてそれ(執筆業)は、音楽を通した「永遠の幼児化」とは対照的に、ある種の「個人的な成長」を促すことができるんだ。
―ニューアルバムの『Forgiveness Is Yours』は、フリージャズやポストパンクやボサノヴァからボディミュージックやシンセポップまで、相変わらず豊富な音楽的語彙が詰まっていて圧巻です。音楽面で本作に何かしらの影響を与えたアーティストや作品はありますか?
リアス:この新作における音楽的影響は一切ない。今の音楽はもはやトラウマレベル過ぎて、聴けないね。俺は純粋に「沈黙の世界」の中で生きているんだ。聴こえてくる音楽は頭の中だけにある。というのも、(今の)音楽は深刻なほどネガティヴな感情を呼び起こすから。
―では、あなたたちがこのアルバムで音楽的に表現したかったことやトライしたことは何ですか、と訊かれたら?
リアス:あるメンバー(ソウル・アダムチェウスキー)の脱退後は、基本的に1stアルバムでやったようなことをやりたかった。例えば一部ライブ録音をしたりね。それから、1つのジャンルにこだわる必要もないと感じたし、できるだけ多くのメンバーからアイデアを集めた。だから、俺だけじゃなくて、うちの弟(ネイサン)も、ワン・マン・ディストラクション・ショーのアダム J. ハーマーも、アレックス・ホワイトも、そしてニック・ハートも曲を書いていて、大きな共同プロジェクトのような感じなんだ。そこには活力みたいなものがあると思う。俺はというと、集まったものをキュレーションするような役割で。今後もそういう感じで仕事をしていきたいと思ってるよ。
―新作に音楽的影響は一切ないということでしたが、音楽以外で影響受けたものはあるのでしょうか?
リアス:主に、自分の根底にあるものからインスピレーションを受けている。創作意欲の原動力となっているのは、自分が若かった頃の体験だよ。まあ、若い頃って言っても、アートスクールに通う前の話だけど……。アートスクールを卒業しても、ほぼ間違いなく就職できないだろ? 何らかの経済的支援がない限り、生活保護を受けるしか選択肢がないんだ。
―ええ。
リアス:イギリスの生活保護は、ジョブオフィス(職業安定所)と呼ばれるところで受けられる。最初の半年間は、2週間に1回の頻度で職安に通っていたんだ。でも、どんどんルールが厳しくなって、最終的には毎日足を運んでいた。で、しまいには「cat」の綴りをどう書くかとか、簡単な足し算を解くような、基礎的な習熟度テストを受けさせられるんだ。そういった屈辱的な試験の後は、強制的に与えられた仕事に就くんだよ。それで、ロンドンの国立海洋博物館っていう、船の歴史に特化した博物館に勤務していた。ここは、ロンドンで一番退屈な博物館なんだ。
―そうですか(笑)。
リアス:この博物館には初期の航海用時計を1,000個展示している部屋があって、俺はこの部屋に一日中立っていたんだ。毎日毎日、時計に囲まれた部屋で過ごすのが、俺の仕事だった。俺のクリエイティブな決断の裏には、あの時計部屋があるね。俺は政治的には保守派に否定的で、昔から社会主義者なんだ。でも、もしあの部屋で地獄のような体験をしなかったら、何かを成し遂げようという意欲はなかったかもしれない。もしかしたら、俺はあの地獄で「罰」を受ける必要があったのかもしれないな。これは15年くらい前の話だけど、俺の基盤みたいなものだね。
―なるほど。
リアス:それから、うちの父親が昔から俺の芸術活動に否定的で、非常にネガティブな人間だった。だから俺の頭の中では、自分が「失敗作」だっていう声が響いていて、それが自分の原動力にもなっていると思う。これ以外だと、最近では読書や散歩、サウナやスチームルームへ行くのが好きだね。
ロックの凋落をもたらした「再生産」
―アルバムには、タイトルがずばり「John Lennon」という曲がありますね。ジョン・レノンはあなたにとって何を象徴する存在だと言えますか?
リアス:ヨーコが偉大な「家長」のような存在であったように、ジョン・レノンはあらゆるものの「創始者」のように感じるけど、具体的に何を象徴する存在かはわからないな。この曲は、俺がハイになった時に(幻覚もしくは空想の中で)ヨーコと出会って、体験したエピソードなんだ。あの世で独りの時間を長期間過ごしていることに不満を感じているジョンの魂が俺に乗り移って、ジョンは俺を通してヨーコとコミュニケーションを取ろうとしているっていう。
―あなたはUnHerdの連載コラムでカート・コバーンを取り上げ、ロックが文化の中で生命力を失った今、あのような悲劇がロックアーティストに再び起こることは想像しがたいと書いていました。ジョン・レノンというのは、ロックが文化的な生命力を持っていた時代の象徴でもあるのでしょうか?
リアス:そうだね。ロックには、以前と同等のインパクトはもうない。もはや、サブカルチャーは存在しないんだ。すべてがデジタルで均質化され、消費主義にまみれた結果、俺たちは別の世界を「想像する」能力を使い果たしてしまった。これまでの歴史を振り返ると、ある瞬間がちょうどいいタイミングで重なることがある。ロックンロールは、戦後の好景気に沸いた60年代初頭に、すべてがちょうどいいタイミングで重なって、誕生した。社会的自由や平等に関する新たな考え方が生まれたのもこの時代だし、誰もがラジオを入手できるようになったのもこの頃。あの時代は、物事が急速に変化する瞬間だった。その渦中に、イングランド北部からやってきた若者(=ビートルズ)を通して、集団的な夢想が起こったんだ。これほど多くの想像力が、たった数人の個人に集約されるというのは、凄いことだよ。
―その通りですね。
リアス:ジョン・レノンであれ、ボブ・ディランであれ、ルー・リードであれ、そういった巨人はもう登場しない気がする。ロックンロールそのものは、とっくの昔に頂点に達し、現在その山を下り続けている。だからこそ、過去を振り返るにつれて、彼らがよりマジカルな存在に見えるんだろうね。
―別のコラムではハリー・スタイルズやThe 1975について否定的に言及していましたが、彼らが今のイギリスにおけるロックの代表的な存在とされることは問題だと感じていますか?
リアス:ハリー・スタイルズに関しては、新たな種類の愚か者が横行する兆候だろうね。かつて世界を動かしていた文化的な生命力が鈍化した結果、コピーのコピーのコピーのコピーのコピーしか生まれなくなるっていう(苦笑)。ルー・リードやジョン・レノンのようなオリジナリティに溢れた人物には強烈な影響力や生命力があっただろ? でも今、この世にあるのは、絶対的な企業による再生産のみなんだ。この事実だけでも気が滅入るのに、メディアを批評的に監視するのが仕事である音楽ジャーナリストが、この大嘘に屈してあたかも本物のように吹聴しているのは茶番でしかない。犯罪に近いね。そういったジャーナリストどもは自分自身をチェックするべきだよ。非人道的であることは確かで、彼らの核となるべき倫理観を大きく裏切っていると思う。
Photo by Louise Mason
―カート・コバーンについてのコラムの中で、あなたはカニエ・ウェストを例に挙げ、ラップミュージックはまだ文化的な生命力を失っていないとしていました。そうしたラップミュージックとロックの違いはなぜ生まれてしまったのだと思いますか?
リアス:階級や楽器や機材等の入手、バンド演奏に要求される技術が関係しているね。バンド演奏にはドラムセット、ギター、アンプ……そして、メンバーも4、5人は必要だ。それから、大音量で練習できる場所の確保も必要だし、自分の作品を録音する場所やテクノロジーも必要。一方、自分の寝室でビートを作り、その上にライムを乗せることで、(ラップは)ロックンロールがかつて属していた文化的モードや一種のゲリラ的な力を持つことが出来る。そういうわけで、「文化的な生命力」としてのロックンロールは死に、ラップがその座を奪って、消費主義が横行するようになったと。ヒップホップの世界はきらびやかで、物質的なマトリックスの中で自己を主張しているからね。でも、バンドで演奏する人たちが特定の方法で繋がろうとしていた時代には、擬似的なものであれ、もっとスピリチュアルなものが存在していたんだ。間違いなく、それは過去のものとなった。今や、(ロックは)瀕死の状態だね。
―機材などの物理的な問題以外に、ロックが文化的な生命力を失った要因は何か思いつきますか?
リアス:以前、音楽の仕事がどれだけあったかを考えてみろよ? この前、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのドキュメンタリーを観たんだ。ルー・リードはピックウィックという小さなレーベルでジングルを書く仕事をしていて。商業用に書いた曲は12、13曲ほどアルバムに収録されて、ウールワースのようなスーパーで販売されていた。それに、昔はハウスバンドもあったし、経済的余裕もあった。レコード売り上げも見込めた。ところが、Spotifyの登場以降、完全に消滅したね。ラップミュージックはより少ない人数で作ることが可能だけど、ロックは「中流階級の娯楽」となって、その結果、「文化的な生命力」が奪われることになったんだ。
―Spotifyと言えば、最近、年間1000再生以下の楽曲は収益分配の対象から外すという新たな方針を発表しましたね。もちろんこれは、AIで曲を大量生産して稼ごうとしている層への対策でもあるのでしょうが。
リアス:もはや、オーウェル的悪夢だな。現在既に殆ど収益を得ていない底辺のアーティスト勢は、さらに受け取る額が減ることになるんだろうね。再生回数が1000回に満たないアーティストなんて、1000万人くらいいるだろ? 一体その収益は何処へ行くんだ? 何処かにあるはずなんだよ。テック系の連中は、まるで支配者のようにクソみたいな世界にしやがって、ウンザリするね。奴らは人間らしさを奪い、人間を機械に変えようとしている。奴らは何も(芸術的なものを)生み出していないのに、(音楽業界の)エコシステム全体を完全に破壊しているんだ。容赦ない消費資本と効率性によって支えられている世界の中で、音楽は人生を耐えうるものにしてくれるもののひとつなのに……。ウンザリするほど定型化され、利益を追求する世界で生きることに耐えられる、最後のひとつが音楽だった。奴らは音楽を資本の機械に変えてしまった。最後にはもう何も残らないだろうね。
―ポリコレの時代にタブーを破ることを恐れず、暴力的で挑発的で官能的なファット・ホワイト・ファミリーは、ロックを再び危険なものにしようとする、つまりロックに文化的な生命力を取り戻そうとする運動のようにも感じるのですが、そういった見方は納得できますか?
リアス:どんな時でも、自分が感じたことをやっているだけだよ。義務的な退屈さや、鈍化しているものへの反応なんだろうね。意図したものは一切ないんだ。ヘマをしながら荒れ地を彷徨って、つまずきながら、自分が失われた大義と戦っていることに漠然と気づいているんだ。「失敗」には魅力的な何かが存在するね。失敗がある意味では居心地良く感じられるようなこの時代では、理にかなっていると思う。
家族という共同体が秘めた「矛盾」
―「Today You Become Man」の歌詞はあなたのお兄さんが経験した実話ということですが、これは自分や自分たち兄弟と父親との関係を歌った曲とも解釈できます。そして「John Lennon」の歌詞で、ジョン・レノン「Mother」に言及した最後のパートは、やはり自分や自分たち兄弟と母親との関係を歌っているとも受け取れます。先ほどお父さんがあなたの芸術活動に否定的だったという話もありましたが、このアルバムはあなたが両親との関係に言及した側面もある、とするのは穿った見方でしょうか?
リアス:俺自身としてはそんな風に考えたことはなかったけど、実に鋭い洞察だね。 そこには必然的にテーマのようなものがあると思う。俺が(「John Lennon」で)ヨーコの声を模倣した際には、文法的に間違いのある英語で話している。そして、「Today You Become Man」で父の声を模倣したときも、同じように話していた。意図してやっているわけじゃないけど、(この2つの曲の間には)ある種の類似性があるね。それに、家族には恐ろしいほど避けて通れない必然性がある。家族というグループには、崩壊、幻滅、ある種狂気じみた執着、そして消滅することのない忠誠心があるんだ。
―逃れたくても逃れられない繋がりみたいなものでしょうか。
リアス:俺とうちの親父は、感情的にお互いに理解し合えない存在なんだ。文化的に全く異なるし、そこには通じ合えないものがある(リアスの父親はアルジェリア人、母親はイギリス人)。この曲では、当時イングランド北部に住んでいた俺の兄貴が体験した「二重の疎外感」を歌っていて。兄貴はアルジェリア人だから、イングランド北部では部外者なんだ。けど、アルジェリアではイギリス人として見られるから、こっちでも「部外者」になる。それで、(曲の中で歌われている)男子割礼の儀式のようなことが起こるんだ。男子割礼の儀式は、見方によっては児童虐待だ。つまり、ふたつの文化の間には解決不可能な矛盾があり、一種の高尚な奇妙さが忍び寄り始めて、家族の基礎となる瞬間があるんだよ。
―先ほども父親との関係が創作の原動力のひとつになっているという話がありましたが、やはり家族というテーマはあなたにとって大きいのでしょうか?
リアス:俺の創作活動の多くは、家族の根底にある不可解さに折り合いをつけようとする試みなんだ。というのも、自分がプロトタイプのようなもんだから……俺たちが子供時代に育った北アイルランドにもスコットランドにも、半分ベルベル族(アルジェリアを含む北アフリカに古くから住む民族)の血が入ったガキなんていなかった。比較対象が少ないから、迷うことが多かったね。でも、空白を想像力で練った作り話で埋めることができたから、いい面もあったな。
―SNSの投稿では「Today You Become Man」のことを「最後のスポークンワード(the final word in spoken word)」と紹介していますが、この曲はファット・ホワイト・ファミリーに影響を受けて出てきたサウスロンドンのバンドたちが「ポストパンク調のサウンドに乗せてスポークンワードで歌う」というテンプレートにハマってしまっていることに対する皮肉でもあるのでしょうか?
リアス:その要素はかすかにあると思うけど、スポークンワードに関しては、ファット・ホワイツの得意分野じゃないし……あの喋るスタイルを流行らせたのはスリーフォード・モッズだと思う。まあとにかく、今やもう誰も歌わなくなっただろ?(苦笑)
―スポークンワード、多いですよね。
リアス:皆同じことをやり始めて、何度も似たような楽曲を聴くのにウンザリしていたから、ここで茶化したら面白いと思ったんだ。あのスタイルが嫌いって訳じゃない。ルー・リードの「Street Hassle」は大好きだし、あの曲はスポークンワード系の頂点に君臨していると思う。でも、あの手のシーン全体が、ポストパンク風の格好つけたバンドに固執するような視野の狭い感じで、正直退屈なんだ。ジェームス・チャンス・アンド・ザ・コントーションズ風の楽曲の後に、ワイヤーみたいなのを演奏したりしてさ。
―そうですね(笑)。
リアス:インターネットのお陰でいろんなジャンルにアクセスしやすいこの時代に、79年から86年までの8年間に流行った音楽を誰もがこぞって模倣する必要はないだろ? それがクールで洒落てるっていう定義なのかもしれないけど、俺はこれまでクールだったことなんて一度もないよ。格好つけるのは他のメンバーの役割だったけど、奴はもう脱退したから……クールかどうかを気にする必要もなくなって、よかったけど。
―相当ソウル・アダムチェウスキーへの不満が溜まっていたみたいですね(笑)。サウスロンドンのバンドコミュニティは今でもエキサイティングだと思いますか? それとも、以前とは変わってしまいましたか?
リアス:このところ、外出しなくなったからわからないな。最近は自宅で読書したり、風呂でノンビリ過ごすようになったから。どっちにしろ、面白いことなんて何も起きていないと思うな。完全には断言できないけど。
―「Bullet of Dignity」の歌詞には年齢についての言及があり、「自分が思っていたような反逆者ではないと受け入れること」がテーマだとされています。この曲の文脈で言うと、バンドをはじめた初期と現在とではどのような心境の変化があったと言えますか?
リアス:ああ。もしパンデミック後もバンドを続けるとしたら、自分をからかうことも必要だと思って。深刻に考えすぎるのは良くないから。パンデミックが終焉する頃には、生活環境がすべて変わっていた。スクワット暮らしや週5でドラッグをやるような生活とは無縁で、俺の生活はすっかり落ち着いた。でも、自分はこのバンド(のイメージ)に取り残されているような状態だし、周囲の奴らも俺のことをそう受け止めている。そして、一部のバンドメンバーは、そういったくだらないことにまだ固執していたんだ。だから、この曲で皮肉っぽく言及したら、ちょっと面白いんじゃないかと思って。これまではブルジョワの快適さを軽蔑して生きてきたのに、30代半ばから後半にかけて、ブルジョワの快適さを欲する気持ちが生まれたんだよ。
―『Forgiveness Is Yours』というアルバムタイトルは、ある種の攻撃性やアイロニーを宿していた過去作のタイトルとはややニュアンスが異なるように感じます。この赦しとは具体的に何、誰に対する赦しなのでしょうか?
リアス:近い将来に、自分自身に贈る赦しだよ。かつて一緒に仕事をしていた奴らからのクソみたいな戯言に、長い間ずっと我慢してきた自分自身に対して、天空からの謝罪のようなものを顕在化させようとしたんだ。
―アルバム発表のアナウンスメントで「確かなものは愛だけだ(All that certain is love.)」と書いていましたが、その真意を教えてください。
リアス:まあ、必然性があるというか、恐ろしいほどに、これが真実だと思う。どういったコンテクストで書いたか覚えていないけど、(愛から)逃れられないという感覚の重さ。そして、(愛のせいで)不快な場所に置かれる羽目にもなる。もしかして、きちんと誰かを愛する方法もわからないのかもしれない。あるいは、きちんと誰かを愛すことを学ぶ必要があるのかもしれない。
―あなたにとっての愛とは必ずしもポジティブな意味ではなく、それこそ家族関係と同様に、非常に厄介なものだと。
リアス:まあでも、こういったことは、誰もが体験する旅路だろ? それが早い段階でわかる奴もいれば、一生かけてやっと気づく奴もいる。時には難しく、確かなことは、「愛」と「死」だろうね。
戦争の時代とディストピア
―あなたたちはデビュー当初からナチズムやホロコーストをタブーとせずに言及し、ファシズムの危険性も取り上げてきました。そんなあなたたちから見て、戦争の時代となってしまった2020年代の現状はどのように映るのでしょうか?
リアス:現在起きていることは、元から秩序に内在していた欠陥が、最も恥知らずなやり方で露呈し始めたっていうことじゃないかな。特にここイギリスは、ある意味アメリカの51番目の州のようなものだから。例えば、ウクライナ戦争がそう。欧米ではウクライナ戦争について大々的に報道され、誰もがウクライナのために血の涙を流すはずだった。ところが、ガザでの空爆が始まった際に、欧米のリベラルメディアは「見て見ぬふり」まではしなかったけど、「人々が死体で発見された」という風にいつも受動態で報じたんだ。
―取り上げ方に温度差があったと。
リアス:俺たち(西側諸国)は、この紛争について何年も神聖なものに見せかけてきた。そして現在、大勢のアラブ人が虐殺されている。欧米の権力基盤にとって、これは戦術的には必要なことなのかもしれない。俺たち(西側諸国)は、裏で彼らを支援しているから。でも、西側諸国の慰めの幻想のようなものが露呈してきて、「おいちょっと待てよ、(西側諸国がやっていることに)プーチン以上の道徳的正当性はないよな?」みたいな感じになっているんだ。俺たち(西側諸国)は政治的により発展していて、より進歩的な風土を持っているのかもしれないが、肝心なのは、俺たちも同様にクソッタレ虐殺集団ってこと。だから、事態が長引く限り、不快な真実がますます増えていくだろうね。
―では最後に、今の社会状況の中で、もっとも希望を感じること、もっとも失望を感じることをそれぞれ教えてください。
リアス:今の社会状況で、むしろ失望を感じないことなんてあるか? 権力者たちが俺たちの芸術に価値がないと決めてしまったようなもんだよ。俺たちは、仕事量に値する十分な金額を得ていない。巨大アリーナでのショーがどんどん大きくなる一方で、小規模のライブ会場は軒並み閉鎖された。20年後には、北朝鮮みたいな世の中になるだろうね。巨大マシンが定めた文化以外の文化は一切存在しなくなる。
―ディストピアですね。
リアス:いろんな意味で憂鬱だよ。(数十年後には)30代半ば以降の人間は、インターネットに毒され、文化が破壊される前の世界を思い出せる最後の世代になるだろうね。俺たち自身もインターネットやスマホで半ば破壊されちまったけど、大嘘がのさばり、あらゆるものがシリアル化される前、人間らしい生活や個性が尊重される純粋な時代があったということを後々思い出すんだろうね。機械のように振る舞い、考え、創造するように育てられた人たちに次々取って代わられるにつれて、俺たちはますます賢者のように見えるだろうね。人生の終焉に近づき、年を取った俺たちには、神秘的な風格が出てくると思う。
―では、もっとも希望を感じることは?
リアス:技術的進歩によって、特定のことがより容易にできるようになったり、アクセスしやすくなったこと。そういう意味では、本当の意味でのオリジナリティは、もはやほとんど不可能な時代になってきた。人間は自分自身を機械に見立てたようなもので、本当にできることはコラージュのようなものだろうね。基本的に誰もがDJになれる時代だよ。過去100年に生まれた作品の中から、選ぶだけ。でも、悪いことばかりじゃない。中には本当に面白いものもあるから。そして、全てのものにアクセスしやすくなったことは、魅力的なんだろうね。
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