制作プロダクションThe iconと小学館のプロデュースチームが手掛ける若手発掘・育成プロジェクト「私の卒業プロジェクト」。その発起人でもあり、The icon 代表取締役社長でプロデューサーの高石明彦氏は、なぜ若手俳優のための同プロジェクトを始動したのか。地方自治体とタッグを組んで制作する意図など、プロジェクトの裏側について語ってくれた。

  • 高石明彦氏 撮影:島本絵梨佳

『私の卒業』プロジェクト始動の背景

――高石さんが手掛ける『私の卒業プロジェクト』が5期を迎えました。プロジェクト始動のきっかけをお聞かせください。

いま、映像の世界で若い子たちが活躍する場所が非常に少なくなってしまっていて。このプロジェクトを始めた頃が、いわゆる“青春キラキラ作品”というものが段々と無くなってきてしまったタイミングだったんです。そういった状況で若い役者たちや事務所から、「映像の仕事をやりたい」「やらせてあげたいけど、できない」という声を多く聞いて。

朝ドラや仮面ライダーシリーズなど、ブレイクのきっかけになるものもあるのですが、それ以外は本当になかったので、“これはまずいな……”と。今、人口減少社会で人の取り合いになっている中で、若い俳優たちが活躍する場所、楽しいと思ってもらえる場所を作らないと、どんどん映像の世界が萎縮していく……と思ったことがきっかけでスタートしました。

――確かに朝ドラや仮面ライダーは若手俳優の登竜門と呼ばれる立ち位置ですが、狭き門ですし、ハードルが高い印象があります。

おっしゃる通りで、オーディションに通った1人はいいですが、何百、何千という人が受けているなかで、勝ち取るのはかなり難しいだろうなと。なので間口を広げるために、入りやすい形を作りたいと思っていて。

地方都市×映像の力「少しでも地域を元気に」

――同プロジェクトでは、「卒業」をテーマにされていますが、なぜこのテーマにしたのでしょうか?

小学校、中学校までは義務教育なので「卒業」は誰しもが経験するし、その先の高校や大学でも卒業ということを経験することであるということが1つ。あとは先ほども言ったように日本の人口が減ってきている中で、国内だけで映像の仕事をやっていくということでいいのか、という考えもあって。「卒業」は全世界共通なんです。アジア圏で見ても、多くの国で卒業式をやっていて、卒業というのは日本国内に限らず、アジア含め世界で通用するキーワードだなと。

――なるほど。世界での活躍も視野に入れてスタートしたんですね。また、期ごとに地方自治体とタッグを組んで制作することも大きな特徴の1つです。

僕は北海道の赤平市っていうところで3カ月間、連続ドラマを撮影したことがあるのですが、撮影場所がドラマの聖地になって、観光客もたくさん来るようになって喜んでいるというお話を聞いたんです。そのときに「ドラマや映像などエンターテイメントでもやれることはあるんだ」と実感があった。やっぱり地方も人口は減っていて、後継がいないなど様々な問題がある中で、プロジェクトを地方と連携して制作することによって、映像の力で少しでも地域が元気になるんだったら、役に立てることはあるかもしれないと思ったので、期ごとに自治体と一緒にプロジェクトを進めさせていただいています。

――地方活性化にも一役買っているんですね。一方で、地方で撮影することで俳優の皆さんにも影響があるのでしょうか?

地方自治体と協力して制作するもう1つの理由がそこにあります。若い俳優たちが、地域の方々に応援されながら、そしてコミュニケーションを取りながら、撮影に挑んでいくことで、“自分たちがやっている仕事は、ただ映像の中に収まっておしまいではないんだ”ということを学ぶには絶好の機会なんです。

ワークショップを通してその土地で勉強することで、より役に入り込んでいくことを教えていたりするんですが、去年も一昨年も、撮影する地域が決まった時に彼らが自主的に街に行って、街の方々と交流するようになり始めた。俳優たちが自主的にやり始めたことがとても大きいです。僕ら大人が入らないなかで、地方の方々と直接コミュニケーションを取らせてもらって、様々な思いのキャッチボールをするということは、徐々に目指していた形になっているのかなと思います。

――そこに住む人のリアルに触れることで、さらに役に入り込めるわけですね。その触れ合いの有無は、演技にも違いが出てきますか?

間違いなくあると思います。やっぱり土地勘や土地柄というものがあるんです。人間が生まれて成長するまでにどういう風を感じて、空気を吸って、影響されて生きてきたか、そういうことを役者は感じなきゃいけない。それを、直接コミュニケーションを取らせてもらって、想像を膨らませることができるのはとてもいいことだなと。

――都会の撮影では見えてこないような部分が、より出てくるんですね。

都会はいいところもあるんですけど、なにせ人が多いから撮影をするのも難しい。例えば、車の撮影ひとつとっても、人がたくさんいるということは、それだけで障害になりうる。それが地方だと、自治体全体で協力してくださったり、時には警察や消防の方まで協力してくださったりすることもあるんです。映像を作っていく上でも、クリエイティブを発揮しやすいし、のびのびと撮影ができます。

また、協力していただいているということを学ぶ良い機会にもなる。都会に戻ってきて、何か別の撮影をしているときでも、協力していただいているという意識を持つことが大事だなと思います。

『私の卒業』プロジェクトはライフワーク「もっと多くの人たちに機会を」

――今回で5期になりますが、プロジェクトの広がりは感じていますか?

そうですね、実際に応募をしてくださる方が増えているということが一番大きな結果になるのかなと。最初は応募人数160人からスタートして、今回の5期では1,037人の応募がありました。あと、変な話ですが、プロダクションの方々が、参加してくれた俳優たちのプロフィールに「私の卒業第○期」と書くようになった。そこでも認知されてきたのかな? という実感はあります。

――SNSでもプロフィールに書かれている方がいらっしゃいます。

先ほどの朝ドラや仮面ライダーの話じゃないですが、このプロジェクトを登竜門だという風におっしゃってくださる方も増えてきたことからも、徐々に認知され始めたかなという手応えは感じています。ただ、僕らとしては場を作りたいっていうところから始まったので、登竜門とおっしゃっていただくのは光栄ですが、あんまりハードルが高いと思わないでほしいなと。誰でもトライできる場所にしたいので、もっと楽に参加してもらえたら嬉しいです。

――前回から劇場公開作品にスケールアップしていますが、これも企画段階から想定されていたんでしょうか?

全く想定していなかったです。YouTubeは日本だけでなく世界でも観ることができるので、アジアに届ける方法として選んだ媒体でもあった。ただ、一緒にやっているメンバーの1人が「これ映画でやらない?」という話を持ってきたことが大きな転機でしたね。昨今、配信が増えてきて、映画でも世界に届けることができるというアイデアをいただいて、劇場作品として制作することになりました。

――ショートドラマと映画だと俳優陣の意識にも変化はありますか?

やっぱり映画のほうが、俳優たちも入りやすいんだろうなと感じています。映画は1つのブランドだと思いますし、YouTubeのショートドラマとは、やっぱりモチベーションも違ってくる。そういう意味ではいい選択だったのかなと思います。応募人数が増えているのも、映画というブランドの影響力もあるかもしれません。事務所サイドも映画だったら……ということでエントリーしてくださっているのかもしれないですし、応募者の経歴を見ても、このキャリアを踏んできた人が応募するんだ! と思うこともありました。

――今後のプロジェクトの展望はありますか?

大きく2つあります。1つは「私の卒業」というブランドをアジアで広めていきたいということです。今年は香港のテレビ局の配信媒体で流してもらえることになり、さらに3期までの作品が台湾で放送されることも決定しています。徐々に広がっていっているので、さらに大きくしていきたい。もう1つは、若い人たちにワークショップを通してプロの俳優の第1歩を踏むためのスキルを教えられる場所を形にしていきたい。僕はこのプロジェクトは死ぬまで続けようと思っているのですが、それとは別に学校なのか、もっと多くの人たちに機会を与えることができるようになればと考えています。

■高石明彦
1975年生まれ。The icon 代表取締役社長。プロデューサーとして、フジテレビ系ドラマ『教場』(20)、『君が落とした青空』(22)などを手掛ける。映画『新聞記者』(19)の脚本を担当し、詩森ろば氏、藤井道人氏と共に第43回日本アカデミー賞の優秀脚本賞を受賞した。