2月1日にブルペンで投球練習するロッテ・河村説人(撮影=岩下雄太)

 ロッテの河村説人は今季から背番号が『58』から『123』に変わった。つまり、一軍のマウンドに上がるためには、再び二桁の背番号に戻らなければならなくなった。

 河村はルーキーイヤーの21年に20試合・41回2/3を投げて、4勝1敗、防御率3.46、東京五輪明けの後半戦は4試合に先発し3勝1敗、防御率2.08と安定した投球を見せた。「(22年は)開幕ローテーションに入って、そこから1年間回れるように投げたい」と意気込んだが、翌22年は春季キャンプ中に体調不良で離脱するなど開幕はファームスタート。同年5月4日の西武戦で初登板し5回4失点で勝利投手となると、続く5月11日の楽天戦でも5回無失点で2勝目、5月19日の楽天戦も6回1失点と試合を作ったが、5月26日の広島戦で3回2失点で降板したのを最後に一軍登板がない。

 同年9月16日に『右尺骨神経前方移行術および右肘内側側副靭帯補強術』。実戦復帰まで5カ月から6カ月を見込んでいたが、なかなか実戦登板することができなかった。翌23年5月26日の日本ハム二軍戦の試合前練習では、キャッチボールを行うなど、昨季はキャッチボールする姿を何度も見せたが、シーズン中の復帰は叶わなかった。

 河村が実戦復帰を果たしたのは、昨年10月10日に行われたみやざきフェニックス・リーグのKBO選抜1。右肘を手術してから実戦復帰するまでの過程について、「もっと早く投げられると思っていたので、なかなかうまくいかないことが多かったですね」と振り返る。

 昨年5月にはキャッチボールをしており、実戦復帰するのかと思われたが、その頃については「ずっともう一つあげられるというところで、なかなかあがらなくてというのが続いたので、その時は結構苦しかったですね」と胸の内を明かした。

 それでも、リハビリの期間中は「前よりも良い球を投げられるように、しっかりトレーニングをしようと思っていました」と前を向いた。

 「真っ直ぐは前よりもよくなっているのかなという感じがありますね」。

 それはリハビリ期間に体の使い方など勉強などしたりしていたのだろうかーー。

 「トレーニングをしっかりしましたし、体が強くなっていると思うのでそこだと思います」。

 フェニックスで実戦復帰を果たし、シーズンオフの自主トレでは「フェニックスもまだ全然強い球を投げられていなかったので、もう一つ肘が良くなるように、ということだけですね。肘のことだけ考えていました」と明かす。

 春季キャンプ初日となった1日には早速ブルペンに入り、捕手を座らせて投げ込みを行った。現在の肘の状態については「本当に順調で、久しぶりに気持ちよく投げられています」と充実した表情を見せた。

 「また再発というか痛みが出ないように、しっかりトレーニングをして徐々に段階を上げてやっていきたいと思います」。

 支配下選手登録復帰に向けては「普通にしっかり投げられる状態にいて、球が強くなっていると思うので、順調に肘が違和感なく投げられることが一番大事かなと思います」と話した。ストレートは手術前よりも手応えを掴む。今季は1試合でも多く、河村が投げる姿を見たいファンも多いはず。ファームで実戦登板を重ねた先に、支配下復帰、一軍の登板が待っている。

取材・文=岩下雄太