1979年、静岡県生まれ。1998年にJリーグのジュビロ磐田入団後、1999年FIFAワールドユース選手権で準優勝、2000年シドニー五輪代表入りなど国際的に活躍。2002年、Jリーグで得点王と最優秀選手賞を獲得。2003年ドイツのハンブルガーSVへ移籍。2006年、サッカーW杯ドイツ大会に日本代表で出場。その後、国内外のクラブチームで活躍。2015年12月、沖縄SV株式会社を設立し、翌年から沖縄SVの選手権監督を務める。2023年のシーズンで選手引退。現在は沖縄SVのCEOおよび沖縄SVアグリの代表として、選手の育成及び農業に携わっている。
地域に根差したサッカーチーム設立から農業の道に
――髙原さんは世界的なサッカー選手として長年活躍してきました。その髙原さんが沖縄で農業というのは少し意外だったのですが、農業を始めたきっかけは?
もともと農業をやるために沖縄に来たわけじゃないんです。沖縄でサッカーのクラブチームを立ち上げることになった時、いかに地域創生に貢献していくか、さらには選手のセカンドキャリアをどうするかなど、さまざまな課題を解決できるような取り組みをやりたいなと思っていました。それで、チームの運営会社である沖縄SV株式会社として、将来的に事業として成り立つ取り組みをしようということで、農業を始めました。でも最初はチームの誰も農業のやり方がわからなかった。そこで、農家の手伝いという形で農業とはどういったものなのか体験をさせてもらいました。手伝いをするうちに、沖縄における第一次産業の課題、担い手不足や耕作放棄地の問題が見えてきた。もちろん沖縄に限らず日本中の問題です。スポーツをなりわいにしている我々がそうした問題に関わることで解決できないかなと思ったわけです。
――さまざまな課題解決の一環として、実際に農業参入することにしたわけですね。しかしなぜコーヒーを栽培することにしたのですか? 沖縄にはほかにも魅力的で収益力も高い作物がたくさんありますが。
農業に携わる中で、沖縄でコーヒーが作られているけど、まだ産業として成り立っていないという話を耳にしました。その時に「沖縄でコーヒーが作れるんだ。それなら面白いな。ハワイのコナコーヒーみたいになったら、沖縄の新たな魅力として打ち出せるのでは」と思ったんです。でもコーヒーってどうやって作るかわからないので、プロフェッショナルの方にお願いするしかないなと。そこで、過去のツテをたどってネスレ日本の担当者にお話を聞いていただいたところ、「ネスカフェ プラン」という世界中のコーヒー農家を支援するプログラムの存在を知り、その取り組みの一環として「ネスカフェ 沖縄コーヒープロジェクト」が始まりました。
――そうした「ネスカフェ 沖縄コーヒープロジェクト」の成果もあって、だんだんと沖縄でのコーヒー栽培が広がってきていますね。ただ、沖縄では台風などさまざまな問題があって、コーヒー栽培の収益化が難しいと聞きます。そこにあえて挑戦したところに、髙原さんのスポーツマンらしいチャレンジ精神を感じます。
ありきたりなものを作っても成り立たないでしょ、というのが正直なところです。だから沖縄でコーヒーが作られていると聞いたときに「おっ」と思ったわけですよ。でも産業として成り立っていないということは、何か問題があるんだろうと。そういう問題を乗り越えることが面白いと思ったし、もし乗り越えられれば自分たちにとって大きな意義がある。さらにスポーツをなりわいにしている自分たちが地域創生や地域貢献という形でコーヒー栽培に関われたら、スポーツに対する見方が変わるんじゃないかなと思います。
選手引退。農業へ全力をかける
――その難しいコーヒー栽培に携わりながら、2023年のシーズンまで選手兼監督と運営会社の社長業も続けてきましたね。
僕の性格上の問題で、自分がやると決めたら全力でやる。中途半端なのが一番嫌なんです。でもやっぱり選手っていろんな意味で負担が大きいんですよね。それで、中途半端は嫌だと言いながら、どこかで中途半端だったと思います。今は2021年に立ち上げた農業法人の沖縄SVアグリ株式会社の社長にも就任して、作業を含めてすべてやらせてもらっています。とにかく自分がやろうとしたことに対してしっかり全力でやっていくこと。でも、使命感じゃなくて、楽しんでやっています。
「ネスカフェ 沖縄コーヒープロジェクト」は開始をオフィシャルに公表したのが2019年の4月なのでまだ5年ですが、自分はコーヒー栽培に関わり始めてもう7年ぐらいです。その中でいろんな経験もして作業の仕方も覚えて、コーヒーの成長を見る楽しみも感じています。
――すごく楽しんで作業をされているんですね。でも実際に農業をするようになって、農業が大変だと思う瞬間はないですか?
なんでも大変なものは大変なんですよ。それを大変と思うか、そういうことも含めて楽しめるかということです。スポーツ選手と農業に親和性があるのは、そういうところだと思います。
自分はずっとサッカーをやってきましたけど、いろんなことを試行錯誤しながら人の意見を聞いて参考にしたり、自分で考えたりして、プレーに生かしてきました。それは農業も一緒だと思います。沖縄でのコーヒー栽培ってやればやるほど問題って出てくるんですけど、そのたびにそれをどうすべきかを、ネスレの栽培指導の方とコミュニケーションをとって教わっています。そのうえでコーヒーの防風対策とか遮光対策とかも、現場で自ら考えることで、成長しながらやれるのがすごくいいなと思います。
――農業に関わることで選手たちにも変化はありましたか?
実のところ、農業に限らず、地域のさまざまな仕事に関わることが大事だと思います。うちの選手たちは基本的に皆サッカー以外の仕事を持ちながらプレーしている。デュアルキャリアというんですかね。その別の仕事の中でいろんな人と関わることで、選手に責任感が生まれます。例えば、職場の人が普段から応援してくれたり、試合を見に来てくれたりする。少し考えが甘いな、と思っていた選手も、そうやって地元の職場の仲間に応援してもらうことで大人として成長し、プレーにも変化が出てきます。これがJ1やJ2のチームだったらできないことです。
コーヒーが沖縄に来る目的になる日を目指して
――現在、「ネスカフェ 沖縄コーヒープロジェクト」の進捗(しんちょく)は?
今はようやく最初に植えたコーヒーが育ってきて、栽培の知見がたまってきているところです。昨年はコーヒーチェリーを収穫してコーヒー豆に加工し、記者発表や取材時などで関係者を中心に飲んでいただく機会も少しですが作れました。
以前は琉球大学とネスレで作った苗木を植えていたのですが、自分たちで苗木も育てられるようになりました。それをこの秋には圃場(ほじょう)にたくさん植え付けていこうと思って準備をしているところです。
――「ネスカフェ 沖縄コーヒープロジェクト」は沖縄SVだけではなくて、沖縄県内のたくさんのコーヒー農家が協力農家として関わっているそうですね。
沖縄SVの圃場は現在ネスレの直営圃場という位置づけで、そこで作られた苗木を農家さんに渡すなどの仕事もしていました。これまで我々と協力農家さんとの関わりはそれぐらいだったのですが、今後はコーヒーの出口づくりも各農家とコミュニケーションをとってやっていきたいと思っています。農家さんの中には、コーヒーチェリーを収穫した後のコーヒー豆への加工まで自分でやりたいと思っている人もいれば、栽培・収穫だけやってコーヒーチェリーは買い取ってもらいたいという人もいる。その買い取りの取りまとめを沖縄SVでやらせてもらって、その後の加工や6次産業化までやることを目標にしています。
――そうなれば、「ネスカフェ 沖縄コーヒープロジェクト」を通じて沖縄SVの地域貢献活動も一歩前進しそうですね。今後の沖縄のコーヒーの未来についてお聞かせください。
これから年々沖縄でのコーヒーの収量が増えていくでしょう。そして、「沖縄に来たら国産のコーヒーが飲める」という状況になっていくと思います。自分が沖縄のコーヒーに出会ったときに最初に思い描いたことが、どんどん現実に向かっているのが見えてきています。今後は沖縄SVアグリでも、コーヒーそのものの提供だけでなくて、コーヒー農園での収穫体験などのプログラムを提供していきたいと思っています。
日本中の多くの人がコーヒーを沖縄に来る目的にしてもらえるように頑張っていきます。
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