山口県の下松市観光協会が、「道路を走る鉄道車両見学プロジェクト」を4月27日に開催すると発表した。日立製作所笠戸事業所前を10時頃に出発し、下松駅南口まで往復する予定。同日にくだまつスポーツセンターでキッチンカーやグッズ販売ブース、キッズひろばなどイベントエリアを展開するほか、ものづくり企業フェアも開催する。地域に根づく産業とコラボした「産業観光」の新しい形として興味深い。
下松市と日立製作所笠戸事業所による陸送見学イベントは2017年、2019年に続いて5年ぶり3回目。普段は交通事情に配慮し、夜間に実施される陸送だが、交通規制の上で日中に開催される。
2017年と2019年のイベントで陸送された車両は、英国向け都市間特急車両「Class 800」だった。4月27日のイベントでは、台湾鉄路向け都市間特急車両「EMU3000」を専用トレーラーに載せて陸上輸送を行う。「EMU3000」は2020年末に電化された南迴線の特急用ディーゼルカーを置き換えるべく、600両を製造する計画で、全車両を日立製作所笠戸事業所が担当する。
4月27日のイベントは、年内に全車両が搬出されることと「下松市制施行85周年」「下松市観光協会創立50周年」を記念する催しだという。東武トップツアーズがこのイベントを見学できるツアーの開催を発表しており、3月28日まで参加申込みを受け付けている。
ルートを見ると、陸送とは言っても埠頭へ届けるわけではなく、工場を出た車両が下松駅前で折り返して戻ってくるだけの「パレード走行」となっている。周辺の駐車場は合計1,675台分が案内されているものの、パレード対象の道路は通行止めや交通規制があるため混雑が予想される。なるべく徒歩や公共交通機関を利用してほしいとのこと。
日立製作所と鉄道車両事業の関係は
日立製作所は1910(明治43)年に創業した。久原鉱業が運営する日立鉱山の工作課長だった小平浪平が、鉱山で使う電気機械の製作や修理だけでは満足できず、海に近い4,000坪の土地に事務所と工場を建設してしまった。会社の断りなく進めて、社長も渋々追認した形だったようだ。会社名の日立製作所は「久原鉱業所日立製作所」に由来する。
小平は研究者・技術者の従業員を集め、どんどん規模を拡大した。やがて鉱山の仕事だけでは足りず、成長するために外部の仕事を増やすこととした。第一次世界大戦で外国製の機械を輸入できなくなると、日立製作所は代替する国産品を製作するため、規模を拡大する。しかし1919(大正8)年に工場火災を起こし、建物と製品を失ってしまう。
それでも小平は、「至急復興して営業を続け、むしろ焼け太っていっそう大きくならねば」と従業員に語りかけた。その努力が実って業績を回復。1920(大正9)年に久原鉱業から独立し、総合電気機器メーカーの「株式会社日立製作所」となった。1921(大正10)年に日本汽船笠戸造船所を取得し、鉄道車両を製造する笠戸工場を設立した。笠戸造船所は久原鉱業所の創始者である久原房之助が、故郷の山口県に大工業地帯をつくろうと構想して立ち上げた会社だった。
笠戸工場は蒸気機関車など鉄道車両を製造しつつ、1922(大正11)年、鉱山用小型電気機関車の実績をもとに鉄道用の電気機関車の第1号を完成させた。当時は東海道本線の電化計画が進んでいた。政府は電気機関車を外国に発注する予定だったが、笠戸工場は大型機関車の開発を始め、1924(大正13)年に国産第1号の大型電気機関車を完成させた。鉄道省にて試運転や各種試験を実施し、DE15形として採用された。
1931(昭和6)年にディーゼル機関車とガソリン機関車の第1号が完成し、ディーゼル機関車はD1001形として成田鉄道に納入された。成田鉄道は千葉県の成田と八日市場を結ぶ多古線を運行していたが、終戦間近の1944(昭和19)年、南方戦線の鉄道を建設するために資材を供出して廃線となった。D1001形は武蔵野鉄道に譲渡され、1977(昭和52)年に引退するまで46年間も運用された。
笠戸工場は蒸気機関車も数多く生産した。8260形137両、D50形80両、C50形30両、C55形10両、C56形40両、C57形30両、D52形56両、C59形63両。最も多く量産されたD51形は、全1,107両のうち212両を製造した。1948(昭和23)年には、日本最大級の蒸気機関車C62形を設計から着手し、トップナンバーの1号機から4号機を含む21両を製造した。
1958(昭和33)年に寝台特急用の20系客車を製造し、1960年代から103系以降の通勤電車も手がけていく。113系、201系、185系、485系、583系、711系など、その時代の象徴となる車両たちも製造した。1962(昭和37)年には、新幹線試作車両1000形電車のうち、B編成の「1003」「1004」を担当。「新幹線メーカーの日立」の歴史が始まった。営業用の0系、100系、200系、300系、500系、400系、700系、N700系、N700S、800系、E1系、E2系、E4系、E5系のほか、試作車の951形、962形、WIN350、300X、STAR21も製作した。
他にも代表的な車両として、1962年に登場した犬山モノレールMRM100形・MRM200形がある。日本初の跨座式モノレール車両であり、後に開業した東京モノレールは現在まですべての車両を製造している。多摩モノレール、大阪モノレール、ディズニーリゾートライン、ゆいレールも「笠戸生まれ」である。
リニアモーターカーも初代試験車から関わっている。1977(昭和52)年に「ML500」、1982(昭和57)年に「MLU001」を製作。後のL0系へつながっている。1983(昭和58)年の南アフリカ国鉄向けステンレス車から海外にも輸出しており、米国アトランタ地下鉄をはじめ、韓国、台湾、英国、アルゼンチン向けに製造している。
中でも2009(平成21)年に英国サウスイースタン鉄道へ納入された395形電車は記憶に残る。日本初の鉄道はおもに英国人技師の指導で建設され、車両も英国から納入されていた。それがとうとう鉄道発祥の国・英国へ輸出するまでになった。
現在、日立製作所笠戸事業所の面積は52万平方メートルで、周辺にも関連会社や協力会社がある。山陽本線下松駅に専用路線があり、JR在来線規格に収まる車両はJR線経由で全国へ輸送される。元造船所の立地を生かし、海外向け車両や新幹線車両など、標準軌車両はおもに笠戸工場が持つ埠頭から直接積み出される。本来の陸送の機会も少ないようだ。
「A-train」はアルミ製車両の旗手に
日立製作所笠戸事業所を語る上で、「A-train」は欠かせない。「A-train」はアルミニウム合金製車体をベースに構築された統合車両システムで、「A」は「アルミニウム(素材)」「アメニティ(快適)」「アビリティ(能力)」「アドバンスド(高度な)」のイメージを象徴するという。鉄道車両の製造ブランドのひとつであり、総合車両製作所の次世代ステンレス車両「sustina」、日本車両の「N-QUALIS」、川崎車両の「efACE」などの標準車体システムが国内のライバルといえる。「A-train」は海外に輸出される車両にも適用されるため、シーメンスの「Velaro」、アルストムの「Coradia」などもライバルになる。
「A-train」最大の特徴はアルミ押し出し形材によるダブルスキン構造。従来のアルミ車体は車両の骨組みを組み立て、皮にあたる場所にアルミの薄い板を溶接していた。「A-train」は側面、床、屋根などを中空押し出し部材とする。車両の長さまで押し出した部材なので溶接部が減る。溶接はFSW溶接工法を採用し、歪みや強度を改善した。
内装部は座席や吊り手、ドア機構などをあらかじめ組み立てたモジュールとし、車体のガイドレールに合わせて端から差し込むように取り付ける。従来の車体に各部品を取り付ける方法より工数を短縮できる。
車両状況の情報管理システムは、「ATI(Autonomous Train Integration system)」を採用し、各機器の情報をデジタル化して回路を統一した。電車の制御方式はVVVFインバータ制御となり、減速だけでなく停止も電気ブレーキを採用できる。電気ブレーキはモーターの回転に対して逆回転方向の力を与えて止める方法で、従来のパッドを車輪に当てるブレーキの使用頻度を下げる。あるいはパッドタイプのブレーキを不要にできる。
日本の鉄道ブランドは「sustina」が先駆けており、「A-train」が猛追の構図だった。現在は両社がシェアを競う状況であり、「N-QUALIS」と「efACE」が後を追う。鉄道事業者から新型車両が発表されたとき、どのブランドで作られたか、気になる鉄道ファンも多い。
工場見学と歴史記念館の定期開催に期待
日立製作所笠戸事業所では、1996(平成8)年に「笠戸事業所歴史記念館」が開館した。2021(令和3)年、事業所の100周年を記念して「日立製作所笠戸事業所 歴史記念館 まるかさ広場」が建設されている。基本計画と設計を担当したトータルメディア社の紹介サイトによると、新幹線500系をリストアして屋内展示しているほか、模型と写真を使った事業所の歴史紹介、映像展示、車両の作られ方やアルミ中空素材の強度を体験できるコーナーもあるという。
廃止された犬山モノレールの車両も事業所敷地内にあり、歴史記念館と合わせて見学したいところだが、残念ながら年に1度の工場一般公開日や親子イベントしか見学する機会がない。2023年5月13日に一般向け開放イベント「Hitachi Open Day 2023」が行われたものの、告知情報はネット上になかった。下松市の市民広報誌にも情報はない。
地元紙限定で記事や広告があるかと思ったら、地元紙の日刊新周南(電子版)2023年5月16日付「【下松市】日立製作所笠戸事業所 5年ぶり事業所開放イベント 雨の中3,800人で盛況」の中に以下の記述があった。
このイベントで同社は報道各社に「当日の混乱を避けるため、イベント開催はポスターで貼付箇所を限定してPRしております。事前の告知等はご遠慮願います」として、事前の予告記事を掲載しないように要請。このため本紙は予告記事の掲載を見送った。
これはなかなかハードルが高い。現地に知り合いがいたとしても、教えてもらえる可能性は低い。実際に情報が見当たらなかったことからも、市民が主旨を理解し、ネット上に情報を公開しなかったようだ。
定期的な開催や常設展示にも期待したい。笠戸事業所内に保存車両も多く、場内の見学会も開催されているものの、公開日はわずかで、その理由は「企業秘密」が多いからだという。生産技術や施設も機密事項が多いし、生産品は自社製品ではない。他の鉄道事業者から生産を受託した案件だけに、簡単に他人に見せるわけにはいかないのかもしれない。
筆者は2020年3月、日立製作所笠戸事業所で報道公開を取材した。JR東海の超電導リニア試験車両「L0系950番代」(改良型試験車)がお披露目され、JR東海が取材会を実施し、日立製作所笠戸事業所が協力する形だった。報道公開された車両以外の物はすべて撮影不可という厳しい規則があった。
しかし、せっかく作った歴史記念館が閉じっぱなしではもったいない。有料でも予約制でもいいから見学の機会がほしい。下松市の「産業観光」を振興するためにも、ぜひ検討していただきたい。