フランスと福島、似ているけど違う小さな町

フランス北西部ブルターニュ地方、パリから西へ車で5時間ほど走ったところにある古都「ヴァンヌ」。そこが、今回訪ねたブケ・エミリーさんの故郷だ。コロンバージュと呼ばれる木組みの家々のカラフルさと、船が並ぶ港の景色が印象的な町だとエミリーさんは振り返った。ヴァンヌの海は遠浅で干満の差が大きく、引き潮の時には海岸線がはるか沖まで遠ざかって、海辺が干上がる。エミリーさんは幼い頃、その海辺で貝殻を拾ってはコレクションにしていたそうだ。

「フランスでは海が遠くに行くこともあれば、戻ってくる日もある。福島の海は、いつ見ても同じようにそこにあるね」

今、エミリーさんが暮らしている福島県の大熊町も、海沿いの小さな町という点は故郷と同じだ。ただそれ以外は、国も人も何もかもが違うこの町で「人生をかけて、農業をやると決めている」と力強く話す。

「あまの川農園」では、エミリーさんの好物のラズベリーをはじめとしたベリー系、ブドウやモモなどの果樹を中心に育てる。他にも、森にあった山藤を移動して藤棚を作ってみたり、取り壊される家屋の庭から梅の木をもらってきたり。農業を始めて1年、今は少しずつ苗を増やしながら農園を形作っているところだ。

2023年の2月に移住して以来、エミリーさんが少しずつ整えてきた畑。廃材を使って畑を区切っていて、その形もおもしろい

フランス語で「フランボワーズ」と書かれた板が土に差してあった

畑の中を案内してもらうと、棒に缶を引っかけた動物よけが。エミリーさんが手で触るとカランカランと音が鳴る。ネズミやモグラ、山ウサギなどの被害を経て、会津に住む農家さんに習ったのだと教えてくれた。

動物よけの缶がいくつも畑にあった

「故郷の船にも、ひもで缶をぶら下げたような飾りがついていて、風が吹くと音が鳴ります。だから、この音を聞くと少し懐かしい気持ち」

遠く離れたフランスからやってきて大熊町で農業を始める人がいると、誰が想像していただろうか。実はエミリーさん自身でさえ、福島に移住するとは、ましてや農業をやるとは思っていなかった。

「いろいろやりたい」の先にあった日本

幼い頃から「いろいろな仕事がしてみたかった」と話すエミリーさん。エジプトの考古学者に憧れたこともあるし、乗馬を習っていたので獣医を目指した時期もある。その中で、ずっと心にあったのは「自然に関わる仕事に携わりたい」ということだった。

何かを育てるのが大好きで、学校で習った「湿った紙の上に豆を置いておくと芽が出る」という情報に心を動かされた。トイレットペーパーに顔の絵を描き、頭の部分に豆を置いて水をやると芽が髪の毛のように伸びてくるアクティビティーだった、とおかしそうに話す。家に帰って、早速お風呂場にあった化粧用のコットンに水を含ませ、キッチンから拝借した豆を育てたという。

「最初は土がないからそのままダメになっちゃったけど、次は庭の土を持ってきて植えました。室内で育てていたから日の光を求めてどんどん伸びて、どこまで伸びるんだろう!っておもしろかったんです」

エミリーさん

高校進学の際には、農業高校を志望したこともある。けれど、周りからの「農業は大変だよ」という言葉もあり、一度諦めて普通高校に進学。高校卒業後は、興味の赴くままに1年間アートスクールに通い、デザインやイラスト、写真などを勉強した。当時も「やってみたいことが、いつもたくさんあった」と言う。それを次々と形にしていったことは、自身の会社を立ち上げて、アクセサリーを販売していたという過去からもうかがえる。

「親に大学に行った方がいいと言われて、エコロジーを勉強する学部に入ろうとしていました。でも、応募者数が少なすぎて廃部に。それなら大学に行くのをやめる!と」

大学に行くはずだったエミリーさんは、2011年4月29日、雨が降るパリの空港にいた。ちょうど英国王室の結婚式があったその日、エミリーさんはイギリスではなく、東京に向かう飛行機に乗った。

日本は、なかなか居場所にはならなかった

日本との出会いは、2人の兄が見ていたアニメや漫画。エミリーさん自身も「シティーハンター」などの漫画を楽しむようになり、19歳のときに初めて日本に旅行で降り立ってから、何度も日本を旅した。「日本で暮らしてみたい」という思いが募り、22歳でついに日本行きの片道チケットを取ったのだった。

ところが、出発を控えた3月、東日本大震災が起きた。出発に反対する周りの人の言葉を、エミリーさんはあまり深く受け止めなかったという。

「当時はいろいろ理解できていなかったと思う。フランスにはあまり地震がないし、テレビで見ても現実のことのように感じられなかった。行き先が東京だったこともあって、きっとなんとかなる、大丈夫と思いました。それに、人生いつ終わるかわからないでしょう? 迷っていても何も起こらない。私は人生にたくさんのことが起きてほしいから」

日本に来て、まずはフランス語と英語の講師として働き始めた。震災直後で日本を離れる外国人が多かったこともあってか、日本では「すごく(ほかの人からジロジロと)見られた」と話す。当時は日本語も話せず、日々の暮らしで壁がある上に、居心地の悪さも感じていた。

「怖いくらい見られるし、お店に入っても相手が身構えるのがわかる。悪気がないとわかっていても、やっぱり自分は違うんだ、外国人なんだと思い知らされる感じでした」

畑を歩くエミリーさん

避けていた福島、「普通に生活している」ことの発信が必要

今でこそ福島を「帰る家はここ」と話すエミリーさんだが、関東で暮らしている時、福島の印象は良くなかった。原発や放射線の危ないイメージがあり、八百屋で福島県産のインゲン豆を見て「わ、なんで福島の野菜なんて売ってるんだろう」と避けたこともある。

「それを日本に住む外国人の友達に話すと、みんな同じようなイメージを持っていたんです。外国人には情報が届きにくいから、自分たちの中で福島のイメージを強めていたのかもしれません」

危ないイメージの福島に、別の形で出会ったのは2018年のこと。フランス語の生徒のひとりが、福島の出身だった。

「福島出身と言われた時、また『うわ、福島』と思っちゃったんだけど、彼女と話すうちにいろいろと考えるようになりました。彼女はこんなに優しい人なのに、私は何を嫌がっているんだろうって」

同じ年の夏、エミリーさんは初めて福島県を訪れた。最初に向かったのは、のちに移住することとなる会津地方。観光地を中心に回り、自然の美しさや人の温かさに触れ、福島のイメージが大きく変わったという。今はイラストレーターとしても働く彼女のトレードマークになりつつある「赤べこ」との出会いも、この旅だった。

「赤べこは最初は全然好きじゃなくて、なにか怪しいもの……と思った。でも、イラストに描いているうちに愛着が湧いてきて、今はすごく好きです」

オリジナルのステッカーが目印の、エミリーさんの愛車

その後も何度も福島を旅したエミリーさんは、2021年に会津若松市に移住を決めた。その頃から少しずつ、イラストレーターとしての仕事やSNSでの発信にも力を入れるようになる。日本語と英語、そしてフランス語の3カ国語で投稿される発信の内容は「福島での暮らし」だ。

「福島を訪れるようになってから、私自身がもともと持っていたイメージとのギャップが大きすぎると思いました。今でも外国人の中には『福島は危ない』と思っている人がいます。そういう人たちに、普通に生活しているよと発信をしていきたいと思ったんです」

イラストレーターとして福島の魅力を伝えるグッズの販売やコラボイラストの制作、英語・フランス語での発信にも力を入れている

外国で、地域で、就農するということ

なぜ農業を?と聞くと、実はずっと思いはあったのだとエミリーさんは話す。

「日本で暮らしながら、自然との距離を感じていました。例えば、木を切って住宅地にしてしまうとか、コンクリートで暑くなってエアコンをつけるとさらに気温が上がるとか。自然を大事にする農業をやってみたいという思いは、ずっとあったんだと思います」

就農を決意したのは会津に移住後、現在暮らす大熊町のある双葉郡を訪れた日だった。双葉郡の自然に圧倒され、この場所で自然とともに生きるパーマカルチャー(人と自然が共生できる永続的なデザイン体系)の農園を作りたい、と構想が浮かんだのだ。その情熱のままに、エミリーさんは準備のためにいわき市に引っ越して土地探しを始め、事業計画書や収支計画書を日本語で作成。役所でのプレゼンを経て、今の「あまの川農園」となる広大な敷地を紹介してもらったのだった。

高校進学の時とは違い、今回は農業することに反対されなかったのかと聞くと、エミリーさんは少し強気な口調になった。

「親も含めて反対はされなかったけど、たぶん『できない』と思った人が多かったんじゃないかな。でも、それはすごいエネルギーになったんですよ。信じてくれないなら見せてやるぞ、という気持ちになりました。今もまだ1年しかやっていないから、10年後もまだやってるの?と思われていると思うけど、私自身は10年後もここにいるって、ちゃんとわかってるからいいんです」

役場が紹介してくれた土地は、ほとんどが元は田んぼだった場所。エミリーさんが初めて訪れた時はまだ水浸しで、使われなくなった農地には不法投棄のゴミも埋まっていた。

今でも掘るたびにゴミが出てくる場所がある

「水がいっぱいでどうしよう……と思ったのと同時に、山と空が見える景色がすごくいいと思ったんです。きっとなんとかなる、と思ってここを借りて農園にすることを決めました」

農薬を使わない農業を考えていたエミリーさんは、他の農家が使っている土地と接しないよう、1.7ヘクタールの土地をまるごと借りることに。田んぼの水を抜き、草を刈り、苗を植える。休みなく毎日必ず農園に来るという彼女は、4匹の猫と一緒に毎日少しずつ作業を進めた。

元田んぼのあまの川農園の敷地は段々になっており、それぞれ水のたまり方も違う。水が多いところには、地質に合いそうなオニグルミの木を植える予定

「育て方を調べるだけでも、専門的な言葉がわからないので大変です。でも、農業自体は大変だと思っていなくて。疲れたり腰が痛くなったりすることもあるけれど、私にとってはすごく楽しいんです」

それに、エミリーさんはひとりではない。会津に住んでいた頃からの友人や、大熊町で知り合った人たちが手を貸してくれることが多いといい、取材中も農園の中を歩いていると「友人が手伝ってくれて……」と話の中によく登場する。

「わからないことがあると、役場に聞いてみます。大熊町では放射線の検査などいろいろ必要なことがあるので。役場の人たちは優しくて、わからない言葉は紙に書いて教えてくれたりもして、本当にありがたいです」

畑の近くに住む人たちも、機材を貸してくれたり、手助けしてくれたりするそうだ。エミリーさんの「藤棚を作りたい!」という思いつきを、一緒にかなえてくれたのもその人たち。新規就農時の壁になりうる、地域の人たちとの距離感を感じなかったのか聞いてみると、首をかしげた。

「関東に住んでいた時よりも、みんなとの距離が近いと感じます。なぜだろう。大熊町のために農業がしたいと言っているのを喜んでくれているのかな」

友人が作ってくれた、“フランス色”のブランコに乗って

「花の咲くところにまた希望も咲く」と書かれた板が畑に

農業は時間がかかるし、自然は言うことを聞いてくれない

これからも貨物用コンテナを改造して「タイニーショップ(小さな店)」を作ったり、自分でドライフルーツを作ってみたり、まだまだ「やりたいこと」がたくさんあるという。今後のことを聞いてみると「私の人生は、プランを作ってもそのとおりにいかない」と笑った。

「農園を始める前もプランを作ったけれど、今は全然違う形になっています。でも、それでいい。この農園のメインキャラクターは私じゃなくて、自然です。季節ごとに自然を楽しめるような、元気な苗を育てたい。自然を大切にしながら、いろんな人に遊びにきてもらえる場所にしたいです」

池の水量が増えたり減ったりするのが美しい。植えてないところからも鳥のフンが運んできたらしきキウイが生えてきた。そういう自然の育みを、エミリーさんは「おもしろい」と日々、めでている。

「毎週、毎日、何かが変わっています。もう少し暖かくなれば山菜も出てくるかな」

カエルを指差すエミリーさん

「もともと私はせっかちな性格。農業を始めて少しは焦らなくなったかも。特に『あまの川農園』は、場所によって土も状態も全然違う。だから、ゆっくりゆっくり、少しずつ情報をまとめて、やって失敗して、もう一回やってみるのを繰り返す。時間がかかるけど、楽しいです」

「桃栗3年、柿8年」という言葉を引き合いに出して話すエミリーさんから、焦りは感じなかった。その時期にできること、やってみたいことをやってみる。農園の状態に合わせて、エミリーさんの暮らし方も変わっていくのだろう。

「今は苗を植える作業が多いですが、それらが育っていけば今度は収穫の仕事が増えます。だから10年後は、きっと収穫で忙しいはずです!」

「紫やピンク、白などグラデーションになるように植えたけれど、実際にはどんな色合いになるかわからないから楽しみ」とエミリーさんは言う

農園を案内してもらった取材中、エミリーさんが段差のある畑の間をヒョイと飛び越えた。足元にはカエルの卵が見えるほど、透き通った水路がある。少し向こうまで歩けば渡れる橋があるけれど行けるかな……と躊躇(ちゅうちょ)する私に、エミリーさんが手を伸ばした。

「冒険も、必要です!」

その笑顔を見て、エミリーさんはこうやって農業も人生も楽しんでいるのだと感じた。彼女に引っ張り上げてもらった先には、まだまだ広大な土地が広がっていて、山の向こう側に見える空がとてもきれいだった。