この並びを見て誰もが連想するのはスティーブ・マックィーンの映画、「栄光のル・マン」であろう。フェラーリとポルシェによる熾烈な争いを描いたマックィーン渾身の一作。その出費が影響して制作会社のソーラープロダクションを窮地に陥れたといわれる。そしてこの映画の主役と言えば、マックィーンもさることながら何と言ってもポルシェ917であり、フェラーリ512であった。
【画像】高い戦闘力を持ちながらも運が味方しなかったフェラーリ512S(写真10点)
この2台、いずれも5リッターの大排気量エンジンを搭載するスポーツカーである。そもそも1967年のル・マン24時間終了後、その速すぎるスピードを減じるという目的のため(と言われている)、CSI/FIAによって、マニファクチャラーズタイトルに参加できる車両の排気量を3リッター以下に設定。併せて5リッター以下の排気量を持つグループ5スポーツカーには50台の車両生産義務を課した。元々は7リッターの大排気量を搭載するフォードの締め出しであったはずが、4リッターの330P4まで締め出しの対象になったことに抗議する意味からか、フェラーリは68年シーズンのスポーツカーレースシリーズを欠席するという決断をする。こうして69年シーズン用としてプロトタイプカテゴリーに312Pを投入することになった。一方のスポーツカーカテゴリーはその生産台数の規制が25台に減じられたことから、フェラーリも急遽5リッターエンジンを搭載した512を仕立て上げることになった。
しかしながら69年シーズンに既に908と917を仕上げて実戦で鍛えてきたポルシェは、70年シーズンにはほぼ万全な体制で臨むことになった。フェラーリはと言えば、312Pがポルシェ908の前には歯が立たないことが鮮明になるとともに、ポルシェが実戦投入してきた917に対抗するためには同じ5リッターエンジンのスポーツカーを作り上げることが必要不可欠という判断の元か、エンツォ・フェラーリは株式の50%をフィアットに売却。その資金で512の開発を急いだ。こうしてマウロ・フォルギエリと彼の開発チームは僅か3か月で512Sを完成させるのである。
そして70年シーズン、満を持したディトナ24時間では熟成不足のトラブルに苛まれ、ポールポジションを獲得したものの、レースでは917の後塵を拝することになった。しかし、その次のレース、セブリング12時間では見事に雪辱を果たし、フェラーリに初勝利をもたらした。だが4台を投入したフェラーリで生き残ったのは優勝したマシンのみであった。因みにこのレースで2位に入ったポルシェ908をドライブしたのが、「栄光のル・マン」の立役者、スティーブ・マックィーン本人である。
総じて512Sは高い戦闘力を持ったマシンであったものの、その重さとそれによる燃費の悪さが、ポルシェ917の後塵を拝する結果となったともいえる。もう一つは不運だ。勝てそうなコースではことごとく天候に恵まれず、雨のレースで強かったポルシェがこれらのレースをすべて制していた。もっとも重要なレースともいえるル・マン24時間も雨にたたられて、ポルシェ有利の展開から結果は「栄光のル・マン」でも示されたポルシェの勝利に終わっている。フェラーリはこの年、11台もの512Sを投入しながらル・マンには勝てなかった。その要因の一つとして挙げられているのは、ポルシェがワークスのみならずレース戦略に長けたジョンワイヤー・レーシングやマルティニ・レーシングなどを積極的にサポートしていたのに対し、フェラーリはワークス車両以外はすべてプライベート任せだったサポート体制の差にもあると言われている。
71年シーズンも5リッターのフェラーリはマニファクチャラーズ選手権に挑戦しているが、車は512Sからそれを改良した512Mとなっていた。25台作られた512Sのうち14台が512Mにコンバートされている。またこれ以外にも512Mからさらに7リッターエンジンを搭載したCan-Amマシン712にコンバートされたものもあり、果たして現在何台の512Sがオリジナルの状態で現存しているかは不明である。
栄光のル・マンは3台の512が使用されたことが確認されている。このうちの1台シャシーナンバー1026のマシンは、1970年シーズンのセブリング12時間で初優勝を遂げたマシンであり、それが映画に使われているのだが、撮影中にディレック・ベルがクラッシュし、火災を発生。辛くもベルは軽傷で済んだがマシンは炎上しスクラップになった。そのスクラップをフランスの解体現場から買い取って復活させたのが、フェラーリのコレクターとしても知られるピンクフロイドのドラマー、ニック・メイソンである。
ロッソビアンコに収蔵されていたロングテールバーションの512は、シャシーナンバー1006のマシンである。1971年シーズンをNART(ノースアメリカンレーシングチーム)で戦ったもので、完成時はルーフが開くスパイダーとして製作されたものの、後にクローズルーフに作り替えられたものだ。現在は完全にショートテールオープンボディにレストアされてイギリスのコレクターが各地のイベントで走らせているようである。
文:中村孝仁 写真:T. Etoh