1月の某日、海外旅行に出かけるため成田空港へ行った。 搭乗時間まではまだだいぶ間があったので、Tシャツを買いたいという娘に付き添い、空港内のショッピングエリアに向かう。
自分は特に買いたいものもないなか、ユニクロに入店。 Tシャツコーナーであれでもないこれでもないと吟味を重ねる娘からそっと離れ、一人で店内を物色していたら、ひとつの帽子が目に入った。
■渡航前の空港内ショッピングエリアで見つけた白い帽子
形はベースボールキャップタイプ、素材は綿65%ポリエステル35%の混紡、後部にはベルト式のアジャスターがついていて、サイズ調整可能なワンサイズ式だ。
正面にはキース・ヘリングの有名な「Bark Dog(吠える犬)」の絵が、左側面には「Keith Haring」のサイン(兼登録商標マーク)が、濃紺の糸でそれぞれ小さく刺繍されている。
商品名は『キース・ヘリング UVカットキャップ』。値段は1990円だ。
何も買う予定ではなかった僕だったが、この白い帽子が一目で気に入り、購入することにした。
僕はいつも海外旅行に出る際、身軽に行動したいので荷物を極力少なくするように心がけていて、機内持ち込みできるサイズ以上のバッグを持っていったことはない。 それでも厳選した必要最小限のものは持っていくようにしているのだが、今回はひとつ、絶対に持ってくるべきだったのに、忘れていたものを思い出した。 そう、帽子である。
普段の僕はあまり帽子をかぶる習慣がなくうっかりしていたのだが、これから向かう先は熱帯地方のタイだ。 北半球なので1月は比較的涼しいとはいえ、乾季のため晴天続きで、日本よりもずっと鋭い日差しが頭の上に降り注ぐはず。 頭頂部の日焼けを避けるためにも、熱中症予防のためにも、帽子は必需品だ。
結果、手に入れたキース・ヘリングのベースボールキャップは、タイでの日中の外出の際には常に僕の頭の上にあり、予想通りの大活躍をした。
■改めて知りたい、キース・ヘリングとは? ベースボールキャップとは?
ところで、“キース・ヘリングのベースボールキャップ”という呼び方に違和感を覚える人はいないだろうか? 僕は覚えます。
キース・ヘリングとはご存知の通り、ストリートアートの先駆者とも呼ばれるポップアーティスト。
1980年代初頭、ニューヨークの地下鉄構内で広告掲示板に黒い紙を貼り、チョークを使って即興の絵を描くというゲリラ的手法で名を挙げ、1988年にエイズ合併症で亡くなるまで数多の作品を残した現代美術界の偉人である。
シンプルな太い線で描かれる彼の絵は非常にアイコニックなため、ファッションのモチーフとしてもこれまで様々に用いられてきた。
日本ではユニクロが特に有名で、Tシャツをはじめとする様々なアイテムで、キース・ヘリング作品を使ってきた。
だからこんな帽子があっても不思議ではないのだが、そもそもキース・ヘリングと野球って接点あるの? と考え出すと止まらないのである。
じゃあ、“キース・ヘリングのベースボールキャップ”じゃなくて“キース・ヘリングのキャップ”と呼べばいいのではと思うかもしれないが、僕はこの形の帽子は必ず“ベースボールキャップ”と呼びたい。
単に“キャップ”と呼ぶ人も確かに多いが、実はそれは誤りで、“キャップ”とは本来、ツバがない帽子のことを指す。
ニット帽や水泳帽のような形の帽子だけが、“キャップ”と呼ぶのにふさわしいのである。
翻り、頭に密着する丸形帽子のうち、正面に半円形のひさし=ツバが付与されたものこそが、「ベースボールキャップ」。
省略して“キャップ”と呼んでしまうと、先祖のツバなし帽に戻ってしまうことになる。
言葉は、正しく使わなければ。
蘊蓄ついでにちょっと歴史を紐解くと、ベースボールキャップが初めて世に出たのは1860年頃のこと。
当時のアメリカのプロ球団、ブルックリン・エクセルシオールズに採用されたものがその元祖だ。前部に太陽光からプレイヤーの目を保護するためのひさしが施された6枚はぎの丸型帽で、頭頂部に包みボタンが付いているのも特徴だった。
この帽子は1900年頃になると巷で流行しはじめ、当初は“ブルックリンスタイル”と呼ばれていた。
以来、実用的でスポーティな帽子として広まり、野球をするときだけではなく様々な場面で用いられるようになったのである。
僕のユニクロ『キース・ヘリング UVカットキャップ』は、まさにそうしたベースボールキャップの特徴を踏襲した形なので、間違った意味合いが出てくる省略形の“キャップ”ではなく、きちんと“ベースボールキャップ”と呼びたくなるこの心情、わかってもらえるだろうか?
めんどくさくて、本当にすみませんね。
■ベースボールキャップの肝は、おでこの位置にあるロゴマーク
ベースボールキャップで忘れてはならないもうひとつの大きな特徴は、トップの前方中央に何らかのマークが付けられているということだろう。
野球チームのメンバーがかぶる帽子としてはじまった当初は当然、所属チームのロゴマークが施された。
ここにマークがあってこそ、ベースボールキャップらしい雰囲気になるので、その後ベースボールキャップが野球を離れ、一般ファッションに取りれられてからも、何かのマークが刺繍やワッペン、プリントなどで施されるのが常だった。
もちろんファッションが多様に進化している現代では、無地のベースボールキャップだっていくらでもあるが、わりかし原理主義的な性向を持つ僕は、ベースボールキャップはやっぱりここにマークが欲しいと思ってしまうのである。
そこで、はたと悩む。
おでこの中心というのは、人間の体の中でも特に際立つ部位。
他人と相対するときにも、まず目線がきがちなところだ。
ここに鎮座する意匠なのだから、自分にとってまったく縁もゆかりもないものではなく、何らかの象徴的意味を含ませたいではないか。
スポーツ観戦が好きな人だったら簡単だ。
好きなチームのロゴマークのあるベースボールキャップをかぶればいいのだから。
しかし僕は、野球に限らずプロスポーツにほとんど関心のない男で、当然ながら贔屓のチームなんてない。
ブランドロゴが施されているベースボールキャップもあるが、僕的にはそれも何だか違和感がある。
Tシャツやスウェットの胸元に、ブランドロゴがプリントされているのは何とも思わないのだが、いくらお気に入りブランドだとしても、おでこにまでそのロゴを貼り付けていたい? と気になってしまうのだ。
はいはい、本当にめんどくさくて申し訳ない。
■キース・ヘリング作「Bark Dog(吠える犬)」に秘められたメッセージ
そんな僕が、ユニクロ『キース・ヘリング UVカットキャップ』を気に入ってスッと買えたのは、キース・ヘリングが頻繁に描いていたこの「Bark Dog(吠える犬)」のことを、前から多少は知っていたからなのかもしれない。
キース自信は自分の絵に含まれる意味合いを語ることはほとんどなかったというが、「Bark Dog(吠える犬)」は猜疑心や警戒心を意味し、逆説的にアメリカ政府など絶大な権力(への反意)を象徴しているのではないかと解釈されることが多いモチーフなのだ。
このいささかダークでひねくれたモチーフが、キースの活躍した80年代に青春時代を過ごし、性根がパンクスの僕は前から好きだった。
でも普通の人はそこまで深読みせず、「あ、キース・ヘリング〜」「ポップで可愛い〜」くらいにしか思わないだろうから、そこまで重たくもならず気軽にかぶることもできる。
そんなわけでこのユニクロ『キース・ヘリング UVカットキャップ』がとても気に入った僕は、国内ではこれから先の春〜初夏、夏にかぶりまくろうと思っている次第なのです。
文・写真/佐藤誠二朗