JR東海は2026年度中に東海道新幹線で個室を導入すると発表した。オンラインミーティングを気兼ねなく実施したいビジネスパーソン、プライバシー重視の利用者のニーズに応える。JR東海によると、この他にも新しい座席を検討しているとのこと。将来のリニア中央新幹線開業後を見据え、東海道新幹線の付加価値化を進める施策と言えそうだ。
報道発表資料によると、「N700S車両の一部に、高いプライベート感・セキュリティ環境を備えた完全個室タイプの座席を順次導入」「個室専用のWi-Fi、レッグレスト付きのリクライニングシート、個別調整可能な照明(明るさ)・空調(風量)・放送(音量)等の調整機能を整備予定」とのこと。設備の仕様やサービス内容、運転区間、料金等の詳細は「今後順次お知らせしてまいります」としている。
そこで、JR東海が公開したイメージ映像から考察してみよう。
エントランスの壁と扉は明るいベージュでまとめられた。設置場所はデッキ部とのことで、実際はもう少し落ち着いた空間となり、スポットライトが扉を引き立てる。扉は縦にフロストガラスをあしらった引き戸に。鍵穴は演出上の都合で省略されていると思われる。ロックシステムはどうなるだろう。交通系ICカードをかざすか、EXアプリにQRコードを表示して読み取らせるか。イメージ映像ではドアロックに加え、空調・照明等の調整スイッチやコンセントの位置も省略されている。
個室は1編成あたり2室導入予定とのことで、グリーン車の10号車、旧喫煙ルームが有力ではないか。全車禁煙となって喫煙ルームが廃止されてから、7号車の広い喫煙ルームは「ビジネスブース」に改造されたが、10号車は未使用のままとなっている。
普通車にも車販準備室など使われない空間が残っているものの、グリーン車はフルアクティブ制振制御装置を採用しているため、乗り心地が良い。モバイルオーダーサービスの提供を考慮しても、10号車が本命だろう。
個室のドアが開くと、大きな窓がある。横幅は普通車の客室窓の2倍くらいありそうで、グリーン席よりも大きく、これだけでも特別感がある。現行のN700Sにこのような大型窓はないが、2023年から登場した改良型(2次車)は窓の設置に対応済みとのこと。もとより喫煙ルームの廃止を視野に入れていたのだろう。
足もとの空間が広く、大きなトランクやベビーカーを置くには十分。座席の出入口側に大きなサイドテーブルがあり、手荷物も置ける。そのせいか窓上に荷棚がなく、天井を高く感じられるため、開放感がある。壁に個室専用の照明器具があり、明るさの調整も可能。暗くすれば仮眠や車窓の夜景を楽しめるだろう。
窓下のカウンターには、ドリンク保持用の窪みがある。その下の造作は、引き出して広げるとテーブルになるしかけだろう。サイドテーブルもあるが、パソコンの操作や飲食するには座った正面にテーブルが欲しい。パーティションと壁の間は鏡を張っている。奥行きがあるように見せるしかけで、窓の光を反射させて室内を明るくする効果もある。
座席の向きは固定されているようで、進行方向とは逆向きになる場合もある。リクライニングシートは背もたれと座面が連動する。腰の部分が深くなり、レッグレストが脚を持ち上げて仰向けになる。後席に気をつかう必要はないから、現在のグリーン車より深く倒れるように見える。
ちなみに、早稲田大学の石田研究室(交通心理学)が発表した「リクライニングシート着座時における快適性の評価」(佐藤明穂著)によると、男性は30度、女性は20度が最も快適とのことだ。
イメージ映像の最後は、座席から入口を見た様子だった。大きなサイドテーブルの使い勝手が良さそうだ。扉の横の高い位置にハンガーがあり、ロングコートも折らずに掛けられる。全体的に木目調で落ち着いたインテリアになっている。
料金や販売方法は決まっていない。改造可能なN700Sの編成も限られており、個室のある列車とない列車がある。JR西日本が採用しない限り、東京~新大阪間に限定したサービスになるから、山陽新幹線区間に乗り入れない運用で使われるか、山陽新幹線に乗り入れたとしても個室を施錠して閉鎖となりそうだ。ダイヤが乱れ、予約した列車に個室がなかった場合、運休と同じ扱いにして、変更・払戻しを案内されると思われる。
リニア中央新幹線開業後、東海道新幹線に「快適な楽しさ」が加わる
東海道新幹線の個室は過去にもあった。1985年から2003年まで運用された100系には、1人用・2人用・3人用・4人用の個室が設けられていた。東海道新幹線の高速化と座席定員の確保がおもな目的だった。「東海道新幹線は味気ない」という批判を受けて誕生した2階建て車両と食堂車は人気を獲得。2階建て車両を4両つないだ「グランドひかり」も誕生した。
しかし、時勢は新幹線にスピードと大量輸送を求めた。JR東海は高性能な300系と、新たな最速列車「のぞみ」を投入し、東海道新幹線は「便利な新幹線」であろうとした。
今回の個室誕生(復活)報道で、ネット上では100系の個室を利用した人から思い出を語るコメントが見られた。ビジネスマンだけでなく、ベビーカーを利用する親としても助かったというコメントがあった。振り返れば、個室は2010年から続く「ファミリー車両」「お子さま連れ車両」につながるサービスでもあった。芸能メディアからも反応があり、明石家さんまさんも「個室で赤井英和さんと花札で遊んだ」というエピソードを紹介していた。芸能人にとっても個室の復活は歓迎されるだろう。
JR東海は新幹線の上級クラスについて、2022年10月の社長会見で「当社が目指す鉄道の将来像」を発表した。「多様なニーズに応じた高付加価値サービスの提供」として「新幹線の新たな座席のあり方を検討します」とし、「移動時間を一層快適にお過ごしいただけるようなグリーン車の上級クラス座席や、ビジネス環境を一層高めた座席」と紹介した。ビジネス環境は「S Work車両」「S Work Pシート」「S Wi-Fi for Biz」などで実現しており、いよいよ「上級クラス」の取組みが始まる。
上級クラスの座席とビジネス環境の両方を実現したサービスが今回の個室といえる。その背景には、リニア中央新幹線の開業後を見据えた東海道新幹線の利用者の変化がある。開業から60年。「速くて便利」だった東海道新幹線は、100系で「快適な楽しさ」を加え、300系で「速くて便利」に回帰した。リニア中央新幹線が開業すれば、「速くて便利」の役割はリニア中央新幹線に移る。東海道新幹線は再び「快適な楽しさ」を備え、リニア中央新幹線と役割を分担する。
東京~新大阪間の所要時間は約2時間半に短縮された。個室サービスは過剰ではないかという声もあっただろう。しかし、近鉄が観光特急「しまかぜ」で個室を導入。東武鉄道は「スペーシア」で個室を採用しており、2023年にデビューした「スペーシアX」でも個室を継続している。つまり、所要時間2時間程度の特急列車にも個室のニーズがある。むしろJR東海は個室導入のチャンスをうかがっていたかもしれない。
東海道新幹線は13年程度で新車が登場する。N700Sは2020年に運用開始したから、2033年以降に次世代車両が投入されるだろう。今後、他にも新しい上級席をN700Sの改造で試し、東海道新幹線の次世代車両への参考にするのではないか。リニア中央新幹線の進捗も気になるところだが、並行在来線ならぬ初めての「並行新幹線」として、東海道新幹線の付加価値も気になる。いままで「速さと大量輸送」に縛られた東海道新幹線の今後に期待したい。