海上生活から陸上生活へ 北海道移住で出会った自然栽培

安田さんは大阪府箕面(みのお)市出身だ。2019年に妻で看護師の歩(あゆみ)さんと共に能勢町に移住し、2020年4月に就農した。前職は農業とは全く無関係の自衛隊員。大学卒業後、海上自衛隊の水上艦艇要員として護衛艦や練習艦などで勤務し、海外派遣で約30カ国に寄港したという。
「自衛隊は1年に1度、転勤があるんです。上司はほとんど単身赴任をしているんですが、僕は家庭を持ったら単身赴任はしたくなかったんです。それに自衛隊時代は1年のうち半年は海の上で生活をしていたんで、その反動もあって、漠然と地に足ついた暮らしがイメージできる農業がしたいと考え始めました」(安田さん)

2016年1月、5年間の自衛隊生活を終えて地元の箕面市に戻り、同郷の歩さんと結婚。そして農家になるために移住した先は北海道の十勝だった。なぜ、いきなり北海道へ行ったのだろうか。
「自衛隊の同期が十勝出身で、大規模に農業をするなら十勝がいいと言ってくれたのがきっかけです。他に岡山の説明会にも行きましたが、果樹栽培が主流でした。僕の性格上、農業をするならワーと広いところでやりたいと思って、将来は十勝で就農するつもりで夫婦で移住しました。最初は妻は十勝で看護師として、僕は農業資材の会社に営業職として就職しました」(安田さん)
安田さんは会社勤めをしながら、農家になるための情報収集をしたり、1反(10アール)ほどの畑を借りて家庭菜園をしたりしていた。そんな中出会ったのが、農業の勉強のために訪れた自然栽培の農家。農薬や肥料を一切使わず、不耕起栽培に取り組んでいた。
「その畑は他の農家と全く違う風景でした。草がいっぱい生えていて、野菜がどこにあるかわからないぐらいで。でも、その野菜を食べたらすごくおいしいんです」(安田さん)
その経験から、安田さんは自然栽培に興味を持つように。農業をするなら慣行栽培ではなく、農薬や肥料を使用しない自然栽培で米を育て、地産地消で直接販売したいと考えるようになった。結局、十勝では借りられる農地は見つからず、離農者の田んぼを購入するという話はあったが、いきなり20ヘクタールほどの農地を購入できるような資金もない。
「十勝の農業は規模が大きく、効率よくたくさん作れますが、JAに卸すのが基本です。僕は直接お米を販売して味を評価してもらえるような方法でやりたかったんです。その方がやりがいがあるし、できる限り地産地消をしてみたいと。ちょうど子どもが生まれるタイミングが重なったこともあり、地元に近い場所で移住先を探すことにしました」(安田さん)

そこで、十勝に住みながら新たに就農する場所を探し始めた。理想は地元の箕面から1時間ほどで行ける範囲の場所で、かつ稲作ができる場所。いくつかの候補地のうちの一つが、現在経営する「安田ふぁーむ」のある能勢町だ。ただ大阪では、稲作農家として新規就農した前例はほとんどなかった。
「僕はもともと自然栽培で稲作をしたかった。それに、大阪ではほぼ前例がない稲作での就農だからこそ大きな可能性を感じました。都心にも近いし、何より僕が生まれ育った土地の消費者に自然栽培のお米を届けることができ“地産地消”ができることから、就農先を能勢町に決めました」(安田さん)
しかし、移住を決めたものの農地探しと家探しが難航した。出身地の大阪ではあったが、能勢町には知り合いも、つてもなかったからだ。そこで社宅を完備している農業法人で働きながら住居と農地を探すことにした。さらに休日には知り合った周辺の農家や、その農家の親戚の農地に通い、農作業の手伝いをしたそうだ。それが、後に農地を借りる時に役立った。

田植えにいそしむ安田さん(写真左)

就農と同時にゲストハウスを開業

農作業を手伝っていた農家の紹介で、離農に伴って農地の借り手を探していた人を紹介してもらうことができた。農業法人に勤めながら積極的に農作業の手伝いをしていたこともあり「安田君だったら任せられる」と、1.2ヘクタールの田んぼと0.3ヘクタールの畑を借りることができ、2020年4月に独立就農を果たした。
そのころ、ようやく家も見つかり、3年間空き家だった築70年の古民家を購入することになった。
「家屋は築年数もたっていたので、水回りや畳のリフォームをするためにローンを組みましたが、実質土地代だけで購入できました」(安田さん)
さらにこの古民家、なんと180坪(約600平方メートル)で9LDKもある。しかし広すぎるこの家が、安田さんに新たなアイデアをもたらした。
「最初内覧した時は、こんな広い家を管理できるのか、と途方にくれましたが、この家の半分をゲストハウスにしたら空き部屋を有効活用でき、新たな収益源にもなるのではないか⁉と思いつき、就農と同時にゲストハウスも始めたんです」

新規就農1年目は農薬も肥料も一切使わない自然栽培の稲作に加え、農薬を使わずに季節の野菜も栽培。しかし野菜については栽培にかけた時間と金額が見合わなかった。自身の技術不足もあったのだが、これではダメだと、2年目は野菜の栽培をやめ、町内の草刈りの請負の仕事を始めたところ、かなり需要があることがわかった。
「草刈り請け負いますというチラシを配ったら依頼がけっこう来ました。この地域は年配の方が多く、大きな畔(あぜ)や栗山の草刈りはかなりの重労働なので重宝されました。耕作放棄地も多いので年に2回は来てほしいと言われたりしています」(安田さん)

ゲストハウスは、オープンした2020年と2021年はコロナ禍もあり客足が伸びなかったが、年々利用者が増え、2023年は開業当初想定していたよりもはるかに多い人がゲストハウスに宿泊するまでになった。

ゲストハウスの様子。昔ながらの古民家の風情が残る

「当初は日本の方が中心でしたが、2023年からは海外からのお客様もかなり増えました。今は3組に1組が海外からのお客様です。オープンしたときはここまで来てもらえると期待していなかったのでとてもうれしいですし、農業がまだまだ軌道に乗っていない中で、経営的にも助かっています」(安田さん)
昔ながらの日本家屋を味わえるゲストハウスと周辺の田園風景は、外国人にとってはかなり魅力的な場所であるようだ。

ゲストハウスには海外からのお客さんも多い

事業テーマは“心と身体の健康”と“地域活性化” ジム併設のシェアハウス開業

2022年の2月ごろのこと、新たな物件の話が舞い込んだ。
「急きょ空き家になった物件で古い建物でしたが、場所が能勢の中心部にあり、部屋数も多かったので、この場所をシェアハウスにしようと思いつきました。能勢に移住したばかりの人が住めば引っ越しの初期投資をぐっと抑えることができるし、後々研修生を雇用するようになれば寮にもできる。新規就農者を育てられる場所になればいいなと思って引き受けることにしました」(安田さん)
能勢で住む場所を探すのに苦労した経験が、シェアハウスのオープンに結びついた。春先に建物を購入し、夏ごろから半年ほどかけ、DIYも含めたリフォームを行った。
さらに、この物件をきっかけに新しい事業にも乗り出した。以前商店として活用されていた1階部分のスペースをトレーニングジムにすることにしたのだ。能勢町には私営のジムがなく、本格的なトレーニングをするためには30分ほど離れた都市部まで行く必要があった。また、安田さんは高校、大学とアメリカンフットボールに打ち込み、妻の歩さんも空手やゴルフに打ち込んだ経験を持つ。そんなスポーツ好きの2人にとって、運動や筋トレは身近だったことも開業を後押しした。
「運動や筋トレをすることは人の健康に直結しますし、事業テーマを“心と身体の健康”と“地域活性化”としていたので、『ジムを作ることで健康に関わる全てがそろう!』と、農閑期を利用して3カ月ほどの期間で急ピッチでジムの内装を作っていきました」(安田さん)
ジムの名前は「ツナグジム」。市民、移住者、学生、そして能勢に関わる多くの人たちの“つながり”の場になれたらという思いから名付けた。月額2980円で毎日9時から21時まで好きな時間に利用できるとのこと。
そしてなんと、2023年の12月からは夫婦そろって民間のトレーナー資格を取得し、パーソナルトレーナーとしても活動を開始。「ボディービルダーのようなマッチョを目指す人の指導はできないですが、現役の看護師でもある妻の力も借りて、食と医療に関する知識と経験も組み合わせた、健康的でしなやかな体作りを目指す独自のメソッドを提供しています」(安田さん)

「下腹ぺたんこトレーナー」という民間のトレーナー資格を持つ安田さん(写真右)と歩さん(左)

ツナグジム

今後増え続ける離農者の後継者となれるように

安田ふぁーむの周辺の稲作農家は70代以上が多く、後継ぎのいない農家も多い。取材している間にも安田さんが草刈りを手伝っている農家から電話がかかってきた。
「農業をやめたいけれど頑張っている75歳くらいの農家の方から、農地を借りてくれないかという電話でした。貸すなら僕しかいないと言われました」と安田さん。
現在、安田ふぁーむが借りている農地は3.5ヘクタール。地主は11人いるという。当初の目標では6ヘクタールくらいの規模にしたいと思っていたそうだが、さらに任される農地が増えそうな勢いである。
「他にも稲作をする農家を増やしたいんです。そのためにも僕が稲作で成功モデルになりたいと思っています。去年は獣害もあったりで収穫量が減り大変でした。これからまだまだ技術を向上させなければなりません。稲作だけで生計が成り立つにはもう少し時間がかかります」

そう語る安田さんは、中規模化を見据えた経営計画を立て、地域の米作りを守っていくための担い手を増やすことにつなげていこうと考えている。後継者のいない田んぼを耕作放棄地にしないためにも、稲作農家としての安田さんの役割は大いに期待されている。

安田さんの田んぼの稲穂