手間暇のかかるショウガの有機栽培

山々に囲まれ、雄大な自然と美しい水が豊富にある球磨郡錦町。
尾里農園はショウガを中心に、ニンジンやレタス、WSC(稲発酵粗飼料)を家族経営で生産している。

元々農業をしていた、いつかさんの父親の農地を引き継ぐ形で二人は就農し、現在は共同で農園を運営している。

いつかさんは20代前半の頃から家業を手伝っていたが、雄さんは元々、サラリーマンとして一般企業に勤めていた。それでも、かねてから「農業に対して、自分が頑張った分だけ返ってくる、頑張れば頑張るほどやりがいを感じられる仕事だと魅力を感じていました」と雄さん。30歳を機に脱サラし、いつかさんとともに農園に携わることを決意した。

「会社を辞めようと思う」と話した際は、職場の同僚からかなり止められたというが、熱意を話すと最終的には「頑張れよ」と背中を押してくれた。元同僚たちは今でも応援してくれており、元職場に野菜を持って行くこともあるそうだ。

いつかさんの家族も雄さんを快く受け入れ、「口に出さないまでもとてもうれしかったのではないか」といつかさんは話してくれた。

元々、先代まではチンゲンサイを作っていたというが、ショウガ作りに切り替え始めたのは約8年ほど前からだそう。「球磨郡の奇麗な水で作るショウガはおいしいに違いない」と先代から提案されたことを受け、「面白そうだからやってみよう」と一念発起したという雄さん。

近隣で大掛かりなショウガ栽培を行っている農家が少なかったため、「この土地で育つかどうかの実験のような感覚ではじめは慣行栽培からショウガ作りをスタートしました」(雄さん)

慣行栽培をする中で、コツをつかんできた雄さんは更に難易度の高い有機栽培にも着手。
こちらも先代の「やってみらん?」の一声から始まったという。それから徐々に有機栽培の面積を拡大し、ショウガ栽培8年目だ。

ニンジンやレタスなど、一部の野菜も有機栽培で育てており、いずれはショウガを含めた作物すべてを有機栽培に切り替えるべく、比率を少しずつ増やしているそうだ。

有機栽培のショウガ作りは、一度栽培した畑を約3年間休ませる方法をとっている。
収穫後に一定期間栽培せず、緑肥などで地力の回復を図ることで、土壌病害などの発生を防ぐ目的がある。そのため、いくつかある圃場を毎年転々と変えながら栽培しているという。

ショウガはビニールハウスでの施設栽培と露地栽培の両方で生産しており、ハウス栽培のものは夏に収穫してすぐに出荷。露地栽培は11月ごろに収穫し、倉庫で保管しながら、通年で出荷できるようにしている。

除草剤や殺虫剤などをまくことも当然できないため、ハウス栽培での病害中の防除にはワラやマルチシートを敷いて地温をあげるなどの工夫を凝らしている。慣行栽培と比べ作業工程が多く手間がかかるものの、それでも安心安全なものに取り組んでいきたいと試行錯誤の日々だという。

植え付け後にワラを敷いたショウガの畑

尾里農園のショウガは繊維質が少なく食べやすいと評判。「商品を待ってくれているお客様のために作り続けたい」と溝邉夫妻は口をそろえる。そしていずれは、すべてのショウガを有機栽培に移行したいと考えているそうだ。

遠く北海道まで直接営業に

就農当時は、販路のことなどは考えもせず、愚直にショウガの出来栄えを追求してきたという溝邉夫妻。それまでは特定の販売先などはなく、ほとんどを市場に卸すなどしてきたという。雄さんは「もう少し取引先を増やしたいと考えてはいましたが、どうすればいいか分からず手をこまねいている状況でした」と当時を振り返る。

販路拡大の具体的な策が思いつかず、ひとまずフリマアプリを使ってショウガを出品していた雄さん。そんな時、ふと北海道からの購入者がとても多いことに気が付いた。同時期に始めたInstagramでも、北海道在住者のフォロワーが多かったと話す。

そしてある日、InstagramのDMで北海道のスーパーから「ショウガを買いたい」とメッセージが来たという。「自分たちのショウガをもっとより多くの人に届けたい」と強く思っていたという溝邉夫婦は、こうした北海道内での需要の高さを見込んで、「そうだ、北海道に行っていろんなところに営業してみよう」と思い立った。

まずはDMを送ってくれたスーパーに挨拶へ出向くと、その後は周辺エリアの小売店やスーパー、青果店を手当たり次第に営業に回る。札幌エリアはもちろん、そこから遠く離れた釧路まで、訪れた地域の店舗は根こそぎ営業をかけたという。
すると、「え?熊本から来たの!?」と話を聞いてもらえたり「知り合いの店主を紹介するよ!」とつないでもらったりと、着実に販路先につながっていった。

また、小売店や青果店などと直接取引することのメリットもあるのだという。
例えば、錦町からバイヤーを通して出荷する場合、送料が都度かかってしまうなどして収益性を損ねる可能性がある。出荷先との直接取引であれば、交渉次第では数カ月に一回まとめて直送するなどして送料を抑えることができたり、外部の選別作業を経ずに短期間で新鮮な状態の作物を届けることができたりするという。

今でも忙しい畑作業の合間をぬって、年に1回や2回ほどは遠方への営業活動をしているという。電話でアポイントを取り、出張に出向く際は、何十軒もの小売店や青果店などを回っている。

もちろん電話口で断られる場面も多い。心が折れそうになることもあるが、雄さんは「自分たちの思いや情熱が伝わる相手が現れた時に『分かってくれる人はちゃんといるんだ』と心底思えて頑張れる」と話してくれた。

今後も「錦町でショウガを作ってる人いるよ!」、「錦町産のショウガ、おいしいんだよ」という声を広めていきたいという溝邉夫妻。仕事の手が空けば、マルシェ出店などにも参加し、自分たちが直接売り込んで情熱を伝えているという。

近道なしで、コツコツやっていく

最後に、今後の展望を尋ねた。

雄さんは「錦町でこの規模でショウガを生産してるところって自分たちぐらいなんですよ。球磨郡の奇麗な水で作った錦町産のショウガに自信を持っています。県下生産量ナンバーワンとまではいかなくても『あそこのショウガを買いたい』と思ってもらえる作物を今後も作っていきたいです」と力を込める。

いつかさんは「今は畑で正直手一杯な部分がありますが、今後は加工品も増やしていきたいです。うちで作ったショウガを使って、うちでおいしいものに加工するといった流れを作りたいですね」と語る。

現在尾里農園で生産しているショウガパウダー

失敗はみんながするものだが、0から始めることがマイナスになることはない。
王道に近道なしで、コツコツとやっていくと必ずいいものが作れるしその思いを分かってくれる人が必ず現れる。

そんな思いで溝邉夫妻は日々農業に向き合っているのだと話してくれた。