“掘り出し物” のスターに…巨人、ドラフト下位入団から躍進した一流選手6人

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 レギュラーシーズンの開幕が迫っている2024年シーズンのプロ野球。ドラフト上位入団の選手は否が応でも注目を集め、それだけ期待値が高い選手であるといえる。しかし、シーズンが始まれば、ドラフト下位の選手が活躍するケースも数多くある。そこで今回は、読売ジャイアンツでドラフト下位入団から躍進した一流選手を紹介する。
 

 

中川皓太

投打:左投左打
身長/体重:183cm/86kg
生年月日:1994年2月24日
経歴:広島・山陽高 - 東海大
ドラフト:2015年ドラフト7位

 
 リリーフとして安定した活躍を見せる中川皓太も、ドラフト7位で入団した選手である。
 
 山陽高(広島)時代には、3年夏の広島県大会でベスト4まで進んだものの、甲子園には出場できず。東海大への進学を決めた。
 

 
 大学時代から大城卓三(現:巨人)とバッテリーを組み、世代屈指の好左腕として活躍。4年秋には5勝、防御率0.85と圧倒的な成績を残したものの、ドラフトでは7位指名だった。
 
 大卒3年目までは好成績を残せなかったが、2019年は67試合登板で4勝3敗16セーブ17ホールド、防御率2.37と大車輪の活躍。リーグ優勝に大きく貢献した。
 
 翌年以降もブルペン陣を支えた一方、2022年は腰痛の影響で一軍登板なしに終わり、同年オフに育成落ちを経験。
 
 それでも、昨季は支配下復帰を果たすと、44試合登板で防御率2.08という成績を収め、見事な復活を遂げた。
 
 いまや巨人に欠かせない存在となった中川。リリーフに不安があるチームだけに、今シーズンもフル回転の働きが求められる。




村田真一

投打:右投右打
身長/体重:182cm/82kg
生年月日:1963年12月5日
経歴:滝川高
ドラフト:1981年ドラフト5位

 
 長きに渡って読売ジャイアンツの正捕手を務め、ベストナインを受賞した経験のある村田真一も、ドラフトでは5位指名だった。
 
 滝川高(兵庫)時代から「強打の捕手」として名を馳せ、槙原寛己や吉村禎章らとともに、1981年ドラフト会議で読売ジャイアンツから指名を受けた。
 

 
 プロ3年目の1984年に一軍デビューを飾ったが、右肩手術の影響もあり、1985年からの3年間は、一軍出場なしに終わる。
 
 しかし、1988年に復活を果たすと、1990年には初タイトルとなるベストナインを受賞。翌1991年は111試合に出場し、打率.247ながらも、自己最多の17本塁打を放った。
 
 シーズンによっては出場機会を減らすこともありながら、意外性のあるバッティング、堅実な守備でチームに貢献。
 
 ただ、1999年からバッティングで苦しむシーズンが続き、2001年をもって現役引退。20年間の現役生活にピリオドを打った。





戸郷翔征

投打:右投右打
身長/体重:187cm/84kg
生年月日:2000年4月4日
経歴:聖心ウルスラ学園高
ドラフト:2018年ドラフト6位

 
 2年連続で2桁勝利を達成し、第5回WBCでは侍ジャパンの世界一に貢献した戸郷翔征は、ドラフト6位で読売ジャイアンツに入団した選手だ。
 
 聖心ウルスラ学園高(宮崎)で1年秋からベンチ入りした戸郷。2年夏はエースとして甲子園に出場し、初戦の早稲田佐賀高(佐賀)戦では2失点完投勝利を収めた。
 

 
 3年夏は甲子園出場を果たせなかった一方、宮崎県選抜の一員としてU-18高校日本代表との壮行試合で素晴らしいピッチングを披露。ドラフト指名を手繰り寄せた。
 
 高卒1年目にプロ初勝利を挙げると、翌2020年は120試合の短縮シーズンながら9勝をマーク。チームのリーグ2連覇に大きく貢献した。
 
 2022年は25試合(171回2/3)を投げて12勝8敗、154奪三振、防御率2.62をマークし、初タイトルとなる最多奪三振を獲得。
 
 WBCの疲労が懸念された翌2023年のレギュラーシーズンでも、前年同様に12勝を挙げて文句なしのエースとなった。
 
 2024年シーズンは開幕投手に内定しており、阿部慎之助監督の初陣を飾ることになる戸郷。キャリアハイ成績を残し、今季もチームを牽引したいところだ。





緒方耕一

投打:右投両打
身長/体重:175cm/68kg
生年月日:1968年9月2日
経歴:熊本工
ドラフト:1986年ドラフト6位

 
 30歳で現役を引退した緒方耕一は、ドラフト6位で読売ジャイアンツに入団した選手である。
 
 熊本工(熊本)時代は遊撃手として甲子園に出場。1986年のドラフトで巨人に入団後、スイッチヒッターに転向した。
 

 
 持ち味の俊足を活かし、高卒2年目でイースタン・リーグの盗塁王を戴冠。高卒3年目に一軍デビューを飾ると、76試合の出場ながら打率.308、13盗塁という成績を収めた。
 
 翌1990年には規定打席に到達し、打率こそ.259に終わったが、33盗塁をマークして盗塁王のタイトルを獲得。
 
 しかし、同年の日本シリーズでアキレス腱を故障。その影響もあり、翌年の盗塁数はわずか4個となった。
 
 1993年に2度目の盗塁王(24個)を獲得したものの、1995年からは出場機会が激減。最後までけがに悩まされた緒方は、30歳の若さでユニフォームを脱いだ。





松本匡史

投打:右投両打
身長/体重:181cm/74kg
生年月日:1954年8月8日
経歴:報徳学園高 - 早稲田大
ドラフト:1976年ドラフト5位

 
 「青い稲妻」の異名を取った松本匡史。ドラフト5位とは感じさせない活躍を見せた1人だ。
 
 元々は捕手だったが、報徳学園高(兵庫)に入学後に外野手へ転向。2年時は春夏連続で甲子園に出場を果たした。
 

 
 高校卒業後は早稲田大に進み、通算57盗塁を記録。その脚力が評価され、読売ジャイアンツにドラフト5位入団を果たした。
 
 ルーキーイヤーから49試合出場で10盗塁をマークすると、レギュラーに定着した1982年には113試合に出場し、打率.282に加えて61盗塁と傑出の数字で、盗塁王を獲得した。
 
 さらに翌1983年には76盗塁をマーク。この数字は、いまだセントラル・リーグのシーズン記録となっている。
 
 現役生活は11年間と長くなかったが、通算342盗塁を成功させた”青い稲妻”は、強烈なインパクトを残した。





小林繁

投打:右投右打
身長/体重:178cm/68kg
生年月日:1952年11月14日
経歴:由良育英高 - 神戸大丸
ドラフト:1971年ドラフト6位

 
 読売ジャイアンツ、阪神タイガースの両球団でプレーし、球史に名を残した小林繁だが、ドラフトの順位は決して高くなかった。
 
 小林は由良育英高(現:鳥取中央育英高)で、3年時にエースとして活躍。卒業後は神戸大丸に入社して野球を継続。
 

 
 1971年のドラフト会議で巨人から6位指名を受け、プロ入りを実現させた。
 
 プロ1年目は登板なしに終わったが、翌年は6試合に登板し、11回1/3回を投げて無失点を記録。潜在能力の高さを見せていた。
 
 翌1974年には8勝をマークして頭角を現すと、1976年に自身初の2桁勝利(18勝)を記録。3年続けて2桁勝利を挙げたが、江川卓のドラフト問題を巡り、阪神にトレード移籍となった。
 
 大騒動によって阪神の一員となったが、移籍1年目にキャリアハイとなる22勝をマーク。最多勝、ベストナイン、沢村賞と3つのタイトルを受賞した。
 
 その後も毎シーズンのように2桁勝利を続けた小林は、現役ラストイヤーも13勝をマークし、13年間で現役生活を終えた。

 



 

 
【了】