農業をする場所を決められるのは新規就農者の特権! 淡路島は全国で戦える場所

淡路島は本州と明石海峡大橋でつながっており、神戸の中心地からも比較的アクセスのよい島だ。その淡路島の若手生産者グループ「フレッシュグループ淡路島」の畑は、島の北西部の瀬戸内海を望む場所にある。畑の周辺には海と山が広がり、天気のいい日には畑から小豆島が見える。
彼らが育てている野菜は、黄色や桃色のカブ、スイスチャードに紅ミズナなど、どれもワクワクするような彩り豊かな野菜ばかりだ。葉付きのパープル、イエロー、オレンジのニンジンは色のコントラストが鮮やかで、葉っぱもニンジンも料理の主役になりそうだ。普通に育てれば通常のサイズになる品種だが、縦長の細い状態で収穫し、「スティックニンジン」という名で販売している。

スティックニンジン

代表の森靖一さんは東京の会社でのサラリーマン生活などを経て、2009年の暮れから約3年間、淡路島で農業事業の立ち上げにかかわった。
その頃から森さんは近い将来、独立して農業ベンチャーを自身で立ち上げることを視野に入れていた。当初から農業ベンチャーの要は農業生産だと思っていたものの、生産のみをするつもりはなかった。マネジメントをしていく中で、農業をするのであれば、自分で野菜を作り生産から販売まで行うことが強みになると確信していったそうだ。ファームの仕事と並行して独立して農業を始めるための準備を始め、2013年3月に退職。
就農場所を淡路島にしたのは、その縁かと思いきやそうではなかった。

「愛知や静岡、千葉も候補地で、それぞれの産地を視察しました。最終的に淡路島で農業をしようと決めたのは、他の地域と比べて利点があったから。暖かい場所だし都市に近い。それに島であることも魅力的でした。海と山がすぐ近くにある島はブランド力につながります。農業をする場所を自分で決めることができるのは、新規就農者の数少ない特権だと思います」(森さん)

森さんは2013年4月に就農し、淡路島北西部の尾崎東集落で森農園をスタートさせた。このときすでに農業ベンチャーを立ち上げる計画を固めていた。2013年の淡路市の新規就農者は25人もいた。森さんは、同時期に淡路島に就農したメンバーに声をかけ、4人の若手農家で「フレッシュグループ淡路島」を結成した。
「僕らは非農家出身の農業の知識や経験を持たざる者ですが、最大のメリットは農業をする場所を選べることでした。品目から決める人が多いですが、場所選びが重要だと僕は思います」(森さん)

小規模農家の連携で販路を拡大

フレッシュグループ淡路島は、小規模の農家で連携し、それぞれが栽培した作物をグループとして販売することにより安定した収穫量でニーズに応える販売システムを構築した。
そんな中、島でトマトの6次化に取り組む別の農家から「トマトケチャップに加えるバジルを作ってもらえないか」と声をかけてもらったのがきっかけで、バジルの栽培を始めた。

バジル畑

バジルは香りがいい。香りのいいものを栽培することは、戦略のひとつになった。実は、淡路島は環境省の「かおり風景100選」にも選ばれた「香りの島」と言われ、香木伝来の地という言い伝えもある。比較的雨が少なく乾燥している気候は線香づくりに適しており、線香製造のシェアは全国1位。この気候はバジル栽培にも適している。バジルは水分量が減ると香りがより出やすくなるからだ。
そして今、フレッシュグループ淡路島で栽培している農作物の特徴は、香りと彩りである。冒頭にも紹介したように、栽培品目には彩り豊かなものも多い。

「うちの野菜は、料理のシーンをイメージして育てています。鱧(はも)に梅肉の赤が必要なように、料理には色味が必要です。シェフと話をしてメイン料理に合わせた色を考えています。香りと彩りの良い野菜はレストランに営業もかけやすいんです」(森さん)

同グループでは、自ら値段設定のできる方式でのみ販売を行っている。香りと彩りの良い野菜をレストランなどに直送することで、安定した収益を確保した。「既存の農家が普通、めんどくさくてやらなさそうなことを手間ひまをかけてやっています。時には複数の規格に対応させて野菜を栽培することもあります」と森さんは言う。注文を受けてから到着するまではわずか2日。緑の葉が付いていることが特徴のスティックニンジンは、機械では掘れないし、洗えない。しかし、葉が付いていることで彩りが引き立ち、料理も引き立つ。
こうした工夫により、販路も確保でき順調に収益が上がり、会社組織にする方がよいと判断し、グループ結成2年後に「株式会社フレッシュグループ」として法人化した。

フレッシュグループ淡路島の彩り豊かな野菜

2020年1月、国内での新型コロナ感染者が報告された。外食を控える人が増え、フレッシュグループでは日に日にレストランへの販売が厳しくなっていった。そこで、3月には個人向けのネット販売の準備を始め、その1カ月後の4月には販売をスタート。この時点で個人向けのネット販売に切り替えた素早さは、「外出を我慢している人たちが、きっとレストランのような料理が食べたくなるはずだ」と予測したからだ。このネット販売を有名な料理研究家が見つけてくれ、巣ごもり期間にプロが愛用する野菜を宅配で楽しもうと雑誌で紹介してくれたことがきっかけとなり、5月にはバズったという。レストランでお皿に盛りつけられることを想定して栽培されている彩り野菜は、家庭の食卓でも同様に料理がイメージできたのだろう。

コロナ後は販売先も変化した。コロナ禍の前までは90%がレストランなどの外食需要向けであったが、現在は50%が外食、20%が料理として出来上がっている総菜などの中食、20%がスーパーや百貨店などの小売り、あとの10%はネット販売やふるさと納税品などに変貌した。
2024年現在、森さんの森農園はハウス6棟25アールで施設栽培、さらに1ヘクタールの畑で露地栽培をしている。株式会社フレッシュグループ全体では、ハウス23棟96アール、露地6ヘクタールである。

農業承継の新しい仕組みに挑戦

2020年からはイチジク栽培も始めた。目的は農業承継の新しい仕組みづくり。その第1弾として篤農家・金﨑農園の金﨑真治(かなさき・しんじ)さんと共同出資でコラボ農園「淡路島いちじくファーム」を設立させた。しかしなぜ、イチジクだったのだろうか。

イチジクの木は20年から30年経つと、植え替え時期を迎える。その時期に後継者のめどが立っていない場合、年齢的なことや予算面で植え替えをあきらめて離農してしまう農家が多く、全国的にもイチジク農家が減少しているそうだ。

「イチジクの栽培技術がなくなってしまうことを防ぎたいんです。金﨑農園の金﨑さんは、後継者の育成にも積極的で、元々、フレッシュグループ淡路島のメンバー2人の研修先でした。当時、植え替え時期が迫っていましたが、息子さんは別の仕事をしていてイチジク栽培を継ぐ意思はない状態でした。でも、今は継ぐ気持ちがない息子さんも気が変わる可能性があるかもしれませんので、柔軟な承継の仕組みが必要だと感じました」(森さん)

そこでフレッシュグループから人材を出向させる形で技術の継承をし、早い段階で技術を蓄積する仕組みづくりをしている。これが整えば、全国に応用できるシステムにしていきたいと考えている。農家の熟練技術と思いを継承する新しい取り組みである。

イチジク畑

子ども達にプログラミング教室を開く

さらに森さんは農業の未来を見据えた取り組みも行っている。
「2016年頃から、プログラミングを農家の経営者としてある程度理解しておかないと置いていかれると思って、勉強をし始めたんです」(森さん)
すでに圃場(ほじょう)にセンサーなどを導入していたが、今後はより一層農業への先端技術の導入が増えることが予想されるため、農家として理解できるレベルになる必要があると思ったそうだ。

森さん自身もプログラミングの勉強をしながら、子どもも大人も学べるプログラミング教室を立ち上げた。淡路島には子ども向けのプログラミングを教える教室がなく、高い月謝を払って神戸までお母さんたちが子どもを通わせていたからだ。最初は廃校になった小学校や図書館を借り、無料で月イチで教え始めた。その活動は徐々に広がり、2018年からは農園近くの保育園で、夕方から週に2回、教室を開くようになった。サポーターとして地域の電気屋さんや線香屋さんなども参加してくれるようになっていった。
ここでめざしたのは、独創的なことをしようという指導だ。そうした指導もあってか、教室では子どもたちのクリエイティブな発想が飛び出し、森さんもたびたび驚かされるそうだ。
2019年には総務省の「地域ICTクラブ普及推進事業」の一環として運営し、翌年、事業の取り組みの発表会で、子ども達が課題に挑戦した成果を発表した。

地域の困りごと、未来の困りごとに応えられる人でありたい

森靖一さん

森さんは地域の困りごとが放っておけない。
「みんな、しんどいなあと思うことが減ると、勝手に楽しみ始めると思うんです」と森さんは言う。
農家の運営を安定させ、地域の雇用を増やすこともそのひとつであり、後継者のいないイチジク農家の技術を継承することで次世代につなぐシステムづくりも、困りごとをなんとかしたいというところから生まれた。
「農地や遊休地の利活用とかの相談も多いんです。今、資格を取ろうと頑張ってます」
なんと、法律関係の資格を取るつもりらしい。「法律に詳しい農家」という新たなキャッチフレーズがもうすぐ生まれそうだ。
森さんは、あくまで専業農家である。農家として地域の困りごとを解決するために、自分がやれる範囲で活動を広げていった。これからもまだまだ広げられることがありそうだ。