「古都華」を栽培する農家になると決めた

奈良県は近畿有数のイチゴの産地である。多くの品種が栽培されているが、中でも奈良県の育成品種で県内のみで栽培可能な「古都華」は、高級ブランドイチゴとして人気が高い。田中農園のイチゴはこの古都華1種類のみである。15アールのハウスで高設栽培で育てている。田中農園の田中さんは、数年前に初めて古都華を食べたときの感動を今でもはっきり覚えているという。

田中由美さん

「もともと柿とかバナナとか甘さのはっきりしたフルーツの方が好きだったんです。でも古都華を初めて食べたときにこんなおいしいイチゴがあるんだって感動しました。たまたま生産者さんのところに連れて行ってもらう機会があって、栽培しているところを見てすっごく面白いなって思いました」

とはいえ、このときはまだイチゴ農家になろうなんて全く考えてはいなかったという。農家の親戚も知人もなく、せいぜい家庭菜園をするくらいだった田中さんが、仕事をやめて農家になると決めたきっかけは何だったのだろうか。
「子どもが手を離れたら自分には何が残るんだろうって考えたときに、人より秀でるものが何もないことに気づいて、何か誇れるものが欲しいって思っていました。それまで販売の仕事をしてきて、店からというより私から商品を買いたいっていうお客さんがいて、それがとてもうれしかったんです。だから何か商品を販売できる仕事で、事業をしたかったんです。農業は自分でいいものを作って売ることができる“究極の小売業”なので」
こうして田中さんは、農家になると決意。当然「栽培するのは古都華」と決めていた。理由はそのおいしさだけではない。
「おいしいのはもちろんですが、あんな絵に描いたようなきれいなイチゴはないです。『ザ・イチゴ』って感じです」と田中さんは古都華の見た目も絶賛する。
古都華にほれたことがきっかけでイチゴ農家への道へと進み始めた田中さん。もちろん、イチゴ栽培への自身の適性も感じているという。
「イチゴは同じ品種でも栽培する人によって味にはっきり差がでるのも魅力でした。頑張りがいがあります。それに手間ひまかけて育てれば応えてくれそうな栽培方法は私の性格的に向いてるんです」

田中さんが育てた古都華

絶対おいしい古都華を作ってみせるという強い決意で土地を確保

2021年12月、田中さんはそれまで勤めていた店を退社し、自宅があり古都華が栽培できる奈良県で農家になる方法を模索した。そして、2022年4月には奈良県の農業新規参入者支援事業の研修生となり、ようやく第一歩を踏み出すことになった。3カ月間の新規就農に向けた基礎研修後、7月から1年間、農家での実践的な営農スキルを習得する農家実践研修を受けるというプログラムだ。本来ならば、2023年の7月に実践研修を終え、それから農地を借りて就農し、ハウスを建てて出荷を迎えるという流れだ。しかし、7月だと2023年のイチゴの育苗の時期を逃してしまうため、同じ年の12月に初出荷することは諦めざるを得ない。そのままでは多くの新規就農者が経験するように初出荷までは時間がかかり、収益も出ないはずだった。
ところが、田中さんは違った。研修中に農地を借り、高設ハウスを建てる準備をし、就農。2023年12月には初出荷している。なぜ、そんなに早くできたのか。

とにかく田中さんはがむしゃらに前に進む努力をした。「絶対おいしい古都華を作ってみせる。私ならできる、作ってみせてやる」という熱い思いが、スピードアップするためのアクセルとなった。
まずは基礎研修中に新規就農者が苦戦する農地探しを開始した。農地を借りたい人と貸したい人をマッチングしてくれる「なら担い手・農地サポートセンター」(農地中間管理機構)に相談。イチゴの高設栽培の農地は南北に長いこと、電気・水道が近くまで来ていること、ハウスが建てられる農地でなければならないことなどの条件があり、見つかりにくい傾向にあるとの説明を受けた。しかし田中さんの熱意に動かされた地域の農業委員の尽力で30アールの農地を借りることができた。

あらゆる経験をさせてくれた先輩農家の存在

2022年7月、実践研修が始まった。初出荷から販売できるイチゴが収穫できたのは、1年間、実践研修をさせてもらった先輩農家との出会いが大きかった。研修先は、県と中部農林振興事務所・農業振興課の担当者がこの人ならという農家を紹介してくれた。奈良の川西町で「イチゴなら奥村」という屋号で古都華を栽培している奥村雅俊(おくむら・まさとし)さんである。

奥村さんは田中さんが研修に入った時は就農4年目だったが、その栽培技術は当時すでに評価されていた。2023年の第63回農林水産祭参加奈良県農産物品評会では、いちご立毛部門で農林水産大臣賞を受賞している。

「奥村さんは今まで研修生を受け入れたことがなくて、男の僕でもしんどいのに女性1人では無理だと、かなり受け入れを迷ったみたいです。でも私の1人でやりたい、何が何でもやるという思いを受け止めてくださり、ここで僕が断ってもどこかでやりそうだなとおっしゃって受け入れてくれました」(田中さん)

奥村さんは田中さんに対して徹底的に指導をした。どんな作業でも田中さんがやりたがることはすべてやらせてくれたという。田中さんはハウスの屋根に上り、遮光ネットをかける作業も経験した。「イチゴ栽培に必要なさまざまな経験をさせてもらえたので、農家の過酷さも知ることができた」と田中さんはその経験の大切さを口にした。

遮光ネットを張る田中さん

資金確保も前進あるのみ!

内容の濃い実践研修を受けながらも、田中さんは少しでも前に進むために動いた。高設栽培と決めていたので、かなりの資金も必要だった。そこで、早い段階で融資を受けるための計画書の作成を研修先のサポートを受けながら進めた。「融資が受けられないと何も始まらないので、進めざるを得なかったんです」と田中さんは当時を振り返る。

さらに販売先も確保した。畑の近くに「産直市場よってって」という直売所ができることを知り、農産物の販売の登録を済ませたという。就農してから届けを出してもすぐに登録してもらえない可能性があったからだ。
2023年1月中旬に苗を受け取り、奥村さんの育苗ハウスで親苗を育てさせてもらった。奥村さんは田中さんの苗の管理作業にも協力してくれ、立派な苗になった。
「ハウス建設には3000万円ほどの借り入れをしなければなりませんが、お金のことは気にしない、なんとかなると思ってました。とにかく前に進もうと必死でした」と言って田中さんは笑う。

認定新規農業者になれれば補助金を受けられ、日本政策金融公庫から無利子で借り入れができる。そこで2月始めに日本政策金融公庫に融資の申請をし、2月末には認定新規就農者になった。奥村さんと中部農林振興事務所・農業振興課の新規就農担当者が早く認定就農者になるための審査会を開けるように動いてくれたおかげだという。また、日本政策金融公庫の融資担当者も事情をくみ取ってくれ、早く内諾してくれたおかげで、2月末に認定新規就農者になったのと同時に融資が受けられた。こうして3月には育苗ハウスの工事を始めることができ、3月中旬には自身の育苗ハウスに苗を移動した。
春から夏の間、300株ほどの苗を1万株に増やしていく。冬には真っ赤な絵にかいたような古都華が育つはずである。苗の手入れをしながら田中さんは「育ててみせる!」と誓った。

5月には15アールのイチゴハウスの建設も始まった。しかし研修が終わろうとしていた6月、資材高騰という試練がやってきた。このままではハウス建設の資金が足りなくなるのが目に見えていたため「ええい、内装は自分でやるしかない」と、自らイチゴ栽培のベンチを組み立てるなどの作業を始めた。ハウスは無事完成し、9月の植え付けに間に合わせることができた。何が何でもやり遂げたという方が正しいかもしれない。
もちろん、その間ずっと奥村さんが手助けをしてくれたのは言うまでもない。「奥村さんが師匠じゃなければここまで来られませんでした」と田中さんは取材中に何度も奥村さんへの感謝を口にした。

高設栽培のハウス

インスタでイチゴ農家への道を発信

田中農園の看板

田中さんは自身のインスタグラムで、イチゴ農家になるまでの道のりを「#苺農家への道」というハッシュタグをつけて発信している。自分がイチゴ農家になりたいと思ったときにその方法が分からず苦労したので、同じように農家を目指す人のために役に立てばと思ったからだ。その発信が、意外な効果を生んだ。

2023年7月、研修を終えてついに独り立ちの日を迎えた田中さん。農園名は迷いに迷った末、シンプルに田中農園とした。ロゴは鳥取で販促ツールのデザインや制作などを行っている東京印刷株式会社の社員が名乗りを上げてくれた。その人は、田中さんのインスタのフォロワーだった。「ありがたくって。素敵なロゴができました。古都華を入れる箱も高級感のある箱を作ってもらいました」(田中さん)
この高級感が、後に功を奏することになる。

10月、待ちに待った古都華の花が咲いた。ハウスの中には二酸化炭素発生装置を2台設置し、光合成を促す。古都華は日に日に赤くなっていき、12月、見事に育った。大きいものは他の農家の古都華より大きいくらいだ。
そして念願の初出荷の日、田中さんの古都華が有名百貨店の店頭に並んだ。快挙だった。

農業は究極の小売業

育苗ハウス

実は田中さんは最初から百貨店に並ぶようなイチゴを作ると心に決めていた。
古都華は、出来栄えがよければ高級イチゴとして高く売れる品種である。おいしいイチゴを栽培する技術はもちろんだが、パック詰めやパッケージなど、どうすれば高級感が出せるかを田中さんは考えてきた。もちろん、最初にロゴや箱のデザインを決めたときにも、このことを念頭に置いていた。
「研修中に師匠のところに百貨店を顧客に持つバイヤーの方が来たときに、師匠がこの子も来年からやりますと紹介してくれて。百貨店に奥村さんのイチゴが並んでいるのを見たときに、私もこんなイチゴを作ってみたいと思いました」
とはいってもバイヤーが納得できるイチゴでなければ買ってもらえなかったはずだ。田中さんの古都華は、バイヤーのお眼鏡にかない、奥村さんの古都華の隣に並んだ。大きいサイズは1個80グラム近くあり、立派すぎる古都華だった。
「お客さんの期待値を超すものが作れたらお客さんの満足度が高くなると思っています」と田中さんが言う通り、その大きさも品質も、新規就農者に求められる品質をはるかに超えた。

有名デパートの店頭にも並んだ田中農園のイチゴ

田中さんの成功の秘密は何なのだろうか。確かにラッキーも重なってはいる。しかしそれ以上に今まで培った販売業の経験から、会話の工夫など、相手の印象に残るための心掛けがカギであるようだ。その背景には「農業は究極の小売業」という、田中さんが最初に農家を志した時の思いがある。
パンの販売をしているときも、店から買うというより田中さんから買うという人が多かったというが、農業でも目指すのは同様の売り方。「田中農園の田中さんが作っている古都華を買いたい」と言ってもらえるような農家を目指している。
「面積を増やすより、いいイチゴを作って田中農園のブランド力をあげていくことが目標です」
田中農園の古都華は、一度食べたら誰かにあげたくなったり、紹介したくなるようなイチゴである。農家になって1年目、まだ階段を上り始めたばかり。これから田中さんがどんな農家に成長していくのか、楽しみだ。

画像提供:田中農園