『坊っちゃん』は日本文学を代表する作家、夏目漱石の代表作の一つで、読書感想文の課題図書に採用されることも多い名作です。しかし全文を読んだことがないという人も多いかもしれません。
『坊っちゃん』は、江戸っ子の主人公(坊っちゃん)が教師として四国の田舎町の中学校に赴任し、さまざまなハプニングに巻き込まれながらも偽善者に立ち向かう様を、ユーモアを交えながら痛烈に描いた小説です。
本記事では200字の短いあらすじと、章ごとの詳しいあらすじ、登場人物や読者感想文のポイントなどを紹介。作者である夏目漱石の生涯や死因についても解説します。
※本記事はネタバレを含みます
夏目漱石『坊っちゃん』のあらすじを簡単に200字で要約
『坊っちゃん』は1906年(明治39年)に、俳句・文芸雑誌『ホトトギス』で発表された、全11章から成る長編小説です。
まずは全体のあらすじを、200文字程度で簡単に確認しておきましょう。
子供のころから無鉄砲で曲がったことが嫌いな坊っちゃんは、教師として四国の田舎町の中学校に赴任します。生意気な生徒たちや卑怯な教頭(赤シャツ)にも、持ち前の負けん気で一歩も引きません。親しくなった同僚(山嵐)が教頭の策略により辞職を迫られる事態に、坊っちゃんはついに教頭との直接対決を決意。
そして赤シャツとその腰巾着の野だいこをやっつけた坊っちゃんは辞表を出し、解放された気分で下女の清が待つ東京に戻ったのでした。
『坊っちゃん』の主な登場人物
『坊っちゃん』には、坊ちゃんの家族や勤務先の同僚など、多くのキャラクターが登場します。多くの登場人物は本名ではなく、あだ名で呼ばれていることも特徴の一つです。
主要なキャラクターについて見ていきましょう。
主人公(坊っちゃん)
この物語の主人公で、自分のことを「おれ」と言う彼の視点でストーリーは進みます。下女の清には「坊っちゃん」と呼ばれています。
坊っちゃんは東京で生まれ育ちました。無鉄砲(むてっぽう)で、子供の時から損ばかりしています。物語の冒頭では、学友にはやし立てられて小学校の二階から飛び降りてけがをしたり、栗を盗みに来る年上の男の子と戦って着物の袖がもげたりしたエピソードが披露されます。
その負けん気の強さと無鉄砲さは大人になっても変わらず、数学教師として赴任した四国の中学校でも数々の騒動を巻き起こすことになるのです。
坊っちゃんの味方1:下女の清(きよ)
けんかっ早く、両親や兄にはあきれられてばかりだった坊ちゃんですが、味方になってくれる人もいました。下女の清は坊っちゃんを「あなたは真っ直ぐでよいご気性だ」と褒めて、世話を焼き、かわいがりました。
坊っちゃんの味方2:同僚の山嵐(堀田)
坊っちゃんの赴任先の学校の同僚で、同じく数学の教師です。坊っちゃんは最初は山嵐に反発していたものの、正義感のある彼と次第に意気投合し、親しくなります。
坊っちゃんの敵:教頭の赤シャツと、その腰巾着の野だいこら
赤シャツは坊っちゃんの赴任した中学校の教頭で、年中赤シャツを着ています。
赤シャツは学歴があり丁寧な物言いながら、坊ちゃんの同僚であるうらなりの婚約者・マドンナを奪ったり、卑怯な手をつかって山嵐と坊っちゃんを陥れようとしたりします。その赤シャツの腰巾着が、野だいこです。
曲がったことが大嫌いな坊っちゃんは山嵐とともに、赤シャツと野だいこの2人の芸者遊びの現場を押さえ、一矢報います。
そのほかの主要な登場人物
うらなりの婚約者だったマドンナは、今は赤シャツの恋人です。また「狸」と呼ばれる校長は赤シャツの策略に乗って、うらなりを転勤させました。
そのほかにも坊っちゃんにいたずらをする生徒たちや下宿先のおばあさんなど、坊ちゃんの周りにはさまざまな人が登場します。
『坊っちゃん』のあらすじを結末まで、章ごとに詳しく紹介
それでは『坊っちゃん』のあらすじを、章ごとに詳しく見ていきましょう。
1章 少年時代
無鉄砲で乱暴者、そしていたずら好きな坊っちゃんは、両親や兄からは愛想をつかされています。しかし下女の清だけは坊っちゃんをかわいがり「あなたは真っ直ぐでよいご気性だ」」と言います。
「お世辞は嫌いだ」と答える坊っちゃんですが、それでも清は小遣いで菓子などを買い与えるばかりか、坊っちゃんが「将来立身出世して立派なものになる」と信じて疑わないのでした。
やんちゃな少年時代を過ごした坊っちゃんは、両親が亡くなると、その遺産で物理学校へ通います。卒業した後は、中学校の教員になるために四国へ旅立つことになりました。別れ際、下女の清が涙を見せるので、坊っちゃんも少し泣きそうになります。
2章・3章・4章 中学校の教師になり、生徒や校長の態度に不満を感じる
坊っちゃんが赴任すると、いたずら好きの生徒たちは早速悪さを始めます。坊ちゃんが天麩羅蕎麦を四杯食べた翌日には、黒板に「天麩羅先生」と書いてばかにします。
坊ちゃんが宿直の夜には、寄宿生たちが悪さをして眠れません。坊っちゃんは生徒たちを捕まえて押し問答しますが、生徒たちはあくまでしらを切ります。
そのうち校長の狸が現れて、うやむやにしてしまうのでした。坊っちゃんは生徒たちの所業にも、狸の態度にも辟易(へきえき)します。
5章・6章 赤シャツの思惑と、山嵐との言い争い
ある日、坊っちゃんは教頭の赤シャツに釣りに誘われます。赤シャツは気味の悪い優しい声を出す男で、坊ちゃんはあまり好きではありません。それでも野だいこを交えた3人で釣りに行くと、2人はなにやらヒソヒソと、坊っちゃんのことをばかにして笑っているようです。
その上、暗に山嵐のことを「めったに油断の出来ないのがありますから……」などと告げます。坊っちゃんはコソコソと陰口をたたく彼らに嫌悪を感じます。
一方で坊っちゃんは早速、山嵐のところへ向かいます。山嵐にはかき氷を奢ってもらったことがあったので「裏表のある奴から、氷水でも奢ってもらっちゃ、おれの顔に関わる」と思ったからです。
断ってもかたくなにかき氷代を返そうとする坊っちゃんに、山嵐は「氷水の代は受け取るから、下宿は出てくれ」と告げました。今いる下宿は山嵐から紹介してもらったもので、何やら下宿屋の主人が、坊ちゃんを迷惑がっているのだそうです。坊っちゃんは憤慨し、互いに大きな声で言い争いをします。
7章・8章 赤シャツがうらなりからマドンナを奪ったことを知る
新しい下宿先を、一目置く同僚であるうらなりに紹介してもらった坊っちゃん。そして赤シャツの恋人のマドンナは、元々うらなりの婚約者だったことを知ります。赤シャツが卑劣な手を使って、結婚間際だったうらなりからマドンナを奪ったのです。
山嵐はそれに反発して赤シャツから目をつけられたのだと聞いて、坊っちゃんは山嵐は悪い人ではないのでは、と思います。
一方でうらなりは、マドンナを奪われただけでなく、赤シャツの策略によって転勤させられることになっていました。
9章 山嵐との和解とうらなりの送別会
うらなりの送別会の日、坊ちゃんのもとへ山嵐が和解にやってきます。下宿の主人の話は誤解だったと気付いたそうです。わだかまりが解けた2人は、うらなりの送別会へ向かいました。
2人は、機を見て赤シャツに制裁を加えてやらなければと話します。
10章・11章 卑劣な赤シャツに陥れられるも、一矢報いる!
しかしある日、2人は生徒たちの暴動に巻き込まれ、それを新聞に悪く書かれてしまいます。これらは赤シャツの陰謀によるものでした。
山嵐は責任を取らされ、辞任を迫られました。我慢の限界に達した坊っちゃんは、山嵐と連れ立って赤シャツに一矢報いることを決意します。
そして2人は、生徒の風紀を正すためにと飲食店への出入りすら禁じているにも関わらず、芸者遊びをして朝帰りをする赤シャツと野だいこを捕らえます。のらりくらりと言い逃れを図る赤シャツたち。
ついに山嵐と坊っちゃんは「貴様のような奸物はなぐらなくっちゃ、答えないんだ」とゲンコツを食らわせ、赤シャツたちを散々にやっつけました。
そして坊っちゃんもすぐに辞表を出し、山嵐と同じ船でこの地を離れました。
すがすがしい気分で東京に戻った坊ちゃんは、「街鉄(がいてつ)の技手」として働きながら、清を呼び寄せともに暮らしはじめます。その後、清は肺炎に罹かって死んでしまいましたが、その最期の希望はかなえられ、坊っちゃんの菩提寺の墓で眠っています。
読書感想文のポイントを解説! 夏目漱石が伝えたかったこととは?
『坊っちゃん』を通して、作者の夏目漱石は何を伝えようとしていたのでしょうか。ここでは読書感想文を書く際にもポイントとなりそうな、2点の考察を紹介します。
強者への反発と敗北
『坊っちゃん』は一見、勧善懲悪、因果応報の物語のように思えます。曲がったことが嫌いな坊っちゃんの活躍が、軽妙な文体で語られていますね。
しかしよく読んでみると、赤シャツたちに一矢報いたものの、学校を去ったのはうらなりと山嵐、そして坊っちゃんです。マドンナも取り返せず、赤シャツや野だいこから謝罪があったわけでもありません。そう考えると『坊っちゃん』は、ある青年の敗北の物語としても読めるのです。
教頭の赤シャツは卑怯で嫌みなやつとして描かれますが、学歴があり、権力があり、お金があります。作中でも赤シャツと山嵐のどっちがいい人か聞く坊ちゃんに対し、下宿先のおばあさんが「つまり月給の多い方が豪い(えらい)のじゃろうがなもし」と答えます。
それでも坊ちゃんは東京に帰る際に「船が岸を去れば去るほどいい心持ちがした。神戸から東京までは直行で新橋へ着いた時は、ようやく娑婆(しゃば)へ出たような気がした」と述べています。
『坊っちゃん』は完全なるハッピーエンドとは言えないかもしれませんが、赤シャツをこらしめて仕事を辞めることになったことを、坊っちゃんは後悔していません。『坊っちゃん』は不器用ながらも己の意志を貫き、世間や時代の流れになんとかあらがおうとした若者の姿を描いているのではないでしょうか。
清の愛情
中学校を去った坊っちゃんは、最後には清の元へ戻ってきます。清は、両親から見放された坊っちゃんに愛情を注ぎ続け、子供の頃から、彼の唯一の理解者であり続けてくれた人です。
坊ちゃんは四国でさまざまな人と会い、経験をする中で、一緒にいるときには「少々気味がわるかった」とすら感じていた清のことを、本当は大切に思っていたことに気が付くのです。
物語のラストシーンには、「東京へ着いて下宿へも行かず、革鞄(かばん)を提げたまま、清や帰ったよと飛び込んだ」とあります。そして感涙する清に、「もう田舎(いなか)へは行かない、東京で清とうちを持つんだ」と告げます。
最後には心の安らぎと愛情のある場所に帰っていく坊っちゃんは、実は最も幸せな人物なのかもしれません。
『坊っちゃん』の舞台とされる愛媛県の松山市とは
『坊っちゃん』の舞台は、愛媛県の松山市といわれています。ここには今でも、「坊っちゃんスタジアム」や「坊っちゃん団子」など、『坊っちゃん』の名がついた名所や名物が残っています。運転士不足などを理由に2023年11月から運休が続いていた「坊っちゃん列車」も、2024年3月20日に運行を再開しました。
実は夏目漱石自身も、1895年(明治28年)から1年間、松山に英語教師として赴任しています。特に道後温泉を気に入ったようです。
『坊っちゃん』は、この時の夏目漱石の体験をモデルにしたものともいわれていて、作中にも温泉につかるシーンが登場します。また松山には坊っちゃんが最初に泊まる山城屋のモデルになった宿や、「ターナーの画にありそうだね」と赤シャツが言ったセリフから「ターナー島」と呼ばれる小島など、物語のシーンをイメージさせる場所もたくさんあります。
『坊っちゃん』を片手に所縁(ゆかり)の場所をめぐる、松山旅行も楽しそうですね!
作者の夏目漱石とは? その生涯や死因、脳の行方など
夏目漱石(なつめそうせき)は、明治から大正時代にかけて活躍した小説家・英文学者です。
徳川慶喜が大政奉還を行い、江戸時代が終わる年である1867年(慶応3年)、現在の新宿区に生まれ、1916年(大正5年)にこの世を去りました。
本名は金之助であり、漱石は「漱石枕流(そうせきちんりゅう)」という四字熟語をもじったペンネームで、「失敗を認めず、負け惜しみする人」という意味があるといわれています。
夏目漱石は上に兄が4人、姉が3人おり、生まれてすぐに養子に出されます。9歳の時に義父母が離婚したために実家に戻っています。
1890年に現在の東大文学部である帝国大学文科大学に入学、1893年に卒業した夏目漱石は、愛媛の松山中学校や熊本の第五高等学校の講師として働きました。
1900年には文部省から命じられてイギリスに留学します。1903年に帰国すると、第一高等学校と現在の東京大学にあたる東京帝国大学の英文科の講師になりました。
講師として働く傍ら、1905年には『吾輩は猫である』、続いて『坊っちゃん』『草枕』などを発表して注目を浴びます。
1907年、40歳になった夏目漱石は教職を辞めて朝日新聞社に入社し、専属作家になります。晩年における代表作『こころ』の新潮文庫版は、2021年時点で新潮文庫の累計発行部数ランキングで1位(750万部以上)となるなど、日本を代表する作家です。
1916年の12月に胃潰瘍のため亡くなり、雑司ヶ谷霊園に埋葬されました。
夏目漱石の脳は、東大の医学部にホルマリン漬けで保存されています。日本人男性の脳の平均は大体1,350gですが、夏目漱石はそれよりも若干重く1,425gありました。
夏目漱石の1,000円札は、1984年から2007年まで、20年以上もの間発行されていました。
自分を貫けるのなら、損ばかりしているのも悪くない
まっすぐに生きようと思うと、損をすることもあるものです。実際に坊っちゃんも自分のことを「損ばかりしている」と述べています。しかし坊っちゃんの真っ直ぐな生き方は、見ていてもすがすがしいですよね。本人もうじうじ後悔せず、さっぱりとしているのが良いところ。
しがらみの中でさまざまなことを気にして、坊っちゃんのようにはなかなか生きられない現代でこそ、読み返したい名作です。
※作品内には、現在では不適切とされる可能性を持つ表現がありますが、本記事では基本的に、作中の表現を生かした形で記載しています