コロシアムで、雄牛が数百人の男たちをにらみつける。体重0.5トン、毛並みは黒く、頭部はガイコツのように真っ白で、大きく曲がった角がある。闘牛用に飼育された牛で、獰猛さがDNAに刻み込まれている。雄牛は闘牛場の群衆を見渡し、挑戦者はいないかと目を光らせる。群衆は獣のちょっとした動きも見逃さない。サメから逃れる魚の群れのごとく、男たちは一斉に駆け出す。灼熱の太陽がじりじりと照り付ける。
群衆の中から1人の男が歩み出る。カタリーノ・ブラーヴォは黒肌を白く塗り、鼻を赤く染めてピエロに扮していた。瞳の奥に怪しい光が見える。完全に正気の人間なら、30フィート前方に立つ体重600ポンドの怒り狂った雄牛に向かって叫ぶことなどしないだろう。
「ヘイ! ヘイ! ヘイ!」
2万5000人前後の観客がカタリーノに声援を送る。スタンドではバンドのドラム隊の1人がソロに没頭している。鼓動は次第にペースを上げていく。
「ヘイ! ヘイ! ヘイ!」
雄牛はカタリーノをにらんだまま、地面を蹴った。土埃が宙に舞う。カナリーノは2歩前に出て、2歩後ずさり、身体を小刻みに動かした。観客が恍惚とした表情で見守る。ドラムは激しく鳴り続け、カタリーノは再び「ヘイ! ヘイ! ヘイ!」と叫んだ。
雄牛が突進する。歓声が上がる。カタリーノは素早く十字を切って駆け出した――まっすぐ、牛の角に一直線に。あっという間の出来事で、頭が追い付かない。この男はなぜ突進する牛に向かって駆け出しているのか? 助かる見込みはあるのか? 一体全体何事だ?
観客が総立ちになって叫ぶ。ドラムソロはより激しく、よりテンポを上げて鳴り続ける。男と雄牛は真正面から突進し、あっという間に距離を縮めた。
コラレハでは音楽と酒がつきもの。「これが自分たちの伝統だ」と来場者の1人は言う(CARLOS PARRA RIOS)
間違いなくカタリーノが突き刺されると思われた瞬間、誰もが息をのんだ。殺人的な牛の角からわずか数インチのところで、カタリーノの身体は雄牛を飛び越えて跳躍した。雄牛が猛進する。カタリーノは土埃の中に転げ落ちた後、立ち上がった。
観客が歓声を上げる。木製の柱が揺れ、コロシアム全体が壊れそうなほどだ。自らの命を危険にさらす「死の跳躍」という技が――今回は――完璧に決まったのだ。ほんの1秒タイミングがずれれば、カタリーノは雄牛に突き刺され、身体を真っぷたつにされていたかもしれない。そして今、彼は王者のように勝利の味を噛みしめ、闘牛場を駆け回る。熱烈なファンが観客席から投げ銭する。
「イカれた連中向けのスポーツだ」と後にカタリーノは語った。瞳の奥にはまだアドレナリンがほとばしっている。
これがコロンビア式の闘牛「コラレハ」だ。猛者や酔いどれや愚か者が怒り狂った雄牛を振り切ろうとするサンフェルミンの牛追い祭りと、スペインの伝統的な闘牛をかけ合わせたようなもの。だが大きく異なる点がいくつかある。コラレハで死ぬのは牛ではない。人間だけだ。
コロンビアのカリブ海沿岸地域では100年以上も前から、数百人の男たちが――みなラムとビールをしこたま浴びている――木製の粗末なコロシアムに詰めかけ、雄牛を相手に肝試しをしてきた。筆者も10年以上コラレハを観戦し、ラムをすすりながら数々の雄牛を眺め、ルールや特徴を学んできた。午後を通して36頭の雄牛が1頭ずつ闘牛場に放たれ、男たちの群れを突き進む。5分ほど経過したところで雄牛は縄にかけられて退場し、次の野獣が金属製の扉から突進する。男たちの大半は、ショウのためにおとり役を買って出た者たちだ。彼らの任務はただひとつ、雄牛の角を避けること。動きが鈍かったり、運がなかったりすれば、雄牛の餌食になってしまう。だが中核を成す50人程度は、カタリーノのように闘牛で生計を立てるプロフェッショナルだ。通称「スーサイド・マン」と呼ばれている。ケガは日常茶飯事だ。賛否両論あるものの、誰もがみなコラレハを古代ローマの剣闘競技にたとえる。
階上の観客スタンドでは、数万人の観客が観戦し、生演奏に合わせて踊っている。年配の女性たちがラムのショットグラスを片手に談笑し、イベントの謳い文句を繰り返す。「死人が出なきゃ、コラレハとはいえないわね」。
音楽とラム、血と狂気に満ちた6日間の凶悪な祭り。世界でもっとも危険なスポーツのひとつ――だが、それとおさらばする日も近いかもしれない。
「イカれた連中向けのスポーツだよ。つねに死神が隣にいる。たとえ向こうさんの姿は見えなくともね」――カタリーノ・ブラーヴォ
伝統的な闘牛はスペイン入植者によってコロンビアへ、旧世界の余暇が新世界へと持ち込まれた。はるか昔にはスペインや南米の一部地域でも、コラレハのようなイベントが行われていた。そこでは小さな町の広場を封鎖し、裕福な地元の牧場主から提供された雄牛を相手に、男たちが命知らずの技を繰り広げていた。だが時代とともにこうした慣習は危険すぎるという理由で禁じられ、あるいは廃れていった。ただひとつ、コロンビアのカリブ海沿岸を除いては。起源のほどは定かでないが、数少ないコラレハ研究者によると、19世紀前半にスクレ県やコルドバ県など畜牛がさかんな平野部で始まったと言われている。この辺りは太陽が照りつける景勝地で、熱帯特有の熱い雲はさながら青空をバックに連なる雪山のようだ。カリブ海沿岸の人々はコステーニョと呼ばれ、顔にはアフリカ、ヨーロッパ、アメリカ大陸原住民の面影が残る。みな自分たちの地域や伝統、土着の文化を誇りにしている。先のコラレハが行われた町から高速道路で30分ほど下ったサン・アンテロという町は、毎年ロバの品評会が行われる。
こじんまりした豊かなオアシスの周辺に貧困地域が広がるコロンビアの実情は世界銀行も認識しており、「世界でもっとも格差の大きい国のひとつ」に挙げている。国民の40%近くが貧困層で、約14%は極貧状態に分類されている。海岸沿いの農地は限られた一家が掌握し、大規模な農場が地平線いっぱいに広がっている。さながら封建社会だ。おそらくそれも関係しているのかもしれない。若者たちは名を挙げる可能性が低いことを熟知し、闘牛場に活路を見出すのだ。コラレハでは貧しい人間もいっぱしの人間になれる。ただし、流血と引き換えに。
闘牛は観客に大人気だ。「楽しみ」「パーティ」、あるいは多くの場合「伝統」という言葉で語られる。
「雄牛の動き……アドレナリンがたまらないわ」。闘牛場の外で並んでいたクリスティーナ・オソリオさんはこう語った。「とくにこれというルールもなく、なんでもありのパーティ。6日間、心ゆくまで楽しめる」。さらに彼女はコラレハで必ず耳にする言葉を口にした。「コラレハは私たちの血に流れているのよ」。
YouTubeで運営する『El Show de Frijolito TV』というチャンネル用にコラレハ動画を撮影するルイス・バルドヴィノさんも、可能な限り足を運んでいる。「情熱――言葉では表現できないよ。男たちは闘牛場で雄牛と戯れながら、自分らしさを表現するのさ」。自分の発言が突拍子もなく、同時に紛れもない事実だと言わんばかりに、彼は笑った。
コラレハのスタジアムも、まもなく過去の産物になるかもしれない(CARLOS PARRA RIOS)
コロンビア国民全員がこうした愛着を抱いているわけではない。コロンビア初の左派大統領、グスタヴォ・ペトロ氏はコラレハの廃止を公約に掲げている。
「各都市の市長全員に、死の見世物の開催を止めるよう要請した」と大統領はツイートした。「コロンビアは美しい国だ。残忍な国ではない」。
大統領の発言は、動物と人間を虐待する血のスポーツだとしてコラレハを忌み嫌う数百万人のコロンビア国民を代弁したものだ。死にかけた闘牛士の動画がインターネットに公開されると、コメント欄は憐れみと賞賛の真っ二つに分かれる。
「私の使命は動物愛護です」。アンドレア・パディーリャ上院議員はキビキビとしたボゴタなまりでこう語った。「場所を問わず暴力の被害者が出る限り、私をはじめとする大勢のコロンビア人は声をあげるつもりです」。
砂の上に横たわる若いバンデリリェロは雄牛の横腹に槍を突き刺すが、この後踏みつぶされた(CARLOS PARRA RIOS)
動物愛護に一生を捧げ、その甲斐あってコロンビア上院議員に当選したパディーリャ氏は、現在も複数の動物救済基金や野良猫・野良犬の予防注射プログラムでボランティアとして活動している。またコラレハおよび闘牛・闘鶏の伝統を廃止する法案も提議した。「これらは何の得にもならない、暴力的な見世物です。そのせいで町は食と娯楽の文化にどっぷり染まり、保健医療や教育、安全といった重要なニーズが不足しているのです」。
法案は議会で審議され、法制面で最大の難関にぶち当たったコラレハは廃止の危機に直面した(コラレハは伝統が根付いた地域でしか開催が認められていない)。
審議はその後も続いたが、委員会でつぶされ、裁決には至らなかった。
パディーリャ議員はあらためて法案可決を進める方針だが、コロンビア国民に問いただそうとも考えている。「この残忍な見世物がコロンビアに存続してよいものか、国民投票で一般市民に是非を判断してもらう方向で進めています」とパディーリャ議員。そして遅かれ早かれ、コラレハは廃止されるだろうとも付け加えた。
コラレハを楽しむ地元住民はというと、万人受けはしないかもしれないが、自分たちには大事だと考えている。「生まれた時からコラレハが染みついている。これは自分たちのものだ。ボゴタやメデリンなど他の地域の人には好まれないかもしれない。だがこれは自分たちのもの、自分たちの身体に刻まれている」と言うサムエル・ネグレーテ氏は、医者として長年コラレハで酔っ払いや熱射病患者、負傷者を治療してきた。
「俺たちはグラディエーターだ」とある闘牛士は語った。「これは人間対獣という伝統だ」
コトラという小さな町で、由緒ある最大級の闘牛イベント「コラレハの母」が開かれた。長身のやせた男が闘牛場に足を踏み出し、すばやく跪いて地面に手を触れ、十字を切った。コラレハのレジェンドにファンが手を振る。闘牛場の外ではシニバルド・エスパーニャ・サルタリン。だが雄牛を待つ時は、闘牛士サルタリンだ。
「闘牛場にいるときの自分は別人だ。世界が変わる。まるで違う。上手く説明できないが、闘牛場を1歩出るとまた元に戻る」と本人。他の闘牛士も同意見だ。闘牛場はまるで別世界で、そこでは人生が早送りされ、凝縮され、日常の些事はすべて消えてしまう。
この日サルタリンは黒のTシャツにジーンズ、それにトレードマークのサングラスといういで立ちだった。のんびり構え、落ち着いた笑みを浮かべていた。手にした大きなマントは片面がオレンジ色で、裏は紫。首全体にのびる傷は、すばしっこい雄牛を相手にした時の勲章だ。何があったのか尋ねると、「たいしたことじゃない。ただ牛に血管を引き裂かれそうになっただけさ」と、肩をすくめて笑いながら答えた。
コロンビアのコルドバ県コトラで開かれた闘牛イベント「コラレハの母」で、雄牛を前にマント技を見せる「サルタリン」ことシニバルド・エスパーニャ氏(CARLOS PARRA RIOS)
大観衆が見つめる中、彼は10人の闘牛士に交じって金属製の扉の前に立ち、雄牛が出てくるのを待っていた。獣に向かっていくには、脳に焼きついた原初の生存本能に打ち勝たなければならない。「怯えじゃだめだ、でないと負ける」とサルタリンは言う。「恐怖は人を躊躇させ、思い切り行動できなくする。思い切り行動でいきないなら、止めた方がいい」。
サルタリンはマントで華麗な技を披露し、観客を沸かせる「カポテーロ」だ。金属製の扉が開き、雄牛が突進してくる。サルタリンがマントを確実に、しかも優雅に素早く振って雄牛を誘導する。雄牛が近づいてくる。サルタリンはぎりぎりのところで脇によけ、雄牛はマントを突き抜けていく。角はサルタリンの胸ぎりぎりだ。彼がマントをひらひら揺らし、1度、2度、3度とかわす度に歓声があがる。
「マントを使う時はダンスだ。死神とのダンスさ」と彼は語った。「死神は忠実な友だ。いつも隣にいる。向こうさんの姿は見えなくてもね」。
サルタリンが雄牛に向かって叫び、再びマントを翻して誘い込むと、雄牛もまた突進する。またもやすんでのところで脇によける。そしてまた歓声。
サルタリンは地方の貧しい農家の生まれだ。手っ取り早く稼ぎ、友人や隣近所をあっといわせたいという思い――それと危険への渇望――が彼をコラレハに駆り立てた。
「俺がアドレナリンを出してるんじゃなく、アドレナリンが俺をのっとっているんだ」と彼は高笑いした。「アドレナリンで人はクレイジーなことをする。ただやりたいという理由だけでね。アドレナリン中毒は危険だよ」。
闘牛場では日常生活のわずらわしさ――生活費や税金、ドロドロした人間関係――もすべて消えてしまう。存在は「勝つか負けるか? 生きるか死ぬか?」というところまで単純化されるのだと彼は言った。
雄牛に足をぱっくりやられ、医療テントで看護士から手当てを受けるオマー・ロペスさん(CARLOS PARRA RIOS)
闘牛士は在りし日のカーニバルのごとく町から町へと渡り歩き、6日間にわたる祭典で自らの命を危険にさらす。コロシアムの観客席の下に吊られたハンモックで寝泊まりし、朝食代わりに冷たいビールで目を覚ます。みな「ザ・マスク」とか(彼は雄牛に何度も顔をめちゃくちゃにされた)、「死神」とか(1度あまりにもひどい重傷を負ったため、一度この世を去って再び蘇ったともっぱらの評判だ)、「ザ・ボール」「マンダリーナ」などの愛称で呼ばれている。「ディックフェイス(カレチンバ)」と呼ばれる者もいたが、勇気が出ずに理由は聞けずじまいだった。「クレイジーホース」はカウボーイハットと闘技場でのダンスがトレードマークで、2022年のコラレハでは雄牛があまりにも素早く、力も優っていたため、こっぴどくやられてしまった。医師の尽力で命はとりとめたが、左足を切断しなくてはならなかった。この日クレイジーホースは久々にコラレハを訪れ、ぴかぴかの金属製の義足姿でかつての闘牛仲間とラムを飲んでいた。彼と写真を撮ろうとファンが次々押し寄せ、彼も笑顔でそれに応じていた。
こうした生活は闘牛士の身体に、無数の傷として刻まれている。「俺は56カ所」と、死神という名の闘牛士は言った。身体にはまるで地図のように、醜い傷跡があちこちに走っている。闘牛人生で歯は数本しか残っていない。
アルヴァロ・ノヴァは闘牛士としては珍しく、長いこと命拾いして引退した。大都市カルタヘナの出身で、50年前にやはり闘牛士の叔父の背中を見てこの道に入り、8歳の時には子牛を相手に練習した。彼の得意技はマントで、獰猛な雄牛の前でマントを前後左右に振る。
「身体を鍛えなくちゃいけないという点で、闘牛はスポーツだ」と本人。「だがそれ以上に芸術だ。歌や音楽、絵画と同じさ。『死のバレエ』とも呼ばれている」 ノヴァは不安定な収入を理由に引退した。「闘牛ではいくらでも稼げる――自分の命と引き換えに。悲劇的な結末になるケースもある」と彼は言い、声を上げて笑った。「コラレホ万歳だ」。
あまりにも常軌を逸し、カオスなスポーツなので統計を取るのは難しいが、つねに死は隣りあわせだ。この数年で9人の闘牛士が命を落としたという話も聞く。当然ながらスーサイド・マンたちは、自分たちの人生に死神がいることを受け入れている。「俺たちはグラディエーターだ」とサルタリンも言う。「人間対獣の戦い。そうやって奴隷たちは自由を手にしてきた。それがこの伝統のルーツだ。人間対獣の戦いだよ」。
「闘牛場にいる時の自分は別人だ。世界が変わる。上手く説明できないが」
コラレハはスポーツイベントであると同時にパーティだ。観客も闘牛士も、日がな飲んだくれている。闘牛士の多くは朝から酔っぱらい状態だ。ラム酒を数杯ひっかけて、雄牛との午後に備えて肝を据わらせる。闘牛場でもボトルを回してラッパ飲みする。
「素面じゃ雄牛と戦えない。雄牛に怖気づかないためにも、少なくともほろ酔い気分じゃないと」。人懐っこく、顔に傷のない数少ない闘牛士の1人、ザ・ボールがこう語った。「いつも多少ラムが回ってる状態がベターだ」。
雄牛との午後が終わると、音楽やダンスの夜がやって来る。また1日生きながらえたことを祝うために酒が注がれる。日中に稼いだ金は、コロシアム周辺の板張りのバーでほとんど消える。闘牛士も自分の稼ぎには鈍感で、ストレートに答えが返ってきたことは稀だ(筆者の知ったことではないが)。ギャラが年々減っているという話も聞く。10年以上前には6日間で、少なくとも300万ペソ(最低月給のほぼ2倍)は稼げたそうだ。さらにその上チップが入る。
午後3時、闘牛場の中央で大きな花火が上がり、1回目の闘牛の開始を告げる。闘牛場は途端にせわしなくなる。集まった大勢の男たちのほとんどは、いわゆる「カモ」と呼ばれる連中だ。度胸試しに闘牛の最前線に集まった素人で、フェンスにぶら下がったり、雄牛の前を走ったりする。
事はあっという間に進む。雄牛は時速35マイルで飛び出すこともある。たとえ闘牛場の向こう側にいても、運命が扉を叩くがごとく突進する雄牛を3~4秒以上引き離すことはまず不可能だ。
観客席では男たちが氷とビールでいっぱいのバケツを運び、観客の喉を潤す。雄牛が向かってくると、1缶たりとも落とさないよう、命からがら逃げる。地元企業や政治家の広告看板を掲げて、闘牛場の周りを練り歩く男たちもいる。
悪魔の衣装を着た男が写真撮影に応じ、ピエロが冗談を飛ばしながら歩き回り、前方に角のついたバイクが闘牛場に乱入して群衆の中を走り抜ける。これもまたコラレハだ。まさに一大イベント。金を払う観客であれ、スリルを提供するカモであれ、ひと花咲かせたい者であれ、各自がそれぞれ役割を担っている。
馬に乗った十数人の騎手が集まる。スペインの闘牛では、騎手はマタドールが最期のとどめを刺す前に雄牛を疲弊させるという重要な役割を果たす。ここでも騎手が雄牛を追い回す。もうひとつスペインの闘牛から受け継がれた名残がある。紙帯で巻かれ先端に銛状の刃がついた槍「バンデリーリャ」だ。複数の闘牛士が雄牛の前を走り、槍を横腹に突き刺して、出血する程度に浅い傷を負わせる。だが動物愛護活動家にとっては、雄牛が出血するだけで「拷問」と呼ぶには十分で、コラレハ禁止を訴える理由になる。
ここで権力を握るのは裕福な牧場主だ。輸入ウィスキーのボトルを酌み交わす20人前後の一行で、絶えず闘牛士と言葉を交わしながら技の報酬を交渉する。若い男が駆け寄って、「死の座席」という技を提案した。迫りくる牛の前に人間が座り込み、直前で寝そべって、牛がその上を通り過ぎる、または足を止めるのを期待するという危険な技だ。この技にトライして死んだ男たちを筆者も見たことがある。その若者は60ドルを要求した。牧場主は20ドル以上出せないと言った。交渉は成立しなかった。
旧友を尋ねて闘牛場に再び姿を見せたクレイジーホース コラレハで片足を失った(CARLOS PARRA RIOS)
闘牛場の男たちを獣にもっと近づけようと、観客席からキャンディの袋の雨が雄牛に向かって投げ込まれる。誰かが札束を闘牛場に投げ入れ、拾い集めようと男たちが群がった。流れが少しでもたるめば、男たちに向かって爆竹を鳴らす観客も出てくるだろう。
熱烈なファンは見事な雄牛の動き、戦闘のセンスを賞賛する。最高のパフォーマンスをした牛は殿堂入りだ。7人の男を墓場に送った牛は「セブン・ボックス」という称号を与えられた。
多数の死者が出るため、コラレハは亡霊たちの世界と化す。時に亡霊が闘牛場に姿を見せることもある。闘牛でこの世を去った夫の拡大写真を掲げた未亡人が、観客席を練り歩く。この日はモイセス・マンチャドが若者に誘導されて姿を見せた。大きな白い募金箱には、闘牛士時代のマンチャドの武勇伝と、雄牛に突き刺されて障害を負い、声が出せなくなったことが書かれていた。
闘牛場に目を戻すと、雄牛が金属製の扉から大砲のごとく飛び出し、歓声が上がった。褐色の毛並みで、顔の中央に白い線が走っている。男たちが走り回る中、雄牛が駆け抜け、逃げ惑う1人の男を追い詰めた。男たちの間から叫び声が上がる。決定的瞬間の直前、男はあたかも獣を制止しようとするかのように片手をあげた。雄牛は男の腰に突進したが、あまりの猛スピードで男の身体は上下逆さまに跳ね飛んだ。男は20フィート先まで飛ばされ、片方の靴が吹っ飛んだ。男は顔から地面に落下し、うずくまった後、動かなくなった。
ものの7秒の出来事だ。
男たちが若者を抱え上げて運び出す間、雄牛は闘牛場の反対側に駆けていった。
闘牛イベント「コラレハの母」にて 雄牛を挑発する素人闘牛士たち(CARLOS PARRA RIOS)
若者が雄牛に吹っ飛ばされると、コロシアム脇に設置された医療テントにいた医者と看護士の耳にも歓声が届いた。彼らにとっては患者が発生して運ばれてくる合図だ。「医療テント」と呼ぶにはお粗末で、4本のポールにシートをかぶせた代物だ。サムエル・ネグレーテ医師は地元の病院に勤務しているが、今日は別の医者と5人の看護士とともに医療班を取り仕切っている。2台の救急車がいつでも出発できるよう、後部座席のドアを開け、エンジンをかけて待機していた。
運ばれてきた男はピクリとも動かず、すぐさま診察台に乗せられた。まずは死んでいるかどうかが問題だ。ネグレーテ医師が脈を確認する――幸運にも命はとりとめた。雄牛の角は貫通していなかった。ネグレーテ医師が診察する間、テントの周りにはこの日の負傷者を一目見ようと人だかりができていた。
5分後、男は意識を取り戻したが、グロッキー状態で自分がどこにいるかも定かではなかった。首にギブスをあてがわれ、地元の病院に搬送されていった。
「ふつうは1日に5~6人、7人。喉や腹部、頭部の負傷者です」とネグレーテは束の間の休憩時間にこう語った。特に多いのが、肛門を突き刺されるケースだ。「しょっちゅうですよ。雄牛から逃げて、追い付かれた時にもっとも攻撃されやすいのが肛門です。皮膚が裂かれたり、刺されたり」。
テントでは患者の選別が行われる――包帯と数台の診察台ではできることが限られるからだ。「場合によっては、完全に心肺が停止して即死することもある。喉付近の重度の外傷だと、このような基本的な設備では助からないこともしばしばです……1日に2~3人死者が出ることもあります」。
ネグレーテ医師は若く、人好きのするタイプだ。本人もコラレハを楽しんでいるが、その代償については複雑な思いだ。「ここに運び込まれる患者の90%は闘牛士ではなく、命知らずのカモです」と医師。「やるせませんね――『なぜ自分の命を粗末にするんだ?』と問わずにはいられません」。
闘牛場からまた大きな叫び声が上がり、会話が中断された――またもや患者だ。
オマー・ロペスさんが友人に運ばれてきた。20代の若い闘牛士はズボンの左側を血で染めていた。顔をしかめ、傷からずっと目を背けている。姉のユーリさんが付き添っていた。
「ほらごらんよ! 母さんに何て言われることか!」。
ネグレーテ医師がズボンを切開する間、ロペスさんはとろんとした目で診察台に横たわっていた。牛の角で左膝がぱっくり割れていた。ロペスさんは歯を食いしばり、遠くを見た。脚から血が噴き出した。
「雄牛につかまったのよ。もうこれで3回目。自殺行為だってことを分かってないんだから」。ネグレーテさんが弟を手当てする様子を見守りながら姉は言った。顔には怒りと懸念の表情が交差していた。「雄牛に殺されそうになったのはこれが初めてじゃないでしょ。母さんが聞いたら心臓が止まるわよ」。
ネグレート医師と看護士は傷口を洗浄し、止血した。ひどい傷のわりにロペスさんはご機嫌で、笑いながら看護婦にウィンクした。コラレハ歴8年のベテランだ。
「治ったらすぐ復帰するさ」と本人。「もしかしたら明日かもな?」。傷をネタにしてチップを稼ごうと、ロペスさんはよろよろ観客席に戻っていった。
この日の午後、テントでは熱射病で倒れた人々も手当を受けていた。この辺りは日差しが強く、気温が華氏100度(摂氏38度)前後にもなる。そんな中、観客席はすし詰め状態だ。この日は熱射病になった女性3人が運び込まれた。
「闘牛の時期は毎日こんな感じです」とネグレーテ医師は言う。
ネグレーテ医師が看護士らと休憩を取っていると、また叫び声が上がり、医師らは次の患者に備えて立ち上がった。患者が次々運ばれてくる様子を見て、イラク軍がISISと戦闘中にモスル郊外で見た野戦病院を思い出した。
62歳のルイス・サンドバルさんが男4人に担がれてきた。男たちの腕はサンドバルさんの血で真っ赤だ。サンドバルさんの顔は青ざめ、シャツとジーンズは血だらけだった。太ももの裏に空いた穴から流れるどす黒い血が診察台を濡らした。ネグレーテ医師は傷口を圧迫し、何とか包帯を巻いた。
サンドバルさんが友人に語った話では、闘牛場でフェンスにぶら下がっていたところ、雄牛が自分の真下で足を止めて頭を持ち上げ、角で突き刺したそうだ。
ネグレーテ医師は次にサンドバルさんの脇腹の傷に取りかかった。医師がどす黒い穴を治療していると、ピンク色のソーセージのような腸がぽろりとこぼれた。ネグレーテ医師は腸を掴み、押し戻そうとしたが、うまくいかない。テントの隙間から覗いていた野次馬は、突然の悪臭に息をむせらせた。
「腸が貫通しています」と看護士が叫ぶ。
サンドバルさんはまっすぐ前を向いて、傷口から目をそらした。瞳の奥に恐怖が映り、肌は一瞬にして血の気が引いた。
ようやくネグレーテ医師は傷口をふさいだ。醜い腸の束が包帯の下から覗いている。一命はとりとめたものの、生き永らえるには手術を受けなければならない。年老いた男を救急車の後部座席に乗せていると、またもや闘牛場から叫び声が上がった。その間音楽は一時も止まなかった。
雄牛を挑発しながら、男たちは観客席につかまり、会場を揺らす(CARLOS PARRA RIOS)
数日も経つと、コラレハは夢の世界のような様相を帯びる。ここでみな食事をし、友人と会い、ダンスや音楽に興じ、ラム酒を浴び、眠りに落ちた後、目が覚めたらまた同じことを繰り返す。陰欝なパーティは決して終わらない。筆者も一度、突進する雄牛の夢を見た。
「この世界で暮らしていると抜け出せなくなる――魔法にかかるんだ」とサルタリンは言う。「死んだ奴のことばかり気にしていられない。目を逸らし、楽しい時間を過ごす人々に目を向ける……パーティは決して終わらない。えんえんと続く」。
死神と呼ばれる闘牛士は、一歩足を踏み入れたら出られない「悪魔のパーティ」と表現した。「ここで稼いだ金は呪われている。ラムの飲み代に消える運命なのさ」。
中には穴に落ちて抜け出せなくなった者もいる。雄牛の頭を飛び越えたカタリーノと最後に会ったとき、彼は自宅で赤ん坊の娘を風呂に入れながら引退を考えていた。「人生を無駄にしているんじゃないかとずっと考えていた」と本人。「自分が死んだら、どうやって娘を助けられるんだ?ってね」。
カタリーノはすぐに堕落していった。ラムびたりだった彼はより強い刺激を求めて麻薬に走った。闘牛場で命をかけて稼いだ金はクスリ代に消えた。かつてのコラレハのスターは路上生活者に成り下がり、家族との縁も途絶えた。助けてくれる友人や家族を探そうと、誰かがFacebookに彼の写真を投稿した。写真のカタリーノは薄汚れた服装で立っていた。薬物中毒に陥り、今では悪魔に支配されていた。
闘牛に人生をのっとられてたまるものかと、コラレハからの脱出を試みる者もいる。マンダリーナという闘牛士はこの世界ではレジェンドだ。「闘牛では」と本人は言う。「誰しも可能な限り最高の形で、有終の美を飾ってから去りたいと思うものだ」 肩までかかる黒い巻き毛とあごから唇にかけて伸びる深い切り傷で、一目見ればすぐに彼だと分かる。雄牛に近づきすぎて負ったときの勲章だ。荒くれ者のスーサイド・マンの中でもマンダリーナは紳士で、この日もジーンズにシャツ、白いスニーカーとこぎれいな格好で現れた(子どものころ、果物を売る屋台で働いていたことからマンダリーナの愛称がついた)。マンダリーナとサルタリンは20年近くコンビを組んで、コラレハを周っていた。だが彼の頭は闘牛士たちの死でいっぱいだった。
「死を受け入れるのは辛い。友人が雄牛に突き刺されて死ぬのを見ると、恐怖が走る。あいつの身に起きたなら、自分にも起こりうるとね」と本人は思慮深げに語った。「その瞬間、俺の中に恐怖が芽生えた。雄牛を前にして恐怖を感じると、恐怖というものがよく分かる」。
マンダリーナは家族のことを思った。娘と息子はまだ幼い。「コラレハを引退しても暇しないように、小さな農場を作ったんだ」と彼は語った。「まだ若いから、いつになるかは分からないが」。
ラム三昧で、働き盛りの時期に死の床につく人生とは無縁の闘牛士、荒れ狂う雄牛の角から遠く離れた存在。マンダリーナはそんな数少ない人物の1人だった。
そうした形で物語を締めくくれたら良かったのだが。
うだるような猛暑の中、プラネタ・リカの町で行われたコラレハの初日、マンダリーナは闘牛場に上がった。この日サルタリンは悪い予感がして、闘牛はせずに観客席にいた。「マンダリーナにも今日はやめとけって言ったんだ。観客席から見ていたら……」。そこで彼は言葉を失った。
破壊することしか頭にない、体重400キロの黒茶の雄牛が金属製の扉から突進してくる。闘牛士はマント技を繰り出そうとするが、雄牛がすぐそばを突進し、マンダリーナの胸に体当たりした。彼の身体が宙を舞い、背中から着地する。雄牛が回り込み、頭をかがめて角で攻撃する――マンダリーナを何度も突き刺し、そのまま闘牛場の向こうまで運んで、フェンスに串刺しにした。観客は恐怖の叫びをあげた。マンダリーナは47歳でこの世を去った。
コラレハの合間を縫って、マンダリーナは小遣い稼ぎにバイクタクシーの運転手をしていた。闘牛場ではヒーローとして数万人から崇められる一方、片道50セントでバイクの後ろに客を乗せて運ぶ生活だった。
マンダリーナは故郷で手厚く葬られた。数百人が列をなして参拝に訪れ、葬儀の列には闘牛士やバンドも加わった。最後の弔いにマンダリーナのマントがはためく。その後、音楽と涙に見送られながら遺体は埋葬された。
観客を楽しませるために、闘牛場でマントの技を披露するカポテーロ(CARLOS PARRA RIOS)
数カ月後、サルタリンは「エル・モノ・ヴィジェガス」という別の勇者を失った。
「2人も友人を失って、自分も引退を考えた。絶対に引退する」。頬に涙を伝わせながら、サルタリンは言った。「辞めると言ったら、誰にも受け入れてもらえなかった。バカにされ、腰抜け扱いされたよ」。彼は立ち上がると、拳で挨拶をして立ち去った。
それから数カ月後に再会すると、彼は辞めたと告げた。「人生を変えたいんだ。コラレハはもう辞めた」と本人。「友人のほぼ全員が思い出になってしまった。俺は思い出になんかなりたくないよ、トビー」。
筆者は内心ほっとした。コラレハで見た最後の彼の姿が頭にこびりついて離れなかったのだ。その時彼は友人と酒を酌み交わした後、1人その場を立ち去った。この世でただ1人、人生を知り尽くしたかのように。そのうちまたラムの瓶が空けられ、大きな金属製の扉が大きく開き、雄牛が突進してくるだろう。そしてまた男が前に歩み寄り、全てを犠牲にして観客に見世物を提供するだろう。