藤井一強時代と呼ばれる現状をトップ棋士はどう研究し、どう戦っていこうとしているのか。

2024年3月1日に発売された、『将棋世界2024年4月号』(発行=日本将棋連盟、販売=マイナビ出版)掲載の「私の戦い方」連載3回目より、佐藤天彦九段のコメントを一部抜粋してお送りいたします。現状の将棋界を、深い洞察力と類まれなる言語化能力で語っていただきました。

  • 『将棋世界2024年4月号』より

    『将棋世界2024年4月号』より

――研究がすごい、という点で言うと、渡辺先生が藤井先生、永瀬先生、伊藤先生の3人は研究量が棋士の中で抜きん出ているとおっしゃってました。佐藤先生にもそういう印象がありますか?

「ありますね。3人それぞれに特徴がありますが、いまこの3人が最新研究の世界でやっていけているといえます。特に藤井さんと伊藤さんは、後手番になったときに相手の戦法を全部受ける姿勢を取っていますね。角換わりのような非常に細密に定跡化が進んでいる戦法は一歩間違えたら即負けにつながるというリスクがあります。そういう戦法において先手の用意してきた作戦を全て受けられる自信がないと、このスタンスを取ることはできません。そのためには結構信じられないところまで研究を掘り下げて、この形はこれにてよしという風に、自分の中で確固たる認識を持っておく必要があります。それはプロの公式戦で既に表に出ている手のレベルの話ではなくて、自分の周囲にある研究会なども含めて、まだ出てないような形まで調べておかなければいけません。相手に新しい形を持ってこられたときに『あ、これはこうですね』という風にすぐに対応するために、それぐらい深めておかないと後手番の居飛車で常に堂々と受けるのは難しいのです」

――なるほど。深い研究があって初めて、何でもこいという姿勢を貫くことができるのですね。

「私が振り飛車を採用し始めたときは、豊島さんなどもそうですが、もっとそういうスタンスの居飛車党が多かった気がします。行く先はともかく、後手番で全部研究を受けるタイプの棋士が減っていっているというのは、全体的なトレンドといえるかもしれません」

――12月にSUNTORY将棋オールスター東西対抗戦の解説で佐藤先生と渡辺先生が研究の最前線に居続ける大変さを冗談交じりに「角換わりを指すことと、海外旅行に行くことは矛盾している」と表現されていたのが面白かったです。

「ソフトが示す手は合理的すぎるというか、人間の感覚からずれていることが多いのです。ある局面から20手後の結論があって、そこから遡行して示されるような、感覚が介在しない世界から出てきた手なので、そういう手を覚えたり記憶し続けたりするのは難しい。『関連づけ記憶』というより『純粋記憶』に近いので、記憶力がものすごくよくない限りは、かなり反復訓練をする必要があります。その時間的なコストが大きいので、海外旅行に行ってしまうと『あれ、これ何だっけ』みたいなことになりやすいというところはあると思います」

――日本史の勉強でいうと、歴史の流れは覚えやすいけれど、年代や作品名は覚えにくいのと似た感じでしょうか。

「そうですね。作品名でも誰がどういう気持ちで書いたとか、誰に頼まれたとか、誰が好きな作品、というような情報があれば覚えやすいですが、それがなくてただ覚えるのは大変ですよね」

(私の戦い方・佐藤天彦九段「数値化されない世界で」より 記/島田修二)

『将棋世界2024年4月号』 発売日:2024年3月1日 特別定価:920円(本体価格836円+税10%) 判型:A5判244ページ 発行:日本将棋連盟