ミュージカル『この世界の片隅に』原作者のこうの史代氏が稽古場を訪問し、音楽を務めるアンジェラ・アキ、主人公すず役の昆夏美・大原櫻子と語り合った様子が3日、届いた。
同作はこうの史代氏による同名漫画のミュージカル化作。太平洋戦争下の広島県呉市に生きる人々の物語でありながら、つつましくも美しい日々とそこで暮らす人々が丁寧に描かれ、生きることの美しさが胸に迫る作品となっている。映画化、実写ドラマ化もされ、この度新たにミュージカルとして上演される。
5月9日の開幕に向けて稽古中という同作。アンジェラは4月上旬に渡米し、上田がキャストに付ける動きに合わせて、音楽をブラッシュアップする作業を行っていたが、稽古が佳境を迎えた同月下旬、日本に帰国した。稽古場ではそれまでの間に役を自分に馴染ませてきたキャスト陣が、アンジェラにその成果を披露しつつ、通し稽古を何度も重ねる日々。この度、そんな稽古場を原作者であるこうの氏が初訪問した。
通し稽古を見学する前に4人は初対面。原作の創作秘話やミュージカル版の見どころ聞きどころについて、存分に語り合う。その後、昆がすず役を演じて通し稽古が行われ、こうの氏は演じ終えたカンパニー全員に対して、感極まった面持ちで「お疲れ様でした。素晴らしい舞台でした。ちょっとジーンときました。ちょっとというか、大分ジーンときました。すごくすずが可愛くて、十数年前にこれを書いていた私に『グッジョブ!』と言いたいです(笑)。本当に有難うございました。感動しました」と伝え、カンパニーは大いに勇気づけられた様子だったという。
東京公演は日生劇場にて5月9日〜30日、北海道公演は札幌文化芸術劇場 hitaruにて6月6日〜9日、岩手公演はトーサイクラシックホール岩手 大ホールにて6月15日〜16日、新潟公演は新潟県民会館 大ホールにて6月22日〜23日、愛知公演は御園座にて6月28日〜30日、長野公演はまつもと市民芸術館にて7月6日〜7日、茨城公演は水戸市民会館 グロービスホールにて7月13日〜14日、大阪公演はSkyシアターMBSにて7月18日〜21日、広島公演は呉信用金庫ホールにて7月27日〜28日。
■座談会オフィシャルレポート
大原:今日はお忙しいなか、稽古場までいらしていただきありがとうございます。
昆:お会いできて本当に嬉しいです。緊張していて、うまくお話できるか分かりませんが(笑)
こうの:いえいえ、私こそ嬉しいです。お二人とも、キラキラキラキラされていて。
アンジェラ:そうなんですよ。それに二人とも、もうすずさんそのもの。今日は昆ちゃんの稽古を見ていただきますが、どちらも魅力的なので、本番はぜひ両方見ていただきたいですね。
・原作者に聞く、「すず」誕生秘話
昆:私が最初に原作を読んだ時に心打たれたのは、戦争を扱っていながら、常に温かい空気が流れているところでした。「戦争はいけません!」と声高に訴えるのではなく、今の私たちとも変わらない“人の心”に焦点が当たっていて、だからこそ、すずさんの喪失感がより迫ってきたのだと思います。その後も読む度に色々な発見があって、今、特に気になっているのはすずさんの表情。分かりやすく笑ったり怒ったりしている時もあれば、もっと奥深い表情をしている時もあることに気付いて、どう自分の中に落とし込んだらいいかを考えながらお稽古しています。
こうの:確かに、そこは演じる方の解釈によってくるところですよね。すずの個性に昆さんと大原さんの個性が重なった時にどうなるのか、すごく楽しみです。
大原:すずちゃんの個性というところでぜひお聞きしたいのですが、主人公を「ボーっとした」キャラクターに設定したのはどうしてなんですか?
こうの:そのほうが、この時代と場所に馴染みのない読者でも、物語に入り込みやすいと思ったんです。主人公が最初から呉でチャキチャキ頑張っている人だと、会話の中で状況を説明する隙がないですよね。でもよそから来たボーっとした人が主人公なら、主人公が周りの人たちに色々と質問をして、それに答える形で状況の説明ができるんです。
アンジェラ:ああ、なるほど。私もそこはぜひお聞きしたかったのですが、すごくしっくり来るお答えです。
・ノンフィクションのようにリアルな秘密
アンジェラ:すずさんや周りのキャラクターに、モデルはいるんですか?
こうの:周作の職業だけは私の親戚をモデルにしていますが、あとは全部創作ですね。
アンジェラ:そうなんですね! 初めて原作を読んだ時、私にはまるでノンフィクションのように感じられて、先生ご自身やご家族の体験談なのかと思ったほどでした。
大原:分かります、それくらいみんなリアルなんですよね。私はすずとリンさんの関係性にも惹かれているのですが、リンさんはどんな思いから生まれたキャラクターなのでしょうか?
こうの:すずに家族とはまた違う、同世代の友達との世界を作ることで、もうひとつの“世界の片隅”を表現したかったというのがひとつ。それから、当時の呉には実際に遊郭があったので、そういう過酷な境遇の人たちをいなかったことにはできない、というのもありました。
大原:ありがとうございます。やはり史実に基づいているからリアルなのですね。
昆:少し話が逸れてしまうのですが、すずもリンも、元素名から名前が取られているんですよね。調べてみたら全員そうで鳥肌が立ったのですが、それはなぜなんですか?
こうの:キャラクターの名前って、自分の思いつきだと似通ってしまうから、系統立てて考えることが多いんです。最初は呉の地名にしようかと思ったのですが、呉には硬い地名が多いんですね。悩んでいた時、たまたま近くに周期表があったので、これを使おうと(笑)。たくさんある元素の中で「すず」を主人公にしたことには、私が飼っていたインコの「すずしろ」が関係しています。ある時いなくなってしまったのですが、どこかでずっと元気にしていてほしくて、新天地で頑張る主人公にその思いを込めたんです。
昆:そんな大切な思いが込められていたんですね! お聞きできて良かったです。
アンジェラ:本当に。貴重なお話ばかりで、なんだか得した気分です(笑)。
・オリジナル作品ならではの苦労と喜び
こうの:私はディズニーのミュージカルアニメが大好きなので、自分の漫画がミュージカルになるなんて夢のようで、アンジェラさんの歌われたデモテープも感動しながら聞かせていただきました。ミュージカルが出来上がっていく過程を垣間見られるのも刺激的で、これから見学できるのも本当に楽しみなんですが、お稽古で特に苦労されているのはどんなことですか?
アンジェラ:今回が初演のオリジナル作品なので、最終形が見えていない難しさはやはりありますね。でもだからこそ、キャストの皆さんと一緒に作れている感覚があって楽しいです。特にすずの二2は、「すずはこういう言い方はしないと思う」といったフィードバックをくれる頼もしい存在で、それを受けて歌詞を変えたりもしているんです。私はこの作品が長く続いていくことを願っているのですが、最初のすずがこの2人で本当に良かったです。
大原:そんな、こちらこそ。アンジーさんが音楽や歌詞を変える相談もさせてくださるので、オリジナルならではの生みの苦しみはありますが、私も楽しくお稽古させていただいています。
昆:アンジェラさんは、強い思いを持って楽曲を作られたはずなのに、私たちの思いを汲んで柔軟に変更してくださるんです。こうの先生の生み出された温かい原作のもと、温かい人たちが集まって、温かい作品を作っている感じがすごくある稽古場です。
こうの:素敵ですね。漫画は基本的にひとりで作るもので、編集さんたちとの縦の関わりはありますが、ミュージカルのようにたくさんの人がいっぺんに、横に関わることがないんです。でも漫画にも、見えていないだけで本当はたくさんの方が関わっていることを、こうしてミュージカルになったことで実感できた気がします。
アンジェラ:ミュージカルは、総合芸術なんですよね。私も自分のアルバムを作る時は基本的にひとりですが、今回はみんなとキャッチボールをしながら作っているから、大変ではあっても決して孤独ではない。それがミュージカルの醍醐味なのかもしれません。
昆:もうひとつ苦労しているのは、やはり原作の雰囲気を損なわないようにすること。原作ではどの話にも必ずオチがあって、そこも私の大好きなところなのですが、ミュージカルは2時間半ほどにまとまっているので、クスっとできるエピソードのすべては入っていないんですね。削られている分、温かい雰囲気をベースに置いておく、ということを意識しています。
こうの:ああ、なるほど。そこはミュージカルならではの見どころになりそうですね。
・ミュージカルの見どころ聞きどころ
大原:私から先生に見どころを紹介させていただくなら、すずと周作のデートのシーン。特に《醒めない夢》という楽曲が、二人の可愛らしさがギュっと詰まっていてすごく素敵なんです。演じていて楽しいですし、あのキラッとした空気感を先生にもぜひ味わっていただきたいです。
昆:私は、2度出てくる《この世界のあちこちに》に注目していただけたら嬉しいです。これからどんな物語が広がっていくのか、お客様がまだ知らない状態で1度歌われた曲が、すずさんが自分の在り方を見つけた時に再び歌われる、という構成が大好きなんです。2度目に歌う時には、涙をこらえるのに必死になってしまう楽曲です。
大原:聞くだけで涙が止まらなくなる楽曲が、本当にたくさんあるよね。アンジーさんおひとりから、どうしてこんなにも色々なメロディーや言葉が生まれるのだろうと感動してしまいます。どれも大好きなのですが、特に聞きどころだと思うのは、径子さんの歌う《自由の色》。すずの生き方や考え方が変わるきっかけの曲ですし、お客様一人ひとりが自分の《自由の色》を発見し、救われたような気持ちになれるのではないかと思います。
こうの:《自由の色》は、私もアンジェラさんのデモで聞いた時からジーンと来ていました。
アンジェラ:ありがとうございます。今日はキャストの声で聞けますので、ぜひ楽しみになさっていてください。私が注目していただきたいのは、機銃掃射のシーンです。
こうの:漫画では顔のアップで進んでいくシーンだから、どう演じるんだろうと思っていました。
大原:そうですよね。漫画と同じようにはできない分、ミュージカルならではの表現になっていると思います。
アンジェラ:加えて、2人の演技がとにかく素晴らしいんですよ。このシーンあたりから、すずの感情がクレッシェンドしていき、最後には優しくデクレッシェンドしていくのですが、そのすべてが見どころですね。すずの熱量を表現するのは本当に大変だと思うのですが、2人とももう、「圧倒的」「ヤバい」といった言葉しか出ないくらいすごいパワーなんです(笑)。今日の通し稽古は昆ちゃんの回の予定ですが、実際に先生に見ていただけるのが私も楽しみです。
昆:あの、お手柔らかにお願いします(笑)
こうの:「ハイやり直し!」なんて言いませんから安心してください(笑)。漫画が私の子どもなら、映画化や舞台化作品は孫のようなもの。私には可愛いばかりなんですよ。今日お話して、お二人ともそれぞれにすずだと感じましたので、お稽古も本番も本当に楽しみにしています。
(C)こうの史代/コアミックス