勝利チームに駆け寄った人のなかに、日本代表の2大会連続パラリンピック行きを演出した“立役者”がいた。

車いすバスケットボール女子最終予選。パリ2024パラリンピックの出場権決定戦で勝利し、コート上に歓喜の輪が広がった。日本は、クロスオーバー戦でグループAの下位チームとの対戦を想定していたが、予選グループBで3位だったため、グループAで2位のオーストラリアとパラリンピック切符を争うことに。オーストラリアには1月のアジアオセアニアチャンピオンシップスで3戦3勝しており、2月に今回と同じ会場で開催された親善試合でも日本が圧倒。今回の予選で理想通りの展開にならなくても、「緊張せずに戦える相手」(岩野博ヘッドコーチ)と対戦できたのは、今大会の組分けの際、日本が“ホストの特権”を活かしてグループBを選んだからだ。

岩野HC(左)は、最も重要なクロスオーバー戦を見据え、強豪が複数いるグループBを選んだ

最後に自力でパラリンピック出場を果たした北京大会で4位だった女子は、女子は2012年ロンドン大会、2016年リオ大会の切符を逃していた。長く日本代表チームに携わり、リオを目指した時期にヘッドコーチも務めた橘香織(現・日本車いすバスケットボール連盟・女子のハイパフォーマンスディレクター)は熱っぽく語る。

「何が何でもパリに行ってほしい。自国開催の東京大会の次であるパリ大会に出て、若い女子選手に『自分たちもできる』というメッセージを発信してほしい」

求められた早い時期の決断

日本車いすバスケットボール連盟が大会招致を決めたのは2022年秋のこと。当初は2022年11月開催予定だった世界選手権の結果を見てから手を挙げる予定だったが、その世界選手権が2023年6月に延期になったため、2022年12月の立候補締め切りに間に合わない。

パリ大会の地域予選は2024年1月のチャンピオンシップスに当たるが、東京大会銀メダルで強豪と目された男子に対し、女子は中国という高い壁があるため、地域予選突破がむずかしいことは誰の目にも明らかだった。

「女子は中国が相手なのでアジアオセアニアゾーンの枠を取るのは相当難しい。最終予選に回ることはほぼ確実なので、ホスト国に立候補したいと日本車いすバスケットボール連盟の理事会にかけ合いました。日本がホストになれば、コンディション面はもちろんのこと、プール分けとスケジュールを有利に運べることは間違いありません」

最終予選招致の“言い出しっぺ” 橘はモッパーもこなすなど精力的に大会を支えた

橘が描くストーリーには、少なからず大会開催費用の負担が必要だった。だがら、大会招致にはコストをかけるだけの価値があることをアピールした。

「子どもたちや観客に車いすバスケットボールの真剣勝負を生で見てもらうこと」
「今後、頻繁に日本で国際大会を開催するためにコストを抑えた大会運営のモデルが必要なこと」
「日本をアジアにおける女子の車いすバスケットボールの聖地にしたいこと」

何とか理事会を説得し、国際車いすバスケットボール連盟に立候補書類を提出した。

プレゼンテーション用の資料づくりには、様々な国際組織で活躍する理事のマセソン美季も参加した。

「東京大会の前に、多くの自治体が大会参加国を招くホストタウンを招致しようと、自分たちの自治体をアピールする姿を見てきました。そのときに、空港からの輸送、体育館・競技場とホテル間の移動が招致のカギになることを改めて感じ、たとえば会場候補のAsueアリーナ大阪はメインアリーナと練習用のサブアリーナがフラットにつながっていることをうまく伝え、海外チームが安心して参加してくれるような内容を盛り込みました。何より大阪には、毎年海外チームを招聘して開催している国際親善試合・大阪カップの実績があります。ファンのベースがあることも推したいポイントでした」

パリ行きがかかる大一番には多くの観客が応援に駆けつけたこれ以上ないストーリー

そうして、今大会が実現。招致のあと、男子のパリ行きが消滅しただけに、女子が自力でパラリンピック行きを決めたことは大きな意味を持つ。

「ベンチも会場も一体となって応援できたことが自分たちのリズムで優位に試合を進められた要因。本当に、ありがたかったです」とは、北田千尋キャプテンの言葉だ。

歓喜の瞬間をスマホの写真に収める片岡事務局長

当初、最終予選招致を反対していた片岡優世理事(現・事務局長)は言う。
「大会運営にお金がかかりすぎるので最初の理事会で僕は反対しました。でも、橘さんとたくさん会話をして、決まったあとは実行委員会に混ぜてもらい、お金集めに奔走しました。いま橘ハイパフォーマンスディレクターのストーリー通りの結果になってすごくうれしいです」

東京大会で盛り上がった車いすバスケットボールのムーブメントを消したくない。勝利の裏に、多くの関係者の熱意と作戦があった。

text by Asuka Senaga
photo by X-1, Asuka Senaga