日本中、世界中のニンニクを栽培しようと決意

大阪府の北西部に位置する箕面市は大阪市内にもアクセスがよく、ベッドタウンとして発展してきた。箕面大滝などの紅葉の名所もあり、自然豊かな一面もある。そんな箕面市でほとんど耕作放棄になっていた実家の農地を受け継ぎ、日本のみならず世界のさまざまな品種のニンニクを栽培しているのが、苗代真平(なわしろ・しんぺい)さん。「トラキチ農園」の代表である。名前の由来は、飼っている茶トラの猫の名前が”トラキチ”、それと阪神タイガースのファンでもあるからだそうだ。
苗代さんは農業を始めるまで、ヨーロッパやアジアの5カ国で貿易会社を経営していた。扱うのは、建物や車を防水・防塵(ぼうじん)できるコーティング剤や、地熱発電や太陽光発電などのクリーンエネルギーに関する商材など。コロナ前は世界中を飛び回る生活だった。
ところが、コロナ禍で海外はおろか国内出張もままならない状況になり、会社の先行きが見えなくなった。生活そのものを見直す必要に迫られたときに真っ先に脳裏に浮かんだのが、農業であった。
「もともと実家の畑はあったんですが、両親は別の仕事をしていたのでノータッチ。祖母と叔母が家庭菜園程度の規模で細々やっていただけで、ほとんどが耕作放棄地状態でした」(苗代さん)

実は苗代さんが農業をしようと決意した背景には、それまでの学びや経験があった。イギリスの大学に留学し経営リスクマネジメントを専攻していた苗代さんが当時論文に書いたのは、人口減少や少子高齢化が日本に及ぼす影響。さらに過疎化や耕作放棄地など、農業に関連することへの言及が多かった。

「論文を書いたころから、耕作放棄地はみんなが考えているよりめちゃめちゃ増える、えらいことやと思っていました。畑はあるし、農業をやるなら今しかないと思いました」(苗代さん)

最初はどのような形で農業経営をしていくかを決めてはいなかった苗代さん。そんな中、農業の方針を決めるきっかけになる出来事があった。それは知り合いのシェフとのなにげない立ち話だった。
「畑をお持ちでしたら、ニンニクを作ってくださいよ。日本のニンニクは、低臭、無臭の方向へ行っているが、私らは臭いニンニクが欲しいんです」とそのシェフが言ったのだ。

この言葉がもともとニンニク好きだった苗代さんの背中を押した。
「ほんとにこのときの立ち話がきっかけでニンニクを作ろうと決めました。ニンニクの魅力は独特な香りと味わいにあるのに、ニオイを消す方向に行ってどないすんねんと。幸い、貿易の知識があるので、海外の珍しいニンニクの品種も仕入れることができる。そんなことは誰もやっていないので農園の特徴になるのではないかと思いました」
日本の品種だけでなく海外のさまざまな品種を一度に栽培している人はほとんどいない。もの珍しさは人を引きつけ、差別化できるはずだ。スペイン料理店にはスペインのニンニクがあればきっと喜ばれるに違いない。苗代さんのめざす方向性がこのとき決まった。

2021年に箕面市で認定新規就農者となった苗代さんであるが、当時は農業の知識がほとんどなく、「農業をやりながら勉強しました」と言う。
同年7月から耕作放棄になっていた畑の草刈りを始め、土壌をしっかりと耕し、9月にはニンニクの植え付けをした。品種は紫々丸(ししまる)、平戸、福地ホワイト六片。翌年5月には、理想的なニンニクではなかったが無事、収穫できた。

トラキチ農園のニンニク。ハサミで根切りをする

2年間、ニンニクのための土作りに精力を注ぐ

こうしてニンニクの栽培を始めた苗代さん。その熱心に畑仕事をしている姿を見て、徐々に知り合いから「うちの畑でも栽培してほしい」と声がかかり、次第に農地も増えていった。現在は、58アール。その9割はニンニク畑である。残りの土地では季節の野菜を栽培、大阪市内の児童福祉サービス「放課後等デイサービス」などの農業体験を受け入れたり、貸農園の運営をしたりしている。

「トラキチ農園」が柱にしていることは二つ。国内外さまざまな品種のニンニクの栽培、そして、もう一つは“めちゃめちゃ臭い”ニンニクを栽培することである。2022年までは海外からのニンニクの鱗片(りんぺん)を数多く仕入れて栽培していたが、円安の影響を受け2023年は海外からの仕入れを一時中断した。現在、海外から輸入したニンニク7品種、日本各地のニンニク約30品種を栽培している。

この2年間は、ひたすらニンニクのための土作りに時間を費やしたという。年に2度、専門家に土壌分析を依頼し、ニンニクの栽培に適した土壌改良を行ってきた。その結果、堆肥(たいひ)の8割に牧場から分けてもらった牛ふんを使い、土壌微生物を増やし、土の中の栄養価を高めているそうだ。

また、苗代さんはニンニクの乾燥に機械を使わず自然乾燥させている。
「カビが生えやすいリスクもあるし手間もかかりますが、自然乾燥の方がじっくり時間をかけて乾燥させることができるので、風味がしっかり残ると確信しています」(苗代さん)

ニンニクの収穫

ニンニクを臭くするための土作りを立命館大学と共同で研究

おいしいニンニク作りのため、おいしさを数値で表すための研究も始めている。2023年から立命館大学との産学連携研究を開始。食マネジメント学部教授の國枝里美(くにえだ・さとみ)さんと連携し、人の感覚による官能評価を行ったり、機械分析でニンニクの品質を数値化したりしている。それを基に次に栽培するニンニクをアップデートさせるのが目的だ。
例えば、「ニンニクの品種別官能評価」は、苗代さんが栽培した6品種のニンニクを学生と一緒にペペロンチーノやガーリックライスに調理し、試食。それを評価する。エビデンスをもって学術的にちゃんと示し、臭い、香り、コク、甘みをチャート表にしている。

苗代さんがおいしいと思うニンニクは、どんなニンニクなのだろうか、質問してみた。
「おいしいニンニクは、えぐみがなく、クリアなキレのいい味だと思っています」という答えが返ってきた。

立命館大学産学連携研究でニンニクの説明をする苗代さん

2024年6月、「大阪にんにく『シン・にんにく』」デビュー!

苗代さんは新しいニンニクのブランドを立ち上げるために、とある品種にこだわって栽培を進めている。
ニンニクは品種改良が困難な野菜である。しかし、株によって香りや味に優劣が出ることもある。苗代さんは長崎県平戸市の在来種「平戸」の中から、厳しい基準で良質なものを選び、その上位10%だけを選抜して2023年に植えつけた。収穫は2024年6月ごろ。新ブランドのデビューもそのころの予定だ。
「平戸」は暖地系の大型球種で、見た目はホワイト六片と同じくらいの大きさだ。香りも辛みも強く、加熱するとねっとりとした食感になるそうだ。
苗代さんによると「一度食べると他のニンニクが食べられなくなるものをめざした」そう。ブランドの名前は、「大阪にんにく『シン・にんにく』」。新しいのシン(新)、生産者の名前である真平さんのシン(真)、そして英語の「罪(sin)なおいしさ」の意味が込められている。販売先のメインは大阪の北摂地域の7市(箕面市・池田市・茨木市・吹田市・摂津市・高槻市・豊中市)の飲食店を考えている。
今までは、本格的な販売をせずに、ひたすらいいニンニクを生産するための準備をしてきた苗代さん。「シン・にんにく」と有機栽培の季節の野菜を含めて営業を始め、すでに10店舗以上からいい感触を得ている。地元、箕面市の餃子(ギョーザ)屋とのコラボも決定した。まずは、北摂地域で知名度を高めていくことが目標だ。

シン・にんにくのロゴ(左)とシン・にんにく(右)

グローバルからローカルな世界へ転身して見えてきた身の丈に合った仕事

4月上旬には、大阪の商業地域、十三(じゅうそう)駅近くに昭和レトロな喫茶店をオープンする。もちろん、ランチには畑の野菜を使用する予定だ。
「まっさらな状態で農業を始められたのがかえって好都合でした。農業経験がなかったからこそ、先入観を持たずにいいものを作ろうと淡々とやれました」と苗代さんはこれまでの道のりを振り返る。

コロナ禍がなければ農業を始めることもなく、グローバルな世界で貿易会社を続けていたかもしれない。苗代さんは農家になったことを後悔してはいない。
「人から見れば、以前はグローバルな世界でバリバリやっているように見えていたかもしれませんが、今の仕事のほうが身の丈に合っていると思っています」

3年間、種をまき続けて大切に育ててきたものが、今、芽吹こうとしている。芽吹いたものが、どう育っていくのか、これからが楽しみだ。

トラキチ農園のニンニク畑