クイーン+アダム・ランバート(Queen + Adam Lambert)の日本公演史上最大級となる4都市5公演のドームツアーが、いよいよ2月4日の愛知公演からスタート。彼らの再来日を記念して、米ローリングストーン誌の読者投票による人気曲ランキングをお届けする。
10位 「ブレイク・フリー(自由への旅立ち)」(原題: I Want to Break Free)
70年代の大物バンドの多くは、MTV時代に適応するのに大変苦労した。 だがクイーンの場合、その移行は実にスムーズだった。 1984年のシングル「ブレイク・フリー(自由への旅立ち)」は、アメリカを除く世界中のヒットチャートのトップを飾った。 それだけ人気を博したのは、ミュージックビデオにバンド一同が女装して登場したことも関係があるかもしれない。 これはイギリスのソープ・オペラ『コロネーション・ストリート』のパロディだが、アメリカのロック・ファンでこのテレビドラマを見たことがある人はほとんどいなかった。 当時はマイケル・ジャクソン、ブルース・スプリングスティーン、マドンナ、ヒューイ・ルイスの時代でもあり、クイーンがチャートで活躍する余地はほとんどなかった。 それでも、ジョン・ディーコンが作曲したこの曲は、彼らの最大のヒット曲のひとつとなっている。
9位 「キラー・クイーン」(原題:Killer Queen)
1974年に「キラー・クイーン」がラジオでヒットした時点で、クイーンのクラシック・ラインナップは結成から4年を経ていたが、ほとんどのロック・ファンにとって、この曲が彼らを紹介する役割を果たした。 バンドの魅力を伝えるうえで、これ以上の曲はないだろう。 この曲はフレディ・マーキュリーの多彩な歌詞と高らかに歌い上げるボーカル、ブライアン・メイの卓越したギター・プレイの完璧なショーケースだ。 全米チャートで12位を記録し、グループの快進撃がここから始まっていった。
8位 「ショウ・マスト・ゴー・オン」(原題:The Show Must Go On)
フレディ・マーキュリーは、クイーンが1991年にアルバム『イニュエンドウ』の制作に取り掛かったとき、自分の肉体が急速に衰えていることを知っていた。 彼は最後の傑作を完成させようと決意し、ブライアン・メイは彼の信じられないような意欲に刺激されて「ショウ・マスト・ゴー・オン」を書き上げた。 この反抗と希望の曲はアルバムの幕切れを見事に飾っている。フレディがこれほど力強いボーカルを披露した例はほとんどない。 当時のビデオを見ると、彼がどれほど衰弱していたのかよくわかる。このアルバムをサポートするためのライヴを実施することは叶わず、フレディはアルバム発表の9カ月後に亡くなった。
7位 「アンダー・プレッシャー」(原題:Under Pressure)
デヴィッド・ボウイは、クイーンの1982年のアルバム『ホット・スペース』のレコーディング中にスイスのマウンテン・スタジオに立ち寄り、「クール・キャット」のバッキング・ボーカルを録音した(※ボウイが自らの歌唱に満足がいかなかったため、その部分は消去された)。そのセッション中、クイーンの4人とボウイは、キラー・ベースのグルーヴを軸にした新曲のジャムに取り掛かった。 その結果、1981年10月に発表された「アンダー・プレッシャー」は世界的なセンセーションとなった。 この曲はクイーンのライブ・キャリアの終わりまでセットリストに居続け、ボウイも90年代から2000年代初頭にかけて披露していた。 残念なことに、1985年のライヴ・エイドで2組続けてパフォーマンスしたにもかかわらず、彼らはこの曲を一緒に演奏することはなかった。
6位 「愛という名の欲望」(原題:Crazy Little Thing Called Love)
フレディ・マーキュリーはギターをほとんど弾けなかったが、1979年のあるときにアコギを手に取り、およそ10分で「愛という名の欲望」を完成させた。 ディスコやパンク・ムーブメントの絶頂期に書かれた同曲は1950年代のロック、特にフレディのヒーローの一人であったエルヴィス・プレスリーへの回帰である。 この曲はアメリカで、彼らにとって初のNo.1シングルとなった。
5位 「リヴ・フォーエヴァー」(原題:Who Wants to Live Forever)
「ハイランダー」であることは必ずしも楽ではない。 不老不死の存在は私たち人間を愛することができるが、その一方で私たちが老いて死んでいくのを見なければならないからだ。 ブライアン・メイは映画『ハイランダー 悪魔の戦士』のサウンドトラックのために「リヴ・フォーエヴァー」を作曲したとき、この異常な苦悩の源を利用した。 彼は最初のヴァースを歌い、残りの部分はフレディが引き継いだ。 レコーディングにはオーケストラ(ナショナル・フィルハーモニック管弦楽団)も参加している。
4位 「愛にすべてを」(原題:Somebody to Love)
クイーンが1976年のアルバム『華麗なるレース』の制作を開始するためにスタジオに入ったとき、彼らの前には困難が待ち受けていた。 一体どうやって「ボヘミアン・ラプソディ」の次作を作ればよいのか? フレディはあの曲の壮大な狂気には叶わないとわかっていたが、それでも 「愛にすべてを」でかなり素晴らしいソウル・チューンを作り上げた。 彼はこの曲をピアノで作曲し、ブライアン・メイとロジャー・テイラーのボーカルをダビングして合唱団のように聴かせた。 この曲はその年に大ヒットし、アメリカでは13位を記録。 1992年のフレディ・マーキュリーのトリビュート・コンサートでは、ジョージ・マイケルがこの曲を熱唱した。
3位 「ドント・ストップ・ミー・ナウ」(原題:Dont Stop Me Now)
1978年のアルバム『ジャズ』をリリースする頃には、クイーンはかなりの大躍進を遂げていた。過去4作の間に小さなクラブからスタジアムにまで進出し、リリースした曲はどれもチャートを駆け上がっていった。 グループのトレードマークであるマルチ・トラックのハーモニーをフィーチャーした同作からのリード・シングル「ドント・ストップ・ミー・ナウ」は、全英チャートでトップ10入りを果たした。 また、この曲は時間の経過を経て、今ではグループの最高傑作のひとつとして広く認知されている。
2位 「ファット・ボトムド・ガールズ」(原題:Fat Bottomed Girls)
ラッパーのサー・ミックス・ア・ロットが「大きなお尻が好き」と宣言するより遥か前に、クイーンは「お尻の大きな女の子が世界を動かす」と世界に伝えていた。 この曲は1978年、同じく「お尻の大きな女の子」を歌詞に含む「バイシクル・レース」と共にシングルとしてリリースされた。レコードスリーブにはそのような女性が自転車に乗った姿が描かれており、彼らは65人のモデルにウィンブルドン・スタジアムの周りを裸で自転車に乗せて曲を宣伝した。 言うまでもなく、このスタントはマスコミの抗議の嵐を引き起こしたが、おそらく曲の宣伝にはほとんどならなかっただろう。
1位 「ボヘミアン・ラプソディ」(原題:Bohemian Rhapsody)
クイーンの最も愛されている曲は、彼らの最もミステリアスな曲のひとつでもある。 この6分間の大名曲はフレディによって書かれたもので、サビを省き、曲の途中で音色を激しく変化させることで曲作りの常識を覆した。彼らはテープが物理的に収まらなくなるまでボーカルを重ね、数週間もの時間と予算をかけてこの傑作を作り上げた。 語り手は明らかに恐ろしい過去と果てしないフラストレーションに悩まされている。 「ファンタジーのような感じの曲だ。この曲を聴いて、それについて考え、この曲が自分たちに何を語りかけているのか自分たちで判断してほしい」とフレディは語っている。クイーンは自分たちが特別なものを作り上げたと気づき、MTVの放映開始より6年も早く同曲のビデオを制作した。そして後年、『ウェインズ・ワールド』にこの曲が使われると、新しい世代のロック・ファンを魅了した。
From Rolling Stone US.
QUEEN + ADAM LAMBERT - THE RHAPSODY TOUR -
2024年2月4日(日) 愛知 バンテリンドーム ナゴヤ
2024年2月7日(水)大阪 京セラドーム大阪
2024年2月10日(土)北海道 札幌ドーム *Special Guest: GLAY
2024年2月13日(火)東京 東京ドーム
2024年2月14日(水)東京 東京ドーム
公演詳細:https://www.creativeman.co.jp/artist/2024/02queen
クイーン
『絆(KIZUNA)』
日本のファンが選ぶスペシャル・ライブ・ベスト・アルバム
CD発売日:2024年1月31日(水)
限定盤・SHM-CD仕様・日本のみの発売
配信・購入:https://umj.lnk.to/Queen_KizunaPR
クイーン来日記念関連リリース
2024年1月31日(水)同時発売
■ザ・ミラクル - デラックス・エディション
■ライヴ・キラーズ
■ライヴ・マジック
■クイーン・ライヴ!! ウェンブリー1986
■オン・ファイアー/クイーン 1982
■ライヴ・アット・ザ・レインボー 74
■オデオン座の夜
■グレイテスト・ヒッツ・イン・ジャパン
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