夫婦共働きの家庭が年々増え続けている昨今、子どもが「野球をやりたい」と言い出しても、休日練習の付き添いや保護者によるお茶当番といった負担の大きさから、野球をやらせるのに尻込みしてしまう親御さんたちも多いという。
そうしたなか設立されたのが、保護者の業務的な負担を一切なくした少年野球チーム「練馬アークス・ジュニア・ベースボールクラブ(※以下、練馬アークス)」だ。既存の少年野球チームの運営体制に疑問を感じた中桐悟さんが、「純粋に子どもに野球を楽しんでほしい」との思いのもと、ゼロからクラブを立ち上げ、運営している。
では、練馬アークスではどのようにして保護者の負担なしで運営しているのだろうか? 中桐さんが感じた少年野球の問題点などをお聞きしながら、持続可能な子どものスポーツの支え方について話を伺った。
これまでの少年野球にはない先進的な運営方針東京都の練馬区と板橋区にまたがる城北中央公園を主な活動拠点に、現在は小学1年生から6年生まで約40人が在籍する。会費は月7300円と一般的な野球チームと比べて高額だが、チームスタッフには元プロ野球選手、医療系やトレーナーの有資格者が在籍するなど、それに見合ったサポートを提供している「練馬アークス・ジュニア・.ベースボールクラブ」は、結成から3年弱と歴史の浅いチームだが、部員募集を開始すると申し込みが殺到するほどの人気を誇っている。その理由は、罵声や高圧的な指導の完全禁止や勝利至上主義の否定、土日の午前・午後のいずれかだけを練習に当てる「週末練習1/4ルール」といった、これまでの少年野球にはなかった9つの約束を掲げていることが大きいが、中でも「保護者の業務負担一切なし」という約束が特に高い支持を集めている。
「父母会は設立自体を禁止していて、保護者間の連絡手段となるグループLINEもありません。もちろん、練習の見守りや試合の審判、試合会場まで自身の子ども以外を相乗りさせて送迎するといった運営のお手伝いを求めることもなく、保護者の方たちには一切の業務負担がないことを確約しています」(中桐さん)
保護者が練習を見学したり子どもと一緒に参加するのは自由だが、それを強制することはない。家族旅行など、他に優先すべき用事があれば、練習を休ませても構わないし、あくまで楽しむことを第一とした野球を実践している。
自身の苦い野球経験と野球をやりたい長男の思いがチーム設立の動機に練馬アークスで代表を務める中桐 悟さん。自身の野球経験が乏しいからこそ、これまでの少年野球の慣例にとらわれることなく、必要なリソースを各分野から集める柔軟なチームコーディネートを実現しているそんな先進的な少年野球チームを中桐さんが設立した原点は、中学校時代の苦い野球経験にある。小学生の頃には巨人の選手のフルネームと背番号をそらで言えるほどの野球好きだった中桐さんだが、期待に胸を膨らませて入部した中学校の野球部で、昭和の体育会系を地で行く監督から理不尽な指導を受け続けたことで、大好きだった野球を嫌いになってしまう。
「ミスをしたら、罵声や鉄拳が飛んでくるのはもちろん、『暴投するのはお前の性格が曲がっているからだ』なんて、人格を否定されるようなことも言われました。今でも思い出すだけでつらいトラウマ体験で、以来、野球からずっと距離を置いていました」(中桐さん)
転機が訪れたのは、25歳のときに参加した草野球チームだった。初心者も多く、ミスを責めることなく、ヒットを打てばみんなが笑顔で迎えてくれるようなチームスタイルだったことから、白球を追う楽しさをようやく噛み締めることができ、失っていた野球愛を取り戻した。そんな野球を心から楽しむ中桐さんの姿を見た小学生の長男が、同じように「野球をやりたい」と言い出したことが契機となり、少年野球チームの設立を考えるようになる。
「さすがに今の少年野球は僕らの時代からアップデートされているだろうと思ったら、いまだに罵声を浴びせる昭和スタイルの指導が横行していました。子どもには絶対に自分と同じような思いをしてほしくないと思いましたが、チームや監督に恵まれるかは運次第。その点に強い不安を感じていました」(中桐さん)
野球愛を取り戻すきっかけになった草野球チームで存分に野球を楽しむ中桐さん加えてネックになったのが、保護者の負担だ。少年野球の大変さを周囲から聞いていた中桐さんの奥さんは基本的に反対のスタンス。長男の「野球をやりたい」というピュアな気持ちを尊重したくとも、他のスポーツを勧める奥さんとの間で意見の相違が起きてしまったという。
事実、一般的な少年野球チームでは、練習の手伝い、付き添いやお茶当番、車での送迎(相乗り)やレクリエーション、グラウンド確保や連絡といった業務が保護者の大きな負担になっており、野球を敬遠する親御さんたちも少なくない。2023年6月には、全日本軟式野球連盟から全国の支部へ、時代の変化に合わせた、保護者に負担のかからない柔軟なチーム運営を求める異例の通知文が出されるほどの事態だ。
それならばと中桐さんは一念発起。自身が理想とする茨城県つくば市の春日学園少年野球クラブや神奈川県川崎市のブエナビスタ少年野球クラブの理念に倣いながら、保護者の業務負担一切なしなどを含めた独自の約束を掲げる練馬アークスを立ち上げることとなる。
慣例にとらわれないからこそできた、革新的な保護者負担ゼロの実現方法左がこれまで保護者が担っていた役割で、右がそれをなくすために練馬アークスで取り入れた解決法だでは、練馬アークスでは、どのようにして保護者たちの負担をなくしていったのだろうか? 鍵となるのは、無駄なタスクの排除と外注化だ。
「運営の基本的な考え方は、無駄な業務を削ぎ落としたうえで、必要な業務は外部に委託することで最小限に抑えています。例えば、『お茶当番』は各自が水筒を持参すれば不要ですし、『配車係』も現地集合・現地解散をルール化してしまえば要りません。ケガなどの手当は柔道整復師や医療系の資格をもつスタッフが在籍していますし、審判も外部の専任者に委託しています」(中桐さん)
それ以外にも、これまでは保護者たちの役割だった用具の運搬も練習場近くに専用の倉庫を借りることで負担をゼロにし、意外と手間になる情報伝達もLINEのビジネスアカウントを取得することで保護者間の横のつながりではなく、事務局からの発信に抑えることでコミュニケーションコストを圧倒的に下げている。保護者が担う唯一の役割といえば、クラブからの連絡事項を子どもに伝えるくらいだ。
通常は地域のスポーツ店で作るユニフォームもECサービスを利用することで低コスト化。メンバーもGoogleへの広告出稿で募集をかけ、会費の回収もクレジットカード決済を導入することで回収の手間を省いている「私たち事務局側の業務も簡素化、ITを活用した効率化を徹底的に図ったうえで、指導に付加価値をつけるように心がけています。保護者説明会は事前に質問や意見を募集し、それらに回答した動画をYouTubeで配信することで、各自の都合のいい時間に参加・閲覧できるようにしました。指導にもタブレットを導入し、一流のコーチによる有料の指導動画を活用して優れた指導ができる環境を整えています」(中桐さん)
いまだ旧態依然とした運営が多い少年野球チームにおいて、ここまで効率的に行われている練馬アークスの運営には少々驚かされた。慣例にとらわれない、自由な発想でチームをまとめている中桐さんだからこそできた、革新的な手法といえるだろう。
中桐さんが考える子どものスポーツの支え方とは?練馬アークスでは、こうした工夫を重ねることで「保護者の業務負担一切なし」を実現したが、そもそもこの背景には、これまでは保護者たちが支えるのが一般的だった少年野球を共働き世帯の増加や休日の過ごし方の変化から保護者たちが支えられなくなってしまっている現状がある。少年野球のあり方自体を考え直す局面に差し掛かっているともいえるわけだが、その最前線に立ってチームを運営する中桐さんは、今後、子どもたちの野球を支えていくにあたり、どのような考えをもっているのだろうか。
「保護者たちの業務負担以前にまず、子どもたちが遊びの延長線で気軽に野球を楽しめる環境がなくなってしまっているという問題があります。近所の公園や学校では、危ないなどの理由でキャッチボールをはじめとするボール遊びを禁止していますから。」
では、今の子どもたちが『野球をやりたい!』となったら、どうするか? それは地元にある昔ながらの少年野球チームに入って、大会の優勝を目指すような組織化されたガチガチの野球に取り組むしかないんです。しかも入ったら入ったで、今度は保護者の負担問題に直面します。地域によってはチーム間の移籍を禁止している場合もあり「合わない」チームは辞めるしか選択肢がないケースもあります。今、野球ができている子どもたちは、こうしたハードルを乗り越えられた“選ばれた子たち”だけなんです」(中桐さん)
続けて中桐さんは、だからこそ、練馬アークスのように「ちょっと野球をやってみたい」という子どもたちの受け皿になるチームがもっと増える必要があると強調する。
「現在、練馬アークスでは定員超過で部員の募集を停止していますが、それでもなお、入りたいという問い合わせが来るくらい、世の中から必要とされている実感があります。もちろん、大会の優勝を目指す本気の少年野球チームも良いと考えているのですが、楽しさ重視の私たちのような少年野球チームもあっていい。そのうえで『君ならどっちに入りたい?』と、選択肢を増やすことが、子どもたちの野球やスポーツを支える一つの解決策になると私は思っています」(中桐さん)
自身でデザインを手がけた自慢のユニフォームをまとい、練習モードへと切り替わった中桐さんまた、少年野球がお金を払って教えてもらうことを良しとしない風潮なのも、練馬アークスのようなチームが増えない原因だと中桐さんは指摘する。
「きちんとお金をいただくからこそ、提供できる付加価値というものもあります。事実、練馬アークスでは他よりも高い会費をいただくことで、保護者負担ゼロを実現することができました。これも先ほどの選択肢の話になりますが、保護者の方たちのボランティアで支えられている野球チームもいいですし、ある程度の対価をいただいて保護者の方たちの負担をなくし、スキルの高いコーチが指導してくれる等の高い付加価値を提供する野球チームもあっていいと思うんです。そのご家庭の事情に合わせて選んでいただける選択肢があることが大切なのではないでしょうか。
もちろん、中には金銭的な負担が厳しいご家庭もあると認識しています。経済的な理由で子どもが好きなスポーツができない状況は好ましくありません。将来的には、行政やチームのスポンサー企業がその費用のいくらかを負担できるような枠組みをつくり、より多くの子たちが気軽に野球に取り組める環境も整えていけるとより良くなるのではと考えています」(中桐さん)
子どものスポーツ離れが指摘されて久しいが、野球については昔からの慣例や必要以上に子どもたちの行動を規制する環境がそうした事態を招いているのかもしれない。そのなかで新しい考え方で仕組みをつくり、子どもたちの野球愛を育むことを大切にする練馬アークスのような少年野球チームは、子どもに限らず、どんな人もスポーツを楽しめる持続的な環境づくりにおいても参考になる事例といえるのではないだろうか。
text by Jun Takayanagi(Parasapo Lab)
photo by Yoshio Yoshida
写真提供:練馬アークス・ジュニア・ベースボールクラブ