球界から“追放”…NPB失格処分の歴代選手(2)「黒い霧事件」の発端に

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 長い歴史を持つプロ野球の世界では、許されざる行為を行った結果、どの球団でもプレーできない「失格選手」となったプレーヤーが存在する。決して数は多くないが、不名誉な形で球史に名が刻まれることとなった。ここでは、日本野球機構(NPB)からを失格処分を受けた歴代選手を紹介する。

 

 


永易将之

投打:右投右打
身長/体重:175cm/73kg
生年月日:1942年1月1日
経歴:大工大高 - 電電近畿
 
 大きな社会問題となった「黒い霧事件」に関わっていた選手が、永易将之だ。
 
 永易は大阪工業大学高校から電電近畿(現:NTT西日本)に入社。都市対抗野球で活躍したのち、東映フライヤーズ (現:日本ハム)に入団した。
 

 
 1965年は40試合に登板して10勝、防御率1.93をマーク。しかし、その後は成績が振るわず、苦しいシーズンが続いた。
 
 1968年から西鉄ライオンズ(現:西武)に移籍し、移籍1年目は35試合に登板。翌年も32試合に登板する働きを見せていたが、シーズン終了間際になって、永易が八百長に関わっていることが発覚した。
 
 いわゆる「黒い霧事件」の始まりであり、永久追放処分を受けることに。最終的に現役としてプレーした期間は6年間。あまりに大きなインパクトを球界に与え、野球界から姿を消していった。



 


 
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