プロ野球や大リーグなど、日常的に野球のニュースを見聞きする昨今。競技人口の減少という課題はあれど、2024年の今も野球は高い人気を集めている。そんな中、筒香嘉智選手(今年の4月に大リーグから古巣の横浜DeNAベイスターズに復帰)が私費を投じて総合スポーツ施設「TSUTSUGO SPORTS ACADEMY」を設立。筒香選手がこだわった天然芝を使った球場など、充実した施設では子どもたちがさまざまなスポーツに触れる機会を提供している。その狙いと思いを、施設を運営する公益財団法人筒香青少年育成スポーツ財団の理事長で、筒香選手の兄である、筒香裕史氏に伺った。

私費2億円をかけて野球場を作った思い「TSUTSUGO SPORTS ACADEMY」で練習をする子どもたち

2023年12月、筒香嘉智氏(以下、嘉智氏)が私費約2億円を投じて建設した総合スポーツ施設「TSUTSUGO SPORTS ACADEMY」が完成した。筒香氏の故郷である和歌山県・橋本市に誕生したこの施設は、少年野球チームのほかに体操教室も展開。将来のスポーツ選手の育成や、地域活性化に貢献するために作られたのだが、天然芝を使った両翼100mのメイン球場や両翼45mの内野フィールド、室内練習場と、子ども向けとは思えない豪華な施設が目を引く。現役の選手である嘉智氏が、なぜこのような施設を作ることになったのだろうか。

「その理由は、弟が以前から問題提起していた、日本の野球指導の現状です。罵声を浴びせるような指導がいまだに行われているし、小さい頃からの過度な練習により、故障してしまう子どもがいるということ。僕も子どもの頃は野球をやっていましたし、以前は中学校の教師をしていたので、弟が問題提起していることを、どうやったら解決できるのか? どういう場所で育てたらいいのか? といったハード面とソフト面の両方について考えました。その結果、弟と相談してアカデミーを作ることになりました」(筒香裕史氏、以下:裕史氏)

こうして、兄弟で始めた未来を担う子どもたちの育成事業だが、参考にしたのはドミニカ共和国だった。

一番に身につけさせたいのは「生きる力」裕史氏がドミニカ共和国で見た、野球をする子どもたち

ドミニカ共和国は開発途上国であり、子どもたちは決して恵まれた環境にいるとは言えないが、世界で最も多くのプロ野球選手を輩出している国と言われている。

「なぜ、この国には野球がうまい選手がこんなにたくさんいるんだろうと不思議に思って、教師を辞めてドミニカ共和国に3ヶ月間滞在したんです。特に多くの野球選手を輩出しているという村で目にしたのは、子どもたちが日常の中でさまざまなセンサーを働かせているということでした。たとえば、整備されずに石や割れたガラスの破片が落ちているような道を裸足で歩いているんですが、たぶん彼らは瞬時に危険を察知したり、危ないものを踏んでも体重をかけずに歩いたりといったことが自然にできているようなんです」

その他にも、この国の決して恵まれているとはいえない環境が子どもたちの感性を育てているのではないかと裕史氏は分析する。

「日々の暮らしのためにお金を稼がなくてはいけない子どもたちは、雨が降りそうだと感じたらぱっと傘を持っていって売るとか、お昼になったらお弁当を売りにいくといったことを自然にしていました。今、何が必要かを誰かに指示されなくてもいろいろ考えて実行しているんです。ぼーっと指示を待っている暇なんてないんですよ」

ドミニカ共和国の子どもたちは、日常生活の中で生きる力を磨いている。その力が土台にあるからこそ、野球も強くなるのではないか。そう考えた裕史氏は、アカデミーの一番の土台を「生きる力」を身につけることとした。

TSUTSUGO SPORTS ACADEMY、野球チーム「ATTA BOYS(アラボーイズ)」の理念より

「ハングリー精神や、いろいろなことを自分で考えて行動する力、つまり生きる力が日常の中で育まれているドミニカ共和国の子どもたちと、恵まれた環境で育っている日本の子どもたちが野球をしたら、勝てないんじゃないかと思いました。まずは小さいうちから自分でいろんなことに気づけるようにして、その上での野球の練習だなということだと考えたんです」

こうした気づきと、世界に通用するプレイヤーを育てたいという思いは、アカデミーのさまざまなところに生かされている。

プロの球場でも珍しいこだわりの天然芝上空から見た「TSUTSUGO SPORTS ACADEMY」。左奥が内野フィールド、右がメイン球場。どちらも天然芝が使われている

まず施設の中で圧巻なのは球場の外野だけでなく内野にも敷き詰められた天然芝だ。プロ野球の12球団の本拠地でさえ、半数以上が人工芝だ。天然芝を採用している4つの球場のうち、甲子園球場は芝は外野のみで内野は土を採用している。

「大リーグでは外野も内野も天然芝というのが当たり前です。でも、実際にプレーすると、天然芝は段差があったり、土と芝生のところでムラがあったりして、ボールが転がるスピードに影響するので、選手はプレーしづらいんです。そうした環境に慣れない日本人の内野手がアメリカで日本にいた頃ほど活躍できないといった話も聞くので、小さい時から天然芝の感覚を身につけるためにも、天然芝にすることは欠かせないと思っていました」

そして天然芝にした理由はもう1つあるそうだ。

こだわりの天然芝が敷き詰められたグラウンド

「僕が教員をやっていた頃から大事だと感じていたのは、子どもたちが自主的に遊ぶこと。じゃれあったり、時には喧嘩をしたりすることも意味があると思います。大人が『ああしろ、こうしろ』と言って子どもが受け身になっている状態のときは、効果のある教育ができない。でも、例えば綺麗で気持ちのいい芝生があれば、そこでゴロゴロしたり、逆立ちして歩いたりする。本物の教育を提供するには、子どもが勝手にいろいろなことをしたくなる環境が必要なので、天然の芝生を敷き詰めることにしました」

天然芝は維持するのに手間もコストもかかりそうだが、実は管理は裕史氏がひとりで行っているという。

「天然芝は維持が大変というネガティブなイメージを変えたかったんです。僕が一人でも管理できますよ、これくらいの費用で維持できますよというのを知ってもらって、全国に天然芝の球場が増えたらいいなというひとつのメッセージでもあるんです」

それは本当に子どものためになっているのか?スポーツ教室「SEASONS(シーズンズ)」では、子どもたちにさまざまな運動に挑戦させる

環境の次に興味深いのは、アカデミーの指導内容だ。アカデミーには「ATTA BOYS(アラボーイズ)」という野球チームの他、さまざまな競技に触れることができるスポーツ教室「SEASONS(シーズンズ)」がある。SEASONSは、年間を通してマット運動や縄跳びといった体育の授業でやるような種目を行うほか、4~6月はバスケットボール、7~9月はバドミントン、10~12月はブレイクダンス、柔道またはスポーツチャンバラ、1~3月はサッカーとフットサルというように、3ヶ月ごとに種目を変えて、さまざまなスポーツを体験する。

「いろんなことをできる能力を小さい頃に身につけておいたほうがいいということから、このようなスタイルをとっています。年間を通してやる種目も、危ない目に遭ったときに、どうやって身をかわすかというのをドミニカ共和国の子どもたちが日常の中で習得しているように、例えば、縄跳びをしているところにボールを投げて、それを避けながらも縄跳びを続けるといったこともやっています。サッカーのメッシのようなスーパーアスリートは、小さい頃にサッカー以外のスポーツをやりなさいとか、いろんな体験をしなさいなんて言われなくても、日常に出会うさまざまな危険を工夫してくぐり抜けたりといった経験があったと思うんです。もちろん、安全で恵まれた環境にいることは素晴らしいですが、それでは肉体的にも、精神的にも判断する力が劣ってしまうので、それを補うためにさまざまな経験をさせたいということです」

野球がうまくなるコツは、それぞれが自分で見つけるものだと語る裕史氏。確かにプロ野球選手を見ても、選手によってフォームは異なる。体の大きさの違いや、ホームランバッターを目指すのか、アベレージヒッターを目指すのかによっても、フォームや練習方法は異なるだろう。アカデミーでは、子どもの生きる力、身体能力を伸ばし、子どもたちがそれぞれ、自分に合った練習やフォームを見つけ出す提案や手助けをするだけだと、裕史氏は言う。自分で見つけ出す力、それは野球に限らず、まさに「生きる力」に繋がるのだろう。

大人が良かれと思ってやっていることが、本当に子どものためになっているのかを考えてみてほしいと、裕史氏は言う。たとえば雨の日に外を歩くとき、親はつい「水たまりに気をつけて」「滑るから走らないで」と子どもにあれこれ注意してしまう。しかし、これでは子どもが自ら考える機会を奪っていることになりかねない。

「実は良かれと思っていることが子どもが育つチャンスを奪っているというケースがたくさんあると思うんです。そうした目線の指導者が増えると、本当に子どもたちのためになる教育ができるんじゃないでしょうか」(裕史氏)

アカデミーがはじまってまだ数ヶ月だが、いつか筒香兄弟のこのアカデミーから、世界へと羽ばたく選手が誕生する日が来るのを期待したい。

text by Kaori Hamanaka(Parasapo Lab)
写真提供:公益財団法人筒香青少年育成スポーツ財団