オーストラリア・ゴールドコースト。ここで幻の楽器「アルモニカ」を演奏する香川千穂さん(54)へ、北海道で暮らす義兄・靖さん(60)、姪・優奈さん(29)が届けたおもいとは―。

運命的に出合った“幻の楽器”の数少ない奏者に
アルモニカは、1761年にアメリカの天才ベンジャミン・フランクリンが発明した楽器。20個以上ものお椀型のクリスタルグラスが横向きに並んだ形をしている。演奏方法は、水を付けた指でワイングラスの縁をなぞって音を出すのと同じ要領で、回転するクリスタルグラスにたっぷりと水をかけ、指で触れて音を奏でる。その魅惑的な音色は「天使の声」と讃えられ、モーツァルトやベートーヴェンなど名だたる音楽家も夢中になったという。そして当時の著名な博士が「アルモニカの音色や振動が心と体を癒す効果がある」と発表したが、いつの頃からか楽器にまつわる不吉なうわさが広まり、1820年頃を最後に生産されなくなってしまう。その後、1984年にアメリカのガラス職人が復活させたものの、世界にわずか80台ほどしか存在しないというまさに幻の楽器だ。千穂さんはそんなアルモニカと運命的に出合い、数少ない奏者として活動している。

ある日、千穂さんが街の小さなホールで開いたのは、シンギングボウル、ディジュリドゥという楽器とともに行う瞑想会。参加者は横になって楽器が奏でる音と振動に身をゆだねる。千穂さんも楽譜は持たず、ただアルモニカに身を任せ指が導かれるままに音を奏でる。忙しい現代人に向け「音の世界で自分の内に向かう時間を設けたい」との思いで始めたこのイベントは、いま千穂さんが一番力を入れている仕事で、常に予約でいっぱいになるという。

大阪のテレビ局でアナウンサーとして活躍する中、阪神・淡路大震災で被災。アルモニカに心を救われるも…
大学卒業後、大阪のテレビ局でアナウンサーとして活躍していた千穂さん。そんな中、1995年1月17日に阪神・淡路大震災が発生。大きな被害を受け生活もままならない被災者となった一方で、被害を報道するアナウンサーという立場でもあった千穂さんは心のバランスを崩し、テレビ局を退社する。
そんな頃、ふと立ち寄った店で流れていたのがアルモニカ。その音色に心を救われた千穂さんはアメリカまで行って楽器を手に入れ、さらに自然療法の先進国であるオーストラリアに渡りサウンドヒーリングの認定書を取得。こうして自ら体感したアルモニカの不思議な力で癒しを提供している。

今年からパートナーのアンヘルさんと暮らし始め、笑顔の絶えない毎日を送っているが、実は5年前には大腸に大きながんが見つかった。しかも「50日も持たない」との宣告が。そんな死を待つ千穂さんを懸命に支えてくれたのが、姉の絵里さん。その後さまざまな奇跡が重なり千穂さんは命を繋ぐが、絵里さんは突如持病が悪化し、先に旅立ってしまう。その状況に心と体の整理がつかず、3年間演奏活動ができなくなってしまった千穂さん。昨年ようやく復帰したものの、「お互い『生きよう』って励まし合っていたので悲しいですね…。でも、姉の分まで生きたいですし、姉とは『一緒に将来何かやろう』と言っていたので、たぶん私に乗り移って来るんじゃないかと思います」と前を向く。

絵里さんの娘である姪の優奈さんにとって、叔母の千穂さんは姉や親友のような存在なのだそう。今回、久々に千穂さんの姿や現在の活動を見て、「久しぶりにちゃんと化粧をしているのを見たっていうのが第一印象。『元気!』と思ってびっくりしました」と話し、父で千穂さんの義兄にあたる靖さんともども、その様子に安心する。

幾多の困難を乗り越え新たに歩み始めた千穂さんへ、家族からの届け物は―
アルモニカとともにオーストラリアに渡り18年。幾多の困難を乗り越え、いま新たに歩み始めた千穂さんへ、靖さん、優奈さんからの届け物は思い出の写真と姉・絵里さんのピアス。コロナ禍で面会も叶わず、ひとりで旅立った姉の形見だ。「お葬式にも行けていなくて…やっと私が元気になったので、日本に行って『ごめんね』って言うつもりです」と千穂さん。そして「今度、演奏会でこのピアスと一緒にアルモニカを演奏します。なのでお姉ちゃんも一緒に来てくれると思います。ありがとう」と、大切なものを届けてくれた日本の家族に感謝を伝えるのだった。