通算5作目のニューアルバム『Only God Was Above Us』をリリースした、ヴァンパイア・ウィークエンド(Vampire Weekend)のインタビューが実現。バンドの中心人物、エズラ・クーニグが制作背景を大いに語ってくれた。
ヴァンパイア・ウィークエンドの5年ぶりのアルバムとなる『Only God Was Above Us』は、極めて自己言及的な作品だ。エズラ曰く”サイケデリックなガーシュイン”だという「Connect」ではデビュー・シングルだった「Mansard Roof」のドラム・リフが引用され、アブストラクト・ビートの始祖デヴィッド・アクセルロッドを意識したという「The Surfer」では、脱退した元メンバーのロスタム・バトマングリと共作した過去の楽曲を発展させている。オープニングを飾る「Ice Cream Piano Piano」では、エズラ・クーニグの祖母が吸血鬼伝説で知られるルーマニアからの移民だったことに触れているが、「Pravda」で歌われるように、その祖母の兄はUPI通信社のモスクワ駐在員だったという。 ”Pravda”は”真実”を意味するロシア語であり、ソ連共産党の機関紙の名前でもあるが、その実態はプロパガンダであり、「”Pravda”に真実はない」と揶揄されたこともあった。そして本作もまた、こうした矛盾を内包していると言えるだろう。クラシカルでありながらモダン。ノイジーでありながらエレガント。二律背反する要素を同居させ、受け入れることを促すこのアルバムは、混迷を深める世界に届けられた、ヴァンパイア・ウィークエンドの新たなマスターピースだ。
1984年にニューヨークで生まれてすぐ、家族と一緒にニュージャージーにやってきたエズラ。高校を卒業し、ニューヨークの大学でヴァンパイア・ウィークエンドを結成した頃にはもう21世紀になっていた彼にとって、祖父母や両親が暮らした20世紀のニューヨークは、近くて遠い場所だったのかもしれない。そんなエズラが新作のジャケットに選んだのは、80年代の終わりにニュージャージーの解体工場に運ばれ、横倒しになったニューヨークの地下鉄の中で撮影された一枚の写真。国境は変化し、場所は消された。でも、カルチャーは存在し続けている――そう語る彼が伝えたかった、あらゆる対立(conflict)を越えた先にあるものとは何だったのだろう。内なる戦いを描いた静かな叫びのようなこのアルバムについて、エズラに話を聞いてみた。
バンドとの絆、日本滞在時のこと
―先日ハリー・スタイルズと一緒にプレミア・リーグを観戦している姿が目撃されていましたが、どういった経緯で観戦することになったのでしょう?
エズラ:2人ともチームとコネクションがあったんだ。ソニー・ミュージックのチェアマンでルートン・タウンFCのディレクターでもあるロブ・ストリンガーや、僕のマネジャーのイアンがチームに少し関わっていたことがあって。共通のコネクションを通じてかもしれないけれど、そこでハリーと会ったのは偶然だった。僕はちょうどロンドンでプレス活動をしていて、彼らからルートンのことはよく聞いていたし、誘われて行ったんだ。最近プレミア・リーグに昇格した、アメリカには存在しないだろう、小さいチームだ。そのチームが11,000人も集客して世界で一番有名なチームのマンチェスター・ユナイテッドFCを相手にしたんだ。いい試合だったよ!
―あなたと同じように細野晴臣さんの『HOSONO HOUSE』をフェイバリットに挙げるハリーとは、何か話したりしましたか?
エズラ:いや、とくに音楽について話す時間はなかった。ちょうど前作『Father of the Bride』(2019年)がリリースされた頃だったかな、偶然レストランで彼に会ったんだ。その時にアルバムのことを褒めてくれて。僕の中で、彼はとても謙虚で才能にあふれたアーティストだよ。
今年2月18日、ルートン・タウンの本拠地であるケニルワース・ロードでマンチェスター・ユナイテッド戦を観戦しているエズラ・クーニグとハリー・スタイルズ。試合は1-2でマンチェスターUが勝利(Photo by Catherine Ivill/Getty Images)
―今作はロンドンでも録音されているそうですが、あなたのパートナーのラシダ・ジョーンズが2021年の夏からApple TV+のドラマ『サイロ』の撮影をしていて、あなたも半年間ロンドンに滞在していたそうですね。その時にプロデューサーのアリエル・レヒトシェイドをロンドンに呼んだそうですが、アルバムの大部分をあなたとアリエルの2人で演奏しているのは、そういった理由もあったのでしょうか?
エズラ:僕らとアリエルは長い付き合いで、プロデューサーの彼と一番関わっているのが僕なんだ。ヴァンパイア・ウィークエンドにとってのアルバム制作は、スタジオ・プロジェクトのようなもの。バンド・メンバーとはいつも一緒だけど、『Contra』(2010年)から今まで、制作に柔軟性を持たせてくれることに心から感謝している。僕らは大体レコーディングから始めるから、みんなが全曲に参加するわけじゃないことは最初の段階でわかっているんだ。それを承知のうえで一緒にツアーを回ってくれる。アリエルと一緒に動きつつ、バンドとの絆を保つことができているのはすごくありがたいよ。
―前回のインタビュー(2022年のフジロック出演前)で話してくれた通り、2022年の後半からはあなたのパートナーのラシダ・ジョーンズがApple TV+のドラマ『SUNNY』の撮影で日本に来ていて、あなたもしばらく滞在していたそうですね。日本でレコーディングした部分もあるそうですが、いつ頃、どのパートを録音したのでしょうか? 日本ではどんな風に過ごしていましたか?
エズラ:そうだね。ラシダが2022年に日本で撮影があったから、日本には6カ月くらい住んでいたんだ。息子は東京の学校に通っていたし、京都に行ったりもした。プロデューサーのアリエル・レヒトシェイドが日本に来て、一緒に制作もしたよ。当時はずっと曲のデモ制作をしていたかな。東京で彼と合流した時には、すべての曲は書き終わっていたから、アレンジをしたり、ちょっと修正をする程度だった。それから妻が仕事をしていた時、よく東宝スタジオに行っていたんだ。サム・ゲンデルが立川ステージガーデンでライブしているのも観たよ。
―スティーヴ・レイシーも最近来てましたね。ぜひ立川でライブをやってください!
エズラ:ああ、すごくいい場所だと思ったよ。
―「日本滞在中にテリー・ライリーのラーガ・レッスンを受けた」というニュースがひとり歩きしてますが、先日BBCのインタビューで、新作に直接影響があったわけではないと話していましたよね。ただ、実際にはどのようなレッスンで、どんな風に刺激を受けましたか?
エズラ:まず、彼はすばらしい人物だ。僕らの音楽にはいろんな影響を与えていると思う。以前そう答えたのは、曲の仕上げにかなり時間を費やしたから、アルバム完成までに長い時間がかかっただけで、レッスンを受けた時には、もう曲は出来ていて仕上げの段階だったから。実は、彼が日本に住んでいるって知らなかったんだ! 日本滞在中、息子は学校で、妻はTVドラマの撮影に追われていて、僕は比較的自由だった。友達ができたり、知り合いに会ったりもしたけれど、それでも時間が十分にあったんだ。すると、アメリカの知人から「テリー・ライリーが日本に住んでいるんだから、もし時間があるなら連絡してみたら?」って言われて、「え?! 日本にいるの?」ってその時に知ったんだ(笑)。彼は郊外を拠点にしていて、ライブで東京に来たタイミングで何度か会った。その時にラーガのワークショップのことを教えてくれた。彼は生涯をかけてインドのボーカル・ミュージックを学んでいて、インドにコミュニティも持っている。鎌倉で月1回レッスンを開催していると聞いて、ラシダはすごく興味を持った。というのも、彼女はインドの音楽に強い関心があるんだ。彼女の母親が行っていたアシュラムのメディテーションが生活の一部だったから。でも、多忙の彼女にそんな余裕があるわけなく、レッスンには参加できなかった。すると、彼は「もし興味があるなら、プライベート・レッスンもできる」と親切にも提案してくれて、週末の合間に彼のアパートでレッスンを受けたんだ。簡単なものだったけれど、少しでも練習を体験できてよかったよ。
Vampire Weekend のヴォーカル、Ezra一家が、昨冬テリーさんを山梨県に訪ねた時の1枚。その結果が、バンドの新作にかなり反映されている模様。
奥様はクインシー・ジョーンズの娘さんで女優の Rashida Jones。 https://t.co/wmM90vOSGG pic.twitter.com/o8BvasWgoq — Terry Riley 5月3 & 4 甲府 桜座 Official (@TerryRiley_info) December 23, 2023 ―前作は参加ミュージシャンの詳細が公開されておらず、アーティスト写真も含めて実質あなたのソロ・プロジェクトのようになっていたので、新作の1曲目「Ice Cream Piano」でメンバーのクリス・バイオとクリス・トムソンの2人が演奏していることや、アルバム全体を通しても半数の曲に参加していることが嬉しかったです。彼らが前作よりも多く録音に参加することは意識していたのでしょうか?
エズラ:ああ、その通り。いろんな場所に住んでいたとはいえ、ずっとロサンゼルスを拠点にしていた。でも『Father of the Bride』は、そういう意味で転換点だったと思う。「違うメンバーと制作しよう」と思ったんだ。僕は、プロデューサーと組んだり、バンドでやったり、ファンのみんなにいろんなモードのヴァンパイア・ウィークエンドを披露したいと常々思っている。今回のアルバムはその中間だといえる。2人が参加してくれたことは、僕にとって重要なことだった。たとえば「Gen-X Cops」は、CT(クリス・トムソン)と僕で作り始めた。それは初めての試みで、彼のアパートでファースト・デモを作ったんだ。ずっとアルバムに入れたいと思っていたけれど、他の曲もスタジオで同時に制作しているし、アリエルとの制作も同時進行で、書き直しに時間がかかっちゃって。「Classical」は僕が書いたけれど、他の2人とジャムをして、CTが曲のグルーヴを思いついたんだ。それが気に入って、アリエルに聴かせた。全体のプロセスを通して、大抵の場合は、僕とアリエルでレコーディングに集中して進めるけれど、そうやって2人きりで部屋にこもったり、ジャムをしたり、時には、エネルギーの向かうままに身を任せたり......ひとつのやり方に制限せず、いろんな方法を持つことが僕には大事なんだ。このアルバムでは2人が生み出すライブのエネルギーと、アリエルの緻密な仕事の両方のバランスを保ちたかった。うまくバランスをとれたと思っている。
左からエズラ・クーニグ、クリス・バイオ、クリス・トムソン(Photo by Michael Schmelling)
ピアノと戦争
―前回のインタビューで、ラシダの母親のペギー・リプトンのピアノの話をしたと思うのですが……。
エズラ:ああ! インタビューのことは覚えているよ。
―その写真をよく見ると、ピアノの上にアイスクリームのカップのようなものが置いてあります。「Ice Cream Piano」のタイトルとは、何か関係があるのでしょうか?
エズラ:ラシダに確かめたほうがいいと思うけれど、きっとこれはカッテージ・チーズだね。
―(笑)
エズラ:僕が想像するに、60年代のペギーのような女性が食べているものとしたらね(笑)。
―アイスクリームではないと(笑)。
エズラ:きっとカッテージ・チーズだと思う、多分。残念ながらタイトルとは関係はない(笑)。でも、その質問は気に入った!
―「Ice Cream Piano」というタイトルの由来は何だったのでしょう?
エズラ:これは、ちょっとした言葉遊びなんだ。イタリア語だと思うけれど、演奏で”ピアノ”という言葉が使われる。
―”ピアニッシモ”の”ピアノ”のことですね。
エズラ:そう。”ピアノ”は”静かに弾く”という意味だ。歌詞を歌う時に、僕は”I scream piano”という意味合いを込めている。つまり、パラドックスだ。”I softly reach the high note”——このフレーズもそう。普通ハイトーンを出すには叫ばなきゃならないだろう? これはコントロールの領域を超えた”願い”のパラドックスなんだ。強さと弱さを同時に表現している。あと、”I scream”と ”Ice Cream”との掛け言葉を見つけた時は、かなりアガった(笑)。
―本作には"War"というフレーズが繰り返し登場します。歌詞は2019~2020年頃に書かれたそうですが、結果的に現在の社会情勢を反映していることについてはどう思いますか?
エズラ:そのことには触れるべきだね。ロシアがウクライナに侵攻したから(ロシア語で”真実”を意味する)「Pravda」という曲を書いたとは思ってほしくないんだ。僕らはみんな、人生でさまざまな衝突を経験していて、”War” は”衝突”の行き着く先だと思っている。戦争は悲しいことだ。けれど、戦争や衝突は永遠のテーマで、今に始まったことじゃない。長い歴史の中で戦争や衝突という言葉は、いつだってメタファーとして使えるだろう。5年前にも数えきれないほどの戦争や衝突があって、残念ながら衝突がない時代はない。このテーマは古くから語られていて、有名なヒンドゥー教の聖典の1つ『バガヴァッド・ギーター』は戦場が舞台で、戦中にクリシュナがアルジュナに導きを求めるというもの。こういった聖典の解釈は人によってさまざまで、ひとつの解釈を何度も目にすることもある。ジョージ・ハリスンはかつて”戦場は自らの内にある”と言っていた。つまり、戦争と衝突は人間の内にあって、永遠のテーマだと思うんだ。
―「Classical」の歌詞を読んで、個人的には三島由紀夫の小説『豊饒の海』の第三部である「暁の寺」を連想しました。前作には第一部『春の雪』に由来する「Spring Snow」という曲が収録されていましたし……。
エズラ:ちょっと確認してもいい?「暁の寺」は金閣寺を燃やした人の話だっけ?
―それは「金閣寺」ですね。「暁の寺」は、タイのお寺が由来になっています。
エズラ:そうだった。
―『豊饒の海』はヴァンパイア・ウィークエンドの初期3作に影響を与えたイーヴリン・ウォーの小説『ブライヅヘッドふたたび』とも共通点が多いと思うのですが、あなたの作品にどのような影響を与えていますか?
エズラ:すばらしい質問だね。たしかに、ウォーの小説に読み耽っていた時、三島の小説も読んでいたんだ。たしか、22~23歳の頃だ。作曲中に意識していたわけではないにしろ、それらの小説からは大きな影響を受けたよ。歳を重ねた今、それらを読み返したらきっと新しい読み方ができると思う。たとえば、輪廻についての考えが根底に書かれていた。若い頃は、それよりもキャラクターやセッティングに興味があったけれど、今はそういった精神のあり方に興味があるんだ。
私たちの上には神しかいなかった
―本作の楽曲はまさにクラシカルなヴァンパイア・ウィークエンドのスタイルでありながら、ポスト・プロダクションでアヴァンギャルドなサウンドになっていて、ミックスを手掛けたデイヴ・フリッドマンの貢献も大きいのではないかと思います。アリエルは何度か彼と組んだことがありますが、今回はなぜ彼を指名したのでしょう? 結果、どのような効果が生まれたと思いますか?
エズラ:今作はヘヴィでノイジー、前作よりディストーションがかかったアヴァンギャルドなアルバムにしようと最初から決めていて、制作を進めながらそのバランスを探っていった。ずっと僕はデイヴ・フリッドマンのファンで、今回はアリエルが彼を指名した。ディストーションとノイズをミックスさせつつ、レコードとして鑑賞できるバランスを理解しているのは彼くらいだと思ったんだろう。もちろん僕も同意だ。彼の一番クラシックなミックスを聴いた時、それこそまさに探し求めていたものだったから。アグレッシヴでありながら鑑賞できる、強くて繊細な音楽。彼はこのアルバムを重厚でノイジーで、さらにクリアで鑑賞できるものへ昇華させてくれた。すべて理解している彼は、まさにパーフェクトだった。
―ヘヴィでノイジーなサウンドにしたかったのはどうしてでしょう?
エズラ:その質問にうまく答えられるかわからないな...... ただ惹かれたんだ。そうだな、ちゃんと答えるとすれば、それはヴァンパイア・ウィークエンドにとって新しい領域だった。自分でも信じられないけれど、40歳を目前に5作目のアルバムをリリースする。僕らはずっとインディーやオルタナティブ・バンドと言われつつ、クラシックなオルタナティブ・ミュージックにはほとんど触れてこなかった。だから、これは新しいと思ったんだ。あとはまあ、無意識的に惹かれたんだ。前作はスムースなサウンドをやったから、強いノイズをやりたかったんだと思う。新鮮だったし、曲にもマッチしていると思った。スタジオで何度も”hard”という言葉を使った。この”hard”という言葉は「ハードロック」や「固さ」「自信」というイメージを連想させるかもしれない。でも、静かな曲もハードになりうる。結局のところは、惹かれたっていうだけなんだけれど。
―ウィル・カンゾネリが手掛けたオーケストラル・アレンジも印象的ですが、彼はもともとキーボード奏者で、本格的にオーケストラル・アレンジを手掛けたのは初めてではないかと思います。彼があなたやアリエルと共同で手掛けたオーケストラル・アレンジはどのように進められたのでしょう?
エズラ:ウィルはライブでもキーボードを演奏してくれている。彼とはアリエルを通して知り合ったんだ、2人は昔からの仲だから。まず、僕とアリエルはMIDIのハイクオリティのオーケストラ・サンプルを使ってモックアップを作った。それをウィルがオーケストラが実際に演奏できるものへと翻訳した。たとえば、「チェロはここまで低く弾けない」とか、そういった現実的なことを彼がチェックしてくれたんだ。そして、彼がオーケストラを指揮した。無謀な部分もあるMIDIのアレンジメントを、オーケストラが演奏できる音楽に書き換えてくれたのが彼だ。
Photo by Michael Schmelling
―先行シングルだった「Capricorn」の”やぎ座/君の生まれた年は/すぐに終わって/次の年は君のものじゃなかった”という歌詞は、誰か特定の人、たとえば(諸説ありますが)12月25日生まれのイエス・キリストなどを指しているのでしょうか? そうでないとしたら、どんな感情が込められているのでしょう?
エズラ:僕のマネジャーが、まさに今の質問と同じセオリーをネットで見つけておもしろいと思っていたんだ。実際のところ、意図していたわけじゃない。まあ、自分でも何を意図して書いているかわかっていないこともあるから、もしかしたら正しいのかもしれないけれど(笑)。ただ、最初に書き始めた時は、機会を失った時の感情について考えていた。世代間の失望もそうだ。このことを考える時にいつも思い浮かぶのが、ニュージャージーで育った僕にとって思い入れのあるTVドラマ『ザ・ソプラノズ 哀愁のマフィア』。主人公のトニーが、自分はアメリカでマフィアが結成された当初からいなかったことに対して失望を語るシーンがあるんだ……。
それはそうとして、生まれ年に愛着を持つことについて考えていた。中にはユーザーネームにしたりナンバープレートに使ったりする人もいるだろう? この間、ちょうど友人のバリスタが生まれ年をコーヒースタンドの名前に使っていたんだ。人によっては、生まれ年をすごく大切にしている。じゃあ、あと数日で年が終わる頃に生まれたとしたら? 愛着のある年がすぐに終わってしまうとしたら? そこにメタファーを見いだした。占星術に詳しいわけじゃないから、年の瀬の星座が何か知らなくて、調べたらやぎ座だった。12月31日生まれのやぎ座の人は、次の日にはもう愛着のある生まれ年ではなくなっている……そんなことを曲を書いている時に考えていたんだ。それに、31日がやぎ座(Capricorn)で助かったよ。”corn”で韻を踏むワードがたくさんあるからね。もし射手座(Sagittarius)とかだったら曲は書けなかっただろうな(笑)。とにかく、これが当初考えていたことだった。でも、マネジャーから”キリスト説”を聞いた時、 ”そりゃあ、一番有名なやぎ座の人といえばキリストだろう”程度にしか思っていなかったけれど、「待てよ、歌詞は合っているのか?」って気になったんだ。そうしたら、2つ目のバースは ”孤独で傷ついて/でも最高潮の時に”で始まるから「ああ……確かに」って思ったよ(笑)。
―「Mary Boone」ではソウル・II・ソウルの「Back To Life」のビートをサンプリングしていますね。このビートをプログラミングしたのは、実は日本人の屋敷豪太さんだそうですが……。
エズラ:そうなの?! 知らなかった!
―どうしてこのビートをサンプリングしようと思ったのでしょう? 前作で細野晴臣さんの「Talking」をサンプリングした時のように、ソウル・II・ソウルのメンバーともコンタクトを取ったりしましたか?
エズラ:これはマネジメントを通してだったから、直接のコンタクトはなかった。そのビートはおそらく200回くらい使われてるだろう? だから、弁護士も「はいはい、どうぞ」って感じだったと思う。「Mary Boone」のテンポをどうするか考えていて、ドラムを目立たせたいと思っていた。確か、アリエルがそのビートを提案したんだ。最初はそのビートは有名すぎるからヴァンパイア・ウィークエンドには合わないと思っていた。でも、この曲はほとんどがドラム不在で、だからこそドラムの影響は大きい。それで、「もしかして、誰もが知っている心地良いクラシックなビートこそがふさわしいんじゃないか」と思い始めた。もちろん、自分たちでドラム・サウンドをレコーディングするか話し合ったけれど、このビートを使うことが正しい気がして、コンタクトをとった。きっとうまくいくと思ったんだ。
―この曲の後半では、時祷書(Book of Hours)やロシアのイコン(Russian Icons)、安藤忠雄の設計した教会(Ando Church)など、世界中の宗教的なアートが羅列されています。メアリー・ブーンは現代アートのコレクターですが、どうしてこの曲を「Mary Boone」というタイトルにしたのでしょう?
エズラ:そのブリッジは、このアルバムで最後に書いた歌詞だよ。「Mary Boone」のアイディアはずっとあって、この80年代のニューヨークのダウンタウンの雰囲気も、夢を求めてやってきた登場人物が有名なギャラリーを訪れるストーリーも気に入っていた。このブリッジはしばらく寝かせていたんだ。それからしばらく経って、何か付け加えようと思った。その中でも、ニューヨークの小さなアート・シーンが宗教的なものに反転していくアイディアがいいと思ったんだ。そうだな...... 今思い浮かぶままに話すよ。音楽を含めアートにはビジネスが存在する。ギャラリーにはビジネスを動かすヒエラルキーがあって、僕は「一体何のためのアートなのか? すべてはビジネスのためで、金や競争や名誉のため? それとも、別の側面があるのか?」という問いが浮かんで、その別の側面が存在するのかどうかわからない時期があった。一方で、野心と資本で動くニューヨークのアート・シーンが、対極のスピリチュアルな宗教美術を取り込んで調和していく様がおもしろいと思った。この曲の人物は、単に成功したいだけじゃない。メアリー・ブーンにアートに敬意をもってほしいと思っている。それは彼らが、神や神々しい存在とつながりたいと望んでいるから。この歌詞を書き終えたのは、新聞の見出し(※)から取ったアルバムのタイトル『Only God Was Above Us』をつけた後で、パズルの最後のピースがはまったように、考えて続けていたタイトルの意味が腑に落ちた感覚があった。「それは宗教美術なんだ」って。
※1988年5月1日付、機体の屋根の一部が剥がれ落ち、乗務員1名が機外へ飛ばされ死亡した「アロハ航空243便航空機事故」を報じたもの。新聞の見出しとなった「私たちの上には神しかいなかった」という生存者の証言がタイトルに採用された
この時代を受け入れ、愛するために
―アルバムの最後の曲は「Hope」というタイトルですが、歌詞にはむしろ”Hopeless"なフレーズが並んでいます。何度も繰り返される”I hope you let it go”という言葉で、あなたは何を伝えようと思ったのでしょう?
エズラ:これもずっと考えていたことだった。イングランドで何人かのジャーナリストと話した時、アルバムを気に入った人でさえ「とても空虚でダークなアルバム」だと言った。僕はそうじゃなく、楽観的に捉えているんだ。たとえば、”giving-up”について書いた曲がある。英語だと、 ”giving-up”には”悪いこと”という否定的なコノテーションが存在する。”あきらめたら負け”とかね。でも、”giving-up”にはポジティブな側面もある。たとえば、中毒の人が酒やドラッグを断つことができたら、それは祝福すべきことだ。でも、たとえば子供が学校で「あきらめる」と口にすれば「努力しろ」って言われるだろう。そういった”giving-up”や”hope”が持っている二重の意味について考えていたんだ。
「Hope」の中には、いろんなシチュエーションが描かれている。ネガティブからニュートラル、さらにはポジティブな状況も。この解釈は僕らを解放してくれると思っている。ほら、一方のスペクトラムから見れば負けていても、もう一方からみれば実は勝っていて、さらには同じになるっていう”蹄鉄理論(Horseshoe theory)”ってあるだろう? ”surrender”も同じで、ある人は”絶対に降伏しない”ことを良しとするけれど、現実を ”諦める”ことは”受け入れる”ことでもあって、僕はポジティブに捉えている。「Hope」は、”手放すこと”について歌っている。このアイディアは、若い頃は受け入れ難いし、成功している人でも手放すすべを知らずに苦しんでいる人もいる。これは突き詰めると、勝ち目のない敵には降伏することがある意味では勝つことなのかもしれないという考えに行き着く。”hope”という言葉は興味深い。「自分の大切な人に何を望む?」と聞けば、大抵は「その人々の成功や幸せを願う」という答えが返ってくるだろう。でも、もし望みをたった1つに絞れと言われれば、それは「どんな人生が待ち構えていようと、流れに身を任せること」だと思うんだ。特定の望みに囚われることは、結果的に苦しむことになる。これは大きなテーマで、長い曲で、たくさんのヴァースがある。僕は楽観的な曲だと思っているし、アルバムの最後はそう締めくくるべきだと思っている。
―デヴェンドラ・バンハートが細野晴臣さんに影響を受けた曲を書いていて、その中に”しかたがない”という日本語の歌詞が出てくるんですが、それがさきほどの「Hope」の話にも通じるのかなと思いました。
エズラ:僕も”しかたがない”(It is what it is)というフレーズはよく使うし、それもさっきの”受け入れる”につながっていると思う。日本ではどうかわからないけれど、最近アメリカではマルクス・アウレリウスのストイシズムが再注目されているんだ。どうしてストイシズムが話題になっているのかは、なんとなく想像がつく。それは、政治、カルチャー、テクノロジー、あらゆる面で人々は現代に失望しているから。若い世代でさえ、「もしみんながソーシャルメディアをやめるならやめたい」と言っている。ただ、願ったところでどうにもならない。つまり、今の時代の大きなテーマは”失望”なんだ。中には、失望を正当化しようと修正したり手を尽くす人もいるけれど、結局はうまくいかない。そんな時代に残された選択肢はというと、この時代に生まれたことを「しかたがない」と、ただ受け入れること。その上には、ニーチェが提唱した運命愛(amor fati)—―この世を受け入れるだけではなく、それを愛するということ—―の次元が存在する。ただ、この次元に到達するのは難しい。到達できているとは言えないけれど、辿り着くべき場所だと僕は思っている。「しかたがない」と受け入れることは”運命愛”に向かうための出発地点だと思っているんだ。
―アルバムのジャケットは、ニュージャージーにある解体工場で撮影されたニューヨークの地下鉄の写真だそうですが、本作にもニューヨークにまつわる歌詞が数多く登場します。あなたはニュージャージーからニューヨークに来て青春時代を過ごし、現在はロサンゼルスに住んでいるわけですが、ニューヨーク時代を振り返ってどう思いますか? どうして今、ニューヨークのことを歌おうと思ったのでしょう?
エズラ:そうだね。いうなれば、20世紀のニューヨークだ。それは僕にとってのニューヨークで、2024年の今のニューヨークとは縁がない。過去を遡るような感覚があったよ。僕も歳を重ねて、両親も歳をとって、新しい世代が来て、古い世代は去っていく。今の僕が過去を追憶するのは自然なこと。それに、20世紀のニューヨークは僕にとっての遺産なんだ。僕の家族は、もはや存在しない場所からアメリカに移住してきた。国境は変化し、場所は消された。でも、カルチャーは存在し続けている。僕の祖父母は、20世紀のニューヨークのメルティングポットで育ってきた。その世代の人々が何を大切にして、何を僕の両親に語り継いでいったのか—―それこそが20世紀のニューヨークの遺産。僕はそれにずっと魅了されている。このアルバムでは、その時代や歴史のレイヤーを感じられると思う。それに、今ニューヨークを離れているからこそ、一層惹かれているのかもしれない。その時代のニューヨークは、僕にとって心の拠り所なんだ。
ヴァンパイア・ウィークエンド
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Coachella 2024
日本時間4月14日(日)AM9時〜Outdoor Theatreに出演
配信チャンネル;https://www.youtube.com/@Coachella/videos