球界から“追放”…NPB失格処分の歴代選手(5)前代未聞の“失踪”で

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 長い歴史を持つプロ野球の世界では、許されざる行為を行った結果、どの球団でもプレーできない「失格選手」となったプレーヤーが存在する。決して数は多くないが、不名誉な形で球史に名が刻まれることとなった。ここでは、日本野球機構(NPB)からを失格処分を受けた歴代選手を紹介する。

 

 


高山忠克

投打:右投右打
身長/体重:177cm/79kg
生年月日:1944年5月18日
経歴:作新学院高
 
 高卒2年目で十分な成績を収めながら、詳細が分からない形で球界から消え去った高山忠克も、プロ野球界から失格処分を受けた。
 
 作新学院高校でプレーした高山は、2、3年時に選抜甲子園へ出場した。
 

 
 1963年に国鉄スワローズ(現:ヤクルト)へ入団すると、高卒2年目は127試合に出場。打率は.219と苦しい数字に終わったが、18本塁打を放ったように長打力を発揮していた。
 
 1965年以降はレギュラーから外れたものの、毎年90試合前後に出場するなど、一定の出番を得ていた。
 
 しかし、1970年に不振に陥ると、1971年から阪神タイガースに移籍。新天地で再起を図ったが、21試合で打率.097と結果を残せず二軍落ち。
 
 すると、同年7月に選手寮から行方をくらまし、失踪状態に。消息がわからないまま、現役中に失格処分を受けた。



 


 
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