「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」とは、平安時代の権力者、藤原道長による和歌。「望月の歌」としても知られています。

「世界は私のもの」と訳し傲慢な歌という説が一般的ですが、作者の状況を知ると違った解釈もできます。本記事では歌の意味や藤原道長の人生、『小右記』に書かれた背景などを紹介します。2024年の大河ドラマ『光る君へ』についてもまとめました。

  • 望月の歌とは

「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」とは

この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば

この歌は「望月の歌」とも呼ばれ、藤原道長(ふじわらのみちなが)により詠まれました。作者の藤原道長は、平安時代の貴族・政治家で、摂関政治を行う中で莫大な権力を手にし、栄華を極めた人物です。

彼と妻・倫子の三女である藤原威子(いし)が天皇の后になる際の祝宴にて、即興で詠んだものといわれています。

「望月の歌」の一般的な現代語訳・意味

この歌の現代語訳にはさまざまな説がありますが、一般的によく知られている内容は下記のようなものです。

この世は自分(藤原道長)のためにあるようなものだ。私の力には望月(満月)のように何も足りないものはない

自信家で、傲慢(ごうまん)な藤原道長の像が浮かぶでしょう。

作者の藤原道長とはどんな人? 歌が詠まれた背景とは

この歌の真意に迫るために、藤原道長の人物像や歌が詠まれた背景について、もう少し詳しく見ていきましょう。

藤原道長とは

  • 藤原道長とは

藤原道長は康保(こうほう)3年(966年)、藤原兼家(かねいえ)と時姫の間に生まれました。藤原兼家の一族は摂関政治を行うことで権力を築いた、藤原北家(ふじわらほっけ)です。

しかし藤原道隆(みちたか)や藤原道兼(みちかね)という兄が既にいたため、藤原道長は朝廷内で地道に昇進してはいたものの、当初はさほど目立つ存在ではありませんでした。

それでも昔から負けん気が強かったといわれており、力を蓄えつつ、虎視眈々と機を狙い続けた藤原道長。

父や兄の死後、チャンスを逃すことなく、着実にその地位を築き上げていきます。甥・藤原伊周(これちか)との権力争いに勝利、そして自分の娘を次々と天皇の妻として、その皇子を押し上げ摂関政治の最盛期を築きました。最盛期には、天皇すら逆らえないほどの権力を握ります。

父や兄の相次ぐ死、娘が天皇の息子を産むなど運にも恵まれた人だと言えますが、焦らずにチャンスを待ち、機が来たらしっかりと生かす力に秀でていたのでしょう。

漢詩や和歌などを好む文化人としての一面もあり、『源氏物語』の作者として知られる紫式部と深い関係にあったともいいます。

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藤原実資の『小右記』に記録されている、望月の歌が詠まれた背景

  • 望月の歌が詠まれた背景

「望月の歌」がどのようにして詠まれたのかは、当時の右大臣・藤原実資(さねすけ)の日記『小右記(しょうゆうき)』に詳細が記されています。それによると詠まれたのは寛仁(かんにん)2年(1018年)の10月16日で、藤原道長と倫子との三女である藤原威子(いし)が、後一条天皇の后となった日。

この前に長女・藤原彰子(しょうし)、次女・藤原妍子(けんし)がそれぞれ一条天皇と三条天皇の后となっていたため、藤原威子の立后により、藤原道長は未曾有(みぞう)の「一家三后」を実現したのでした。

そのお祝いの席では、藤原道長や、その息子で摂政を継いだばかりの藤原頼通(よりみち)の他、藤原実資などの政界の重鎮が盃(さかずき)を回していました。そして藤原道長は藤原実資に向けてあらかじめ返歌を求めた上で、この歌を即興で詠んだということです。

歌を聞いた藤原実資は、あまりに優れた歌であるため返歌は詠めない、だから皆でこの歌を復唱しようという旨を述べます。そしてその場にいた一同で歌を繰り返すと、藤原道長も返歌をしなかった藤原実資を責めることはなかったといいます。

藤原実資は知識人で気骨があり、時に藤原道長にもこびへつらわずに意見したことで知られています。そのことからも望月の歌に対する彼のこの対応は、内心あきれながらも場を白けさせないための機転、そして皮肉であるというのが通説です。

「望月の歌」の別解釈とは? 実は自らの陰りを嘆いていた?

摂関政治の最盛期を築いた藤原道長ですが、晩年は病に苦しみます。現代の糖尿病ではないかという説が濃厚で、望月の歌を詠んだ頃には既に、糖尿病に伴う視力の悪化や胸の痛みなどに苦しんでいたといわれています。

また時に強引な手を使って政敵を排除してきた藤原道長なので、いつか仕返しをされるのではないかと、物の怪(もののけ)を非常に恐れていたそうです。さらに姉・藤原詮子(せんし)の死去前後から、仏教にも傾斜していったといわれています。

「月」はご存じのように満ち欠けがあるもの。満月になった後は、徐々に欠けていきます。そう考えると望月の歌は、不安でいっぱいの藤原道長がせめてもの願いを込めた強がりの歌、または自身の陰りを皮肉として表現した歌と解釈することもできるかもしれません。

さらに平安文学研究者であり京都先端科学大学人文学部の山本淳子教授は、后となった娘たち、そして皆と交わした盃を月に例えて、その喜びと円満を詠んだ歌だという新解釈を提示しています。

1000年も前の歌ですから、藤原道長本人の実際の気持ちを確認する術はありません。しかし藤原道長の歩んできた人生を思い浮かべながら、このようにさまざまな解釈を楽しめるのも、この歌の魅力の一つと言えるでしょう。

2024年の大河ドラマ『光る君へ』では柄本佑さんが藤原道長を演じる

2023年1月7日よりNHKにて放送開始の大河ドラマ『光る君へ』。

10世紀後半、京の下級貴族の家に生まれた「まひろ」が、シングルマザーとして子育てする傍ら『源氏物語』を執筆する様や、運命のひとであり後に最高権力者となる藤原道長との不思議な縁を描いた物語です。紫式部の情熱や、強くしなやかな生きざまを感じることができるでしょう。

主人公の紫式部(まひろ)を演じるのは吉高由里子さん、そして藤原道長を演じるのは柄本佑さんです。

また、望月の歌が詠まれたときのキーパーソンである藤原実資は、お笑い芸人・ロバートの秋山竜次さんが演じます。

藤原道長が詠んだ望月の歌は、さまざまな解釈ができる

藤原道長は、名実ともに平安時代最大の権力者ともいわれています。そんな藤原道長が詠んだ「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」、通称「望月の歌」は教科書でもおなじみで、多くの人の印象に残っているでしょう。

和歌は五・七・五・七・七の短い文字数で、その時の心情などを表現します。望月の歌は藤原道長の傲慢さを表す歌という解釈が一般的ですが、それ以外にも複数の解釈ができるのも、その醍醐味(だいごみ)と言えるでしょう。

もし興味が出てきたら、皆さんも藤原道長についてより詳しく調べてみると、また違った解釈が浮かんでくるかもしれませんね。