社会に出て組織に属し、ビジネスパーソンとして働いていれば、ときに自分を見失うこともあります。特に、入社して間もない若手の時期は、まわりの期待や評価にとらわれ過ぎてしまい、自分がどこに向かっているのか見失ってしまうこともあるはずです。
そんなとき、どのような思考を持てばいいのでしょうか。著書『メタ思考 「頭のいい人」の思考法を身につける』がベストセラーになっている澤円さんは、「会社にいるときの自分は、自分の名前をまとったエイリアスと考えよう」とアドバイスを送ります。
■自分が勝てるルールを自分でつくる
僕は仕事柄、企業内研修の講師などをする機会が多いのですが、企業に属する複数のビジネスパーソンに話を聞くと、「自分だけ一生懸命働いても損するだけじゃないか」という考えや、「会社は自分を正しく評価してくれていないのでは」といった悩みを持っている人たちにたくさん出会います。
それぞれ、その人にとって深い悩みの種であるわけですが、つまるところ、会社に所属することが、イコール「会社のルールの中でやっていかなくてはならない」という意味で受け取っている人が多いようなのです。
でも僕は、ひとつの会社の中でポジションや評価にこだわることは、人生にとって極めて小さな話だと思います。
自分の人生をよりよいものにしたいとき、会社というひとつの場所の中だけで考えていても、あまり意味がないことだと思うのです。
これがスポーツの世界なら話は違ってきます。スポーツの根源は、「同じルールの中で競い合い、勝負をつける」という点にあるからです。
たとえばサッカーなら、11人対11人で、ボール1個で行うというルールが決まっているから、ゲームとして成立します。「日本人は平均身長が低いから12人でやらせてくれ」といっても通用しません。ゲームが公平に成立しないからです。
そのため、スポーツならルール内でなんとかしようとするのはわかるのですが、それをそのままビジネスや人生には適用できません。
サッカー選手として疑問の余地なく優秀だとみなされる選手が人生においてどうなのかと考えると、選手引退後もコーチとしてサッカーに関われたら幸せなのか、それとも素晴らしい伴侶を得たほうが幸せなのか、判断基準がまったく異なるからです。
要するに、あるひとつのルールの中で勝ったからといって、それがそのまま人生の勝利につながるわけではない―。この自明のことが、こと会社や仕事となると、案外混同しがちな人が多いという印象があります。
僕はみなさんに、自分の人生において「毎日優勝」してほしいと考えています。
そもそも勝敗で考える必要もないことではありますが、「優勝」って言われたら悪い気はしませんよね? 自分の人生において毎日優勝する。つまりそれは、人生では「自分が絶対に負けないルールを自分でつくっていい」ということ。同じルールで縛られた競争に参加しなければいいのです。
そしてもうひとつ、競技人口が常にひとりであることも大切です。そうすれば、絶対に負けません。ぶっちぎりの優勝です。
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多くの人の悩みを聞いていると、結局行き着くのは「他者との比較」にとらわれているということです。「毎日がしんどい」という苦しみ、「仕事が楽しくない」という不満、「将来の道が見えないという」不安、「あの人が許せない」という怒り…。そんな感情の裏には、実は他者との比較が必ず含まれています。
でも、「他人と比較をするのをやめましょう」といっても、それはとても難しい。なぜなら、そもそも人間の脳は、そのようにプログラムされているからです。
シロクマを使った実験から「シロクマ効果」と呼ばれますが、人間には禁止されるほど、そのことを考えてしまう性質があります。「シロクマを絶対に想像しないで!」といわれたら、ほとんどの人の頭の中がシロクマでいっぱいになってしまう。
想像するなといわれることで、逆に、ことあるごとに思い出そうとしてしまうのです。甘いお菓子やタバコをやめるのが難しい理由にも通じています。これは「皮肉過程理論」という心理学の論文でも解明されています。
つまり、人間の脳はそのようにできているので、「他人と比べないように」とアドバイスされても、あまり役に立ちません。むしろ、ますます比べてしまうのです。ならば、どうすればいいか?
頭でただ願うのではなく、能動的かつ具体的なアクションに変える必要があります。そのアイデアのひとつが、「自分ひとりだけで楽しめるルールを考える」ことです。
他人と比較しながら、なにかで優勝しようとしても疲弊するだけです。そもそも、他人と比較することは人間の本能でもあり、頭で「他人と比べないようにしよう」と思っていてもなかなか難しい。
だからこそ、「自分しかいない競技をつくる」という具体的なアクションに切り替えてしまうのが有効なのです。
■複数の自分を使い分ければ消耗しない
「でも、会社員だとそういうわけにはいかないでしょう」とか「同僚とどうしても比べてしまう」という人もいると思います。
では、なぜ会社という場所になると、自分のすべてをいとも簡単に預けてしまうのでしょう? なぜそこに自分のアイデンティティが絡め取られてしまうのでしょうか? 人生でたくさんの時間を過ごす場所だから? 人生の意味を見出す場所だから?
僕は、そんなものは「エイリアス」でいいじゃないかと思うのです。
たとえば、会社にいるときの自分は、自分の名前をまとったエイリアスとして、「わたしの一部の機能を提供しているに過ぎない」と考えればいいのです。そうすると、かなり気持ちがラクになりませんか?
会社の中にいる自分や、仕事をしている自分を、自分の人生とイコールにする必要はまったくありません。ましてや、会社の中での評価や出世競争などは、ただのゲームに過ぎないと考えるのです。
それこそプロスポーツ選手であっても、世界チャンピオンになれなかったからといって、「人としてダメだ」なんて誰もいいませんよね。
僕たちだって同じです。会社にいる自分も、リーダーやマネージャーと話す自分も、チームメンバーと会議をする自分も、すべて「自分のエイリアスが動いているだけ」と考えればいい。
自分の人生は、あくまで自分がデザインするものであり、もっと自由に自分の人生を定義していいと思うのです。
自分のエイリアスを複数持つということは、別の人格をつくることでも、違う自分を演じることでもありません。また、単なる自分の分身ですから、エイリアスに自分のアイデンティティ自体は含まれません。
エイリアスは別名や仮名、偽名のことで、あくまでも「印」という意味です。ちなみに、MacOSでは「リンク機能」を指しています。ただのリンクですから、仮に削除してもファイル本体には何の影響も出ませんし、いくつでも増やすことができます。
つまり、エイリアスは、自分の人格の一部ではありますが、アイデンティティとは切り離した機能だけの自分ということ。自分とリンクしているけれど、自分と一体化はしていない。エイリアスからたどっていけば自分のところにたどり着く、単なる「道しるべ」のようなイメージです。
それは自分の意思でいつでも切り離すことができると考えればいいし、だからこそ、いろいろな場所で自分の機能として役目をはたせるのです。
さらに、あくまでもエイリアスなのだから、ある領域でろくでもない評価を受けたとしても、別に自分自身が棄損するわけではない。エイリアスとして振る舞えば、自分をいたずらに傷つけずに、もっと自由に生きていけるというわけです。
※本原稿は『メタ思考 「頭のいい人」の思考法を身につける』(大和書房)の一部原稿を再構成したものです。
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構成/岩川悟(合同会社スリップストリーム)