tofubeatsの最新EP『NOBODY』がリリースされた。同作は「フロアライクなハウスミュージック」をコンセプトに、全曲AI歌声合成ソフトのSynthesizer Vを使用したボーカルで制作されたことでも話題を集めている。そんなtofubeatsが、若林恵(黒鳥社)のオフィスを訪問。2017年のアルバム『FANTASY CLUB』にライナーノーツを寄稿するなど、かねてより交流の深い同氏とさまざまなトピックを巡って語り合った。(構成:神保勇揮・若林恵)
若林 恵
平凡社『月刊太陽』編集部を経て2000年にフリー編集者として独立。以後、雑誌、書籍、展覧会の図録などの編集を多数手がける。音楽ジャーナリストとしても活動。2012年に『WIRED』日本版編集長就任、2017年退任。2018年、黒鳥社設立。著書『週刊だえん問答 コロナの迷宮』(黒鳥社)、『さよなら未来:エディターズ・クロニクル 2010-2017』(岩波書店)、責任編集『次世代ガバメント:小さくて大きい政府のつくり方』。「こんにちは未来」「働くことの人類学」「blkswn jukebox」「音読ブラックスワン」などのポッドキャストの企画制作でも知られる。
仕事と発注
若林:こうやって対面でお話するの久しぶりですね。
tofubeats(以下、tofu):スケジュールを見直したら、最後にお話したのがちょうど1年前ですね。そのとき「発注」について本をつくってくださいよ、とお願いしたのを覚えてます。若林さんが『WIRED』日本版の編集長をやっていたときに、アナウンスだけされて、実現しなかった幻の特集ですが、あれ、やって欲しいと思ってる人、多いと思うんですよ。
若林:実は、2023年末から複数の人に「発注、やりましょうよ」と言われて、自分としても何かやってもいいのかと思って、実は今日は、tofuさんとその打ち合わせをしようと集まったんですよね。
tofu:それとタイミング良く新作EP『NOBODY』のリリースが重なった、と。
若林:とりあえず現状のプランでは「発注向上委員会」というのを立ち上げて、同じ名前でメディアを立ち上げようかと考えているのですが、tofuさんは、その委員長ということでお願いできたらと思うのですが、それでいいですか?
tofu:何でもやりますよ。って何をやればいいんですか?
若林:一緒にスポンサー営業行きましょう(笑)。
tofu:いいですね。行きましょう(笑)。
若林:じゃあ、それはそういう感じでぼつぼつ進めるとして、tofuさんの話をすると、昨年からずっと、ワーナーミュージックとの契約を継続するかどうかを決めかねているという感じだったじゃないですか。その辺の身の振り方は、結局どうなったんですか?
tofu:そこは確かにずっと悩んでたところではあるのですが、最近、ワーナーのスタンスが大きく変わってきていまして、かつての「メジャーレーベルにがんじがらめに縛られる」といったイメージとは真逆で、むしろ自由すぎる会社になってきているんです。今回のEPも2ヶ月くらい前に、急遽リリースが決まったほどです。ですから、そのあたりはまだ引き続きいろんな条件を見ながら、といった感じでしょうか。
若林:収入はずっと安定している感じですか。
tofu:かなり安定してますね。加えて、デビュー当初からの楽曲の権利の中から移せるものを自社(自身が経営する事務所/レーベル「HIHATT」)に移し替える作業が、2023年に終わりまして、これまで以前所属していた事務所に入っていた収益も自分に入るようになったので、それだけで売上が1.3倍くらい増えています。
ただ、ワーナーが自由になってきているのはそれはそれでいいのですが、今作についても本当に何も言われなかったですし、「今回は自分で歌わないんですね」とかすら言われませんでしたから、それはそれで物足りないところもありまして(笑)。
若林:わがままですね(笑)。
tofu:というのも、自分がプロになった大きな理由の一つは「やり続けないと上達しない」と思っているからなんです。仕事で強制的に作らされるから良いのであって、趣味だと怠けちゃって絶対にこんなに作らないですよ。
若林:タイアップ的なものとかも、前向きにやってますもんね。
tofu:そうですね。自分としてはクライアントの要望に応じて楽曲のテイストを変えるようなことは、前向きに受け入れてやるようにはしていますが、そういう仕事を例えば周囲の若いミュージシャンに振ってみたりすると、案外そのことに興味ない子も多いんですよね。
若林:発注の話だ。
tofu:そうなんですよ。
IP化する音楽
若林:その一方で、tofuさんは以前から、ある世代以下のミュージシャンの新自由主義感がすごいという話をされてきた気もします。
tofu:それはそう感じますね。音楽制作で言えば、誰でも簡単にマネタイズし始められるようになったせいで「自分や周囲の喜びのためだけにつくる」期間があったとしても、それが極端に短くなっちゃっている感じはします。そうなると「ごく少数にしか知られないけれどプライドを持って作る」みたいなことに耐えられなくなっている感じはします。
若林:その話とクライアントワークに興味ない若者たちの話は、なんだかうまく噛み合わない気もしますが、とはいえ、YOASOBI×『推しの子』から、Creepy Nuts×『マッシュル-MASHLE-』まで、世間的にはタイアップ花盛りですよね。それをタイアップと呼ぶのは、おそらくもはや適切ではない気もしていますが。
tofu:難しいですね。この間、日本発で海外で認められたものって、アニメタイアップが大半を占め、音楽番組に出ているミュージシャンもほとんどソニー系だよなっていうことに対しては、正直、かなり複雑な思いを抱いています。自分はメジャーデビューする前、ソニーの新人育成部門にいましたし、その後も仕事をいただいてたりもしますので関係はそれなりにあるのですが。
若林:YOASOBIはどう見てますか?
tofu:YOASOBIについては、要所要所で「自分たちはこうしたいんだ」という意欲がかなり見えますし、実際に、その意欲によって間口を広げた功績があると自分は思ってます。Ayaseさんはハードコア好きを自認されていると聞きますし、あれだけ大きなタトゥーが入っていても地上波の音楽番組に出られるようになったのは、すごいといえばすごいんですよ。
若林:自分は昨年末の紅白歌合戦を見ていて、色々と思うところがありまして、これまで音楽は音楽、映画は映画、アニメはアニメ、ゲームはゲーム、といった形で独立して産業化されていた領域が、いよいよ本格的に融解していくんだな、という感じを改めて強くしました。そして、そうした融解が進んでいくに従って、どんどん前景化していくことになるのが「IP」というもので、音楽も映像もテキストも、そうした「IP」の展開先のひとつとして、IPに紐づいていくものになっていくんではないかと。なので、現状のタイアップ攻勢は、もはやマーケティングとしてのタイアップじゃないんだろうなと思い始めています。
tofu:音楽もIPのひとつになりうるということですか?
若林:YOASOBIは、小説投稿プラットフォームから発生したものですから、はなから「IP」ですよね。ある友人に、これからアーティストはIPになっていくような気がするという話をしたんです。つまり、例えばPerfumeは「アーティスト」と呼ばれたけれど、YOASOBIは「IP」なのではないかと。その違いはどこにあるのかと聞いたら、その友人が「簡単ですよ。ボカロP以前/以後ってことですよ」って言ってて、なるほどね、と。
tofu:自分は実は、その辺りのカルチャーをいまだに全然飲み込めていないんです。ゲームの世界は、ほぼ通ってこなかったですし。自分の周りにもボーカロイドを使っている友人は何人もいるので、自分の考えを他人に押しつけようとはまったく思わないんですけど、自分的には、そうしたバーチャルなものに対して、魅力を感じることができないんですよね。
AIと道具
若林:とは言いながら、新作ではAIに歌を歌わせているわけですよね。その辺、tofuさん、時代の流れとめちゃくちゃ合致していながら、言葉は悪いかもしれませんが、実は全然ずれていたりもする。
tofu:今回の作品は、具体的には「Synthesizer V」っていうソフトを使ってます。これまであった人間のボーカルを減算、あるいは乗算している感じじゃなくて、ベタ打ちで入力するだけでちゃんと人間が歌っているように感じられて、かつ肌触りとして人間がいない感じもする、その絶妙な感じがすごく良いなと思ったんです。
EPに入ってる「I Can Feel It」という曲は前作の『REFLECTION』に入れようかなって思って作って、DJでもずっとかけてたんですけど、なんか違うなと思って前作からは外したんです。そうこうしているうちに「EVERYONE CAN BE A DJ」(誰でもDJになれる)という曲ができて、こういう曲が心地良いと感じる理由が自分にあるんだろうなということで、制作がスタートした感じです。
あとIPの話でいうと、「Synthesizer V」は一応声によってアニメキャラみたいなものはあるんですが、初音ミクのようにはそこまで「IP」としては確立していないという点も、自分にとっては大きかったと思います。
若林:機械化された声ということでいうと、「オートチューンって歌が下手だから使ってるんだろ」って批判が根強くありますよね。でも、それって基本なんだか頓珍漢な批判だなと思うところがあります。人工的な声の面白さは、そもそもが言葉になってないような言葉を機械が歌い始めるもどかしさに胸がキュンとするところにあるわけじゃないですか。例えば初期のスクリレックスの言葉以前のことばが溢れ出るあの感じは、人が人の声で歌っても意味がないですよね。
tofu:今回の新作もまさにそういう感じというか、オートチューンで自分を外部化して歌わせるみたいな行為の、もう一歩先みたいなところに行ってみたかったんですよね。かつ、オートチューンについて言えば、いつの間にか「歌が上手くないというマイナス状態を解消するもの」ってイメージが勝手についちゃったのは残念ですよね。というか音楽制作の現場でピッチとかを補正するソフトはオートチューンじゃなくて「Melodyne」ですし、とか。
若林:AIもそうですし、いわゆる「バーチャル化」の話は、まずは基本線として「機械をどれだけ人間に似せられるか」という話を前提にしていますよね。自分としては、そこに違和感がどうしてもあるんです。というのも、音楽のなかでAIが使われるときって、そのAIだけを取り出して、自律した主体として評価しようとするのはあまり意味がない気がするからで、むしろ作り手、聞き手を含めたネットワークもしくはシステムのなかにおいて捉えないと、それが自分たちのリアリティに何をもたらしているのかが見えなくなる気がするんですよね。
tofu:本当にバカバカしい話で、人前で話すような話でもないのですが、昔、すごく感動したAVがあるんですよ。ざっくり言うと、パイプの骨組みみたいなもので組んだマシンに責め具がついていて、そこに女性がまたがるみたいな、「何が面白いんだよ」系のやつなんです。
若林:なんだその話(笑)。
tofu:いや、ここからがすごくて、一通り行為が終わってそのまま終わるのかと思ったら、女性の人が「お散歩に行こうか」と言って、そのマシンに乗りながら街に散歩に出かけちゃうんです。そのエンディングに、何とも言葉にならない感動を覚えまして(笑)。せめてなんていう作品なのかを知りたくて探してるんですが、どう検索しても出てこない(笑)。
若林:自分は岩田慶治という文化人類学者が好きで、「人馬一体」という状態について語っていたのを思い出します。岩田先生曰く、裸の人間が裸の馬に乗っても「人馬一体」にはならない。人馬一体となるためには「鞍」が必要で、それを介して人馬一体という状態が生まれたとき、その鞍には神が宿るんだと言っています。
tofu:すごい。それって「道具」の話ですよね。
若林:岩田慶治もそうですが、「コンヴィヴィアリティのための道具」という概念で知られるイヴァン・イリイチも、道具というものを一種のメディアと捉えていたんだと思います。何かと何かを媒介するためのもの。イリイチは、12世紀のあるカトリックの僧侶の思想を踏まえながら、人間と自然の間にある分断を架橋し、失われてしまった一体性を取り戻すものとして道具を定義しました。そうした観点から見ると、道具は癒しをもたらすものでもあるんですね。
tofu:めちゃくちゃいい話ですね。
一生懸命ボタンを押すこと
若林:にしても、tofuさんの立ち位置はやっぱり独特な気がします。それこそデビュー当時は、ある意味「DTMの旗手」みたいな存在で、その時代のテクノロジーをネイティブとして使いこなす「新世代」だったわけじゃないですか。にも関わらず、そうしたテクノロジーと資本主義とが両輪となってドライブしていくような、ある意味加速主義的な身振りに対しては、一貫して警戒する姿勢を崩していないですよね。
tofu:自分が直接的に一番影響を受けたのは、Para Oneというフランス人のプロデューサーなんです。もともとはTTCというヒップホップグループのプロデューサーで、そこからフランスでオルタナティブなヒップホップを広めるのに一役買ったひとだと思っています。とはいえその後は、Ed Banger Recordsという電子音楽系のレーベルからもリリースしたり、映画音楽の仕事もしたりしていて、ヒップホップから出てきた人が、こんなふうに色々なことがやれるんだ、と思ったんです。
で、そもそもなぜ彼のことを知ったかというと、彼が手がけた浜崎あゆみ「Greatful days」のリミックスを聴いたのがきっかけでした。このリミックスは、もう自分の人生に刻み込まれた大好きな曲で、DJをやるときにもかけまくってます。
若林:何にそんなに衝撃を受けたんですか?
tofu:このリミックスは、トラックの素材を使うんじゃなくて原曲をそのままカットアップして、そこにキックを足したりしているんです。自分が18歳で「WIRE」に出演することになって、そもそもリミックスなんか作ったことないぞと焦っていた時にこれを聴いて、「こうすればいいんだ!」と啓示をもたらしてくれたのがこの作品で、dj newtownの方法論は、完全に、このPara Oneの影響なんです。
若林:ふむ。
tofu:自分がサンプリング的な方法論の何を面白いと感じているかというと、時間をいじくれることなんです。曲を刻んでいくと間に無音の瞬間が訪れて、その「ゼロ」の瞬間がたまらなく面白いんです。
若林:わかるような、わからないような…...つまりデジタルでいうところの「0/1」みたいなこと?
tofu:うーん、ちょっと違うんです。デジタルか否かということより、そこで「一生懸命ボタンを押すこと」が大事というか(笑)。
若林:よくわからないです(笑)。
tofu:自分でも厄介なヤツだなという自覚はあるんです(笑)。それこそ育ってきた関西の環境がそうさせているのかもしれませんが、「自分のことを誰も知らない、例えば老人ホームで観客を満足させられるプレイができるのか」みたいなこととちゃんと向き合えるのかどうかってことが、自分にはとても大事な問いなんです。これは、IPの話とも関わるところですが、キャラクターやイメージとして作られた「アーティスト像」みたいなものの後ろに隠れているような存在でいてはダメなんだ、という感覚があるんです。
若林:「自分をさらけ出す」みたいなこと?
tofu:とはいえ、一方でロックもすごく苦手なんですよ。バンド形式の音楽の中には好きなものもあるんですが、「バンドっぽいマインド」みたいなものを感じ取ると途端に興味がなくなっちゃうことがあって。
若林:それって何なんでしょうね。自分の印象では、バーチャルなものの中にもリアリティってものがあるんだ、ということをtofuさんは、音楽を通して語ってきた感じがするのですが、その辺、なかなか理解するのが難しいです。
tofu:例えば、さっきのYOASOBIの話に戻ると、大谷能生さんが『歌というフィクション』という本の中で、「タイアップソングというのは、上の句であるドラマに対する、下の句のことなんだ」というようなことを書いていて、まさにそうだと思ったんです。それが「ゲーム的」であるということなんだろうなというのが自分の理解です。
若林:それがいいのか悪いのかを語ることが難しいのは、そもそも西洋世界で語られてきた「アート/芸術」みたいなものと、日本で明治以前に作られていた文化が、大きく異なっているからだと思うんです。今の例にしても、短歌を複数人でつくるのは「連歌」という伝統の中で様式としてあったものだと思いますが、そこでは、作品のアート/芸術としての自律性よりも、ある意味コミュニケーションや社交のツールとしての機能が重視されていたわけですよね。
カラオケなんていうものも端的にそうじゃないですか。西洋のアートの考えからしたら、人の作品をド素人がみんなで歌うなんて、冒涜もいいところじゃないですか(笑)。俳句みたいなものにしたって、そもそも「俳句をよむ」と言ったとき、それが意味するのは、念入りに味読・鑑賞する「読む」ではなく、自分もやってみたという意味での「詠む」ですよね。
tofu:あー、「やってみる」が伝統的なお家芸ということですね。ボカロPとか、まさにそれですもんね。
若林:そういう意味で、日本のカルチャーって、根底に「やってみた」というのがある気がしますし、その意味では極めて民主的な文化だった可能性があるのかもしれません。それが社交の一環として作動しているという意味では「ソーシャル」な文化だと言えてしまう。そう考えると、ソーシャルメディア以降の世界は、その意味で日本化していってると言えなくもないですし、であればこそ、日本の文化がここに来て世界的に注目されているのも納得がいく気はします。
tofu:たしかに。そう考えるとカラオケ自体も文化として意味があるということになって来ますね。Ableton Liveを使って音楽を作れるから、より音楽を楽しめて偉いってわけじゃないですもんね。
音楽のことをどう思っているか
若林:ただ、だからといって「日本最高!」と手放しで、そうしたありようを認めてしまってよいものかいうと、なかなかモヤるところも個人的にはありまして、その辺のモヤモヤはtofuさんとも共通してるのかなと思ったりします。
tofu:そうですね。少なくとも音楽に限った話でいうと、音楽って「つくり手が音楽のことをどう思っているか」がハッキリわかっちゃうものだと思っているんです。自分はベタに「音楽の力」みたいなものを信じているし、そう信じている人の音楽が聴きたいんです。とはいえ、その一方で「他人に良い影響を与えてあげましょう」みたいな押し付けになるのも避けたいんです。
若林:tofuさんはそうですよね。歌詞とか読んでも、ずっと音楽の話をしてるなという印象あります。
tofu:そうなんですよ、実際。
若林:知り合いの写真家が、以前「写真っていうのは、全部が写真論だから」といったことを言っていて、なるほどそういうものかと思ったことがあります。自分が本や雑誌をつくるときも、一番大事なのは、「本とは何か? 雑誌とは何か?」という問いで、少なくとも自分はそこに興味がありますし、何を作るにしても、いつもそこに向けてやっている感覚はあります。逆に、そのフレーム自体に向けた問いがないものは、自分からするとあまり面白くない。それは、音楽を聴いたりするときも、映画やドラマを観たり、本を読んだりするときも同じかもしれません。
tofu:さっきのバーチャル/リアルみたいな話でいうと、例えばVTuberのように、匿名的なアバターを使うことで、デジタル空間上で起こりうる様々なリスクを回避できるといった、ある種の必要性の観点からも求められていることはわかるのですが、ただ腹落ちできていないところもあるんですよね。顔出ししないことへの違和感みたいなものというか。自分も最初は絶対に顔出ししたくなかったタイプなんですけど、やっぱりしなきゃダメだよなと思って、顔出しするようになったので。
若林:と言いながら、AIに歌わせてるし(笑)。
tofu:何なんでしょうね(笑)。自分としては、やっぱり常に、自分がいまなぜこの音楽をやるのか、その必然性がどこにあるのかということは常に考えていて、それって結局、「自分が音楽のことをどう思っているか」を考えることなんですよね。
ちなみに、弊社HIHATTの最近のテーマのひとつに「J-CLUB」っていうのがあるんですよ。TSUTAYAのレンタルCD棚のジャンル名なんですけど、自分はそこにあるCDを借りまくるところからキャリアをスタートさせたわけですが、そもそも自分のルーツとか、この音楽をやる必然性って何なんだっけ?みたいなことを考えたときに、「J-CLUB」ってすごく良いワードのような気がしたんです。
あと、日本のクラブミュージック、エレクトロニック・ミュージックの歴史の系譜を見直してみると、特に自分が影響を受けた関西の諸先輩方が自主CD-Rとかで出してきた作品に、サンプリングの権利問題などもあってストリーミングサービスに乗っていないものが膨大にあるんです。今は音楽を辞めてしまっている人も多いですし、自分がそうした関西のインディ魂みたいなものを引き継いで整理したいっていう気持ちはありますね。
tofubeats
『NOBODY』
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