Rolling Stone Japan WEBにて、MAZZEL8人のソロインタビュー連載がスタート。第1弾はRAN。
MAZZELは、本当に個性がばらばらな8人が集まっている。「全員が幼少の頃からダンス&ボーカルのレッスンを受けていた」ということもなく、それぞれのバックグラウンドがまったく違えば、歌やダンスの得意ジャンルも違う。だからこそ8人が集まるとひとつのパフォーマンス集団として様々な表現や表情を次々と繰り出すことができる。そんな個性的な8人は、MAZZELを生んだオーディション『MISSIONx2』に合格するまで、実はそれぞれが人生の「迷路」に迷い込んでいるような状態でもあった。「Maze=迷路」を「Zeal=情熱」で駆け抜けて「Mazel=幸福」を手にすることを意味する「MAZZEL」という名前は、8人の生き方そのものを表している。
ソロインタビュー連載では、それぞれが今に至るまでどんな人生を歩んできたのか、その人がMAZZELで発揮している個性とは何か、というテーマを深掘りしていく。第一弾は、BE:FIRSTを輩出したオーディション『THE FIRST』の最終審査にてBMSGのトレーニーとしての契約を獲得し、MAZZELとしてデビューを果たしたRAN。ポップダンスのコンテストで何度も受賞経験のある彼がアーティストを目指した理由、『THE FIRST』からデビューまでの心境、そして今MAZZELが自分にとっての「居場所」と感じられる背景を語ってくれた。
―今日は、幼少期から今に至るまでの話をじっくり聞かせてください。ダンスを始めたのは5歳の頃ですか?
そうですね。4、5歳くらいに始めました。いろんなグループの映像をビデオテープで再生して、ものすごい至近距離でテレビを見ていたり、それを見ながら踊ったり、マイクスタンドが欲しいと言ったりするほど、「踊る」ということに執着していた時代があったみたいで。それで親が「地元のダンススクールに通ってみる?」と言ってくれたところからダンスを始めました。
―RANさんといえばポップダンスのイメージですけど、ダンスを始めてからMAZZELに入るまで、どういったジャンルを辿ってきたのでしょう。
小学校に入る前まではずっとキッズダンスをやってました。小学校に上がったら一つひとつのジャンルのレッスンを受けられるようになるシステムで、最初はヒップホップダンスとブレイクダンスの2つを習ってました。楽しくもありつつ、でも「なんか自分と違うなあ」という感じもあって、小学3年生の頃に、今自分が基盤としているポップダンスのレッスンを初めて受けてみたんですよね。
―ヒップホップやブレイクダンスの何が「違うなあ」と感じたんですか?
自分の身体能力的に多分できないというか、単純に技をできなかった自分が悔しくて。長い年月をかけて地道に努力していくものだとは思うんですけど、ブレイクダンスに関しては、早い段階でちょっと諦めちゃったなっていう。ポップダンスをやり始めると「あ、自分はこれだな」みたいな気持ちになって、それ以降はポップダンスを軸にしてバトルやコンテストに出るようになりました。高校生くらいからは、ポップだけじゃなくいろんなジャンルをやっていこうという意識になったんですけど、ブレイクダンスはいまだに苦手ですね(笑)。
ダンスを続けてきた理由
―きっと他にもいろんな苦労や葛藤があっただろうとは思うんですけど、なぜ今に至るまでずっとダンスをやめずに惹かれ続けてきたのだと思いますか。
もともと僕が――今もなんですけど――初対面の人と話すのが苦手というか、人見知りなところがあるんですけど、そういう面の自分と、ダンスを踊ってる時の自分が別人みたいで。ダンスを踊ってる時の自分の方がすごく心が解放されているような感覚があって。何も言わずとも身体を動かして、身体で表現できる特別さに幸せを感じることが小さい時から積み重なっていって、物心ついた頃に「やっぱり自分はダンスが好きなんだろうな」と自分で理解した感じでした。だから「やめたいな」「もういいや」とか思ったことがなくて。ダンスがないと生きていけないくらいの思考になるくらい打ち込んでました。ダンスがあれば「自分は無敵だろう」みたいな感じがありましたね。
―逆にいうと、学校や家族の中でのRANさんはどういう感じだったんですか。
小中の時とか、同世代の子と遊ぶことは少なくて。学校では話すけど、遊びに行くよりダンスをしてる時間の方が多かったので、そういうのも含めて、同世代の子たちとのやり取りに「うーん」と思ってる時もあって。成長するにつれてよくはなっていったんですけど。ダンスばかりの日々だったので、「こいつ、ダンスばっかやってんな」みたいな見られ方もしたり。家族的にはワンパクな子のイメージがあったと思います。ダンスばっかりやってるし、スーパー行ったらよく動くし、落ち着きないし、みたいな(笑)。
―同世代の子たちの中に「ここが居場所だ」と思える感覚がなかったらからこそダンスにのめり込んだし、ダンスにのめり込んでいたからこそ溝ができちゃっていたという。
そう、そういった時期がありましたね。
―MAZZELになった今も、RANさんにとってダンス表現とは心を解放できて無敵になれるものだという感覚は変わらないですか。
そうですね。今MAZZELとしてパフォーマンスしている中でも、ダンスは自分を解放できるものであるというところが一番大きな軸になっていますね。パフォーマンスしてる時の自分が最強だろうと思っている自分もいますし。でも、ただ踊るだけじゃなくてこうみせた方がいいなとか、グループとして踊る時にどうやったらよりよくなるかとか、色々分析して考える力は昔よりついてきた気がします。
―リスナーとしては、どういう音楽を好んで聴いてきましたか?
多分、特殊な方だと思います。ダンスばっかりやってきたが故に、一時期までほとんど邦楽を聴いてなくて、洋楽のダンスミュージックとかをずっと聴いていたんですよ。ダンスができる「音」がかっこいい、みたいな意識で。とにかく「音」にハマっていたので、歌詞がないビートだけのトラックとかを聴いたり、洋楽でも歌詞が音に聴こえるみたいな感覚でした。歌詞を意識して聴くようになったのは多分、中学の終わりとか高校に入ってから……自分がちょっと思春期に入る頃だった気がします(笑)。
―思春期の頃は何を聴いていたんですか?(笑)
カラオケへ行くようになった頃、お兄ちゃんが聴いていたORANGE RANGEさん、FUNKY MONKEY BABYSさんの曲にハマって、最初にカラオケでずっと歌っていたのは「花」(ORANGE RANGE)、「ちっぽけな勇気」(FUNKY MONKEY BABYS)とかですね。邦楽を聴いてなかったから歌える曲があまりなくて、周りが今の曲を歌うのを聴いて「こういう曲があるのか」「あ、この曲いいな」ってどんどん吸収していった記憶があります。
―ダンサーとして、人生で一番思い出深い曲とかはありますか?
今でも「この曲聴くとテンション上がるな」という曲でいうと、Dax Ridersの「You Are the Sunshine of My Life」。この曲は自分がポップダンスを好きになったきっかけというか。バトルでこの曲がかかったら盛り上がるような曲で、自分が好きなチームの方もこの曲で踊っていたりして、「この曲をかっこよく踊れることに憧れる」と最初に思った1曲でした。
―ちなみに、最近のお気に入りの曲は?
最近だと、ジェイコブ・コリアーの「Mi Corazón (feat. Camilo)」。ポップの曲がサビになっているんですけど、サビまではCamiloとジェイコブ・コリアーがすごく美しい歌声で歌っていて、「こんな綺麗な歌声をやったあとに、サビでそんな落とし方ある?」みたいな(笑)。ジェイコブ・コリアーはめちゃくちゃ好きです。声すら音にする考え方がすごいし、表現の新しさ、面白さ、独創的な考え方がとても好きで、尊敬するアーティストの一人です。
―ここでジェイコブ・コリアーが挙がるのは、やっぱりRANさんは「音」のユニークさに惹かれるんだなと思います。
ジェイコブ・コリアーも多分、自分と似て「音」が好きなんだろうなって。お客さんを巻き込んで音を作るみたいな、あのライブのやり方も好きですね。
『THE FIRST』を経て「根本的なところから見つめ直す時間を作った」
―話を過去に戻すと、歌に関しては『THE FIRST』のオーディションを受けるまで習ったりしてなかったんですよね?
まったくしてなかったです。カラオケで歌う、もしくは音楽を聴きながら口ずさむ程度しかしてなくて。
―でも最初の審査(『THE FIRST』二次審査ではDa-iCE「CITRUS」を歌唱)から、相当上手かったですよね。
いやあ(笑)、自分なりにだいぶ練習はしたんですけど、でもスキルなんてものも全然ないし、上手く歌う方法とかもわからないし、ただただ声を出して頑張って自分の感情を歌うみたいな。もうガムシャラにやっていた気がします。
―そもそも、オーディションを受けた理由、つまりダンサーからアーティストを目指した理由というのは、RANさんの中でどういうところにあったんですか。
そもそもダンスを続けてきた根本の理由が、やっぱりボーイズグループを見ていたからということがありつつ。高校生くらいの、BTSとかK-POPのアーティストの方々が出てきた時期に、この先ダンスを続けていくとして、自分がダンスでやりたいことって何だろうということをすごく考えだしたんですよね。今の自分が持っているダンスを突き詰めていくのか、率直な話、果たしてそれでご飯を食べていきたいのか――それってリスキーだなと思う自分もいて。安定もしないだろうし。ただ、ダンスは続けたい。そういう中でライブを見て、喜んでくれる人がいることやダンスで人を幸せにできることのすごさを感じたり、単純に音楽が好きだったので、自分で音楽ができるってかっこいいなと思っていた時に、SKY-HIさんのオーディション開催に向けた文言が目に入ったんです。「このタイミングでこのオーディションが目に入ったということは、多分、自分はそうしたいんだろうな」と直感的に思って、ダメ元ではあったんですけど、自分にはダンスがあるし挑戦しないことはないかなと思って応募してみました。
―踏み込んだ質問になってしまうけれど、『THE FIRST』の最終審査で、日高さん(SKY-HI)はRANさんの腹を決め切れてないところなどをケアして「(グループとしてデビューするのは)今じゃない」という判断をされていたと思うんです。きっと放送に乗ってないところでも日高さんといろんな言葉を交わしたと思うんですけど、RANさんとしては当時、日高さんの言葉をどう受け止めていたんですか。
もちろんオーディションに受かりたいという気持ちはあったんですけど、この先ステージに上がってパフォーマンスするということにおいて、明確な未来が当時の自分にはまだ見えていなくて。現実味がないというか。ずっと地に足つかない状態でここ(『THE FIRST』の最終審査)まで来てしまったなという感覚も少しありつつ。周りにはステージに上がって歌う経験をしている人もいれば、自分よりもっと明確な気持ちを持ってやってる人もいて。そういう部分も含めて、SKY-HIさんのいう「今じゃない」だったのかなって、あとになってすごくわかりました。当時の自分は「覚悟できてます」「準備はできてます」と思っていたかもしれないけど、準備できてなかったんだろうなって。当時は悔しさもありつつ、現実的なものがどっさり(心に)きた記憶がありますね。
―そこからMAZZELのデビューまで、自分の中でどういうふうに覚悟や意識の面を変えていったのでしょう。
BE:FIRSTがデビューして、一緒にオーディションを受けていたメンバーが活躍している姿を見ながら、自分はどうしたいのか、まず本当にやりたいことなのかとか、もう根本的なところから見つめ直す時間を作ったんですよね。当時だったらまだダンスに戻れたかもしれないし、一度決断する以上、生半可にやめていいものではないとも感じていましたし。自分の本心的には「これがしたい」ともう思っていたので、そんな中途半端な心意気じゃダメだなとも思って――そういう自分との見つめ合いみたいな時間を、どのくらいだろうなあ……『MISSIONx2』の後半、最終審査の前くらいに改めて作ったんですよ。その時間があったからこそ、自分の中での意志みたいな塊ができた感じはありました。それまではいろんな迷いもあったし、自分の殻を上手く破れてない感じもあった気がします。
―アーティストになりたいという想いはあれど、ダンサーとして歩んできた道を断って夢への保証もない道を選ぶことには、かなりの怖さがつきまとうし、大きな覚悟を要するものですよね。
それまでのバックボーンや自分が過ごしてきた世界と、アーティストという世界の大きな違いもあって。こちらの世界を想像することが容易いものでもなかったし。それまで普通の高校生だった自分にとっていきなり歌って踊って、世に出て、メディアに出て、みたいなものが、道が見えない世界で。怖かったし、そこに一歩勇気を出せなかった、覚悟ができてなかった、というふうに今になって思いますね。あと、ダンスに対して自分の中で心残り的なものも、正直、その時にはあっただろうし。「本当にやり切れたのか?」「この先、もし忙しくなったら自分のしたいダンスができないのかな?」とか、そういった悩みみたいなものも含めて、自分の中で処理しきれてなかったのかなって思います。
―相当デカい人生の岐路を決断してくれたんだなと改めて思います。
こんなに180度変わったような体験ってなかなかできないですよね。しかもオーディションを2回やっているので、180度変わって、さらに180度変えられたような(笑)。自分でもすごいなとは思いつつ、でもなんか自分っぽいなとも思います。
―こうやって今になると、日高さんは適切な時間を設けてくれていたということを実感しますね。
時間を作ってくださったSKY-HIさんの見る目はやっぱりすごいなと感じました。(『THE FIRST』から『MISSIONx2』まで)1年くらいでしたけど、自分がわかっているつもりでもわかりきれてない部分に気づけたのもその時間があったからですし。BE:FIRSTを見ていての悔しさとか、憧れとか、いろんな材料から自分を掘り起こすことで解決できたので、時間をかけてよかったなと思いますね。当時受かって世に出ている自分と、今こうやって長い年月をかけて準備してMAZZELとしてデビューした自分を考えたら、断然今の方がポテンシャルも含めていいものを作れている感覚があるので。その期間があったからこそ今すごく楽しいですし、迷いなく自分を出すところまで持っていけています。
―「迷路」を一歩ずつ進んで、「情熱」を高めて、今こうして「幸福」があるというのは、まさにMAZZELの名前の由来とコンセプトを体現しているなと思います。
そうですね、ありがとうございます。
MAZZEL
MAZZELの中での役割
―今MAZZELは、RANさんにとってどんな居場所になってますか。
己を殺さず、8人全員がひとつになってみんなと一緒に高みを目指す場所。自分を受け入れてくれる場所でもあるし、自分が見てなかった世界とか知らなかったものを学ぶことができて、スキルも人間性もパフォーマンス力も一番自分が成長できる場所だと思ってます。上を目指すにつれて自分も成長できている感覚が強いですね。
―MAZZELに入る前と今では、自分の性格とか考え方ががらりと変わった感覚ですか。
だいぶ違うと思います。言葉だけでいうと、すごくポジティブになったというか。自分に自信を持てるようになったし、内面的にも全然違うと思います。
―本当に名の通り、「幸福」をMAZZELで得ることができているんですね。ちなみに、内面的なことをよくしゃべるメンバーとかはいますか?
SEITOはダンサー時代から知っていたのもあって、入ってすぐの頃に悩み事を聞いてもらったり、色々と支えてくれた一人ではあります。
―何歳くらいからの知り合いだったんですか?
高校生の頃にダンスバトル全国大会で一緒になったことがあって、その頃からお互いのことは知っていたんですよね。
―へえ! じゃあBMSGで出会った時は……。
もうびっくりしました! 「ここで?」みたいな(笑)。まさか合流地点がここになるとは、という感じでした。
―今、MAZZELの中で自分の役割はどういうものであると自覚していますか。
8色あるとしたら、僕は何色にも染まらない人でありたいというか。「赤」「青」「黄色」とかのメンバーがいるとしたら、僕は何色でもなく何色でもありたい。色々な面に対応できて、色々な場所で輝いて、でも一人じゃない、みたいな。そういうメンバーが一人いてもいいんじゃないかと思っていて、そういう存在でありたいです。表に立ちたいと思う自分もいれば、助けになりたいと思う自分もいるから、自分が前に立つこともあればサポートもしたくて。一人のメンバーに目立つものがある時に、自分が影で支えながら輝かせたい。縁の下の力持ちというか。そういうのって意外と難しいけど、かっこいいじゃないですか(笑)。自分の個も出すけど、その個があるから他が目立つ、ということがあってもすごく面白いなと思いながら……自由にやってます。
―言葉を変えると、RANさんはMAZZELそのものだと思うんです。MAZZELの象徴である華やかさ、アート性、ストリート感、そのすべてを一人でも体現しているのがRANさんである。だからこそ真ん中に立って「MAZZEL」の表現を背負うこともできるし、他の誰かの一歩後に立ってその人をMAZZELらしく輝かせることもできる。そういう存在じゃないかなと思うんです。
ええ、そんな(笑)。嬉しいお言葉をありがとうございます。でもそれがひとつの目標でもあり、今自分が言いたかったことをまとめてくださった気もします。誰一人欠けちゃいけないけど、一人だけを見て「MAZZELってこういうことね」ってわかってもらえることも嬉しいし、それができる8人がいる面白さを求めている気がします。
―MAZZELのデビューから今に至るまで、RANさんにとっての一番のターニングポイントは何でしたか? 考え方、表現の仕方は日々変わっていくものだと思いますが、中でも大きな変化のきっかけになった出来事などありますか。
MAZZELとしてのターニングポイントは去年の『BMSG FES』だと思っていて。それまでもいろんな場所でライブに出演させていただいたんですが、自分たちの事務所の場で、他の所属アーティストのファンもいる中だったので、「身内だけど初めまして」みたいな、ホームでありアウェイであるみたいな場所で、そこの心意気が結構難しかったんですよね。しかも一昨年まではトレーニーとして立っていて、去年はグループの1アーティストとして立っているので、その違いをどう見せていこうという不安とか、自分の成長も見せなきゃけないという課題があって。でもいざステージに立ってみると、やっぱり温かかったし、自分はアーティストだという自信みたいなのものもあった上で、すっごく楽しくパフォーマンスができました。そこがひとつ、自分の殻を破れた瞬間だったなと思います。
「表現力の最強を突き詰めていきたい」
―歌に関して、今は自信を持てるようになりました?
まだまだ全然成長途中ではあるんですけど、負けず嫌いなところもあるので。自信はありつつ、でも満足してない感じです。自分の歌声の特別性みたいなのも見つけ出していけたらなと思っているので、そのために頑張ってる途中ですね。
―この先MAZZELとして描きたい夢を、RANさんとしてはどのように想像してますか。
一番はMAZZELがやりたい音楽を体現していくことなんですけど、先ほども言ったように、個をいかしたグループを目指したいなと思います。時にはある人の個性をいかした曲調があったり、時には別の人の個性をいかした曲があったり。全員がその人になれるし、その人も全員になれるみたいな、その人の個性に染まって8色出していけるようなグループになれると面白いかなと思います。ゆくゆくは、ソロやユニットで活動する人が出てきても、でも8人揃ったら「やっぱりMAZZELやべえわ」って思われるグループになりたい。最終的な着地点はそこですかね。
―それでいうと、RANさんがこの先個人としてやりたいことは何かありますか?
僕はいろんなことをやりたい人なので、夢が多いんですけど(笑)。俳優業も身体や言葉を使う表現方法だと思うので、表現者としてやってみたいし。ドラマや映画を見るのは好きで、自分じゃない誰かを演じるすごさに憧れるんですよね。モデル業もやりたいです。表現力の最強を突き詰めていきたいなと思います。僕の人生のゴールは、いろんなものも含めた表現者としての一人みたいな、自分が表現するものの特別性を証明することです。
―やっぱりRANさんは人間の身体表現そのものに興味と憧れがあるんですね。
そうですね、そこに興味があります。
―今日いろんなことを話してくれましたけど、ここまでで触れなかったことで「実はあの出来事が人生において大きな影響を与えているんだ」みたいなことは何かありますか。
でもやっぱり一番は、この世界に入ったことですね。それが人生の一番のターニングポイントだと思います。自分が知らなかった自分を知れた世界でもあるし、もっともっといろんなことをしたいと思わせてくれた場所でもあるので。そういう場所をくださったSKY-HIさんはもちろん、支えてくれる周りの仲間たちに感謝と尊敬の気持ちでいっぱいです。逆にこれから自分がそういう存在になっていきたいですし、こういう世界に入ったからには自分で何かを作り出したいという気持ちもあります。新しい文化を作っていこうとしているBMSGという会社で、自分も新しい何かを作り出せるようになりたいという想いがありますね。
―この先RANさんからどんな身体表現、人間表現が生まれてくるのか、本当に楽しみにしています。
頑張ります。僕も楽しみです。改めて自分でも久々にいろんな想いを振り返る機会になりました、ありがとうございました!
<INFORMATION>
1st Album
『Parade』
MAZZEL
BE-U
3月20日発売