シャバカ・ハッチングスはUK屈指のサックス奏者として、サンズ・オブ・ケメット、コメット・イズ・カミング、シャバカ&ジ・アンセスターズといったプロジェクトで高い評価を得てきた。アメリカ由来のジャズだけでなく、彼のルーツでもあるバルバドスを含むカリブ海の島々の音楽をはじめ、アフロビート、ジャングルやグライムなどが溶け込んだシャバカの音楽は、近年のUKのジャズにおける最良の教科書のようでもあった。だからこそ彼はロンドンのシーンで「キング」と呼ばれていた。
そんなシャバカがサンズ・オブ・ケメットの2021年作『Black To The Future』あたりからバンブーフルートを演奏し始めるようになると、そこに尺八やインディアンフルートも加わり、サックスを手にする機会が減っていった。誰もが不思議がっていたころ、シャバカは前述の3つのグループの活動を休止すること、サックス奏者としての活動を停止し、フルート類や尺八に集中することを発表した。
その流れで2022年にシャバカ名義でリリースされたのが『Afrikan Culture』というEPだった。ここでシャバカはサックスを使わず、フルート類、尺八、クラリネットでゆったりとしたサウンドを聴かせている。これまでのサックスを用いたパワフルな高速演奏とは正反対と言ってもいい優しい響きに誰もが驚いた。
その間にシャバカは、福岡に行って竹を切り、自分だけの尺八を文字どおりゼロから造っていた。彼は本気で尺八に身を捧げようとしていた。
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フルート類や尺八を奏でることは、徐々にシャバカの音楽観をも変えていったようだ。彼に以前インタビューしたとき、このように話していたのが印象深い。
「僕が尺八を学ぶ上での最大の関心事は、いかに緊張感なくエネルギーを生み出すか。言い換えるなら、真っ直ぐな音を出すためには緊張感が不要という一種の逆説だ。真っ直ぐな姿勢で、その姿勢を保ちながらも、緊張から自身を解放し、エネルギーを生み出せるか。静止しながらも動きがある……太極拳や気功なんかもそうだけど、エネルギーの流れをいかに緩やかにある方向に向かわせるか、ということが必要なんだ。一定の姿勢を保ちながらも、その姿勢に自分が閉じ込められるのではなく、その中で流れを作ること」
「素材を(削ぎ落として)引いていくことで造られる唯一の楽器がフルート類だって話を聞いたことがある。尺八もそうだ。尺八の共鳴を理解することは、すなわち素材(竹)がどう共鳴するか、それが自分とどう揃うか、を理解すること。だから、尺八を吹くということは瞑想なんだ。素材の共鳴vs自分自身だからね」
今年4月、『Afrikan Culture』の続編というべきフルアルバム『Perceive Its Beauty, Acknowledge Its Grace』がリリースされた。ジャズの名作を数多く録音してきたアメリカのルディ・ヴァン・ゲルダー・スタジオを拠点に、エスペランサ・スポルディング、ジェイソン・モランといったアメリカのジャズ音楽家、アンドレ・3000、カルロス・ニーニョといったLAのジャズ〜ニューエイジ周辺のコミュニティをはじめ、イギリスや南アフリカの個性派も参加している異色の作品だ。
シャバカが考える尺八観は、そのままアルバムにも反映されている。彼は自分自身と向き合い、まるで瞑想するように、リラックスしながら自身の音を奏でている。本作は『Afrikan Culture』同様、これまでにシャバカが作ってきた作品群とは異なるものだ。しかし、音自体はやわらかくゆったりしているが、ただの優しい音楽ではない。チルでもなければ癒しでもない。そのタイトルが示すように、明らかにそこには何らかの意志、もしくはメッセージが込められている。
シャバカはこのアルバムで何を表現したかったのか。僕ら聞き手は何を受け取ることができるのか。本人にじっくりと聞いてみた。
―『Perceive Its Beauty, Acknowledge Its Grace』というタイトルの意味を教えてください。
シャバカ:アルバムのタイトルは、前に出したEP『Afrikan Culture』に呼応しているんだ。”アフリカン・カルチャー”は”その美しさを認識し”(Perceive Its Beauty)、その恩恵を知覚する”(Acknowledge Its Grace)……二つ(のタイトル)は連続している、ということ。なので、願わくば、次のアルバムのタイトルも、過去二つのタイトルに続く物語、つまりナラティブの流れを汲んだものになればいいなと思ってるよ。
―アルバムのコンセプトはタイトルそのもの、ということですか?
シャバカ:ああ、そうだ。僕の場合、音楽がすべて完成した後で「このアルバムは何を意味していたのか? どういうコンセプトだったのか?」が見えてくる。先にコンセプトがわかったうえでレコーディングに臨むことは滅多にない。だから音楽に深く入り込み「音楽が何を語ろうとしてるのか」「歌詞が何を意味してるのか」に耳を傾けていた時、このタイトルが思い浮かんだんだ。
―音楽面でのコンセプトはありましたか?
シャバカ:いや、なかったね。音楽面では、セッション用に書き溜めていたたくさんのフルートのメロディがあったので、そこが出発点だった。ところが実際にスタジオに入ってみて気づいたのは、それまでに書いたメロディを、スタジオでのメロディの作り方に反映させることが最良の方法なんじゃないかってこと。僕がやろうとしてたのは、(ゲストの)ミュージシャンが集まって音楽を作るんだけど、その時に特定のアトモスフィアや流れの中で演奏する状況を作り出し「それがどんな方向に向かい、どんなメロディを生むのか」を見ることだった。つまり全員がフルートと、もしくは僕がレコーディングの時点までに作ってきたメロディと、どう相互作用するのかってことに最も重点を置いたんだ。
―これまでの作品であなたが作ってきたメロディとは違うメロディが聴こえる気がしますが、いかがでしょう?
シャバカ:ああ、というのもこれまでのアルバムでは僕は楽譜のようなものを準備し、メロディを書き留め、それらをストレートにそのまま演奏するという方法をとっていた。それに対して今回は、メロディはたくさん書いたものの、それらをそのまま読んで演奏するのではなく、書かれたメロディが何を提案するのかを知ろうとしたんだ。
―提案するもの?
シャバカ:メロディを書くことは、僕がフルートで何を演奏したいのかを知るための練習のようなものだった。一旦セッションが始まったら、これまでのやり方で書かれたメロディをそのまま演奏して録音したものもあったし、そうでないものもいっぱいあったんだ。ミュージシャンたちが一堂に集まってライブ録音したのは、あくまでレコーディングの第一段階。生で録音したものを僕は全部聞き返し、アトモスフィアやメロディが音楽的視点の中で最も際立っていると思えた部分を、何時間にも及ぶテープの中から抽出し、再びスタジオに戻り、新たに書き加えたメロディをさらに追加でレコーディングした。
たとえば「As The Planets And The Stars Collapse」や「Kiss Me Before I Forget」のパートの多くは、2回目のレコーディングで書かれたものだ。そこにはミュージシャンたちはいない。バンドというコンテクストで録音したもののうえに、僕が新たに書き加えたんだよ。
「小さな音」が浮かび上がらせるもの
―最初の録音で分かった必要なものを、後から加えたりしていると。「アトモスフィア」という言葉が何度も出てきましたが、どんなアトモスフィアを目指していたのですか?
シャバカ:ミュージシャンたちには、音楽が持つ限界のゾーンを想像してくれと頼んだんだ。たとえば、イントロやアウトロ……メインイベントが起きる前、これから何かが起きるという、沸々と高まる期待感というようなものをね。そして、その緊張感と、まだ到達していない期待感があるゾーンにずっと居続けてほしいと願ったんだ。でも、それは案外難しいことだ。
―なぜ難しいんですか?
シャバカ:ジャズの文脈では、多くの音楽が”激しさに向かう”ことが基本になっているからだよ。だから、その「激しくないゾーン」という一貫したアトモスフィアに……それがどんなアトモスフィアであったにせよ……留まり続け、その中で何が示唆されるかを知りたいんだ。そういうことをミュージシャンたちにも伝えた。しかもレコーディングでは、ヘッドフォンも仕切りも用いなかった。フルートはそもそも音量が小さいので、それと(全体の)サウンドを調和させ、融合させるには、スタジオ内では静かに、ある種のアトモスフィアリックな演奏をしなければならなかったってこと。
―そういった、あなたが目指していたものを他の共演者たちとはどう共有したのですか?
シャバカ:ただ「静かにしろ」と伝えた。
―(笑)。
シャバカ:「大きな音で演奏するな」「フルートが聞こえなければならないことを忘れるな」ってね。今回のようなケースは「これは静かなセッションなんだ」と告げればいいだけの簡単な話だよ。つまりはセッションの主となるのは楽器どうしのインタープレイで、進行(プログレッション)することを主としたインタープレイじゃない。ある点に向かって進むのではなく、その点のなかに居続けるものであるべきなんだ。だから、何かがシフトしたり変化する時は、あくまでも有機的で自然に感じられなきゃダメだってこと。
―ヘッドホンも仕切りもなかったとさっき言ってましたが、マイクはどう設置したんですか?
シャバカ:エンジニアのモリーン(・シックラー)はルディ・ヴァン・ゲルダーの元アシスタントで、今は彼女がスタジオをやってるので、マイクの設置の仕方をよく知っているんだ。セッティングに関しては、楽器の前に置いただけで、特に何かすごいことをしたわけじゃない。それよりはミュージシャンたちのセンシティブさがミックスを楽にしてくれた。フルートの前に数本、各楽器の前にも数本ずつ。全員が円になって演奏した。
―距離的には近い位置で演奏してたのですか?
シャバカ:いや、距離はあったよ。中くらいのサイズのスタジオだったので、それほど離れてたわけじゃないけれど、お互いの肘がぶつかるほど近かったわけじゃなかったかな。
―フルートの音量に合わせる以外にも、小さな音には何か目的があったと思うのですが。
シャバカ:小さな音であることが、僕たちが何を演奏するのかを自然と決めるってことじゃないかな。「メロディがどこへ向かうべきか」は音の強弱と音のテクスチャーが教えてくれるんだ。たとえば逆に、ものすごく音の大きな音楽を演奏する時は、音の大きさが何を演奏するかを決めるし、アプローチのフィジカルさ、どんなメロディを出すのがその楽器にとって最適か、そういったことが決まってくる。もし周りの音が大きい環境で、僕がフルートをマイクアップして吹いたとしたら、吹き過ぎたり、ハーモニクスという意味でも(小さい音の時とは)全然違うエリアでのインタープレイになる。だから”小さな音の場所”から物事を始めれば、もっとドリーミーというか、アトモスフェリックなインタープレイが浮かび上がる。それが僕が今回のレコーディングから求めていた空気感なんだ。
―フルートの音に合わせるほど小さな音量で演奏することは、ジャズミュージシャンには滅多にない経験ですよね。
シャバカ:他に言いようがないので、あえて言うけど”ソフトな演奏”はジャズの中にもあると思う。マイルス・デイヴィスの『Miles Smiles』に収録されている「Circle」がいい例だ。実際、僕はミュージシャンたちに「あの曲の雰囲気を出したい」と話したんだ。と言っても、それがアルバムの出発点だったわけじゃなく、あくまでも作っていく過程、アルバムの周辺で起きたことだ。アルバム全体、特にホーン奏者たちに対して、最初にそれを告げたわけじゃない。
他にも例を挙げることはできるけど……たとえばビル・フリゼール、ジョー・ロヴァーノを交えたポール・モチアン・トリオのあのアンビエンスをキープする感じとか。でも、テナーサックスの温かくソフトなモードは、バンブーフルートとはまた違うから。サックスが静かなダイナミクスで音を響かせるためには空間を満たさなきゃならないけど、その方法は基本的にフルートとは異なるんだ。今、僕は探究しようとしてるのはそのポイントだと思ってる。
尺八がかき立てる想像力
―あなたがフルートを吹くのが目立ち始めたのが2021年ごろです。その後、フルートや尺八を主体にしてから随分時間が経ちました。その間、あなたの技術も向上し、演奏の幅も広がってきて、そうなると即興への取り組み方も変わってきたと思います。
シャバカ:いや、楽器を使いこなし、楽に扱えるようになれるように、ただ毎日練習をしていただけだよ。演奏すること自体が目的ではなくて、メインは毎日の練習を続けることと、楽器に安心感を抱けるようになること。クラリネットやサックスの時もそうだったけど、楽器全般を使いこなせるようになると、自然と即興演奏もできるようになるものだ。尺八は先生につかずに独学で学んできた。それは僕の尺八のプレイに表れている。自分がやっていることに神経を集中させたシャープなプレイだね。実際、自然環境の中で静かでソフトな演奏をしながら「自分が心地よいと感じる、木を反響させるのに最も効果的な方法はなんだろう?」とよく考えているんだ。
自分にとって心地よいことというのは、結局は僕のすべてを左右する。そういう音を作るには前に進むしかない。自分が好きなメロディを演奏するには、楽器と共に前に進むしかないんだ。進み具合はとても遅いよ。最初に尺八を吹いた時から今まで、動画をソーシャルメディアに上げ続けているのは、オーディエンスに僕の成長を見てもらうのと同時に、僕自身の公共アーカイブになるからなんだ。
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―その技術的な成長も、メロディを書くうえで影響はありましたか?
シャバカ:ああ、あったと思う。僕の練習の大部分がメロディアスなプレイをすることだからね。メロディアスなソングライティングは想像力にかかっている。要は想像することに心地よさを感じられるようになるか。楽器に触れている時間が長ければ長いほど、よりメロディを想像できるようになる。尺八からは「想像力をかき立てる興味」というひらめきをもらった。とにかく僕には面白いと思える楽器なんだ。面白いものや興味は、作曲にとって最高のインスピレーションだ。新しい音楽制作ソフトや機材を手に入れれば、自分の楽器を探求することに興味が湧き、それが新しいメロディのひらめきになるのと一緒だ。尺八は実に奥の深い楽器だ。演奏し、練習すればするほど新しい学びがある。そして、その楽器について新しいことを発見すればするほど、新しいメロディ構造や、その楽器の音を普段自分が演奏している文脈に取り入れる方法を想像することに、より一層興味が湧いてくるんだ。
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―いろんなバンブーフルート、尺八などを吹いてますよね。それぞれの楽器にはそれぞれの楽器が生まれた地域の文化があり、そこに紐づいたその楽器の文脈があります。楽器が上達すると、その文脈に近付きますか? それとも文脈から自由になるものですか?
シャバカ:面白い質問だね。演奏する楽器への理解が深まるにつれ、特定の文化が特定の音に惹かれる理由がわかるようになってきた気がする。なぜなら、文化は音を通じて表現されるから。特定の文化を持つ社会や集団が特定の音に惹かれる理由は、その地域特有のものだし、それを作り上げる個々の人々特有のものなんだ。たとえば尺八という楽器の精神性や音の質感、示唆するもの……もしくはその楽器を演奏するうえでの厳しさ、規律、集中力に目を向けた時、そこからは日本文化や日本人の性格といった社会的レベルの何かが見えてくる。尺八に比べ、ネイティヴ・アメリカン・フルートは吹き方もまるで違うし、音を作り出すシステムそのものが違う。でも、僕はネイティヴ・アメリカンと十分な時間を共にした経験がない。だから僕にできるのは、楽器がどのように響き、鳴るのかを想像し、それがその文化集団の個性や性格をどう反映しているか、音の個性を作り上げているかを想像することだけだ。
―今作はサウンドや音響にも特徴があります。そこへのこだわりも聞かせてください。
シャバカ:これまでのほとんどのアルバムと同様、ディリップ・ハリスがミキシング、プロデュースを僕と一緒に行なってくれた。まさに二人でアルバムを作ったんだ。すべての曲を前にして、どこをエディットしてどの一部を使うか、アレンジはどうするかを決めるのは僕で、そのあとのミキシング、音のバランスということに関して意見を聞くのはディリップだ。
たとえば「Managing My Breath, What Fear Had Become」では僕のフルートが、(ゲスト参加している)ソウル・ウィリアムズの声の下で曲全体を支える土台になっている。出来上がったものを聴くとすごく自然にフルートと声は相互に作用し合っているように聴こえると思う。ところが、最初、すごく大変で……声をいかに3本のフルートのポリフォニーの中に配置すべきか、かなり苦労したんだ。結局、ディリップとフルートの様々な音を試す中で、フルートの領域の中でも声がちゃんと活かされ、同じダイナミックの中ですべての音がちゃんと聴こえ、その良さを発揮できる方法をなんとか見つけたんだ。
ディリップ・ハリス関連作をまとめたプレイリスト。マウント・キンビー、キング・クルール、ロレイン・ジェイムスらの最新作にも携わっている
―そういった今作の特殊な音作りの参照点になったアルバムはあったりしますか?
シャバカ:ミックスを始めるにあたり、直接これを参照にした、というアルバムがあったわけではない。というか、僕はそういうことはしないんだ。ただ、音楽が示唆してくれることを知ろうとするというか……。ディリップと長年一緒にやってる理由もそこにある。プロジェクトが始まる時点で、こういうサウンドになるべきという参照点は一度もない。ミックスを始める時のサウンドは本当にひどくて、サウンドも全く良くないし、バランスも悪い。だからこそ僕はディリップが好きなんだ。彼は最初からいいサウンドやいいミックスをポンと出してくるタイプのプロデューサーではなくて、アンバランスな中から、僕との話し合いや交渉のプロセスを経て、僕が思い描くものを形にしてくれるから。
―今のお話について、曲を例にあげてどんなことをやったか教えてもらえますか?
シャバカ:「Song of The Motherland」での僕のフルートは、あまり高音域がないドライな音をしている。トップどころか中音域もかなり取り除かれている。それはそうなるべくしてなったミキシング・スタイルなんだ。というのも、僕らには音空間を埋めすぎることなくフルートが曲に存在している状況が必要だった。曲の中には多くの情報があるものもあったからね。「Song of The Motherland」ではフルートが大量のバッキングをしているし、僕の父親の声も聴こえる。とにかく大量の音の情報がひしめき合っているので、その中で僕のソロフルートが威圧的にならずに存在感も示すにはどうすればいいか、色々と実験したんだ。
「音のポエム」とパーソナルな物語
―あなたがこれまで作ってきた作品はアルバムや曲のタイトル、もしくはリリックを通じて人種問題、植民地主義、ディアスポラ、フェミニズムなど、様々なトピックを感じさせてくれました。本作はどうでしょう?
シャバカ:特にそうしたわけじゃないよ、少なくともアルバムタイトルとかではね。今回のアルバムタイトルは「ポエティック」だ。ポエトリーというのは「解釈」なんだ。そこに書かれたものや与えられたものをどうアーティスティックに解釈し、「シンボル」としての言葉からいかに意味を見つけ出すか、ということだと思う。そして「シンボル」とは、そこに込められているものよりも深い意味を解きほどき、より深く掘り下げることのできる表現のことだ。人種問題、コロニアリズム、フェミニズム……そういった社会を取り巻く問題は僕自身、そして僕の周囲のコミュニティが経験していることの一部だ。だから、『Perceive its Beauty, Acknowlege its Grace』というアルバムタイトルは、僕がこれまでのアルバムで扱ってきた問題と対照的に関係しているわけじゃないけど、「世界に対する視点」という意味では同じ場所から生まれている。
―なるほど。
シャバカ:アルバム冒頭の「End of Innocence」「As the Planet and the Stars Collapse」「Insecurities」「Managing My Breath, What Fear Had Become」……これらはどれも断絶というか、これまで常識だと思われてきたものから切り離されることをほのめかしている。
続く「The Wounded Need To Be Replenished」や「Body to Inhabit」ではエネルギーを補充し、再びエネルギーに焦点を当てることが示唆されている。その後、先の数曲で歌っていた”断絶”のせいで必要となった新たな方向へと駆り立てる力に人が動かされ、支配されることが「Ill Do Whatever You Want」「Living」「Breathing」に至る流れで示唆される。そして最後、「Kiss Me Before I Forget」「Song of the Motherland」に至る頃には、人をそうやって動かし、駆り立て、新しいエネルギーの方向を示していたものは「Song of the Motherland」なのだということが示唆される。でも、それをどう解釈するかは人それぞれだよ。
なので、このアルバムを人種差別やポストコロニアリズムという視点で捉えると、"断絶”を引き起こした原因が見えてくるだろう。「As The Planets And The Stars Collapse」で感じられる”切り離された”感覚を裏付けるものはなんだろう?という視点で見ることもできる。不安さ(Insecurities)の原因は何か? 呼吸を整え(Manage your breath)なければならない原因は何か? 恐怖は何に変わるのか?(What fears become)というふうに。
でも、そういったことをタイトルであからさまにはしたくなかった。あくまでもポエティックなままにして、オーディエンスの側から近づき、その意味を自らが考えられるようにしたかったんだ。彼らがもし僕の過去の作品を知ってくれているなら、その意味はより明確かもしれないしね。たとえ明確でなかったとしても、誰一人として突き止められなかったとしても、何らかのシンボリックな意味は示唆されると思う。時の経過と共にね。
―前作から今作、そしてこの先も続く壮大な物語であるわけですよね。その大きなストーリーのインスピレーションになったものはありますか? 例えば神話、叙事詩、伝承、昔話とか。
シャバカ:いや、これ自体が物語だよ。
―どう思いついて、全体像を描こうとしているんですか?
シャバカ:定義するなら、sonic poem(音によるポエム)だよ。言葉そのものを見るのではなく、言葉を考えながら音楽を聴くんだ。「African culture perceives its beauty and honors its grace」(アフリカン・カルチャーはその美しさを認識し、その恩恵を知覚する)という言葉を頭に置いて音楽を聴き、その言葉とサウンドが一体となった時、君に何が示唆されるかってこと。それが物語であって、他の物語はない。君の心にもたらされるもの、つまり、それは君が音楽と言葉から想像するものだ。それがこのアルバムによって描かれるストーリーだ。
―解釈は僕ら聴き手に委ねられていると。
シャバカ:確かにこれまでとは違うやり方だ。もし何か別の伝統的なアフリカの物語を参照にしたとしたら、それは真実ではなくなってしまう。僕が伝えようとしているのは、そういうストーリーじゃない。今回僕が伝えたいのは「このアルバムと出会ってくれた人それぞれのパーソナルな何か」なんだよ。タイトルも物語も、今回はあからさまなものではなくポエティックなのは、特定のストーリーをそこから浮かび上がらせようとしてるわけじゃないからだ。僕が与えるのはあくまでも「目印」もしくは「方向」だね。オーディエンスが自分たちで物語を想像した時、その物語を支えられるように、アルバム全体を通じて短いナラティブ・ポイント……つまりはサウンドと関連付けた言葉たちを置いたんだ。
Photo by atibaphoto
―これまでのあなたの音楽には、あなたが暮らしてきた土地の文化や、そこから連なるルーツや祖先の音楽との関係を感じさせるものが多かったと思います。今作に収められた音楽は、あなたとどんな繋がりを持つものだと思いますか?
シャバカ:「僕そのもの」ってことじゃないかな。もし音楽から親近感や感受性といった要素が感じられるのだとしたら、それは僕自身の性格の一部だからなのであって、僕のパーソナリティは僕がどう育ち、どういう旅をこれまでしてきてこうなったか……によって決まる。
問題は、外国の文化に対して人は外から見たことしか見えないという点。例えば、その文化に対してセクシーだとか面白いとか思ったとしても、実際にはカリブ海の人間の文化には、海や地形との繋がり、つまりは強い連帯感や内省、魂の探究に関わるたくさんのことがある。それらはカリブの人間でなければ知ることのできないものだ。その土地に観光客として訪れただけでは、わからない。僕がアルバムでエモーショナルな地形を描くことで、人々が必ずしも馴染みのない、カリブ人としての別のアイデンティティの形が見えてくれたらと思ったのはあるね。
―ネイト・スミスが以前、あなたの『Afrikan Culture』を「Black Meditative Music Space」と評していました。最後に「Space」をつけていたのを非常に興味深く思ったんですよね。
シャバカ:ネイトがその一言を加えたのは素晴らしいことだと思うよ。実際、僕らが今回やりたかったのは「Space」を作ることだった。音を届けるだけでなく、オーディエンスをある種の「Space」に連れていく。そもそも瞑想を実践するうえで大切なのは、集中力を意識することだ。そして、集中力をコントロールするというよりは、集中力を導くことで、物理的な「Space」とは違う、その音が作り出す特別な「Space」へと精神を招き入れること。今いる物理的な環境は四方の壁に囲まれているかもしれないが、そことは違う、より広い「Space」、つまりは精神的な「Space」へ自分を連れ出すことは可能だと思う。音楽が目指しているのがそんな「Space」なのだとしたら、Black、Meditative、Musicという言葉にSpaceを加えたのは、僕があの作品でやろうとしていたことをコンテクチュアライズ(文脈化)する実に美しい方法だと思うよ。
シャバカ
『Perceive Its Beauty, Acknowledge Its Grace』
発売中